明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



休みに入り、先日67歳になった、酔っぱらって救急車8回、パトカー2回乗った人物からの朝からロレツの回らない誘いの電話やメールを断りながら、少ない睡眠時間で圓朝の制作。 結局圓朝の周囲に鬼火を配した。鬼火がこの世の炎に非ずと白色にしたので、清方と同じ背景では目立たない。結局後ろは金屏風にした。蠟燭の炎はやはり描いた。鬼火があの調子なのに、蠟燭の炎だけ普通では辻褄が合わない。 午後、富岡八幡の骨董市にでかけ布の端切を入手。以前も書いたが、座布団というと毎回同じ柿色である。ついそうしてしまう。そこで細かい柄の布を貼ってみた。しかし慣れないことゆえ不細工。おまけに小さな染みが隠れず出てしまった。撮影だけにして、展示までには張り替えよう。扇子もすでに圓朝の前に置いた、燭台の後ろに置かれた蠟燭の切った芯を容れる容器を置けば、後は緋毛氈と湯飲みの到着を待つだけ。湯飲みは蓋付きの染め付けをヤフオクにて落札。

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創作行為というのはこういうことか、と考えさせられた鏑木清方作の圓朝図である。なにしろ独学で頭に浮かんだ物をただ作ってきただけなので、創作とは、などと考えたことがない。 私の圓朝とは顔も違うがプロポーションが違うので、同じ構図にするのは厄介である。清方は随分手足を長く描いている。あれが何故か効果的なのだが、あんなに長くないと知っていながら長くする、ということは私にはできない。圓朝本体と蠟燭付きの燭台、扇子はどうやら収まった。あとは下に敷く緋毛氈と湯飲みの到着を待つだけである。 女の黒髪?で描いた鬼火が思いのほか上手くいったので、今回の作品にも飛ばしたくてしょうがない。50以上は用意してある。しかし清方作品は白っぽい灰色の背景なので、そのままでは配することはできないので金屏風を後ろに置いてみるのも良いかも。ただ蠟燭の炎を鬼火の手法で描こうと思っていたので、鬼火と二つ重なるのは少々うるさい。鬼火を配するなら蠟燭は主張させないほうが良い。しかし及ばざるくらいなら過ぎたる方がマシの私であるから、誘惑に勝てず、そこらじゅうでボウボウさせてしまう恐れがある。牡丹灯籠の時も鬼火を飛ばしたい。だったら思う存分飛ばして、すべて完成した際に外す方が良いかもしれない。

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燭台  


清方の私物だという菊型燭台と、私もそれに近い物を入手したが、只同じにするつもりはないので、この下手したら江戸時代製の燭台をワイヤーブラシで汚れを落とす作業を一晩やった。今回の撮影はフラットな照明で、立体の陰影で表現できない代わり、見た目に気にならない塗りムラさえも詳細にでる、ということが判ったので、漆のはがれたり塗り重ねているところを生かしてみたい。 清方の燭台も台座の、おそらく朱塗りであった所が剥げているが、燭台は単に背景の一部としての役割しか担っていないように見える。私の場合は画面の中で、この燭台に蠟燭の炎を含め、某かを象徴、代弁させたいと考えているのでデイテールには注意をはらいたい。ハゼノキの木鑞でできているという和蠟燭を立ててムード満点である。 それにしても肖像画の傑作といわれる重要文化財に対して同じ構図でオマージュ作品とは、私も良い度胸だが、清方が自分のイメージを重視し、明らかに写真の圓朝と違うところに魅かれた。やってみて失敗したら、腐らせたり死なれたりしてブログからいつの間にか消えて行った糠床や熱帯魚のように、何事もなかったような顔をするだけである。

