明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



近所にある、江東区古石場文化センターの図書館に、本を返却するついでに職員の方に頼まれていた拙著を3冊届ける。 ここ深川は、小津安二郎生誕の地であり、センターには小津コーナーもある。来年1月に、映画に関連する催事を予定しているそうで、作家シリーズの写真展示などどうか、と相談を受ける。地元のことでもあるし、協力できればと答えたが、いっそのこと、小津安二郎作っちゃいましょうか?と喉から出そうになるのを、危うく飲み込む。私はこの場面で、これを作ると言ったらウケるだろうと思うと、つい口走りたくなるヘキがある。最近は気をつけているのだが。 帰宅すると、薄井憲二先生より、“ディアギレフにはびっくりしました。2009年にロンドンで、バレエリュス展があるので、出展できればいいですね”などという過分な御葉書を頂戴していた。いっそのこと、○○や××△△まで作ってしまいましょうか?!

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一日  


阿佐ヶ谷のジャズの店が、40周年を迎えるということで、Yさんよりアルバムが届く。その記念に何か寄せ書きせよということである。2001年に、Yさん制作CDの、ジャケットを担当させていただいて以来の付き合いである。(バド・パウエル御一行様が阿佐ヶ谷にという図。三人が下で人形を持っている)もっとも、私は隅田川より西側は銀座、神田を別にすれば出かけることは少ないし、Yさんがまた、陣地より外には出ないという風なので、会うことはまずない。東京者にはありがちなことである。 そのアルバムは、店の常連、友人の方々であろう、TVで良く見かける俳優やら詩人、アーティストその他満載で、それが各々の、個性的な表現でお祝いしているのである。ある映画監督など、本物のフィルムを貼り付けてある。こうなると、私も何か貼り付けないわけにはいかないであろう。

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浅草のコメディアン、谷幹一が亡くなった。子供の頃、TVで親しんだ浅草系芸人も、随分寂しくなってしまった。柳家金語楼が、おばあさんの格好で掃き掃除をしていると、勝手口から「ヤマザキヤでーす」と現れる御用聞き。あれは谷幹一ではなかったか?検索すると、どうやら金語楼が家政婦を演じる『おトラさん』というシリーズで、現TBSで、1956年4月6日~59年10月25日放送というから、2歳では記憶が不確かでもしかたがない。 私の一番古い記憶というと、3歳の時の妹が生まれた日、という事にしているのだが(動物としてライバル出現と考えるのかどうか、そういう人は多いのではないか)しかし「ヤマザキヤ」が本当にあった場面だとすると、その方が古い記憶ということになってしまう。これでは人に話したって、よく覚えてるねと感心するわけにもいかず、共感も得られず中途半端である。なにも、一番古い記憶が勝手口から谷幹一でなくても良いだろう。昭和のTV番組など調べていると、実はそういうことはしばしばあり、赤ん坊がこんなこと覚えているかと思うのだが、きっと再放送でも観たのだろう、ということにしている。

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『中央公論adagio』創刊第2号発行。ページ数も増えたようである。 創刊号の乱歩は、凌雲閣から月や空までCGで作ったが、今回は一切加工なしで、プリントは盟友田村政実氏。天候、撮影場所の都合で、何度か撮り直している。“おはぎのような”愛猫を抱える向田邦子の図。この雑記を読んでいる方は、撮影する私のすぐ左の柵越し4メートルに、小学校の、ジャージ姿の若い女教師。背後5メートルに警備員の、不審気な視線があることを知って見るのも面白いかもしれない。この撮影をきっかけに、向田のTVの仕事しか知らなかった私が、改めて文章に触れることが出来たのは収穫であった。

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『小説現代』のコラムbookmarkの中で、長野まゆみさんに『Objectglass12』に言及いただいている。青木画廊にもお出でいただいたそうで、なんとも有り難いことが続く。 昔の本郷は団子坂の写真を見ていて気になる1枚を見つけた。私が乱歩のスケッチをもとに制作した、三人書房に激似である。乱歩が弟等と営んだ古書店だが、二階でゴロゴロぐうたらしながら、探偵小説の未来について想いをはせていた。思わずルーペで覗く。 もっとも、当時の商店にはありがちな作りで、どうということもないのだろう。『D坂の殺人事件』をイメージするには充分な写真ではある。

