(73年9月11日 チリ・サンチャゴでピノチェト将軍による“9.11”軍事クーデターの攻撃を受けるアジェンデ大統領(写真左 眼鏡の男性) 右の護衛が手にしているカラシニコフはキューバ・カストロからの贈り物とか。 大統領自身も右手に何か持っているようですが、写真ではよくわかりません。
“flickr”より By Javier Chandia http://www.flickr.com/photos/zebehn/1523878109/)
【拷問は共産主義を根絶するために必要なのだ。祖国の幸福のために必要なのだ。」】
現在の中南米は左派政権が主流ですが、かつては右派軍事政権が多く存在していました。
中南米の軍事政権・軍事クーデターということでは、個人的には73年のチリ・アジェンデ政権の軍事クーデターによる崩壊を思い出します。
東西冷戦のなかにあって、社会主義政権としては初めて自由選挙によって合法的に政権を獲得したアジェンデ政権、軍事クーデターに抵抗して大統領官邸に籠城、自ら銃を手にとって応戦し、死んでいった文民大統領(最近の調査で、直接の死因は自殺と言われています)、クーデターさなかでの国民へ向けた最後の演説・・・、そうした悲壮なイメージと、その後のチリ・クーデターを扱った映画「サンチャゴに雨が降る」(75年)「ミッシング」(82年)の影響でしょうか。
ニクソン米大統領・キッシンジャー国防長官など、当時の反社会主義アメリカ政権の意向も反映したクーデターでしたが、もちろん、アジェンデ大統領は悲劇のヒーローという訳ではなく、アジェンデ政権当時、国有化政策や土地問題などの改革でチリ経済・社会はかなりの混乱状態にあり、その施策にも問題はあったとも指摘されます。
この軍事クーデターを起こしたのは、後に大統領に就任するピノチェト将軍ですが、クーデター直後に戒厳令が敷かれ、アジェンデ支持派の多数の市民がサッカースタジアムに集められ、容赦なく虐殺されたと言われています。
また、その後もピノチェト政権下で、多数の左派市民が誘拐され拷問を受け、死亡していますが、そうした拷問行為に対して抗議した聖職者に、ピノチェト大統領は「あんた方(聖職者)は、哀れみ深く情け深いという贅沢を自分に許すことができる。しかし、私は軍人だ。国家元首として、チリ国民全体に責任を負っている。共産主義の疫病が国民の中に入り込んだのだ。だから、私は共産主義を根絶しなければならない。(中略)彼らは拷問にかけられなければならない。そうしない限り、彼らは自白しない。解ってもらえるかな。拷問は共産主義を根絶するために必要なのだ。祖国の幸福のために必要なのだ。」と、拷問を正当化したそうです。【ウィキペディアより】
【7万5000人が殺害され、犠牲者の83%がマヤ民族】
そんなチリ軍事政権を思い出したのは、80年代前半の中米グアテマラの軍事政権に関する記事を目にしたからです。
****グアテマラ:大量虐殺、元将軍の裁判開始****
中米グアテマラで、クーデターで政権を握り82~83年に軍政を率いた独裁者リオス・モント元将軍(85)に対し、先住民のマヤ民族を中心に多くの市民を殺害した罪を審理する裁判が1月末に始まった。被害者の妻らで作る女性組織「コナビグア」のロサリーナ・トゥユク元代表(65)に心境を聞いた。
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裁判開始の日を長い間待っていた。リオス・モント元将軍の他にも、虐殺に関与しながら政府に守られている元軍人がいる。全員を裁き、真実を明らかにしてほしい。
マヤ民族の宗教指導者だった私の父は82年に、夫も84年に政府軍に殺害された。農民に文字を教えていた私も捕まりそうになった。多くの仲間が殺され、行方不明になった。
当時の政府は「左翼ゲリラのテロから市民を守る」ことを口実にしたが、実際に政府軍が行ったことはマヤ民族のせん滅だった。政府はマヤ民族を国の発展の障害とみなしていた。マヤの文化的指導者はゲリラへの協力者として迫害され、女性は集団レイプされた。5歳の少女まで犠牲になった。
3年前、私たちは虐殺現場の一つだった、コマラパの軍施設の跡地の一部を買い取った。地中から226人の遺体が出てきた。ガソリンで焼かれたり、首や足を切断されたりした遺体もあった。このうち身元が判明したのはこれまで17体しかない。
◇7万5000人犠牲
グアテマラで96年まで続いた政府軍と左翼ゲリラとの内戦は20万人以上の死者・行方不明者を出した。特にリオス・モント元将軍の軍政下で大量虐殺が行われ、国連推計によると7万5000人が殺害された。犠牲者の83%がマヤ民族だった。