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蠟燭の炎は鬼火同様、筆で描くことになりそうである。撮影した本当の炎にするか、描いたものにするかは画面上でポイントとなりそうである。それに鏑木清方が蠟燭の炎をあっさり描いているぶん、圓朝が語る内容が炎に反映しているかのように妖しくやり過ぎてみたい。和蠟燭は太い物は高価である。描けば減らさないで済む。 随分前に入手していた燭台の、ようやく出番がきた。これを入手した時に、鏑木清方作へのオマージュを制作することは決まっていたのかもしれない。清方の圓朝は湯飲みで茶を飲んでいるが、私の圓朝は手を両膝に置いている。よって目の前に置く、蓋付きの湯飲みと扇子を注文。撮影用はできるだけ本物を使いたい。すべて別々に撮影するので、とりあえず、圓朝と燭台の撮影を開始する。 九代目團十郎の首を送付するため桐箱を入手。私の作といえど劇聖となればおろそかにはできない。九代目の送付先といえば一人しかいない。 『タウン誌深川』特集辰巳新道。 連載第二回は、30数年前アルバイトで作った旧洲崎パラダイス入り口横にある銅像の話。今は前に公衆トイレができてしまった。

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鏑木清方描く圓朝像に対するオマージュの準備を始める。圓朝の横に一本見える燭台の上の蠟燭の炎の表現について考える。虚実ない交ぜの作品になるわけだが、その炎の所属を虚と実どちらにしようか、ということである。 蠟燭の炎は一度撮影したことがある。フリーペーパーの特集『手塚治虫と新宿を歩く』であった。歩かせずに飛ばしてしまったが。昔の少年マンガ誌の表紙のイメージでやってみた。 手塚のジェット、ロケット噴射は蠟燭の炎の如しである。そこで本当の蠟燭の炎を撮影して使った。しかし、形もさることながら黄色い色がいかにも推力不足に見え、マンガのようにはいかず、噴射感を加えざるを得なかった。つまりこの時の炎も虚実の間でユラユラしていたことになる。



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圓朝第一作は、適当に配した鬼火を整理し完成。平面の写真から立体を起し、それをまたわざわざ平面的な世界に封入した。 遠近感など始めから加えて撮影専用の立体を作ることは初期の頃からやってきた。気球に乗った江戸川乱歩だったか、澁澤龍彦の背後に配したクラナッハだったか。どちらが最初だったか忘れたが。クラナッハを絵に近づけて作ったら、ヘソは真ん中に付いていない、脚は明後日の方を向いている、むちゃくちゃであり、とても展示できるような物ではないが、一方向から撮ればクラナッハ風に見えるわけである。鉄腕アトムの角や花形満や矢吹丈の前髪も一方向なら可能という訳である。 平面的な背景に立体を配する事が可能になったということは、やれることの可能性が広がったわけで、といっても、どれだけ広がったかはまだよく判っていない。少なくとも鏑木清方の圓朝像に対するオマージュ作品のメドはついた。


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昔は肌の色には無頓着で、作った色をただベタ塗りしていたが、知り合いの母親が画家で、私の作品を観て何故重ね塗りをしないのか、といっていたと聞き、絵の描き方など知らない私は、そういうものか、と下塗りをしてみたら、リアルになった。以来そうしている。ところが昨日の撮影方法だと、何故だかムラばかりが強調され実に汚い。そこでベタ塗りして撮っては塗り直し。三回の塗り直しをした。 私はオイルプリントの習得以降、写真からはできるだけ何も学ばないよう心がけているが、ここ数年、最も興味があるのが日本画であった。平面的な日本画の世界と、立体を制作して撮影する私とでは、どう考えても水と油である。しかしイメージしたものをやってみたら、江戸の末期、昔の日本人画家が、西洋画や写真の影響を受け、水と油を混ぜてしまったような奇妙な一時代があったが、期せずしてそんな風合いまでが出た。 私が当ブログで、いつになったら私を完成させるのだと圓朝が私をずっと見ている、といっていたのがまさにこの一カットであった。一度頭に浮かんでしまうと、そこから抜け出せなくなる、というのが私の常で、浮んだ構図がこれなので、左側を向かせることがどうしてもできない。もっとも、次は鏑木清方の圓朝図に対するオマージュを作るつもりで、あれは左を向いているから、こちらはこれで良かった。


