伊良部島・下地島周辺はさらさらの白い砂と、エメラルドグリーンの透明な海水ビーチが続きますが、ここ渡口(たぐち)の浜は、それらを代表する遠浅の海水浴場です(写真)。人影の少ない浜辺で、車の中から美しいカーブを眺めていると、それほど若くもない男女のカップルが写真を撮り始めました。<o:p></o:p>
と、突然女性が横になって(うふふ、この次なにが始まるのでしょう?あらぬ想像をしてはいけません)洋服を着たまま(当たり前か)海に向かって、緩やかな斜面を転がり始めました。 ばんざいのかっこうでごろごろごろ・・・!な、なんだ、こんなところで体操? でも砂が・・・、洋服は大丈夫? ときおり止ってポーズ。どうもその動作を写真にとって欲しいようです。 <o:p></o:p>
まるで映画の中でヒロインがふざけて行うような、そんな動作を普通の人が抵抗なくするようになったのですね? 確かに映画のような背景ではありますし、誰も見ていないとも言えますが・・・。おばさんはただ「日本も変わったなあ」と思うのみです。<o:p></o:p>
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渡口の浜の手前には<st1:MSNCTYST Address="伊良部町" AddressList="47:伊良部町;" w:st="on">伊良部町</st1:MSNCTYST>指定史跡文化財「乗瀬(ヌーシ)御嶽」がありました(写真)。ここは大きな御嶽ですが、気をつけていると小さな拝所はあちらこちらに見られます。入り口にある(りっぱな)石碑には「・・・1400年ごろの発祥。女神『玉メガ』を祭り、後悔の守護神として崇められている。旧暦11月・12月には『カンウリ』と称する神願いを行うが、この神願いは、琉球の交易、宮古の密貿易や八重山などとの交流があったことを裏付ける祭りである」と書いています。古来より島同士の交流がさかんに行われていたということですね。<o:p></o:p>
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さあ伊良部島・下地島を一周して港に近くなってきました。道路のすぐ横に「豊見氏親(とよむぅずのしゅ)墓碑」があります(写真)。これは1450年ごろの首長だったその人が、フカ退治をしたお話らしいです。その時の太刀が、末裔の下地家に保管されているのだそう。墓碑の背後にある鍾乳岩の巨岩は美しい背景でもあり、またお守りしているようにも見えます。<o:p></o:p>
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港を下に望む場所で不思議な光景です。道の両側には小さな、カラフルな建物がまるで分譲住宅のように並んでいます。それが島の墓地、と気づくまでに時間がかかります。こんなに港に近い、高台の良い場所を墓地にする、ということは、島の人たちがいかに祖先を敬い弔う場所を大切にしているか、を感じます。(写真)でも周遊コースの最後になっているのは、やはり旅人の印象を考えているのでしょう。
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次回は再び宮古島に戻ります。<o:p></o:p>
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