明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



今回若干変則的な開廊時間なので、昨日の休廊日に来られた方がいたようだが、本日はかくいう私自体が1時間早く着いてしまった。交番で聞いて多摩川まで散歩。早々に古書店。入ってしまったが、優秀なラグビー選手のように古書のタックルをかわす。10分ほどで土手に着く。白い花が乱れ咲く中を土手にあがると河川敷では高校球児。見学のPTAだろうか、だれ彼となく、氷の入った麦茶を配ってくれた。穏やかな午後である。しかしそこから土手を左右に30メートル移動したに留まる。土手のどこを上がってきたか判らなくなったら困る。しかしそれでも帰りは一筋、道ずれる。今通って来たばかりだろうって?後ろの景色を見るのは始めてである。方向音痴とはそういうものである。後ずさるしか方法はない。 個展というものは、自作品について客観的になる良い機会である。次の展開の多くはこんな時に生まれる。今回制作の最後の最後の方で、ネガを作る段階で少々工夫をした。オイルプリントについてご存知ない方が多いので、それがオイルの1特徴くらいにしか思われないであろうが、そうではない。今後この方法を多用するつもりでいる。  作りこんだ作品を集めたギャラリーの一隅のみ、タイトルを付けようという話に。『虚無への供物』の作者中井英夫も、知らない人からすればサラリーマン風の人物がここで何を。ということになりかねない。モデルになってくれた女性二人来廊。この作品は『勝鬨橋の女』ということに。

石塚公昭個展『ピクトリアリズムⅡ』
2015年4月25日(土)〜5月9日(土)

没後50年『谷崎潤一郎展』谷崎像出品

神奈川近代文学館 4月4日~5月24日

 

オイルプリント制作法

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晴天  


個展日和である。昼間の外からの間接光も画用紙にプリントされた風合いを強調している。インクの油成分を抜いたり、ニスによるコーティング、さらにドライマウント時の、熱を加えたプレスにより落ち着いた。おそらく大正時代にもなかった風合いであろう。眼高手低という言葉があるが、眼高どころか本物を見たことないまま制作を始め、勘違い、その他が加わり独特の作品になったかもしれない。何事も知っていれば良いというものではなさそうである。私が十代の頃から写真に熱心であったら、間違いなく手がけることはなかったろう。 谷崎像を出品中の神奈川近代文学館『没後50年 谷崎潤一郎展』は個展と重なり、まだ行けていないのだが、図録と展示風景写真を送ってもらった。谷崎像の横に設置されたボックスからは谷崎自らが朗読した『瘋癲老人日記』が流れるそうである。これはおそらく、老人が執心する息子の嫁『颯子』を淡路恵子がやっていたものであろう。大映で演じた若尾文子より颯子に関しては、アプレ感も含め上であった。 颯子のモデルである渡辺千萬子さんには展示作品より小さい、1作目の谷崎像を観てもらったことがある。「アラ似てないわね?」颯子が目の前に現れたかのようで、谷崎レベルのマゾヒストでない私もツンと来たのであった。

石塚公昭個展『ピクトリアリズムⅡ』
2015年4月25日(土)〜5月9日(土)

没後50年『谷崎潤一郎展』谷崎像出品

神奈川近代文学館 4月4日~5月24日

 

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搬入は飲み仲間の某運送会社OB、及び現役にメールで相談すると、口をそろえるように「ウチは止めたほうがよい。壊される」と返信。そこで彼らの元同僚の個人タクシーにお願いすることに。その会社辞めて随分になるから大丈夫であろう。そろそろよい時間と電話すると寝てたけど。安全運転にて到着。 ハスノハナは昨年のグループ展以来である。さて問題はここからである。例によって飾り付けに関してはノーアイディア。私の空間把握能力は手の届く範囲が限界である。小学校の通知表に書かれた「掃除の時間、何をしてよいのかわからずフラフラしています」。状態で、今まで画廊にお任せしっぱなしである。結果、もちろん上手く収まった。 今回はオイルプリントで丸みを帯びた柔らかい物で作品を。ということでヌードに決めた。人形制作でいえば、私はゴツゴツしたむさくるしい男専門だからである。荒くコントラストの高い物から低コントラストでヌメッとした物まで意識して揃えてみた。色に関してもただの黒色、というのは1点のみである。 良い悪いはともかく、目に馴染みのないものが並んでいるのだけは間違いないと思います。是非お越しください。