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東京創元社のサイトに、拙著『Objectglass12』のことが紹介されている。あり難いことである。 眼展最終日。幼稚園からの付き合いのYが、ボディビルのジムへ行くのを休んで来てくれる。お前が観に来ないでどうすると連絡をとっていた。 「首筋の感じなんて解ってるねェ」とY。「胸毛はどう?」「好きだよ。いいね、この程よい感じが」程が良いかどうかは、私には判らないのであった。 Yとは昨年の眼展以来なので、丁度来ていたIさんと飲みにいく。Iさんに、Yは小学校の時に、ビタミン不足の金魚の入った金魚蜂にレモンを絞ったくせに、サプリメントの話になると長くなるから止めておいた方がと、言ってるそばから、ボディビルダーの待ちうけ画面を見せられる。携帯の中で微笑みポーズをとる筋肉な男。酒の肴にはならず。来年、Yもはじめて大会に出るかもしれないという。その頃、写真を撮ってくれと頼まれる。何が哀しくてと、思わないではないが、幼稚園からのよしみである。その時、できればパンツは履いてくれと、言うか言うまいか、その時の私の体調によるであろう。

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随分先の話であるが、ある文豪を作る予定がある。残されたポートレイトを見ると、現代の作家と違い、文豪といわれれば、そのように見えてくるわけだが、一つには、当時の写真用感材の低感度によることもあるだろう。感度が低い分、数秒間、時代によっては数分間ジッとしていなければならない。しっかりした椅子に腰を掛け、職業写真館で撮影する場合は、その重い頭を動かないよう“首押さえ”なる道具でささえなければならないし、そうでない場合は、しばしば顎を手でささえるポーズを取り、さらにブレるので笑うわけにいかず、自動的に沈思黙考の文豪調になるわけである。 もっとも、残されているのがそんな状態なので、私の創作の余地も、無限にあるというわけなのである。

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ヤフーオークションで、エミール・ブッシュ社製アプラナートレンズを落札。これで11インチ、8インチ、約7インチの3本がそろった。 大判の場合、私が使いたいレンズは、古典レンズといってよいような、100年以上前の古い物だが、最近海外のオークションでも、めっきり数が減った。日本のショップでは、なおさらである。 使うレンズなど限られ、同じ焦点距離なら使うのはこれと決まっており、間違いなく使わない、ただ古い無駄なレンズもある。そんな物を飾っておいてもしょうがないが、私のコレクションは一部を除いて、探そうと思えば、少々ホネだが、処分したところでたいしたことはなかったりする。元来、若旦那は、習い事、調べ事、集め事に熱中することになっているが。若旦那という歳でもなし。

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妹がサンフランシスコより、毎年この時期、こちらの学校へ子供達を通わせるため帰ってくる。上の子は私があげたアルト・サックスを携え、中学校で吹奏楽部に入ったらしい。まだ会っていないが、電話でスケール練習をしているのを耳にした。昨年来た時は、DVDで『スゥイング・ガールズ』など観ていたし、メールで送られてくる、サンフランシスコの学校で、楽団の一員としてソロを吹いているの画像を見て、ジャズを演奏していると思い込んでいた。ところが、やっているのはクラシックだと聞いてガッカリ。直接電話で話すと、好きなのはR&Bで、特にメイシオ・パーカーだという。これは脈はありそうである。伯父としては、ブルースしか演奏しない、などという変態的日系アメリカ人に育ってくれると嬉しい。 チビッコだと思っていたら、一年ですっかり大きくなり、170センチに迫っていると言う。ハーフでカッコ良いので、お母さん方に人気だと、地元の知人から伝え聞いた。

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我流  


先日、画廊内で、 スゴイとかキモイとか言われた『乱歩 夜の夢こそまこと』を、久しぶりに眺めた。デジタルによる合成を多用した作品集だが、すべて我流であり、デジタルのイメージから程遠い、非効率な方法で制作している。これは私の子供の頃からのスタイルだが、自分で“開発”するところに醍醐味があるわけで、人に教わるということは、一番美味しいところを捨てることだと思えるのである。そのための遠回りは承知の上。 そもそも教わったところで、たいした事にならないと言うのは、博物館にでもいって、古代の遺品でもみれば、人間というものは、師匠の教えを無駄にするものだという事が、一目瞭然である。私は、ああいった施設は、陳列ケースの前で、そのことに戦慄し、空しく立ち尽くすためにあると考えている。 久しぶりに見ても、なんとも泥臭いが、そこにこそ、私の特徴がある。テーマとして撰んだ乱歩のイメージと相まって、何かが匍匐前進しながらにじり寄ってくるような熱を感じるのである。あの若い女性の「キモチワル」は、そんな熱さに打たれた発言だと思いたいのだが。

