家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

洗面ボウルを捨てた

2025-01-24 09:44:56 | Weblog

洗面ボウルを捨てに行った。

市のゴミ対策の要綱を見ると連絡ごみという範疇に入る。

これは妻の実家を解体することになった、その時に私が取り外しておいたものだ。

いつかはこのボウルを使いたいと思っていたが、ついにその場面は出なかった。

陶器というのは、木や金属と違って長い寿命を持つ物質だ。

これもきれいに掃除すれば割れや欠けヒビもなく今でも充分用に足る物だ。

ただし、今付いている水道蛇口は取り換える必要がある。

特別古いデザインではないが取り付け金具もとっておいたし問題はなかった。

ベランダに置いておいたが、いつしか景色の一部となってそのままになっていた。

連絡ごみの項目を読み直接電話してみた。

すると持ち込む場所はここで良かったが、その前に受付センターに連絡する必要があった。

受付センターでは私の氏名や住所等答え受付番号をもらった。

次にコンビニで受付ステッカーを購入し、そこに受付番号や日付を書き込めば南部清掃センターに運び込める。

初めて入るセンターだが場所はすぐに分かった。

入っていくと既に私という人物が何を運び込むかが了解されていた。

だが洗面台だということで、もっと大きな例えば鏡の付いた家具のような物を想定していたようだった。

車を所定の鉄の箱の横に着けて、その中に運び込むのだ。

私は係員に言って自分で運び入れ、そして写真を撮らせてもらうことにした。

我が家にずっと置いてあった物が今我らの元を離れて、あっけなくゴミ扱いされることとなった。

妻の実家から離れ私の元では実力を発揮することなしにゴミとなってしまった。

「お疲れ様」と言葉もかけることなく鉄の容器の一部に置かれた。

申し訳ない気持ちが湧いたが最後に私の手で運び込んだことで私の気分が少し和らいだ。


視力検査

2025-01-22 16:27:53 | Weblog

妻が、またメガネが合わないからメガネ屋さんに行くと言う。

私も付いていった。

長く視力を診る機械をのぞいていた。

メガネ屋さんが「眼科に行かれた方がいいですよ」と言った.

幸い我が家の近所に新しい眼科ができた。

そこに予約を入れた。

私も視力検査をしてもらいたかったので二人分の予約をした。

歩いて10分の距離だった。

私は15分で検査を終えて先生は「メガネをかけて視力が両目とも1.2です。白内障はありますが、まだ大丈夫です。緑内障はありません。1年に一度検査すればいいでしょう」ということだった。

私は先生にお願いして私の眼球の写真を撮らせてもらった。

妻はそれから15分経っても戻ってこない。

何を手間取っているのだろうか。

いろいろ素人なりにああでもない、こうでもないと考えを巡らせた。

視神経なのか、それともひょっとして脳なのか?

ドキドキしていたら妻が戻ってきた。

「白内障だって。手術は3月だって」と言う。

それが答えだったか。

一番無難な答えで良かった。

妻は眼球の手術ということに複雑な思いをしているようだった。

頭では老齢になれば誰でもこの宣告はあり、手術を受ける人は多いと分かっているが、いざ自分が医師からそう言われると想定と違ったこととも合わせて変な気分になったようだ。

