一休和尚に朱塗りの大太刀を太刀持のように持たせると、竹竿にシャレコウベのように、またもや縦長画面になる。それを避けるためにも腰に差すことにした。横に乞食か夜鷹の女を考えていたが、やり過ぎならば犬一匹でも良い。動物は出来れば本物を使いたいが、室町時代の野良犬はどんな犬がいたのかが判らない。 一作目の竹竿にシャレコウベの〝門松は冥土の旅の一里塚‘’の時も、当初門松を配するつもりだったが、今の門松とは相当違っていたことだけは判ったにとどまった。ところが縦長の画面に上部にシャレコウベ。空間が空いている。シヤレコウベに鴉がまとわりついている画が浮かんだが、冬の鴉はどうしている?と調べてみたら、はたして初鴉は正月の季語であった。これ幸い。それに一休はある晩、鴉の声を聴いて悟りを開いたという。元々門松など野暮臭いと思っていたので上手く収まった。 今回、横に夜鷹の女は胸をはだけて、一休が自ら告白するところの〝ハラワタの奥まで好色が詰まっている‘’を匂わせてみたくはある。