テディちゃとネーさの読書雑記

ぬいぐるみの「テディちゃ」と養い親?「ネーさ」がナビする、新旧の様々な読書雑想と身辺記録です。

『明治』の空ゆく流れ星。

2011-07-07 23:27:01 | ブックス
 こんにちは、ネーさです。
 2011年の七夕も曇り空でがっかりだったわ……と落胆するなかれ!
 まだ旧暦の七夕がありますよ~♪

「こんにちわッ、テディちゃでス! こんどはァ、はれるとォ、いいなッ♪」
「ぐるる!がるがるがるるるーぐる!」(←訳:虎です!旧暦の七夕は8月6日だよー!)

 8月の夜空にかかる星座はどんなかなぁ?と想像しながら、
 本日の読書タイムは、
 どすん!と厚く重たい、こちらの御本を、さあ、どうぞ~!

  


 
           ―― 子規、最後の八年 ――


 
 著者は関川夏央さん、2011年3月に発行されました。
 『子規』とは、言わずと知れた正岡子規さんのこと。
 初めて『子規』と御自身で号したのは明治22年(1989年)、
 もとの名は常規(つねのり)さんといい、のちに升(のぼる)と改め、
 御家族やお友達からは、ノボさん、と呼ばれていたそうです。

「ぶんごうさんッ、でスねッ!」
「ぐるがる!」(←訳:偉人さんだ!)

 日本の近代文学史にまぎれもない、
 大文学者――正岡子規さん。

 この御本では題名の通り、
 子規さん晩年の8年間が細密に描かれています。
 
 晩年……とは申しましたが、
 子規さんの生涯は、わずか34年と11ヶ月。
 短い、あまりに短過ぎる生でした。

「むむゥ~、さんじゅうごねんにもォ、みたないィ……!」
「がるるる~…」(←訳:つらいよぅ~…)

 『最後の八年』の一年目は、
 子規さん28歳の、明治28年(1895)。
 この年、子規さんはひどく体調を崩してしまいます。
 いえ、本当は、病は、だいぶん以前から進行していたのでした。
 病名は、結核。
 明治の当時には、不治の病とされていました。
 結核治療の特効薬として抗生物質『ストレプトマイシン』が用いられるようになるのは、
 1940年代後半のこと……
 子規さんを救うのには、
 明治期の多くの結核患者さんたちを救うのには、
 間に合わなかったのです。

 リュウマチだと思っていた――思おうとしていた。
 胃弱だと思っていた――思おうとしていた。
 思いたかった、信じたかった、結核ではない、と。

 それでも、とうとう、病に支配される日々が
 やって来てしまいました。
 寝付いた子規さんは、それゆえにこそ、
 俳句に、歌に、小説に、随筆に、
 何かを見出だし、
 生み出そうとします。

 そんな子規さんを慕い、
 子規庵に集う大勢の友人、知人さんたち。
 彼らとともに、
 食いしん坊で大食漢の子規さん、
 美味しいものをたらふくと

「いただきまァースゥ!」
「がるぐるるぐる!」(←訳:いっぱい食べよう!)
「たべたらァ、げんきにィ、なるゥ!」
「がるぐる!」(←訳:きっとね!)

 元気になったら、大好きなベースボールがまた出来るかしら。
 友人の漱石くんのように、外国へ行けるかしら。
 せめて、自分の力で立ち上がって、
 庭まで歩いてゆけるだろうか……。

 明治35年、9月。
 高浜虚子さんは詠じます。

  『子規逝くや十七日の月明に』

 家族と、虚子さんに看取られて、
 子規さんの長く辛い闘病生活は終わりました。

 司馬遼太郎さんの小説『坂の上の雲』ファンの方々に、
 いえ、すべての活字マニアさんに読んでいただきたい労作です。
 近代日本文学はここから始まった!
 といっても過言ではない《子規庵》の、
 巨大な恒星・子規さんを囲む星々たちの歴史を、ぜひ!

「ほしのおまつりにィ、ふさわしィ、のんふぃくしょんッ、でス!」
「ぐるがるる!」(←訳:星に、祈りを!)
 
コメント
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