先の大戦でのアメリカ軍の犯罪を明らかにしてくれた日本人にも人気の高いリンドバーグが悲劇の英雄になっていることを、2020年08月11日、第7618回の「★何故リンドバーグは『悲劇の英雄』になったのか」で取り上げました。
そのリンドバーグさんのFDRとの戦いを書いた本が出たようです。宮崎さんが書評で取り上げてくれています。
やはり、ルーズベルトは恐ろしいですね。世界は一人の狂人によってここまでの悲劇が起きるということに改めて驚きます。
と言うか、あの戦争には多くの狂人が沸いて出ていたようです。今はどうでしょうか。
「宮崎正弘の国際情勢解題」より 令和三年(2021)9月19日(日曜日)
通巻第7058号 <前日発行>
書評
リンドバーグはアメリカファーストに先頭に立ってFDRと闘った
しかし対日戦争が始まると一転、しかも対日戦闘に参加。戦後は完全に沈黙した
リン・オルスン著、河内隆弥訳『怒号の日々』(国書刊行会)
グローバリズム、リベラルの左翼が戦争を仕掛け、孤立を希求した保守主義陣営を悪質な宣伝戦などの陰謀で破砕した。
それが第二次世界大戦前夜のアメリカの政治風景だ。なんと今日と状況が酷似しているのであろうか。
中国主導のRCEPに進んで加盟して、ジェノサイド認定を忌避するのが日本。TPPにも中国が加盟申請したが、日本の みな らず、世界主要国ではではグローバリストたちの政策が優勢である。
コロナ禍で外国人の往来が減ったが、鎖国しないまでも日本独自の文化を護れとするのが、日本の保守思想である。
米国では近年、戦闘的な保守主義を掲げ、アメリカファーストを言ったのがドナルド・トランプ前大統領だったが、左翼が 盛り 返し、下野させられた。
本書は浩瀚、じつに616ページ。
副題は「リンドバーグとルーズベルトの闘い、大戦前夜1939-1941」である。この副題から内容が想定できること は、英 雄リンドバーグがルーズベルトの陰湿な謀略に引っかかってしまった過程のドラマ、その罠を追求した作品だろう、と想像して読 むと、じつは謀略の暗部は遠景に描かれ、主たる舞台はどろどろした、或いはぎすぎすした人間関係である。
政治ドラムとして全体が組み立てられている。
リンドバーグが大西洋単独飛行に成功したとき、大統領は最高名誉勲章と殊勲航空十字章を授与した。NYでは、じつに 400 万人の市民が紙吹雪バレードで迎えたのだ。
ヨーロッパの闘いが激化し始めた。ナチスがチェコを侵略した。フランスが降伏した。
介入主義の大義を奉ずるフランクリン・D・ルーズベルト大統領(以下FDRと略する)の前に、最大の論敵として現れた の が、当時のアメリカの英雄で、孤立主義を希求する勢力のリーダー、チャールズ・リンドバーグだった。彼は精力的に動いた。
このときもアメリカは分裂していたのである。
ワシントンDCでは、空軍参謀長を含む高級将官たちがFDRの親英政策を妨害していた時期があった。
▼FDRはリンドバーグを盗聴していた
一方、ルーズベルトはリンドバーグなどの介入反対者の盗聴をFBIに許していた。
大統領の承認のもと、イギリスの秘密工作員が反戦グループをスパイし、議会の孤立主義者の汚点を暴き、アメリカの新聞に プロ パガンダを植えつけていた。
ドイツがヨーロッパの大半を制覇したあと、アメリカは伝統的な孤立主義と、単独でヒトラーと戦う英国への早急な援助要請 の狭 間で大きく分裂していた。介入をめぐる戦いはペテンと陰謀に満ちた「汚辱の争い」でもあった。
1939年から1941年まで、つまり真珠湾攻撃へと日本を誘導するまでの米国内におけるプロパガンダ戦争、その憎しみ のぶ つかりあいを本書は淡々と再現する。歴史ドキュメントは冷徹な客観主義を要求されるから、記述方には感情移入がない。
しかし全体を通してみれば、いかにアメリカの民主主義なるものがまやかしであったかが分かる。
1930年代のアメリカファーストは、不介入主義、孤立主義が眼目であり、エール大学のキャンパスからこの運動は拡 がっ た。