午後になって気分転換に甘味処に行ってみた。

我々がこういう店に行くというのも珍しいのだ。

いつもだったらアルコールを出す店に行きそうなのだが。

私は、わらび餅ぜんざいとコーヒー、妻はわらびあんみつとコーヒーを頼んだ。

静かな店で器もきれいな物を使っていてのんびりできた。

食べ終わったころ着飾った女性の4人組が入ってきた。

とたんにやかましくなり早く店から出たくなった。

会計を済ませて駐車場に出ると彼女たちの乗ってきたアウディとメルセデスが並んで置かれていた。

TVではトランプ大統領の映像が流れている。

妻に「誕生日おめでとう。忘れられない誕生日になりそうだね」といって乾杯した。


72歳になった

2025-01-09 15:47:09 | Weblog

72歳になった。去年は健康診断を受けた。

結果は特別悪い所もなく薬は何も飲んでいない。

今着ている服は50年前の物。

これが着られることが健康の証かな。

でも慢心せず注意深く健康に気を使います。


正月そうそう

2025-01-08 16:05:25 | Weblog

今年の初仕事と言っていいのだろうか近所の神社の掃除があった。

隣保の人たちがゾロゾロと歩いていくのが嫌でオートバイで行った。 

境内の門の脇にあるスペースに留めて入っていくと、竹ぼうきを渡されて「東と北の掃除をお願いします」と言われた。

午前8時からだというのに8時前に着いても、もう始まっていた。

こんな場所に5人も要らないだろうと感じて一人だけ北側に回った。

ここはもっと枯れ葉が少なかった。

後から北側に来た人たちの中で神社と接していない側の枯れ葉を掃く人が出て私も「そうだ。これは、やらされているのではない。好きでやらせていただいているのだ」と感じて、接しているとか、いないとかは関係なく道の全部を掃いた。

といっても大した量じゃないのだ。

世話人は「それでは西側と南側に行きましょうか」と音頭を取って歩き始めた。

「これを燃すと良いんですけどね」と私が言うと誰かがその中にさつま芋を入れたらもっと良い」と言った。

世話人は私の顔を見て真顔で「それはできません。そんなことしたら消防がすぐ来ます」と言った。

「いやだから冗談だって」と心でつぶやいた。

ぞろぞろと皆で西側と南側を歩いて外は終わり、境内に合流してすぐに全体の作業は終了した。

帰ろうとしたら中央に集められて参加者の名前を書くという。

私の名前が書かれたことを確認したら目の前のペットボトルのお茶をもらって一番にオートバイ歩き始めた。

まだグズグズしている人達を尻目にさっとエンジンを掛けて走り始めた。

右折レーンに並ぼうとすると、ばかにハンドルが振れる。

とりあえず慎重に右折して交差点脇の広い場所にオートバイを留めた。

やはりリアタイヤがペッタンコでタイヤとリムとが離れているほどだった。

妻に連絡して車で迎えに来てもらった。

近くの自転車屋に電話すると「本日はお休みです」というので一晩そこに置くことにした。

翌日オートバイ屋さんに連絡して取りに来てもらってチューブ交換後電話をもらうことにした。

その日にチューブは、交換出来ていたが空気漏れがないか確認します。

と言うが雨だから私に気を使ってくれたのだ。

その翌日取りに行きエンジンも一発でかかり自宅に戻る。

あと500メーターで自宅という所でエンジンが止まった。

ガス欠を起こしたので押して帰宅した。


洗面所のプルスイッチ

2024-12-31 16:08:24 | Weblog

「これ、取れっちゃったの」と言って妻が持ってきたのは洗面所にある電灯のプルスイッチのヒモだった。

大昔のガイシでできたスイッチから出ている鎖を引っ張るための物だ。

ただのヒモでは面白くないので、どこかネパールとかインドあのあたりの民族土産物的なテイストの茶と緑色の球を糸に通した物だ。

スイッチの鎖には細いワイヤーを通し、そのワイヤーに球を通してある。

ワイヤーが細すぎて15年に1回ぐらい切れてしまうのだ。

もっと太いワイヤーにすればよいのだが鎖が細いので、どうしても細くせざるを得ない。

またスイッチから出ている鎖は短くてスイッチの外に長く出ていれば簡単なものを短ものだからスイッチ内に戻ってしまわないように細いドライバーを鎖に刺して戻らぬ細工をして作業する。

