日本の軍隊の規律の素晴らしさをインパール作戦での白骨街道などをねぜさんに教わり、その凄さに改めて日本の素晴らしさを思い知ったものです。
それに比べてアメリカを筆頭に世界の軍隊は日本の足元にも及ばないようです。
それは沖縄戦でも発揮されたようです。我が先人は何処まで高潔だったのでしょうか。本当に涙が出ます。
何時ものように全文をリンク元で読んでください。
ねずさんの学ぼう日本より 2021/08/26
沖縄戦で米軍を苦し めた参謀・八原博通大佐
・・・略
「あゝひめゆりの塔」は、その中で、戦傷者の手当をするために野戦病院(といっても洞穴です)に勤務していた女子中学生(いま でいう高校1年生)の少女たちの物語です。
国際法によれば、軍隊が攻撃して良いのは、制服を着て鉄兜をかぶり、手に銃を持った兵に限るとされています。
野戦病院や、婦女子に対する銃撃は、戦時国際法上、あってはならないことです。
戦場は狂気の世界だからという人もいます。
当時の日本軍は、この戦時国際法を常に遵守して行動していましたが、米軍がそうではなかったことには、別な理由があります。
米軍に限らず、当時の世界では、イエローは人として認識されなかったのです。
現代の常識と、当時の常識は異なります。
このようなことを書くと、日本軍もチャイナで民間人を殺戮したではないかと言う人がいます。
その一例としてあげられるのが、重慶への空爆ですが、日本軍が民間人への虐殺をしたというのは、中共の宣伝工作にすぎません。
日本側は、あくまで重慶の国民党の軍事施設のみを狙って、ピンポイントで空爆を行っています。
理由は簡単です。
めくらうちできるほど、日本には砲弾に余裕がなかったし、日本は戦時国際法を守って戦っていたからです。
一方、こうした戦時国際法を逆手にとったのが当時のチャイナ兵で、軍服を脱ぎ、民間人のフリをして街に入り込み、いきなり銃を乱 射して日本兵を殺すということが広く行われました。
これを便衣兵と言いますが、このことが効果があったのは、
(1) 日本が軍服を着ていない者への攻撃をしてはいけないという戦時国際法を遵守していたこと。
(2) チャイナ側がそうした(ある意味義理堅い)日本軍の行動をよく知っていたからこそ意図的に便衣兵が用いられた。
という二つの理由からです。
逆に言えば、それだけ日本がしっかりと戦時国際法を守っていたということの証明です。・・・中略
また、米軍側の特攻による被害の中に、「輸送艦」の文字が見当たりません。
戦闘の勝敗だけを言うなら、敵に対するダメージは、戦艦や空母よりも、輸送艦を叩いた方が、敵のダメージは大きいのです。
防御力が乏しく、食料、砲弾、ガソリン、兵員を満載した輸送艦を撃沈すれば、敵の戦力がいちじるしく消耗するからです。
しかし日本は、敵がどれほど強大であったとしても、こちらがどんなに寡兵であったとしても、どんなに不利な状況にあったとして も、防御力に乏しい敵輸送艦隊への攻撃をしなかったのです。
それが日本の武士の戦いというものだったのです。
ついでに申し上げると、有名なガダルカナルの戦いにおける一木支隊の餓死による全滅は、日本からガ島に食料などを運ぶ輸送船団が 攻撃を受けて沈没したことによります。
これが何度も繰り返されるため、結果として輸送船を送ることができない。
それで一木支隊は食糧不足におちいって餓死しています。
ただし、ガダルカナルは熱帯の島です。
そして島中に、バナナやヤシの木が生えています。
つまり食料が豊富な島なのです。
けれどそれら果物は、現地の人達の重要な食料源となっていました。
そして日本の兵隊さんたちは、誰一人、その現地の人達の食べ物を(目の前にたくさん稔っているのに)、採って食べようとしなかっ たのです。
だから餓死しました。
たとえ餓死することがあっても、他人のものを盗って食べるようなことはしない。
それが日本の軍人さんであり、私達の父や祖父の若き日の姿であったのです。・・・中略
この沖縄戦で出てくる泉知事はこの高潔な方達とは間反対の人間ですが、こうした人が居るのも当然なのでしょう。
それにしても、この八原大佐の作戦が泉に邪魔されることなく実行されていたら歴史もかわっていたのかも。
この話題で何時も腹立たしいのがこの泉が沖縄から逃げて香川の知事になったということです。正に、香川の恥ですが、こればっかりは香川県人の所為じゃないでしょう。それだけが救いです。