元将軍は1月14日に国会議員としての免責特権を失い、訴追された。266件の人権侵害事件に関与し、この中で少なくとも1771人が殺害されたとされる。元将軍は無罪を主張している。【2月9日 毎日】
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なお、グアテマラに関する最近の情勢としては、昨年11月に大統領選挙が行われ、治安悪化を背景に、強硬路線を主張する右派で元軍人のペレスモリナ氏が当選しています。
****グアテマラ大統領選、右派ペレスモリナ氏が当選****
中米グアテマラで6日、大統領選の決選投票が行われ、第1回投票で1位だった右派で元軍人のオットー・ペレスモリナ氏(60)が、中道の実業家マヌエル・バルディソン氏(41)を破って初当選を決めた。
任期は来年1月14日から4年。
6日深夜(日本時間7日午後)発表の選管集計(開票率99%)によると、得票率はペレスモリナ氏54%に対し、バルディソン氏は46%にとどまった。
ペレスモリナ氏は6日夜の記者会見で、「最初にやるべき仕事は治安の改善と財政再建だ」と今後の抱負を述べた。
選挙の最大の争点は治安問題だった。同国では近年、国内の犯罪組織に加え、隣国メキシコから侵入してくる麻薬密売組織がらみの凶悪犯罪が増加。軍・警察の大幅増員など強硬路線を唱えたペレスモリナ氏が幅広い支持を集めた。【11年11月7日 読売】
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【現地で注目される日系人の沈黙 「恥の文化」】
南米の軍事政権絡みでは、日系社会に関する話題もありました。
「汚い戦争」による日系人被害を取り上げたものですが、主題は、なぜ日系人社会は被害に沈黙を守っているのか?ということです。
現地ジャーナリストは、その背景として日系人社会の「恥の文化」があるのでは・・・と分析しています。
ただ、最近では、日系人被害者たちの家族が真相解明に積極的に乗り出す動きもあるようです。
****アルゼンチンで消えた日系人 30数年前、軍事政権拉致*****
南米アルゼンチンの日系人たちが三十数年前、拉致された。当時の軍事独裁政権に反対し、左翼活動への関与を疑われたためだ。多くの人の消息が今も分かっていない。家族は「身内の恥」と、長く沈黙を続けた。だが年々困難になる真相究明のため、やっと声を上げ始めた。
■左翼活動疑われ連行
日系2世のエルサ・オオシロさん(57)の弟ホルヘ・オオシロさん(当時18)が姿を消したのは、1976年11月のことだった。
高校生だったホルヘさんは社会党の青年部に所属し、機関誌を配っていた。夜中、ブエノスアイレスの自宅に武装した男たちがなだれ込み、無言のままホルヘさんを連れ去った。
同年3月にクーデターを起こし発足したビデラ将軍率いる軍事政権は徹底して左翼活動家や労働組合員らの弾圧に乗り出していた。後に「汚い戦争」と呼ばれる。
軍事クーデターが起きたすぐ後で、世の中は騒然としていた。エルサさんは、大勢が拉致されていることなど知らなかった。弟が当局の標的にされるとは思いもよらなかったという。
ホルヘさんが拉致された翌年、日系紙「亜国日報」の記者だったフアン・カルロス・ヒガさん(当時29)も、職場から帰宅途中に武装した男たちに連れ去られ、二度と戻らなかった。ヒガさんはスペイン語版の記事や詩を書きながら、左派的な活動をしていた。
ヒガさんが失踪した後、ヒガさんの妹が、他にも日系人の被害者がいると知り、エルサさんらと連絡を取り合った。アルゼンチンで何が行われ、肉親たちがどうなったのか。おぼろげながら分かってきた。
軍事政権によって、行方不明になった人は3万人に上るとされる。拷問のうえ、生きたまま飛行機から海に突き落とすなどして殺害されることもあった。犠牲になった日系人は家族らによると16人。ただ、拉致されたことを明らかにしていない家族がいる可能性もある。
■「恥の文化」肉親沈黙
83年に軍政が終わったが、日系人犠牲者の家族たちは、ほとんど沈黙状態を続けた。
「父の世代の日系移民は、お上には絶対服従だった。だから、軍政に連れ去られた若者たちのことも、『身内の恥』と、受け取っていたと思う」
日系3世のノルマ・ナカムラさん(65)はそう話す。ノルマさんの11歳年下の弟ホルヘ・ナカムラさん(当時21)は78年に消息を絶ち、今も行方が分からない。
父親は軍事政権に連れ去られた、と直感したという。父親は、ノルマさんにホルヘさんが床下に隠していた左翼的な本を燃やすよう頼んだ。ノルマさんは泣きながら、何冊も本を父と一緒に風呂の火にくべ燃やした。
父はホルヘさんが「失踪」したのと同じ日の5年後、病死した。「父は死ぬまで、ホルヘの話はしなかった」とノルマさん。兄弟の中では、ホルヘさんの話は今もタブーという。(中略)