風呂栓チェーンを利用することを思いついた。

鎖からは丸かんと呼ばれる金属の輪っかを繋いだ。

風呂栓チェーンに民族土産の球を通そうとしたら、ほんのちょっと穴が狭くて通らない。

しかたなく玉の一つ一つをドリルに通して穴を広げた。

ドリルをゆっくり回すが、ふとした拍子にドリルビットの回転が「グイーン」という音と主に力強く回るので、かなり注意した。

なにせ指先で小さな球を持っているだけなので握力が無くなってしまうほど力を要した。

それが出来たら、今度はひとつ一つをチェーンに通す。

緑 茶色そして 緑 茶色また 緑 茶色と交互の色になるように通した。

途中で外すとバラバラと音を立てて落ちてどこかに転がってしまうだろうから神経を使うところだ。

全てを通し終えて球が抜けないようにストッパーを付けたら作業完了だ。

これなら20年以上持つに違いない。

だが91歳以上で同じ作業はしたくない。


台所換気扇

2024-12-25 08:55:35 | Weblog

11月のはじめ妻が「台所の換気扇が回らないの」と言ってきた。

レンジフード内の電灯は点灯するのだが肝心な換気扇が作動しない。

換気扇に油が付着して、それが気温の低下で硬くなり換気扇のファンの回りを阻害しているのかと思った。

もう新築以来故障こそは無かったが掃除もしていないので作動しなくなっても不思議はないと思った。

何でも相談する友人に話してみた。

彼はいつものように、その場で電気屋さんに電話してくれた。

翌日その電気屋さんが我が家に見に来てくれた。

換気扇の位置が高い所に在って、それを外すには高所作業車が必要だという。

我が家は2階に台所があり、それが外に繋がっているのは地上から5メートル以上の場所だ。

そして現在の台所レンジフードを外して新しいレンジフードを取り付ければ修理完了ですという。

修理内容に問題はいくつもあった。

現在のレンジフードを取り付ける時に事前にタイルを貼ってありレンジフードを取ってしまうと後から付けるレンジフードとの整合性が合わなくなってしまう。

現在のレンジフードもきれいで取って捨てるにはもったいない。

現在のレンジフードの中に換気扇を取り着けれないかを聴くと「無理だ」と応えた。

自分としては何とか自力で換気扇を取り付けようと思い電気屋さんには現在の換気扇を取り外すことなく処理できる方法を聴いてお帰り頂いた。

それからは頭の中で換気扇を取り付けることに没頭したりホームセンターに出向き新品ののレンジフードを見たり不燃材料を探したりしていた。

ある時youtubeを見ていたら我が家と同じようなケースの作業を見つけた。

便利屋さんが「これは換気扇の問題ではなくてスイッチの不具合です」と言って新しいスイッチを別口で取り付けて直してしまったというものだ。

ひょっとしたらと思ったので、もう一度換気扇のスイッチ辺りを外して掃除した。

それは知り合いの電気関係の仕事をしている者にスイッチを修理してもらおうと思ったからだ。

ところがスイッチを入れたら何と作動してしまった。

原因はスイッチの汚れっだったようだ。

今までの下準備や脳内作業は無駄に終わったが何より無料で解決したことがありがたかった。

 


