「こんにちわッ、テディちゃでス!
ていでんッ、しんぱいィでスゥ!」
「がるる!ぐるるがるるぐるる?」(←訳:虎です!皆さまご無事ですか?)
こんにちは、ネーさです。
台風による塩害が原因と思われる停電や、
またも北上中の台風……
どうか今週末こそは
穏やかな秋の連休であってほしいと雨空を見上げながら、
さあ、本日の読書タイムは
こちらのアートBOOKを、どうぞ~!

―― もっと知りたい ボナール ――
監修・著は高橋明也(たかはし・あきや)さん、
著者は島本英明(しまもと・ひであき)さん、2018年9月に発行されました。
先日、展覧会情報でもお伝えしましたね、
国立新美術館で『ボナール展』が開催されていて――
「あらためてェ、ちゅうゥ~もくゥ、なのでス!」
「ぐるがる!」(←訳:この光に!)
ピエール・ボナールさんは
1867年10月3日、
パリ近郊の街、フォントネ=オ=ローズで生まれました。
父ウジェーヌ・ボナールさんは陸軍省で要職を務める人物で、
パリの名門校で学び、
大学入学資格(バカロレア)も得て……と、
裕福な階級の子息としては
“絵に描いたような”理想のルートを進みます。
いえ、進んでいるように見えた、のですけれども。
「ほんとはァ~…」
「がるぐるる!」(←訳:決心してた!)
リセ(日本では高等学校に当たりましょうか)で学んでいる頃から、
素描に取り組んでいたボナールさん、
お父さんへの手紙に、
絵画で生計を立てることは諦める旨を
書き記したものの……
やっぱり、諦めてはいなかったんですね。
「えふでをォ、にぎッてッ!」
「ぐるるがる!」(←訳:画塾へGO!)
私立の画塾アカデミー・ジュリアンに
ボナールさんが登録したのは1887年のこと。
そして1889年には、
国立美術学校に入学。
「もうゥ、まッしぐらッ♪」
「がるるぐる!」(←訳:画家の道へ!)
画塾の友人、美術学校の学友と
ナビ派を結成して活動、
《日本かぶれ》と呼ばれたりするうち、
ボナールさんに転機が訪れます。
生涯のミューズたる、
マルトさんとの、出逢い――
「へんかァ、でスゥ!」
「ぐっるるがるるぐるる!」(←訳:ゆっくりだけど確実に!)
1920年代、
ボナールさんは世界的な名声を得ました。
と同時に、彼の心はパリを離れ、
南へとさまよい出ます。
ルノアールさんやゴーガンさんが愛した南仏、
サン=トロペやカンヌといった
陽光ふりそそぐ南の地へ。
「ひかりのォ~くにィ!」
「がるるる!」(←訳:明るい色!)
親友を、
妻マルトさんを見送ったのち、
ボナールさんは南仏の自邸ル・ボスケにて
1947年1月23日、没しました。
ボナールさんのお墓は、
自邸近くの墓地にあります。
マルトさんのお墓と隣り合わせに造られたそこは、
いまも青い青い空が広がる、
光の国――
「さらばァ、ぱりィ!」
「ぐっるがるるる!」(←訳:ずっとこの地に!)
今秋の展覧会を機に
日本でもより広まってほしいボナールさんの画業と略伝を、
この御本で、皆さま、ぜひ♪
ていでんッ、しんぱいィでスゥ!」
「がるる!ぐるるがるるぐるる?」(←訳:虎です!皆さまご無事ですか?)
こんにちは、ネーさです。
台風による塩害が原因と思われる停電や、
またも北上中の台風……
どうか今週末こそは
穏やかな秋の連休であってほしいと雨空を見上げながら、
さあ、本日の読書タイムは
こちらのアートBOOKを、どうぞ~!

―― もっと知りたい ボナール ――
監修・著は高橋明也(たかはし・あきや)さん、
著者は島本英明(しまもと・ひであき)さん、2018年9月に発行されました。
先日、展覧会情報でもお伝えしましたね、
国立新美術館で『ボナール展』が開催されていて――
「あらためてェ、ちゅうゥ~もくゥ、なのでス!」
「ぐるがる!」(←訳:この光に!)
ピエール・ボナールさんは
1867年10月3日、
パリ近郊の街、フォントネ=オ=ローズで生まれました。
父ウジェーヌ・ボナールさんは陸軍省で要職を務める人物で、
パリの名門校で学び、
大学入学資格(バカロレア)も得て……と、
裕福な階級の子息としては
“絵に描いたような”理想のルートを進みます。
いえ、進んでいるように見えた、のですけれども。
「ほんとはァ~…」
「がるぐるる!」(←訳:決心してた!)
リセ(日本では高等学校に当たりましょうか)で学んでいる頃から、
素描に取り組んでいたボナールさん、
お父さんへの手紙に、
絵画で生計を立てることは諦める旨を
書き記したものの……
やっぱり、諦めてはいなかったんですね。
「えふでをォ、にぎッてッ!」
「ぐるるがる!」(←訳:画塾へGO!)
私立の画塾アカデミー・ジュリアンに
ボナールさんが登録したのは1887年のこと。
そして1889年には、
国立美術学校に入学。
「もうゥ、まッしぐらッ♪」
「がるるぐる!」(←訳:画家の道へ!)
画塾の友人、美術学校の学友と
ナビ派を結成して活動、
《日本かぶれ》と呼ばれたりするうち、
ボナールさんに転機が訪れます。
生涯のミューズたる、
マルトさんとの、出逢い――
「へんかァ、でスゥ!」
「ぐっるるがるるぐるる!」(←訳:ゆっくりだけど確実に!)
1920年代、
ボナールさんは世界的な名声を得ました。
と同時に、彼の心はパリを離れ、
南へとさまよい出ます。
ルノアールさんやゴーガンさんが愛した南仏、
サン=トロペやカンヌといった
陽光ふりそそぐ南の地へ。
「ひかりのォ~くにィ!」
「がるるる!」(←訳:明るい色!)
親友を、
妻マルトさんを見送ったのち、
ボナールさんは南仏の自邸ル・ボスケにて
1947年1月23日、没しました。
ボナールさんのお墓は、
自邸近くの墓地にあります。
マルトさんのお墓と隣り合わせに造られたそこは、
いまも青い青い空が広がる、
光の国――
「さらばァ、ぱりィ!」
「ぐっるがるるる!」(←訳:ずっとこの地に!)
今秋の展覧会を機に
日本でもより広まってほしいボナールさんの画業と略伝を、
この御本で、皆さま、ぜひ♪