石塚公昭個展『ピクトリアリズムⅡ』
2015年4月25日(土)〜5月9日(土)

没後50年『谷崎潤一郎展』谷崎像出品

神奈川近代文学館 4月4日~5月24日

 

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田村写真にてフラットニングと台紙に貼るドライマウント。私はオイルプリントを始めた当初、この両方とも知らず、焼いたスルメ状態のプリントを、カブトムシのように箱に入れて持ち歩いた。ドライマウントは熱でプレスすることで、油成分の加減か、画面がぐっと締まり、風合いが落ち着く。 私のオイルプリントは画用紙を使用しているが、これは私の勘違いから始まっており、オイルプリントの特徴でないことは明記しておきたい。きっかけは90年代の初めの松涛美術館の野島康三展の図録である。会期終了直後に古書店で入手した。大判カメラを持っていなかったので、ブローニーフィルムで即、実験を開始した。つまり始めた当初、私は野島作品の実物を見ていない。野島が行った顔料を使う、いわゆるピグメント法写真にはガム、ブロムオイルがある。画用紙にプリントされていたのはガムプリントの方であり、私は最初に混同してしまったのである。結果的に、用紙を自由に選べる利点を生かしたことになり、“石塚式”は画用紙の風合いが特徴となっている。ただ微細な表現を求めた場合、表面が凸凹した画用紙よりスムースな用紙の方が有利なのは当然であろう。 使用するゼラチン紙は、均質性が成否を左右するが、田村写真製ゼラチン紙は安定しており、オイルプリントの醍醐味を味わうことができる。今後は画用紙でも表面の平滑なゼラチン紙の制作をお願いしてみたい。間違いなく表現の幅が増えることになるだろう。 25日からの個展であるが、出産間近の女性が検査結果によれば来てくれるという。正直、あまり胎教にいいという感じはないので、無理しないほうが、といっておいた。

没後50年『谷崎潤一郎展』谷崎像出品

神奈川近代文学館 4月4日~5月24日

石塚公昭個展『ピクトリアリズムⅡ』
2015年4月25日(土)〜5月9日(土)

 

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現在手元に作品が何体あるのか数えたことはないが、来年の今頃、全作品展示しよう、という話しがある。HPを立ち上げた2000年には、すでに作家シリーズに転向していたが、それ以前の黒人のジャズ、ブルースシリーズも含めて、ということである。ただそちらに関しては、残っている作品は少ない。写真作品は残ったが、それは作家シリーズに転向するわずか2、3ヶ月の間に撮影したものである。それ以前の作品となると、記録として残しておこうということすら思いつかなかった。我が子といえど、完成してしまうと私は冷たい。 最近作でいえば被写体として扱うことが主で、写らない部分は作らず、その分、肝心の頭部制作に時間をかけてしまう。背中がないのはまだ良い方で、上半身だけの場合もある。展示するとなると、改めて身体を作らなければならない。何十体も、そんな大変なことするのか、と半分疑っており、詳細はまだ書けない。禁煙を成せたかどうか疑わしく、ブログに書くのをためらったのを思い出す。 25日からの個展、ピクトリアリズムⅡであるが、修正も終わり、後はコーティングし台紙に貼り付け額装である。新作は19か20点。それに旧作が何点か。という予定である。良い悪いを別にすれば、鵜の木まで来ていただかないと観られない作品であろう。私としてはそれで充分だと思うのだが、またこんなことして。と一部からはいつまで経っても懲りない人間扱いされている。あんたみたいな病人の特集をTVで観た、とさえいわれる。しかし生まれつき短足だったり不細工だとしても、その人物には何の落ち度もなければ責任もない。それと同じく、私には責任がない。なんて顔をしていると火に油を注ぎかねないので、この辺りで止めておく。

