明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


『タウン誌深川』編集部は窓から見える。原稿と写真データ、『日影丈吉と雑誌宝石の作家たち』のチラシを持って行く。明治時代すぐ近く、木場で生まれた作家だといっても、誰も知らない。実は私も日影自体は知っていたけれども、こんな近くに生まれていたとは知らなかった。家は魚屋だったそうである。作っている時は考えなかったが、当然下町のナマリ丸出しだったであろう。古い人は木場を牙と同じ発音をする。 次号の特集を聞くとお酉さまだという。それを知っていたら、出禁についてではなく、K本のお酉さま風景を書いたのだが。一般客が帰った後、常連が女将さんを先頭に長く連なり富岡八幡まで。私などは恒例行事など花見くらいなので、一年の区切りになっている。K本の出禁など日常的なものなので、何も今回書かなくても良かった。

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仕上げを終え、とりあえず写るところだけ着彩し、図録用撮影。 まだ写真を始めていない頃、仕事で撮影をしてもらうと、どうしても上から撮られることが多く、制作時から見上げて作っていたので、物ではなく人のつもりで撮ってくれないかな、と思っていた。日影丈吉も見上げるように撮ってみたが、広い額が圧縮されたようになり、日影らしくない。結局正面からジッとレンズを見つめるようなカットを選んだ。 『タウン誌深川』の締め切り迫る。“常連席にて日が暮れる”休業中の店について書くのは読む方に申し訳ないような気もするが、今時こんな店もあるということで。第2回は出禁。つまり出入り禁止について書いている。「お金いらないから帰んな。もう来なくていいよ」。いやはや。これを聞くたび背筋が延びる。なにしろこの宣告を受けたら二度と入店はできない。忘れた頃だろう、と入って来ても無駄である。もっとも最近は女将さんの耳も遠くなり、助かっている酔っぱらいも多い。

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23日~29日丸の内丸善用『人・形展』用乱歩。これは以前に見た夢がもとになっている。 乱歩邸書斎。乱歩が机に向かっているのに何故か宴会をやっている。乱歩は寝床で寝転がって書くと聞いていたが。 ふと見ると、乱歩がこっそりと懐から何かを取り出した。怪人二十面相のマスクではないか。それに気付いて騒然となる室内。新保博久さんや山前譲さんが老人を羽交い締めにし、締め上げる。「先生!それだけはお止め下さい!」慌ててカーテンを閉めたり、乱歩が落としたマスクを、犯人から拳銃を遠ざけるように蹴飛ばす編集者。確かに二十面相の正体が乱歩だと露見したなら、全国の良い子はガッカリである。 書斎の乱歩愛用の椅子に座って記念撮影したことがあるが、そこに座る乱歩の横に日影丈吉がならぶ写真がある。いつもムッツリしている日影が嬉しそうである。

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乾燥  


日影丈吉は大きめである。どうも作家シリーズ当初のサイズでは限界のようで、今後、サイズが大きくなっていくかもしれない。乾燥に入る。粘土の乾燥には熱だけでなく風が必要である。乾燥機使うには涼しくなったので助かる。久しぶりに江戸川乱歩のベレー帽を作った。 K本の撮影は、各パーツ、シチュエーションに分けて保存しているが、外観を撮ったカットが少ない。理由は通りの向かいに数年前立てられた街灯である。夜間は常に野暮臭い灯りに照らされており、おかげでK本の暗くポツンとしたところに店内の灯りがもれる。というかつての風情がなくなってしまった。これはなんとかしなくてはならない。ついでに、現在かけられることのない暖簾も、ちゃんとかけて再現するつもりである。


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やはり頭部の制作に時間がかかった。来月の展示には充分間に合うが、図録制作には間に合わないだろう、と思っていたら、私が撮影まで済ませるのなら、スペースを空けて待っていてくれるという。 こういった撮影の場合、いつものように人間のつもりて撮るのではなく、モノとして撮るものだろうが、自分ではそれはできない。 日影のプライベート写真に、ジャケットのポケットに両手を突っ込みくわえ煙草のカットがあったが、あまり格好が良いと思えず、手はズボンのポケットに突っ込んだ。結果、私が黒人のジャズマンを作っていた当時から随分作ってきたお馴染みのポーズになってしまった。 お馴染みではあるが、首のちょっとした角度でニュアンスが変わる。顔の表情もそうだが、身体の動きも最小にしたい。特定の表情、動きをさせれば、そうにしか見えないからである。見る人の心持ちで見え方が変わるようにしたい。それは見る人だけでなく、撮影する場合にも都合が良い。 ようやく乾燥に入る。 K本の女将さん、もう入院前とほとんど変わらないように見える。しかし煮込みが登場しないうちは再開というわけにはいかないだろう。東京の◯大煮込みといわれているらしい。