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先日ららぽーとに牡丹灯籠用の布を買いにいった時に、羽織の紐用の紐を買うのをすっかり忘れていた。最初のカットは紐は写らないと思っていたが入りそうである。そこで昔、窓のブラインドの紐をちょん切って作った泉鏡花の紐を拝借することにした。 先日作った鬼火が浮んだ圓朝用背景だが、掛け軸を意識した縦横比に、まったく立体感がない平面的背景で、ここに普通に印影のある立体を配するのは当然木に竹を継ぐ結果になるのは明らかである。そこで印影を消し、立体感を消すよなライテイングで撮影をした。この場合、印影によるごまかしは効かず、出来不出来が露になるだろうことは予想をしていたが、目で見た分には顔の塗りムラ艶のムラなど、むしろ人間っぽくリアルに見えているものが、目で見た以上に強調されてしまい、顔を洗ってこい、というような結果となった。塗り直しをすれば済むと思うが、方法は間違っていないことは判った。

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プロバイダを換えたのだが、古いMacミニのメールの設定ができず、リモート操作で設定してもらったが、それでも1時間はかかったろう。丁寧な対応はありがたかったが、担当者でも厄介だったようで、電話越しにやたらと男性の溜息を聞かされることとなった。何年も前にも一度、別なプロバイダで遠隔操作で設定をやってもらったことがあったが、あちらからはすべて丸見えなのだろうか?その時も、こんなことなら壁紙を換えておくんだった、と思った記憶があるが、本日もまた同じことを。 パソコンメールは久しぶりなので、サンフランシスコに住む妹にメールを送ると『同情と感謝してる』。と返事が着た。ああそうかい。意地っ張りで自分が正しいと思い込んでいる年寄りほど可愛げのないものはない。おかげで8年くらい止めていた煙草を吸うようになってしまった。ただしふかすだけで肺には入れられない。止められたのもパイプや、特に煙管で肺に煙を入れない癖がついていたからだったが、鼻や口内の粘膜からニコチンを吸収するので、あまり軽い煙草では効果は薄い。そこでハイライトのミントを。私がハイライトを愛飲していた頃は80円であった。

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瞬き  


朝7時、T屋に朝定食を食べに行く。昨晩は母にそう提案していたので朝っぱらから出かける準備をゴソゴソしている。私はまだ寝たかったが、一度目が覚めるともう寝られない。母を先に行かせる。T屋のかみさんには『貝の穴に河童の居る事』で笛吹きの女房で踊りの師匠をやってもらったが、今回は『牡丹灯籠』のお米をやってもらうので、出来たばかりの灯籠を持って行った。しかし、このかみさんには被写体として難しいところがあって、瞬きが押さえられない。貝の穴ではもっと活躍してもらうはずだったが、一人だけで撮ると、まず、目を閉じているか半開きである。わざとやるにしてもこうはできないだろう。当然1、2の3で撮ったり、逆に予告無しでシャッターを切ったり、タイミングをずらしたり、あらゆる事を試したが、特殊な能力でもあるのかのようにつぶられてしまう。これには本当に参った。こうなるとお露と二人で撮るか、高速シャッターで撮るしかない。前回も特に低速シャッターで撮った訳ではなかったのだが。


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LEDの蠟燭の灯は展示用に作ったのだが光量も丁度良く、暗い幕末、明治の高座を再現した撮影にも使えそうである。岡本綺堂もいっているが当時の寄席は暗い。ただ清方や晴雨が描く寄席は客席にランプや大きい行灯が下がっているが、客席全体の明るさは日本画では判らない。ここは高座上の、両脇の蠟燭に照らされる圓朝の様子を見ながら全体の明るさを案配しながら撮影すればいいだろう。LEDの燭台は、撮影後蠟燭に灯を着けた実物の燭台に置き換えるのはいうまでもない。 撮影用に入手した照明器具も届いた。小さな人形を常に人間を撮るつもりで撮ってきたが、一方で、人間でない作り物を人間のように撮るというウソを付くなら、ウソならではの撮り方もあるのではないか、という漠然とした考えが常にあった。その一つの答えになるかもしれない。上手くいかなかったら、何事もなかったようにやり過ごすだけである。