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工務店のSさんから電話。今日画廊に行くんなら一緒に行こうという。ところが、ちょっとした手違いからすれ違い、お互い先に行ってしまったと思いこむ。到着すると、昨日Gさんが息子を連れてきたと盛り上がっていた中の一人で、K本の常連客。大手建設会社勤務のMさんが、着物姿の奥さんと来てくれた。母上の誕生日とかで、銀座で食事した帰りだそうである。常連は、制作途中の作品をたびたび見ているので、完成作が、さらに興味深いということになる。「こういうことになりましたか」 たまたま入ってきたらしい若い女性の二人組み。会場に置いてある『乱歩 夜の夢こそまこと』(パロル舎)をみて、「凄い!」を連発してくれるので、声でもかけようかと思うが、3回に1回、「キモチワル!」と言うので止めておく。 Sさん、一度家に帰ったりして、夕方到着。せっかくだからと喫茶店に行き、70過ぎの年寄りとお茶をする。「何回かSさん、玄関ノックしてたの知ってたけどさ、手離せなくて無視しちゃった」「なんだよ、そうかあ」「どうせ用事なんかなかったんでしょ?」「そうだけどさ」 Tさんが来たので、飲みにいく。旅行先を自転車で走り回っていたことを知り、自転車の話で最後まで盛り上がった。

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夕方、青木画廊に顔を出すと、義太夫三味線の鶴沢“人間椅子佳子”寛也師匠に、お稽古帰りに寄っていただく。私の作品の前で記念写真。入れ替わるように、そもそも寛也さんを紹介いただいた蕃茄山人氏が娘さんを伴いみえる。中学生だったと思うが、171センチの私より背が高い。演芸は息子さんと、美術は娘さんとでかけるそうである。 芳名帖を見ると『K本』『K越屋』の名前。常連も来てくれている。木場に着き、K本から流れた常連が、蔭で第2サティアンと呼ぶ『T屋』によどんでいるのではないかと寄る。暖簾はしまっていたが、隙間からYさんの顔が見えるので、こじ開けて入ると全員すでにヘロヘロ。聞くと、これまた常連で、定年退職後、益々いい味のGさんが、27、8の息子を初めて連れて来て、さっきまで飲んでいたという。それを、そこまで喜ぶこともないと思うのだが、余韻覚めやらずという皆さんであった。いかにも下町であるが、合流したのが遅く、ノリそこなった私である。

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人間の発明したものはほとんど、放っておいても、いずれ誰かが作ったろうと思うのだが、それにしても良くできているのが自転車である。特にペダルを思いついた人は偉い。交互にこいで、よく倒れないことを発見したものだと感心してしまう。 暖かくなったら、自転車に大型木製カメラと木製三脚を積んで、撮影してまわろう考えていた。10年以上ほったらかしてあった自転車を、自転車置き場の設置のついでにマンション側に捨てられそうになり、近所の自転車屋で簡単な整備をしてもらったのだが、気が付いたら捨てられていた。使用中の方は、この張り紙を自転車に、などと言ってたのは、なんだったのだ。もっとも私の扱いも酷かったから、しかたがないとあきらめたが、暖かくなるにつれ自転車が欲しくなってきた。このブームは何十年に一度起きる。学生時代は、試験が終われば治まったりしたものだが、今回は熱も高い。運動不足が気になっているせいもあろう。

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一日  


昨日の『眼展』初日、今回はパート1とパート2に分けられており、パート1は五十歳以下のアーティストということになっているのだが、貫禄不足か、間違って私はこちらに入っている。いつまでも若手に見られたいお笑い芸人ではないが、私としては、その方が良いのであるが。会場でワインなど飲んでいると、毎回、初日には来るなと言いわたしてある幼馴染のTが来る。今日見た私の作品について、一切忘れろと念を押す。今回の出品作は、感心されるくらいなら呆れられたい私が出たようである。 『中央公論adagio』の編集長には、25日発刊の第2号『向田邦子と六本木を歩く』の表紙の出力見本をもってきていただく。肌の色だしに苦労されたようであるが、面白い出来。向田邦子の妹さんの和子さんにも、お墨付きをいただいたという。遅くまで飲んで帰る。 光文社のPR誌『本が好き!』に続いて、金原瑞人さんに、『流行通信』に書評を書いていただいた。『乱歩 夜の夢こそまこと』までカラーで載っている。ありがたいことである。 明日13日、産経新聞文化面に、先月受けたインタビューがようやく掲載と連絡がくる。

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最近、玄米を炊ける炊飯器を買って玄米を食べている、20年ほど前試みたときは、その日に食べるぶんには良いが、翌日はモソモソして不味かった。今時の炊飯器は、いくらか改善されているようだが、翌日に持ち越す場合は、水を多めに入れている。しかし少なくとも、早食いは避けられそうである。日ごろ、一人で無表情に食べていれば、自動的に早食いになるが、私にはそもそも、一人の食卓を楽しもうという発想がない。一人で、茶碗はアレ、お料理はコレにしましょう。などとやっていると、うすら哀しいような気がするからである。 夕方、近所の金物屋に材料を買いに行く。用途を説明せずに、要るものを手に入れるのは難しい。いったって通じないからいわないのだが、例えば魚屋に行って、魚は要らないから、魚臭くなった、あんたのゴム長をくれというのに近い場合がある。

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