病歴等

2024-12-17 16:04:34 | Weblog

若い頃から記録に残すことが好きだった。

自分の記録なんて何の価値もないけれど残す行動が好きなのだ。

何かの参考になるのかもしれないくらいに考えて進めていた。

何年か前に病歴を書いておこうと思って書き始めた。

これは私の子孫が見たいと思う事柄があるかもしれない。

それにもう少し書き足したら面白いかなと思い始めた。

どういうことが自分の体に強い影響を与えているか分からないから、その辺りの事だ。

先日の特定検診についても、当日高い値の血圧が実際に出ていたが、先生は私の言葉を信じて「この科にかかりなさい」とかは言わなかった。

それは私の話に信ぴょう性があったからだと思う。

病歴なんてほんの少ししかないから体調に関わりそうな出来事を書いておいた方が役に立つかもしれない。

家族のことは私にとってかなり大きな出来事なので欠かせない。

イヌやネコとの同居も大きな出来事だ。

だって私の給料の配分の仕方にネコやイヌの存在も関わってきていたし。

オートバイや車が好きで、それらの乗っていた履歴なども載せるようにした。

ジムに通っていたことも載せた。

古い手帳を引っ張り出してその記述を参考にした。

すると思いもよらないことが書かれてあった。

41歳の7/14に400mクロール   7/28 800mクロール

42歳でジムを移り10/14に1100mクロール 12/2 1500mクロールと書いてあった。

70歳で再び始めた水泳のモチベーションアップに自分で期待している。

63歳の8月に良性頭位性突発性めまいを発症したが、これは今でも続いているが怖くはない。

若い頃から長く続く下痢に悩まされていた。

過敏性腸症候群という診断名ついていた。

65歳にひょっとして乳糖不耐症ではないかと思いつき乳製品を一切やめてみた。

するとそれ以降は一回も下痢したことがない。

妻がB型肝炎のウイルスのキャリアーであることを承知して結婚した。

私も感染したが無症状であった。

そして70歳になって妻のウイルスが消えてしまった。

担当の医師が「教科書では習いましたが実際に消えた人を初めて見ました」と言った。

遡れば遡るほど記述が少ないことが残念でならない。

交通事故の記録や足の巻き爪が完治した事実も、どこにその記録を保管したかが思い出せない。

 


おばあちゃん2件

2024-11-28 14:19:05 | Weblog

10000歩の内の8000歩くらいの所つまり帰り道に公園の隣を歩いていた。

道路の端にかがんだ状態のおばあちゃんが居た。

近づいてきたら分かった。

彼女はかがみこんで道路の端を掃除していたのだ。

公園の長いフェンス沿いの、ほぼ5分の3は驚くほどきれいになっていた。

家庭用のチリトリを使い枯れ葉やドングリを集めてはゴミ袋に入れている。

余りにも非効率的だし距離が長いからご苦労さんなことだな、と思った。

近づいて行って「ご苦労様です。距離が長いからたいへんですね。丁寧にやっていただけたのですね」と労いの言葉を掛けた。

「ああ、どうも」とぶっきらぼうに答えたのみで手を休めない。

ふと気づいたのだがビーグル犬がおばあちゃんの体の繋がれている。

犬は私を恨めしい目つきで見て「どうすんだよ。散歩に行くもんだと思っていたのに。ちっとも進まないんだよ」と言いたげであった。

私は言葉に出さず「仕方ないんだよ。もう少し待ちな」という目で犬を慰めた。

 