英雄リンドバーグが、このアメリカファーストに共鳴したもののFDRのような陰謀家とは違って、熱狂的な姿勢でもなく、 朝か ら晩までの活動家でもなく、ひたすら孤独を旨とした運動への参加だった。組織的活動をリンドバーグは嫌ったのだ。
FDRとその側近たちにソ連から送り込まれた、あるいは共産主義に洗脳されたスパイが蠢いていた。本書はこのポイントに は殆 ど触れていない。
しかしナチスの台頭と英国が窮地に陥っている現実を前に、FDRは、
「秘密裏に英国情報機関の助けを借りて孤立主義者の信用、影響力、評判を落とす活動を開始した。その一環としてFDR は、ス ポークスマンおよび多数の報道機関に、破壊活動分子、第五列、ナチスとさえ決めつけさせた(中略)。対抗する陣営は、ルーズ ベルトを、アメリカの言論の自由を奪い、国民の同意なしに戦争へ引きずり込んだ独裁者と呼んだ。リンドバーグ曰く、民主 主義 は『今日、わが母国にも存在しない』」(18p)。
米国の現状と比較しても、バイデンを誕生させた見えない勢力(ディープ・ステーツ)が米国にあり、メディアと映画を牛耳 り、 ネットでは愛国者の意見を削除し、世論操作によってアメリカの方向を誤導している。まさに酷似した状況が1930年代後半か ら40年代にかけての米国政治と世論だった。
げんに欧州大戦後、「イギリスのプロパガンダと、ヨーロッパの代理人だったアメリカの銀行家や武器商人に騙されたという 信念 が拡がって行った。1937年のギャラップ世論調査によれば、アメリカ国民の70%が(第一次世界大戦への)参戦は間違い だったと考えていた」(50p)
米国には厭戦ムードが色濃く漂っていたのだ。だからチェンバレンの宥和政策にも無反応だった。
英国へ武器供与をするかどうかで議論が沸騰していたが、「1939年9月に武器禁輸が撤廃されると、合衆国の一般生活は 急速 にもとに戻った」、つまり政治的無関心が拡がった、
戦争は際立った動きもなく、アメリカ人は戦争など別世界の出来事と考えていた。
リンドバーグはワシントンに知り合いが多く、とくに軍人には親しい幹部もいた。そこで航空機大増産は反対だとした。
FDR政権は、このリンドバーグ攻撃のため「第五列はすでにアメリカでも活動中である」とプロパガンダを流しはじめた。
▼「ナチスの同調者」と悪質な宣伝にやられて
リンドバーグは「ドイツの侵略に無抵抗を呼びかけて、英仏をヒトラーとの宥和にむかわせようとしている」、としてFDR はラ ジオ演説を行い、「この分断する力は稀釈されてない毒薬である」とまで発言しリンドバーグを批判した。
驚くなかれ、米国内でも本物のナチス礼賛組織があって活発に動いていた。彼らの集会は二万を超えた。ところが「1940 年夏 までに、ブントのメンバーは二千名を割り込んで、ドイツ政府は財政支援などの絆を断ち切った」(155p)
英国は米国のおける宣伝工作、広報活動を拡大し、「その戦争遂行能力、イギリス人の戦争完遂の決意、素晴らしい世界が戦 いの 中から生まれるという希望をアメリカ人に感じて貰うこと」(192p)を目的に、しかもリンドバーグら孤立主義団体や在米ド イツ諜報員には決して注目されないよう、ダミーを駆使するなどして宣伝工作を展開した。最近の中国が言論人や学者たちを 買収 し、メディアを籠絡し、宣伝謀略の拠点、孔子学院を展開していたように。
1940年夏、アメリカに徴兵制度が復活した。猛烈な反対運動が起きたが、とくに大学生およそ50万人が「戦争への軍務 拒否 宣誓に署名していた。」そのうちの多くが反戦デモの隊列に参加した。この年は大統領選挙だった。
「アメリカファーストは中西部の保守的孤立主義者の組織とみられていたが、実際はエールのキャンパスで誕生した(中 略)。 全国の学生の反感による副産物だった」。なぜなら当時の学生世代は「第一次大戦中から終戦直後の生まれであり、大量殺戮によ る広範囲な幻滅と苦悩とその余波が幼少期に影響を与えていた」(259p)