没後50年『谷崎潤一郎展』谷崎像出品

神奈川近代文学館 4月4日~5月24日

石塚公昭個展『ピクトリアリズムⅡ』
2015年4月25日(土)〜5月9日(土)

 

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大正時代を中心とした芸術写真家の多くは、富裕なアマチュアである。海外の情報をいち早く入手し、最新の技法に挑んでいたのは、そうした人々であった。今思うと恥ずかしいが、私は連中を倒すつもりでやっていた。なにしろ写真はド素人で写真家になりたい訳でなく、ただやってみたいというだけで本業放ったらかしにしている罪悪感で一杯である。そんな了見でないとやっていられなかったろう。 東京オリンピック以降の東京は、薄いガス室に居るようなものだといわれる。それにひきかえ、大正時代といえば、被写体となる人、風景、すべてにおいて趣のあった時代である。先人がやっていない物、やれない物でいくしかない。被写体の人物像を自作して、という作家はいない。加えて当時なかったのがコンピューターである。 田村写真謹製ゼラチン紙残り3枚。最後の一枚ということで無難な作品を選んだが、初志を思い出して変更。背景は以前作った物である。特撮の神様が胸まで隅田川に浸かっていた。蛸も既出で、すでに女性に絡ませたが、一目で合成と判る絵柄ということで選んだ。この状況で女性は悠然と髪を髪留めでまとめようとしている。それが終わって振り向いた時には、航空自衛隊が誇る、かつての名戦闘機セーバーは隅田川に叩き落とされる運命にあろう。そう思うと横顔に殺気を感じたりして。 私がオイルプリントを始めたきっかけである大正期のピグメント写真の巨匠、野島康三に会ったら、見せるのは案外この作品かもしれない。

没後50年『谷崎潤一郎展』谷崎像出品

神奈川近代文学館 4月4日~5月24日

石塚公昭個展『ピクトリアリズムⅡ』
2015年4月25日(土)〜5月9日(土)

 

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『美の巨人たち』横山大観を観る。輪郭線のない朦朧体は、いってみればソフトフォーカスである。芸術写真は印象派の絵画の影響はあるだろうが、西洋画からの影響とは別に、国内では朦朧体からの流れなどはなかったのだろうか。 ただでさえ朦朧としがちなオイルプリントでは、ついソフトフォーカスレンズの使用を敬遠してしまう。コントラストのある、クッキリハッキリしているネガの方がプリントしやすい。先人が、初心者は空(雲)や水を避けよ、といったのは、その辺りの事情があろう。しかし思うところあり、今後、ソフトフォーカスレンズの出番が増えることになるだろう。 晩年の大観は、昨年亡くなった、母の友人の家が営んでいた旅館で描いていたらしい。引っ越してしまったが、旅館の跡地には、大手広告代理店があった。 作家と同様、明治の頃の画家、彫刻家の顔もなかなか味がある。大観の顔なんて作ると面白いな。富士山と大観なんて。と母にいうと。私は不細工な人が得意で、綺麗な人は作らない、という。だから私を作れ、作れというのに作らないのだと母。 作れといわれたことなんか一度もないわ。それにかなり作りやすいわ。