別の日散歩の途中、堤防で小柄なおばあちゃんが私と同じ堤防に乗ってきた。

横断歩道を渡り橋のたもとで止まって河川の工事現場を眺めていた。

「なにかあったのかな?疲れちゃったのかな?」と思いながらその横を通り抜ける時おばあちゃんの様子を見てみた。

タイミングよく私に「こっちの堤防が低いだかいねぇ?」と言う。

そうかこの工事が気になって誰かが通るのを待っていたのか、と感じた。

「堤防の高さは同じです。川の中に打ち込んだ杭をやり直しているんです」と教えた。

「84になるもんで自転車は乗らずに歩きで来た」という。

「ああ。良いカバンですね。買い物袋を持って歩くよりリュックに入れて歩いたほうがいいですよね」と言った。

続けて「84の割には顔が若いね」と要らぬことをしゃべった。

おばあちゃんのスイッチが入ってしまった。

「ああうれしいやぁ。2年前に心臓の手術をしたらぁ。そうしたら顔がしわだらけになっちゃって」と言う。

そして気を良くしたついでに「昔はぽっちゃり顔で高田みづえに似てるって言われた」と言う。

「相撲の親方に嫁いだ人?」と聞くと「そう」と答えた。

「そういやぁ似てるわ。高田みづえに」というと満面の笑みを見せた。

こりゃぁもっと長引くぞと思い「じゃあね」と言って散歩を続けた。

あの笑顔が長く続いてほしいと思った。


風邪に感染した

2024-11-17 14:28:24 | Weblog

特定健康診査受信結果通知表を受け取ったその日に実は風邪に感染した。

はっきりしているのは感染源が妻なのだ。

その日は春野で土木作業した。

斜面の草刈りをしたとき足場が悪くて斜面から落ちそうで怖かったからだ。

斜面の下にコンクリートでできた部分がある。

そこに堆積した土砂を取り除こうというわけだ。

スコップで道路に置いた箱に土砂を捨てる。

真横に置いた箱だが、ある程度スコップで投げるようにしないと、うまく入らない。

スコップに入った土砂の量は大したことはない。

だからもう少し遠くでも投げられそうだった。

だが回数が増えるに従って疲れが溜まってきた。

疲れが出てくると足腰が心もとなくなってきて「ここから道路に落ちるか」と不安になってきた。

もう何回土砂を捨てたか分からない。

10時から始めた作業を11時半くらいで終了させた。

汗びっしょりになって着替えたのは12時を越えていた。

昼食後疲れと満腹で15分程度うたた寝をしてしまった。

「まずいな」と感じたがもう遅い。

帰路の車の中で妻が「ゴホゴホ」咳き込んだ。

車の中という密室で感染源と約1時間過ごした。

もちろん私は久しぶりに風邪をひいた。

鼻水が出て38.4℃の発熱、そして咳が出始めた。

涙が出るようになり咳飴が欠かせなくなった。

だが少し調子が良くなると自転車に乗って走り、冷たい空気を吸い込むので、その夜からまた咳き込むことになる。

感染源が妻の事は確かだが長引かせたのは本人であることも確かだ。

最近は日によって暖かい日もあれば冷え込む日もあり気温の変化に付いていけない感じがある。

好きな水泳は自重している。

でもマスクしてでも散歩は欠かさない。

晩酌が美味しいこともあるが、あくまでも身体を気遣ってのことだ。

歩くことの効用を捨てるわけにはいかない。

好きなビールを止めているのは呑むと咳が出る為だけではなく、季節的にウイスキーのお湯割りの方が合っているからだ。


記念日とガーデンパークと昼食

2024-11-02 14:45:56 | Weblog

私たち夫婦の記念日が来た。

一緒に暮らし始めた日から48年が過ぎたのだ。

翌日からは49年目の1日目だ。

記念日というのは、その一日が特別な日ではなく残りの日の代表なだけだ。

「あの日から48年が経ったのだね。ありがとう」とお互いに言ったが、それ以外の日にも、その都度感謝は伝えあっている。

いつも通りよりも、その日が特別な方がありがたみを増すという意味でガーデンパークに散歩に行き、その帰りに昼食をする。

ガーデンパークは寒いかもしれないと思いジャケットを用意したが車を降りてみて車の中に置いていった。

風はなく寒くも暑くもなかった。

まさに散歩日和だった。

秋は紅葉が見られるだけと思っていたが、それだけではなく様々な花が咲いていた。

入園無料だけでなく駐車場も無料だからここに来て歩きたくなる。

これだけきれいにしてあるということは人や金の使い方もすごいのだろうと想像がつく。

それは税金の使い方として有難く、そして正しいという気がした。

車に戻って少し汗っぽかったので下着を取り換えた。

そこからすぐの所に和食の店があり予約なしでも入れると思って直接出向いた。

やはり入れたが宴会中の集団もいたので入れたのはラッキーだったようだ。

注文はタブレットですることに変更されていた。

知り合いの女給さんが「タブレットにしたのは2月ですから、それから初めてですか?」と確認して驚いていた。

二人とも天ぷら定食を頼んだが、それ以外にツブ貝煮物とメヒカリ唐揚げを頼んだ。どれもちょうどよい味付けで上品だった。

帰宅は雄踏町の「ヨラッセ」に寄った。

どうまんガニをはじめ浜名湖で上がった新鮮な魚介類を見て妻はイカを買った。

帰宅後二人とも風邪気味なので風呂はやめて軽くアルコールをいただき早めに就寝した。

夜中に二人とも咳き込むことはあったが幸せな9年目初日が終わっていった。