家族の一部は、現地の日本大使館に消息確認のための要請をしたり、日本政府宛ての請願書を書いたりした。だが、表立って動くことはなかった。
日系人の「沈黙」は現地でも注目された。フランスなど欧州系移民の被害者家族たちは本国を巻き込み、責任追及を求める行動を起こしていた。日系人社会では、被害者がいたことさえ知らない人が多かった。
「なぜなのか」。地元テレビ局の記者カリナ・グラシアノさん(39)は、日系人の「失踪者」をテーマにドキュメンタリーを撮り始めた。
家族を訪ね歩くうち、日系人には、事件や消えた身内を「恥じる」独特な感情があることを知った。慣れない異国で、懸命に暮らそうとした1世たちは言葉の壁もあり、現地で生まれ育った2世の息子たちが何に怒り、何のために闘っているかが理解出来ない人も多かった。「1世のカルチャーショックや父親の権威主義なども、沈黙につながったのでは」とグラシアノさんは分析する。
■風化恐れ究明へ一歩
日系人被害者たちの家族が真相解明に積極的に動き出したのは最近のことだ。10年には、日本大使館の広報文化センターで、初めて日系人被害者の写真展を開いた。
息子や兄弟がなぜ拉致され、最期をどう迎えたのか知りたい――。被害者の家族たちは高齢になり、自分の死とともに、明らかにされないまま風化してしまうのを恐れるようになったためだ。当時の軍政幹部たちは高齢で次々と死亡している。家族たちに焦りが募る。
日本政府に人権侵害事件の原告になって、責任追及をするよう求める動きも出ている。スペインなど欧州の国は、アルゼンチン軍政の人権侵害の責任者たちを、自国の法律で訴追しているためだ。マドリードの高等裁判所は05年、アルゼンチン軍政下に反体制派の市民30人を生きたまま航空機から突き落として殺害したとして「人道に対する罪」などで起訴されていた元アルゼンチン海軍将校アドルフォ・シリンゴ被告に禁錮計640年を言い渡した。
日本大使館は国として司法制度上、そこまでは出来ないとしながらも、日系人被害者の事実を明らかにし、責任者を処罰するよう、アルゼンチン政府に求めているとしている。
エルサ・オオシロさんは、「消えたのは、日本人の息子たち。日本政府にも家族とともに原告になってほしい」と訴える。(ブエノスアイレス=平山亜理)
◇
〈アルゼンチンの軍事政権〉軍部のクーデターにより1976年、ビデラ将軍が大統領に就任。反体制派への徹底的な弾圧を続けた。82年には英国との間でフォークランド(マルビナス)紛争が起きた。83年に民政移管されたが、恩赦法を出し、真相究明や責任追及は遅れた。2003年のキルチネル政権の発足後、軍政下の責任者を裁く裁判が始まり、有罪判決も出ている。【2月2日 朝日】
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【独裁者の末路】
やはり80年代の中米パナマで軍事独裁政権を率いたノリエガ将軍の病状に関する記事がありました。
83~89年にパナマの軍事独裁政権を率いたノリエガ将軍は、米仏での22年間の服役に加えて、本人不在のままパナマで行われた裁判で反対勢力の殺害など3つの裁判で有罪となり、現在地元パナマで服役中です。
****服役中のノリエガ元将軍、病院に搬送 パナマ****
2012年02月06日 10:11 発信地:パナマ市/パナマ
パナマの最高実力者だったマヌエル・ノリエガ服役囚(77)が5日、脳卒中によるとみられる高血圧症でパナマ市の病院に搬送されたと、警察が発表した。ノリエガ服役囚の容態には触れていない。
ノリエガ服役囚は、麻薬取引やマネーロンダリング(資金洗浄)などの罪で米仏で22年服役した後、前年12月11日にパナマに送還されていた。
送還時にパナマの空港に降り立ったノリエガ服役囚は、車椅子姿で歩行や会話が困難な状態だった。ノリエガ服役囚は過去にも何度か卒中を起こしている。【2月6日 AFP】
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ノリエガ将軍は隣国コロンビアの麻薬組織と結びつき、パナマからアメリカへコカインなどを密輸するルートを私物化するなどで、アメリカ・ブッシュ政権の不興を買い、89年、米軍のパナマ侵攻で失脚しました。
しかし、そのブッシュ大統領がCIA長官をやっていた頃は、アメリカCIAの先兵として中米・カリブ海の左派政権の攪乱に協力していたそうです。【ウィキペディアより】
アメリカに見捨てられた独裁者の末路・・・というところでしょうか。
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