没後50年『谷崎潤一郎展』谷崎像出品

神奈川近代文学館 4月4日~5月24日

石塚公昭個展『ピクトリアリズムⅡ』
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昨年のグループ展当日、インクが乾いていないせいで額装中にだめにしてしまった江戸川乱歩の『盲獣』は、無事リベンジを果たしたつもりでいた。しかし制作も佳境に入ってくると、普通で無難。オイルにする甲斐が不足している気がしてきた。今回はできるだけオイルプリントならではという調子にしたいと思っていたはずである。そもそも巨大な女体の間に挟まった江戸川乱歩に無難もなにもないだろう。 本来この作品は、盲目の殺人鬼に扮した乱歩が、女体に挟まった奇妙な状況で、他人事のような顔をしている可笑し味を狙った作品である。 江戸川乱歩という作家は、たとえば『盲獣』のグロテスクさに自分で辟易し、後悔し書き直し。といたってノーマルな人物、ということになっている。作者を作品内に登場させる私としては、そのあたりも反映させてみたのだが、実際の乱歩は一人盛り上がって書いたに違いなく、しかし社会的には常識人と見られたい。そんなところではないのか?私にもそういう部分があるので判るような気がするのである。切断された女の脚を風船に結んで浅草寺の上空を飛ばしても、それは乱歩がそう書いているので、私は仕方なく作ったような顔をしている。 それはともかく。今度の乱歩は細部のディテールこそオイルの闇に沈み込んでしまっているが、乱歩先生の部屋を急に開けてしまったら、蝋燭一本立てて、先生、実は本気だった。という私がイメージした乱歩の子供っぽさが消えていた。

没後50年『谷崎潤一郎展』谷崎像出品

神奈川近代文学館 4月4日~5月24日

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一日  


田村写真にて追加のゼラチン紙。昔から使用していたワトソンの画用紙で制作をお願いしている。画用紙にプリントされている作品を初めて見た野島康三のゴム印画がイメージにあった。ピグメント(絵具)法に画用紙が合うのは当然であろう。 当初想定していた出品数に届きつつあり、先頭集団から脱落してきた作品を再プリントしている。オイルプリントは一つのネガから2点できても、どちらが良いか、迷うことがなく1点が残る。 県立神奈川近代文学館の没後50年『谷崎潤一郎展』が始まった。谷崎像を出品するのは荷風、乱歩に次いで3人目である。数字が頭に入らない私はオイルプリントに集中していて内覧会に行きそびれた。その代わり(にはまったくならないが)人の形、動作は自動的に記憶される。18歳以降に知り合った友人のタバコの吸い方など、ほとんど無駄に記憶しているが、私がタバコを止めて以降の人たちの吸い方は記憶されないのが不思議である。 本日も雨降りであったが、それでも紫外線は届いてきて、思いのほか焼付け時間は短かった。オイルプリントの質感はこうでもしないと伝わらない。乾燥後、コーティングなどの工程があるので、また変わってくるが。

没後50年『谷崎潤一郎展』谷崎像出品

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今回の個展のDMは『画家とモデル』(村山槐多)である。大正時代を中心に行われた技法で大正時代の画家を、というわけである。槐多といえば作品を収蔵する『信濃デッサン館』には二度出かけた。デスマスクがあると聞いていたが、観ることはできなかった。 設立者の窪島誠一郎氏は二回電車内でお見かけした。一度は地下鉄の吊革を握る私の目の前に座られていた。人見知りの私が“村山槐多作って写真撮ってます”などという訳がないが、そもそも自分で発音するだけでつまらなそうだし、いきなりいわれてもロクなイメージは浮かばないであろう。  私がオイルプリントを試みるきっかけになった野島康三の略年譜を見ていた。野島は昭和39年に亡くなったが、12年後の51年。窪島氏が主宰する『キッド・アイラックホール』で野島の個展を開催していたことを知った。

石塚公昭個展『ピクトリアリズムⅡ』
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オイルプリントの仕上げ作業の中で重要なのは、画面に張り付いたブラシの毛の除去である。インキングの際に画面をブラシで叩けばどうしても毛が抜ける。それを練りゴムで取り除くのだが、作業が佳境に入っている場合、ブラシの手を止め、いちいち取っていては集中力や流れが妨げられるので、乾燥後に先の尖ったもので取ることになる。プリントに張り付いた毛をはがすという、アナログにも程があるこうした作業は、写真というより修験者の技じみている。

K本では本日よりホッピーの焼酎だけの注文ができなくなった。壜の本数で勘定をする女将さんの負担になるし、そこらの店と同じ調子で“中だけ”などといって腰を抜かす客がいるからである。氷が入らず、キンミヤ焼酎の含有量も多い。後ろにコケたら危ない。客じゃなくてガラス戸が。と某常連。

石塚公昭個展『ピクトリアリズムⅡ』
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