明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



『寒山拾得展』で、元々架空の人物像を作るのが面白くて人形制作を始めたのを思い出した。寒山拾得や、仙人などの道釈人物を作ってみて、架空の男性像(中〜老年)自由なシチュエーション、私にとって人間の種々相を創作出来ると考えると『羅漢像』が究極のモチーフではないか、とここのところ考えている。特にストーリーはなく、それを描く面白さはないものの、物語がない分、説明する必要もなくなるだろう。手法も陰影をなく撮影し、切り抜いて貼り付けるだけだから、これで個展会場では、ただ座っていれば良いのではないだろうか? 宮台真司氏が暴漢に襲われ重傷を負ったという。どういう訳だか2006年の世田谷文学館における、江戸川乱歩の朗読ライブの客席にお腹の大きい奥さんとお見えなり「良い胎教になったね。」なんて言っていた。面白いことをいう人である。早い快方を願いたい。



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行き当たりばったりの割に、バランス、テーマなど案外考えてしまうところがある。ああ見えて『寒山拾得展』も私なりに考えたつもりである。それに一回あれをやったおかげで、以降はもうちょっといい加減?楽にやれるのではないか。唐突に見えるとしたら『寒山拾得展』を見ておかなかったからだ、といえそうである。そもそもバランス、などは私の辞書に載っていない。そこで古典的モチーフは共通として。私が行き当たりばったり作りたくなった物をそのまま、羅列でいいのではないか? 最近亡くなった映画監督は、スタッフを殴るのですこぶる付きに嫌われていたらしいが、作る予定の作品をタブレットで人に見せていたという。映画は金集め、関わる人の多さなど大変だろうが、まったくゾッとする話しである。その点私などは、短い目標を間を空けず次々こなして行けば、常に目標を達したばかりのタイミングで死ねるのではないか。

古今亭志ん生



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フェイスダンスというアプリで遊んでみたら思いの外面白い。村山槐多は目や眉が動いているのに眼鏡は保持されるし、ゲンセンカンの女は、眉毛がないのに、ちゃんとその辺りの筋肉が動く。一番驚いたのは、ゲンセンカンや一休は、私が作ってもいない歯や舌がある。 以前書いたと思うが作家シリーズの一回目の個展に、立体をスキャンする機械が日本に一台あり、それで私の作品をスキャンして映像を動かしたいという人が来た。しかしその頃ワープロ一つ触った事がなく、超アナログな私にデジタルなどと野暮なこと言ってんじゃない、と全く相手にしなかった。当時のデジタルキャラクターは何を見てもねぶた祭りみたいだったし。それが私の今の有様はどうだ。今だったら間違いなく乗っていただろう。 夜、急にポークカレーが食べたいと思った。こんなことは予告もなく鼻の奥でフト思うものである。何かを思い付く時、何の前触れもなく、あれとそっくりである。

一休和尚

村山槐多

ゲンセンカンの女

 



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一日  


手掛ける可能性が高いモチーフは、天台山が聖地と書いたが、何しろとてつもなく古くからあるモチーフ、ある頃からそうなった、そういう見方もある、という感じのようである。実にアバウトである。そんな世界であるから創作の余地がある。私もどこかに居るかどうか判らない架空の人物を気にするところがあるので、存在した事実がないぐらいの方が気楽である。 個展というと判りやすいテーマにまとめた方が良いのではないか、と私なりに考えるのだが、寒山拾得や仙人まで手掛けてみると、もはや好き勝手にしか見えないかもしれない。テーマも何も、私の好き勝手、を作って見せるのだ、ともういってしまっても良いのではないか? 〝考えるな感じろ”なんていいながら、何だか判らないけど作りたくなって作っちゃいました。はあまりにも馬鹿みたいではないか、とつい見栄をはりたくなるのだが、言い訳を考えてる時間は無駄ではある。

 



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寒山拾得の話は、中国は寒山寺に伝わるとされる話だが、舞台は天台山の国清寺である。そこで炊事の下働きしている拾得は、岩窟に住まい、たまに顔を出す寒山に、竹筒に詰めた残飯をやっている。山深い風景の作り方を見つけたのは個展の一月前で、今回は寒山拾得のそんな日常を描けずに終わった。ところで次のモチーフ候補としている連中にとって、天台山は聖地だと本日知った。流れとしては非常に良い感じである。 以前からビートルズのサージャントペパーズのジャケットのように、今まで作った人物を一画面に勢揃いさせたいと思っていたが、単に面倒だしウンザリしそうである。 しかし今度のモチーフでは次々と作り足して行きたい。ただ一体より五体、五体より十体の方が良いということになる可能性があるが、一体につき複数カット撮ることを想定して作り、作ってしまえば、どこからでも撮れる立体の利点を活かし、バージョン毎に同じ組み合わせは無い。なんて良いかもしれない。

