帰宅すると妻がピンクに近い薄茶色の小さな小さなTシャツを干していた。
「かわいいでしょ。見ているだけで胸がキュンキュンしちゃう」という。
確かに、その小さなTシャツこそ「かわいい」という言葉が似合うものはない。
妻が白いTシャツを購入し、それに絞りを加えて染めたものだ。
丸い絞りの大きさも、その配置も妻のセンスの向上だと感じた。
背中にも一つ絞りがあり「おっ紋付きだな」と言った。
これはビワの葉で染めたものだ。
濃い緑の葉で染めたものがピンクを含むうす茶色になるとは意外だった。
品のある色だ。
そのビワはモーガンの友人であるN氏が我が家に最期の宿泊に来た時に食して出てきた種を植えたものだ。
彼はガンを患っていて、その末期に医師から「会いたい人がいたら会っておきなさい」と言われて奥さんの運転で会いに来た。
いつもは、あまり食が進まないということだったが、その時だけは奥さんが驚く程の量を食べた。
良い思い出のあるビワの葉で、これから育つ子供の服を染める。
N氏の明るい性格が、これを着る子供に受け継がれるような気がする。
しばらくして今度は春野で晩白柚(バンペイユ)の葉で染めをした。
いつものようにステンレス製の鍋に葉を入れてグツグツと煮出す。
それに染めたい布地を入れて再びグツグツと煮る。
私は火の番をした。
庭や道路に散乱している杉の葉や枝を燃すので片付けも兼ねていて時間が来ると染め用の鍋の横に昼いただくスープの鍋が乗る。
煙にまみれて出てくる涙も悲しくて出てくる涙も同じ。
ならば健康の役に立っているのではないか。
染めることが一石何鳥にもなっている。
こちらは予想通り薄い緑色に染まった。
色の着かなかった部分と着いた部分のコントラストが薄い。
それは仕方ないことであり、だから、それがより上品に仕上がっているとも言える。
草木染めのできる環境に感謝し出来上がった服を誰が着るのかなと希望を膨らませて、きれいになった庭を眺めた。
顔が少し突っ張る気がするのはスモークされたからだろうか。
「かわいいでしょ。見ているだけで胸がキュンキュンしちゃう」という。
確かに、その小さなTシャツこそ「かわいい」という言葉が似合うものはない。
妻が白いTシャツを購入し、それに絞りを加えて染めたものだ。
丸い絞りの大きさも、その配置も妻のセンスの向上だと感じた。
背中にも一つ絞りがあり「おっ紋付きだな」と言った。
これはビワの葉で染めたものだ。
濃い緑の葉で染めたものがピンクを含むうす茶色になるとは意外だった。
品のある色だ。
そのビワはモーガンの友人であるN氏が我が家に最期の宿泊に来た時に食して出てきた種を植えたものだ。
彼はガンを患っていて、その末期に医師から「会いたい人がいたら会っておきなさい」と言われて奥さんの運転で会いに来た。
いつもは、あまり食が進まないということだったが、その時だけは奥さんが驚く程の量を食べた。
良い思い出のあるビワの葉で、これから育つ子供の服を染める。
N氏の明るい性格が、これを着る子供に受け継がれるような気がする。
しばらくして今度は春野で晩白柚(バンペイユ)の葉で染めをした。
いつものようにステンレス製の鍋に葉を入れてグツグツと煮出す。
それに染めたい布地を入れて再びグツグツと煮る。
私は火の番をした。
庭や道路に散乱している杉の葉や枝を燃すので片付けも兼ねていて時間が来ると染め用の鍋の横に昼いただくスープの鍋が乗る。
煙にまみれて出てくる涙も悲しくて出てくる涙も同じ。
ならば健康の役に立っているのではないか。
染めることが一石何鳥にもなっている。
こちらは予想通り薄い緑色に染まった。
色の着かなかった部分と着いた部分のコントラストが薄い。
それは仕方ないことであり、だから、それがより上品に仕上がっているとも言える。
草木染めのできる環境に感謝し出来上がった服を誰が着るのかなと希望を膨らませて、きれいになった庭を眺めた。
顔が少し突っ張る気がするのはスモークされたからだろうか。