写真はすべて今年3月に撮影した奈良市月ヶ瀬の梅など
前回に「今更ながら原発反対です」と書きましたが、大事故が起きた今だから言える、書ける、というのが実感ではあります。原発が始動して半世紀、国と電力会社は三大メリット(CO2を排出しないクリーンエネルギー、発電コストが低い、燃料が安定的)および「安全神話」を盾に国策として推進し、それについて疑問をさしはさむのはタブーとさえ言われました。
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共同通信が東北震災後の4/26・27に行った世論調査では、原発を「減らしていくべきだ」と「直ちに廃止」の合計は46.7%で、対して「増設」と「現状維持」の合計は46.5%と、それでもほぼ同数となっています。資源のない日本では必要だ、と傘下関連団体・企業・学問界・メディアなどを巻き込んで広報してきた影響力の強さを改めて感じます。
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ですが最近はTV番組などでも「脱原発」の議論が活発になってきました。あいよっこは単に「核が怖いから原発反対」というのではなく、国策となったために利権構造が生まれ、本当のことが言えなくなる・見えなくなる、そして間違ったことが正当化されてしまう、さらに他の政策・方法を排除する危険性を孕むことこそ問題と思います。
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現実に絶対と言われた安全神話は、残念ながら最悪の形で崩れ落ちてしまいました。ここでは最も懸念している「使用済み核燃料の処理」についてと、「国および電力会社への疑問」について考えます。
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年初の全国紙に「使用済み核燃料(以下「原発のゴミ」と呼びます)の処理」に関する全面広告がありました。原発のゴミ、つまりウラン燃料のゴミは高レベル放射性廃棄物であり、このたびの福島第一原発事故でも建屋内に保管されていて、さらに危険度を高める原因となっています。
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原発が「トイレのないマンション」と呼ばれるのは、安全な状態になるまで10万年もかかるといわれるそのゴミの捨て場やリサイクル方法が確立していないからです。ゴミ捨て場としては、<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="02:青森県六ヶ所村;" Address="青森県六ヶ所村">青森県六ヶ所村</st1:MSNCTYST>の再処理工場の貯蔵施設は満杯で、各原発施設内の貯蔵プールの余裕も少ないとされています。
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広告は、「ゴミが30-50年間かけて低い温度になったのちに、ガラス固化体にして、地下300m以上深くに埋める」という「地層処理」についての理解・啓発を進めるものでした。この処理に関しては2000年に「特定放射性廃棄物の最終処理に関する法律」が制定されています。処理場というのは、おそらく<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="02:青森県六ヶ所村;" Address="青森県六ヶ所村">青森県六ヶ所村</st1:MSNCTYST>と思われますが、広告では触れていませんでした。
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広告ではこの方法でたくさんの実験を行っていること、「絶対に安全」な方法であること、北欧フィンランドではすでにこの方法で施設が作られた、などを報告していました。
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でもそれって ほ・ん・と・う・に・安・全 なんですか? 世界中で原発を使う限り廃棄される無限大のゴミを、永久的に地中に埋めて地球はどうなるのですか?そこで想定外のことは絶対に起こらないのですか?子孫末裔たちはそれをどう扱うのですか? それこそ心配が無限大に広がってしまいます。私たちの世代は快楽を受けるけど、ゴミの後始末は知りません、というのはあまりにもご都合主義ではないですか?
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さてそのフィンランドのオンカロ(隠された場所)と呼ぶ施設に世界で初めてカメラが入ったドキュメンタリー映画「100,000年後の安全」が緊急に4月23日から池袋シネマ・サロン、福岡KBCシネマで公開されたようです。大阪あたりでも上映されることを期待しています。<o:p></o:p>
<o:p> </o:p>(次回に続く)<o:p></o:p>
蛍の光や水車といった時代の発想も必要なのか
「原始力発電」こそ などとー野山を歩いてます。
こんにちわ。コメントありがとうございます。
「原始力発電」!!パチパチパチ!!
たしかに原始の暮らしが続けばこの美しい、あるいはもっともっと美しかった自然が守られるのでしょうに・・。野山を歩き、写真を撮っているとせめて今残っているものを子孫たちにも残したいと切望してしまいます。