石塚HP



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ジョン万次郎宅跡の前を通り5回目接種会場へ。着いてから、明日であることに気付いた。何も作っていないと時間がなかなか過ぎて行かない。とりあえず接種。相変わらずピクリとも何もなし。前回までは帰りのタクシー代500円出たが今回は無し。 自分のした事から枝葉を伸ばしながら変化を続けてきた。そういう意味では今回の寒山拾得展はいつになく大ジャンプを果たしK点越えの感あり。 今まで作って来た人物は、厄介な首がすでにあるので、所属タレント?に活躍してもらうのは、本来これからなのだが、頭の中のイメージから一度取り出し確認済みなので、依頼がない限り改めて作ることはないだろう。一方新作のモチーフについて考える。中国の深山にまで入り込んでK点超えて、ここまで来てようやく、自由に造形するには障害がまるでない究極といえるモチーフにたどり着いた。数日経ってもどうやら気が変わらない。

石塚HP



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2年先のことは考えずにきたが、鮫の歯が出番を待って後ろに連なるように、作りたい物が途切れることはなく、すでに背中を押されている。喉元まで来ているテーマについて。 1、あくまで神仏でなく人間である。2、架空の中高老人モチーフ。その種々相を描ける。  3、造形的にリアルを逸脱も可 4、非現実的シチュエーションは自由。6、生涯、事あるごとに作り足し可能。数が増えたら増えたなりに群像として。  7、具体的物語に欠ける分、写真作品として今までのようには描き難いが、その分物語の解釈は不要。 そう考えると私の中に蓄積された人間のイメージを吐き出すには究極のモチーフではないか。躊躇するとすれば、7である。 スーパーで入手したカワハギの肝付を煮付に。鯉コク作って食べながら琴高仙人を作ったのを思い出した。鯉は龍の幼体と思われていたそうだし、赤鯉の赤もラッキーカラーだったのだろう。

石塚HP



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初個展から40年、架空のジャズブルースミュージシャンから始まり実在した作家シリーズ、そして寒山拾得などの道釈人物、とモチーフは変わってきたものの、一貫して変わらないのは男性ばかりである。手足の数など同じだが、ただそれだけで、男女を同じ土俵で同じ材料、同じ手法で作れる気がしない。また私にとって大事な物の一つにユーモアがあるが、女性には笑う要素、或いは笑って良い要素が皆無に思えるのである。その点男は生きれば生きるほど自動的にユーモアが発生する。男でも若者はもう一つである。そんな人物像制作者である私が仙人まで手掛けてみて、究極ではないか?と何となく考えているモチーフがある。一方で、それが面白くてやって来た描くべき物語性に乏しい。しかしその分、今までのように、江戸川乱歩や室生犀星に興味がなければ、虎溪三笑や慧可断臂の説明を知らないと伝わらない、ということではなくなる。

石塚HP

 



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一日  


小学校教師が生徒に給食のおかずを食べられ、背中に「先生の給食を勝手に食べました」という張り紙を貼り、校内を歩かせた、とニュースになっていた。私も小学生の時に、忘れ物が多いことと宿題をやらないことを大書きした張り紙どころかサンドイッチマンの格好で全教室を回らされた。さすがに妹の教室には参ったが、忘れ物にも宿題にも興味が無いものだから私には全く効き目がなく、罰としては効果はなかった。2人目が普段はいじめっ子だったが、大泣きして嫌がり、その罰はなくなった。数人の生徒が囃し立てながら私に付いてきたが、こんなクズ連中は今頃ロクなことになっていないだろう。その女教師は後に葛飾区の教育委員長になった。 ある日、1人の女の子が、親の職業についていじめられて泣いていた。その先生は、人は皆平等なのだ、と叱った。私は〝人は皆平等”そんなこと初めて聞いたぞ?そこで数日後の休み時間、先生に質問した。「天◯陛◯と◯ジキ、殺したらどちらが罪が重いですか?」「それは天◯陛◯よ。」

石塚HP



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一日ブログを書かないでいたら案外楽である。一応制作者の日常ということなので、何も作っていないと書くことがない。以前は近所の酔っ払いの話まで書いていたが、ウケていたのは近所の連中ばかりであった。制作者の日常であれば、備忘録となるし、と思っていたが、行き当たりばったりが過ぎ、なんで私はこれを作ることになったのか?と、その経過など確かめたくとも良く判らない。書いている時は、様々整理出来て、暴走?を抑えるためにも役に立った。つもりであったが。いつの間にか仙人まで作っていた。たしかに、旧家に中国土産の寒山拾得の掛け軸がぶら下がっていた時代ならともかく、訳の分からない二人組が、あっち行ったりこっち行ったりしていても、特に名場面がある訳でもなく持たなかったろう。それはともかく。2年間航海していた船は、車と違ってすぐには止まれない。起き抜けの夢では、未だにああだこうだ考えている。今日は何かと何かを貼り合わせる方法を考えていた。目が覚めた時は、ついに夢で見たことが実用になる。と思うのだが、朝食を取る頃には所詮夢だな、となるのであった。