JFK兄弟もこの運動の賛同者で、かれらがリンドバーグを担ぎ出したのだ。パトロンの一人は反ユダヤ主義で有名なヘン リー・ フォードだった。
戦争推進派は、リンドバーグに『人種差別、ナチス礼賛、全体主義擁護』のレッテルを貼って孤立化を導いた。
▼リンドバーグは所詮、組織運動家ではなかった
リンドバーグは「ドイツの勝利は望まないし、ナチのユダヤ人迫害には反対であり、イギリスの敗戦は全世界の悲劇だ」と語 りな がらも、アメリカの参戦には反対し続けた。
じつは軍の高層部も英国への全面支援には反対の立場をとる軍人が多かった。かれらのうちの多くがアメリカファースト運動 を支 援していた。
その象徴に祭り上げられたリンドバーグをFDRは「裏切り者」と呼んで、左翼の影響下にあった新聞がキャンペーンに利 用し た。このため或る裁判官は「リンドバーグのような人はアメリカを滅ぼす」と批判し、新聞の投書欄にはリンドバーグを『ウジ 虫』として「謀反と革命教唆の罪で逮捕すべきだと要求した」(363p)
リンドバーグの身の安全が脅かされたため、演説へ行く町では警察官が警備した。
「1941年6月18日、ルーズベルト政府は、合衆国内のドイツ領事館のすべての館員と、数社のドイツ報道機関、宣伝機 関、 貿易商社駐在員を、『合法的行為に反する活動』──すなわちスパイ行為──を行った廉で追放処分にする」(385p)。
トランプ政権はヒューストンの中国領事館をスパイ機関として閉鎖を命じた。中国はただちに成都の米国領事館閉鎖で応じ た。
ドイツは在独米国領事館職員全員追放で対応、しかし大使館はお互いが存続させる。
ついでFDRはロシアへの武器供与を決定する。この問題は大きな反対運動を巻き起こしたが、そのFDRに対する「敵意は 孤立 主義者からだけではなかった。大統領の政策を支持するものなどアメリカ人のかなりのものが、スターリンの共産主義独裁の援助 に反対していた」(399p)。ハリー・トルーマン(当時、副大統領)は賛成していた。
リンドバーグへの非難攻撃はピークに達して「ドイツの鷲の勲爵士」と罵倒し、「アメリカと自由に対する脅威」と怒りの声 を挙 げた。背後にはFDRがいた。
同時期、FDRは日本への挑発も忘れてはおらず「いつかは日本の本格的攻撃があると予期していた。考えられる目標地は シャム かマレーだろう。」(471)。
日本の真珠湾攻撃を知ってからリンドバーグは沈黙がちになった。そして「国家の大義の正統性に信義を置かない」としつつ も、 「戦争介入は誤りであるとう考え方は撤回しない」けれども「戦争の決断がされた以上、自分はそれを支持し、出来るだけの方法 でそれを助けて行きたい」と態度を変えたのである。
そのうえ「記章なしの海軍の制服に身を包んだリンドバーグは、海兵隊などの航空機に搭乗し、軍幹部にはばれないように、 「お よそ五十回の対日戦争に出動した」(506p)のである。
▼戦後のリンドバーグの沈黙の謎が明かされた
戦後は沈黙していた。
1957年から74年まで、リンドバーグは秘密の旅行を繰り返して世界の何処かへ出かけていた。どこで何をしていたかが 分 かったのは2003年だった。妻のアンが死んで、秘密が表沙汰になった。
じつは「三人のドイツ人女性に七人の子供を産ませていたのだが、愛人たちは「子供たちに父親は秘密の指令で活動してい るの で他人に父親の話を絶対にしてはいけないと口止めしていた」(524p)
かくてこの物語が示唆していることは、保守思想は、往々にしてリアリストの謀略に破れるという教訓である。
何だか最後の話には笑うしかないですね。やはり英雄色を好むの好例なのでしょうか。エネルギーの溢れる人はそうなるのでしょうか。
さて、ルーズベルト等と同じように世界を地獄に引き摺り込みそうなのは、習皇帝なのでしょう。それともニセ大統領(バイデン)なのか。
今や、第三次世界大戦が起きてもおかしくない状況と言えそうです。
さて、どうなるか!
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