巨頭会談って誰々のことだろうと分かりませんでした。やはり勉強不足はこんなところでバレるものです。ねずさんが、蔣介石と毛沢東の会談を書いてくれています。
その欺瞞の会議はチャイニーズの恐ろしさを見事に教えてくれています。やはり、素直でお人好しの日本人には到底太刀打ち出来ないでしょう。
それにしても、シラス国という恵まれた国に産まれた日本人のこのお人好しは余りにも素晴らしい恩恵を受けているだけに仕方がないのかもしれません。
何時ものように全文をリンク元で読んでください。
ねずさんの学ぼう日本より 2021/09/09
巨頭会談
・・・略
チャイナ文化の典型的一面をご紹介したいと思います。
それは「巨頭会談」です。
昭和20年のことです。
重慶で蒋介石と毛沢東の会談が行われました。
「重慶会談」、別名を「巨頭会談」と呼ばれています。
これが実におもしろい。
この年の8月15日、日本が自主的に戦闘行為を終結させ、マッカーサーが降伏文書調印に先立って神奈川県の厚木海軍飛行場に降り立ったのが8月30日です。
そして同じ日に、重慶で、蒋介石率いる国民党と、毛沢東率いる共産党が、たがいに争いを止め平和的に戦後処理を行なおうではないかと、巨頭会談が行われたのです。
ここまで聞くと、たいていの日本人は「良いことだね」と思うとおもいます。
この対談は、なんと43日間にも及び、10月10日、両者は合意を成立させて協定を結びました。
その協定が「双十協定」です。
日付に10が2つ重なっている日だから「双十」です。
その内容はというと、
(1) 国民党と共産党は互いに平和を希求して一切の紛争を対話によって解決する。
(2) 互いに協力しあって内戦を避け、自由で富強な新しい中国を建設する。
(3) 中国共産党は、蒋介石の南京政府を合法的指導者であると承認する。
というものでした。
見事な平和的解決です。
国共内戦(国民党と共産党による内戦)は、1927年にはじまり、なんとこの年まで悲惨な殺し合いが18年も続いていたのです。
それがたったの「43日間」で事態の解決に至った。
ですから当時の世界も、この協定を「ようやくチャイナに平和がもたらされた」と大歓迎しています。
ところが・・・です。
この協定が結ばれた、まさにその当日に、山西省の上党地区(現長治市)で共産党軍が、同地にいた11万の国民党軍に攻撃しました。
この戦いは共産軍の一方的な戦いとなり、国民党軍の側は三日間の戦いで3万5千人が殺戮されています。
そしてこのときから、第二次国共内戦がはじまるのです。・・・中略
ただし、このことを日本的価値観の強制とか、日本人による世界征服などと誤解されたら、最悪です。
とりわけ西洋の人たちは、多民族の持つ価値観について、自ら学んで受け入れることにはなんの躊躇もしませんが、他所からこれを強制されると、それこそ武器を手にして戦おうとします。
その意味で、我々日本人は、日本文化の根幹を学びながら、かつ、それを他国に強要することなく、物静かに、むしろ「実るほど頭を垂れる稲穂かな」で謙虚に進んでいかなければならないものと思います。
なぜなら「正義」とは、他に強要するものではないからです。
強要すれば争いになります。
それが国家規模なら戦争になります。
いまどき防衛の必要は認めても、戦争を望む日本人など、誰もいないことでしょう。
逆に中共やコリアは、自国の「正義」を他国に強要しようとします。
結果、彼らはいま世界中から排除されようとしています。
いっときは良いかもしれませんが、結果は排除されてしまうのです。
「正義(せいぎ)」は、訓読みしたら「ただしき、ことわり」です。
「ことわり(義)」というのは、条理や道理のことを言います。
つまり、「正しい道理」が「正義」です。
そしてこれは、英語の「 justice (ジャスティス・公正・正義)」の語源と同じ意味です。
「正しい道理」とは、強制強要をするものではなく、
誰か見ても納得できる、
普遍性を持ち、
腑に落ちるもの
です。
もちろん反撃や反論もあることでしょう。
いま正義でないものをもって利得を得ている人たちからすれば、侵略に見えてしまうかもしれませんし、徹底した「つぶし」に遭うこともあるかもしれません。
けれど、それでも、しっかりと世の中のルールを守りながら、誰か見ても納得でき、普遍性を持ち、誰の心にもちゃんと腑に落ちるものをブレずに語り継ぎ、決して威張らない。
回り道に見えるかもしれませんが、結局はそれが一番の近道なのではないでしょうか。
実るほど頭を垂れる稲穂かな。
内外の使い分けを主張してきましたが、最後は正義が勝つと信じたい気持ちはあります。となると、これからも騙され続けるのでしょうね。