石塚HP



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森鴎外の『寒山拾得』は寒山詩集の序文をもとに書かれている。その寒山詩は、寒山が、岸壁や家屋の壁など、ところ構わず書きつけられたのを集めた物とされている。なので良く描かれたモチーフで、岩を硯に墨擦る拾得、詩を書きつける実得を作りたかったが、背景を実写でなく作ることに決めてしまい、必要な技術は必要になってから、というモットーが裏目に出てしまい、そのためには個展一ヶ月前まで追い詰められることになった。なので深山における寒山と拾得は追加制作しない訳にはいかないだろう。 ところで今回齧ってみた仙人などの道教の世界は、いわゆる不老長寿、桃源郷などがイメージされる。私は興味がないので、意識したことはないが、幾多の写真家が〝桃源郷”をテーマに写真集を作ったりしているだろうことは容易に想像出来るが、私見を言わせてもらえば、〝実写”でそれをやろうというのはおそらく間違っている。あくまで桃源郷風な物にしかならないだろう。写真は〝まこと”を写すには良いかもしれないけれど。

石塚HP



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昨日のブログで実は私が目指していたものを思わず吐露してしまった。良いか悪いかはまた別の問題ではあるが、どんな素晴らしい機材、技術をもってしても、私の頭の中のイメージを撮影出来るのは私しかいない。いつも言っているように、私の創作行為は、頭の中のイメージを可視化し、やっぱり在ったな、と確認することである。原点は幼い頃、頭に浮かんだイメージは何処へ行ってしまうのだろう、と悩んだことだからである。 だがしかし、ようやくイメージを取り出せるようになった、というだけの話である。私の創作だとしても、現実に存在した作家をモチーフにしていては限界があった。はたからは唐突に見えただろうが、寒山拾得展における大ジャンプは必要であった。谷崎潤一郎を間に挟んでからとも思えたが、一寸先には何があるか判らない。〝拾得が普賢菩薩の化身だというところからふげん社は名付けられた”私はこの偶然に即決、乗った。会場ではシャレコウベ掲げた2メートルの風狂僧一休禅師がお前は正しかった、と言っていた。

石塚HP



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ドラマでもタイムトラベル物で良くあるが、ちょっとしたことで行先が変わってしまう。私は最後は全ての作品から選抜した作品を、オイルプリント化して終えるものと思い込んでいた。そのために、90年代、突然横道にそれ、人形も作らず孤軍奮闘したのだ、と。あの頃の私は大正時代の作家を倒すつもりでいた。そうでもしないと、本業を放っておいてこんなことを、と罪悪感に耐えられなかった。当時の作家でも被写体を自ら作るなんていなかったし、さらにパソコンによる画像合成は連中には出来なかった。どんな手でも構わない、連中とは違う世界を、と考えていた。しかし改良を加えたものの、私が開発した手法ではない、という負い目が取れることはなかった。 12年にデボラ・クロチコさんに作品を見てもらい私と同じようなアプローチの人は?聞きたいのはそれだけだった。うーんと唸って。さらにその後、陰影を無くした手法に。今回もネットを通じてデボラさんにも見てもらった。地球上でただ一人。私が本当に目指していたのは実はこれだった。

石塚HP



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後ろにずっと並んで出番を待っている鮫の歯のように、作りたい物が常に控えている。また突然、棚からぼた餅のように、アイデアが浮かぶのは良いが、その場合、部屋を片付ける手は止まっている。私がこれを同時に出来る人間であったとしたら。一見良さそうだが、良いどころか、ストレスを真正面から受けてしまって何かしら病気になっていただろう。なんて、なんでも自分の都合の良いように解釈すると言われる。とにかく今は部屋が片付くまでは粘土を手にしない、と決めている。しかし私が大変なクソ真面目であったなら、このまま引退することになりかねない。それだけは何としても避けなければならない。避けるべきであろう。

石塚HP



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浄土宗の寺用法然。通常、頭頂部が凹んだように描かれるが、これはある年代からで、それ以前は通常の盛り上がった形に描かれていたらしい。ならばオリジナルの初期型に戻すべきだ、と考えたが〝法然頭”といわれ、トレードマークのように馴染んでいるならば、後期型に準じるべきかもしれない。初期型が正しいという確証がある訳ではないし。 禅宗のように迫真的な肖像が残されている訳ではなく、解像度不足?だが、斜め45度以上横を向き、数珠を手にしているのが法然の定番の描かれ方である。 像はともかく、写真作品として法然的名場面を創作してみたい。法然は会ったこともない中国浄土教の善導法師に夢の中で対面する作品が、総本山知恩院に残されている。善導法師は中国の人である。であれば、開発したての、中国の山並みを背景にするべきではないか。しかも法然の夢の中の場面となれば、やり過ぎを心配することはない。

石塚HP



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