年金暮し団塊世代のブログ

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フェルメール作品メモ(#18) 水差しを持つ女

2008年09月27日 | フェルメール


Young Woman with a Water Pitcher  「水差しを持つ女」
1664-65, oil on canvas, 45.7 x 40.6 cm,
The Metropolitan Museum of Art, New York, USA


物思いにふけっているこの婦人は、窓枠に右手を、水差しに左手を掛けている。 テーブル上の銀製の水差しと皿、巾広の白いリンネルのカラーと宝石箱は、彼女がトイレに居ることを示唆している。 17世紀の地方の地図が壁に掛かっている。

フェルメールはこの絵を注意深く構成した。 つまり、絵のエッセンスから注意をそらすような物を一切描いていない。 その為に、彼は精妙な構図上の修正を行なっている。
例えば、最初は左前に椅子を描いていたが、それを消し、壁の地図を右へ移動させている。その結果、婦人のシルエットが明るい壁に対して、よリー層浮き出たものになっている。


現実世界の本質を探求する詩人のように、フェルメールは現実世界の視覚的な印象を抽出することで彼のイメージを創り出した。 新プラトン派哲学風に言えば、芸術家は自然界の偶然性の下に調和と秩序をもたらす世界が存在することを発見した。 視覚的なフォルムをその世界に与え、人間の存在する時の流れを示す時に、その才能は安らぎを覚えるのである。

フェルメールは、日常生活、特に私室の中での、精神的な調和を追及し、そして見い出した。 彼の世界の中では、椅子、テーブル、壁、地図、窓枠といった個々の対象物は、自然界の基礎となる秩序感を創造する手段となっている。 彼が注意深く選んだ対象物は、決してでたらめに置かれているのではなく、その位置、形状、色、素材は描かれている人物と一緒になって働いている。 光が対象物を結びつけ、イメージを伝える役目を演じている。 彼がイメージを創り出す為に使った多様な方法は、構図上の相互関係に対する彼の特別な認識を反映したものであるが、彼の絵のムードとテーマをどれほど魅力あるものにしているかは、余り理解されていない。

フェルメールの構想力の詩情がこの絵以上に見られる作品は無い。 あたかも時の流れを止めたかのように、若い婦人がぼんやりと窓の方を見つめ、右手を窓枠にかけ、左手で水差しを持っている。 彼女の姿は開けた窓の鉛ガラスを通過した冷ややかな光を受けているが、彼女の表情は安息感と精神的な平穏感を伝えている。 フェルメールはこのムードを、彼女を取り巻く幾何学的な形状の、静寂で控えめな構成によって補強している。

この絵の晴朗さは、それと分かる物語を見いだすことが難しい位に全てを包含している。 水差しが中心的になっていることを説明するのは容易ではない。 婦人が朝の洗面をしている所と仮定すれば、なぜ真珠が入っている宝石箱があるのか? なぜ鏡や櫛や化粧ブラシといった物が無いのか? なぜ肩まで覆うような幅広の白いリンネルのカラーを付けた彼女を描いたのか? それが洗面に関係する付属物ならば、彼の他の絵には一切描かれていないのは何故なのか? 更に、婦人の後方の壁に目立つように掛けられた地図「17世紀のプロバンス」は、彼が言わんとする物語と関係があるのか? (特に、南部プロバンスの部分だけを描いているのだから?)

こうした質問は、フェルメールの幾つかの作品と、同時代の画家の風俗画を比較する時に尋ねるならばまだしも、この絵の前では不適切なものであろう。 フェルメールはこの絵を図像学的な構図の中で産み出したが、意味を伝える方法としての物語性を示さなかったという点で他の画家とは違っていた。 オランダでは、洗浄は純粋さと潔白さを象徴するものである。 清浄さと純粋さはフェルメールのイメージの核となるものであるが、彼は他の画家と全く違った方法で表現している。 婦人は窓と水差しの間で釣り合うように立って、時間を止めているように見える。彼女の行動は過ぎ行くというよりも永続的な瞬間であり、フェルメールの光と色と形状の調和によって、更なる重要性を与えられている。

フェルメールの構図の巧緻な修正は、イメージを創り出す為の彼の苦心を示している。 その例が、裸眼でもはっきりと見える、左前景に置かれていた獅子頭の頂飾を持つ椅子である。 赤外線写真は、壁の地図が元々は婦人のすぐ後方に掛けられていたことを示している。 フェルメールはこれらの構図をグレーのベイントで消している。 これらの修正で、フェルメールは絵の中にダイナミックな緊張感を創り出している。 婦人の身体と凝視によって包含されたエネルギーが、右側にだけ置いた物体とうまく平衡している。 更に、椅子を消し、地図の位置を変更したことで、視覚的な妨害物が無くなって、光が婦人の上に直接降り注ぐようになり、婦人と窓の間の白壁に清浄さを与えている。

射し込む光が婦人の腕の優しいアークを滑り、頭部を覆う白いリンネル頭巾のスムースな面や黄色のジャケットの輝きを創り出している。 光は単に婦人を照らしているだけではなく、精神的な輝きを与えている。 フェルメールはこの輝きを、彼女の青いスカートを鮮やかに、だが光とフオルムの相互作用を示唆してややほかした境界を持たせて描くことで実現している。

婦人の姿を映している窓の鉛ガラスの黄土色と青のニュアンスから、水差しと洗面器の光輝く部分まで、フェルメールの光と色の相互作用に対する感性は際立っている。 洗面器の光輝く反射表面を創り出す為に、フェルメールは下地に赤みがかった色を使っている。 この下地層は洗面器の左上側の縁に可視でき、婦人の青い(本来の冷たい色を温かくしている)スカートにまで使われている。 この青色は、骨炭Bone Black と混ぜた紺青Ultra-marineの小さい粒子で出来ている。 自然の紺青は地層の紹曲部の尾根にのみ存在する高価なもの。 影になった黄色のジャケットの部分を黄土色の薄い下地層で描き、明るい部分にはLead-tin-yellow を多用していることを含めて、フェルメールは明るい顔料の使用を控えている。


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