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燭台、塗装を残し2本完成。もちろん蠟燭付き。圓朝の両脇に配して眺めている。LEDの明るさが人形の縮尺に対し蠟燭っぽくリアルである。しかし展示にはさすがに暗くてこのままでは無理であろう。 最初は鏑木清方作の圓朝図の横に置かれている菊型燭台とそっくりな燭台をヤフオクで落札したのが始まりであった。その後、すでにランプ、ガス灯の時代なのに圓朝はあえて高座で燭台を使用していたことを知り、さらにその後、清方が描いたのは高座姿ではなく、清方宅で圓朝が口演するのを速記者が書き取っている場面で、燭台も座布団も、清方の私物であることが判った。 この燭台のおかげで肖像画の傑作である圓朝像と同じような構図で撮影してみよう、という大胆なことを考えた。私の場合は写真のみを参考にし、形状に関しては清方作品をまったく参考にしておらず、当然違っており、やぶ蛇になる恐れはあるが、危険な誘惑に駆られている。立体の良さは一度作ってしまえば360°どこからでも撮れることである。 というわけで、高座の再現のカットには、もう一本入手済みの黒塗りのシンプルな燭台を使うことにした。

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LED  


昔から引っ越ししてまずするのが蛍光灯をすべて取っ払い、白熱電球に取り替えることであった。いまでこそいろいろな色があるが、昔の蛍光灯は寒々しかった。しかし気が付いたらLEDの時代に。さっそく牡丹灯籠に電球をしこみ、昨晩は天井から吊り下げ、熱を心配する必要がないので暗い中着けっぱなしで寝た。垂れ下がるひらひらした布も良い感じで妖しく、線香花火を最後まで見つめる懐かしい感じ。なんとかイメージした牡丹灯籠になった。 圓朝の両脇に立てる燭台は、ネットでの買い物の難しさ、LEDのサイズがあわなかったり光量が足りなかったり、電気音痴の私の理解不足で無駄な買い物をしたが、ようやく必要な物が決まり、再注文。ジオラマに使う小さなLEDは、蠟燭の灯りのように揺らぎまで表現してくれる。このシミジミとした小さな灯りが、圓朝の表情に合うといいのだが。 3時に母をホームに迎えに行き、送迎車で送ってもらい、そのまま近所で早い食事。すこぶる元気である。

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明日母がショートステイから帰って来るので時前に済ませておこう、とまず高座上の圓朝の両サイドに立てる燭台の蠟燭の炎用のLED電球を注文。一度入手したが光量不足であった。電源は長時間の展示を考え、ACアダプターを使うことに。和蠟燭を2種。燭台用と行灯用を注文。和蠟燭は洋蠟燭のように融けた鑞がだらだら垂れることがないそうである。蠟涙というのはSM小説上の造語かと思ったら普通に使うようである。 豊洲のららぽーと内のオカダヤにて牡丹灯籠用の白の1メートルの布を買う。オーガンジーだかジョーゼットだかは、実際見ると透けすぎていてイメージにあわず、化繊混じりの綿にした。透け具合はモニターでは判らない。ビバホームにて中に仕込む電球その他を入手。これで牡丹灯籠は本日中に完成するだろう。 ネットでの注文や買い物など母がいたって出来ることだが、何をするにしても、胃がもたれているより、そうでない方が良いに決まっている。母から電話があったので、私が明け方まで制作をしてまだ眠ているのに、朝っぱらから『南国土佐を後にして』なんてやかましく歌ってたからペギー葉山が死んじゃっただろ、といっておいた。

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一日  


花に覆われた牡丹灯籠は、私の辞書に載っていない物だったせいか、作ってみたら結構気に入ってしまい、一日に何度も手に取って眺めてしまう。撮影用として形だけのつもりで作ったが、そんなことをしていて壊れては困る。簡単に壊れないよう、エポキシ接着剤で補強をした。下に垂れ下がっている物はトイレットペーパー風で、と思わなくもない。実際『貝の穴に河童の居る事』ではトイレットペーパーを使用している。出演をお願いした素人役者の方のとっさの思いつきであったが、即採用となった。しかしこのヒラヒラが、漂う幽霊の象徴的なものになるかもしれない。それに何度も風になびいているところを撮影することになる。ちゃんとした布を垂らすことにした。調べるとシルクジョーゼットの白というのがイメージに近そうである。人形だけでなく、撮影小物まで作るとなると、シルクジョーゼットなどと縁のないものまで検索し、知ることができ、ついでに購入までできる。インターネットのおかげである。

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