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完成したはずの日影丈吉の頭部。どうもアノ感じがでていない。といってもアノ感じとは何か、というと実は良く判らない。アノがあることは判っているのだが。だいたい完成した頃、毎日穴の開くほど資料写真を眺めつづけてようやくアノ感じがわかってくるので、おかげで完成した、といってはまだだった。ということを繰り返すわけである。そしてそこから粘ることになる。アノ感じとは何か。そのちょっとしたニュアンスが肝腎で、そこを逃げると後悔することになるのだろう。会ったことも、まして口をきいたこともない人物だから、それこそ脂汗を流しながら、御遺族以上に写真を見詰めなくてはならない。当然御遺族とは見詰めるポイントが違うのだけれども。

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日影丈吉身体の制作に入る。進行が早いつもりでいたが、そうでもない。写真資料が少なければ少ないでかまわないが、長年にわたる面相の変化の中から、想定した年代を、どう解釈して作るかが難しかった。 酒場K本の撮影は、今の段階で撮れる物は撮れている気がする。小休止。あとは煮込みで知られる店であるから、煮込みの鍋の復活が待たれる。それに店の3分の1は電灯が灯ることもなく、どんどん霞んでいっている気がする。電灯が当たり、人が立ったり座ったり振動を与え、焼酎がこぼれたりタバコの煙が煙ったりが必要なのであろう。気になって薄暗いあたりを眺めるのだが、どうしても霞んでいるように見えるのである。 “K本のすべて”を撮るつもりで、主のいない店内から撮影を始めたが、結局女将さんの表情が主役ということになりそうである。データをチェックしていると、まさに花咲か婆さんである。いちどあの薄暗い席に座ってもらえば良いのかもしれない。

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日影丈吉の少ない写真を見ると、不機嫌そうなカットばかりで、そんな人物だろうと作っていたが、家族が撮った写真を見ると、ブスッとしながらも、カメラの方を見ず、ポーズを取っているように見える。そのポーズがぎこちなく、そこにサービス心のような物を感じた。本当は機嫌が悪くないんじゃないか?文学館の学芸員に日影の人となりを伺ってみると、寡黙な人物で、人とは友人といえど一定の距離を保つ。しかし、探偵作家クラブの書記や幹事を歴任し、パーティー会場を手配し、と実務もバランスよくこなした人物。だそうで納得した。 そろそろ身体に取りかからないとならない。 知人が定年で郷へ帰るので、自分を作れないか、といわれている。考えて見ると存命中の人物は数えるほどしか作ったことがない。柳ジョージ、スティービー・ワンダー、BBキング、シュガー・ブルー、高橋幸宏、伊集院静、大崎洋。くらいではないか。こう見ると脈絡がない。一般人という意味でいえば、昔、某企業会長の亡き母を作ったことがある。以前書いたので詳しくは書かないが、戦災で写真も残っていない、というので老会長の想い出話を聞くことになったが、どうも変だ、と思ったら、記憶にもなく、空想話を聞かされていたのであった。それならそれで、と会長の好みであろう豊満な女性を作った。さらに骨壺の蓋に座らせて欲しい、といわれたが、そこまでは、と退散した。今思うと、足ならぬ尻に敷かれて眠りたい。谷崎潤一郎的趣味の人物だったのであろう。

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頭部完成。昭和30年代というところであろう。これなら私の江戸川乱歩と年代的に共演が可能かもしれない。やろうやろう、と思いながら、なかなか共演させられないのは、年齢が合わないせいである。 来年某文学館で、作家没後何年展にて展示の予定。そういえば東大医学部の標本室で、大きくて有名なこの作家の脳の液浸標本を見たことがある。浅沼稲次郎や誰だったか何人かの首相経験者と一緒に並んでいた。

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今の段階で撮れる物は撮った。最初は女将さん不在で店だけを撮っていたが、今では表情豊かな女将さんのカットが店を追い越す勢いで増えた。あとは再開を待つことにしよう、と思い始めていたのでカメラを持たずに家を出たが、日影丈吉の首を皆に見せようと戻った。玄関に置いていたカメラをつい手にした。 常連は店の再開を願い、女将さんのリハビリをお手伝いしている。営業中は有り得なかったが、好き嫌いの多い女将さんは、皆がいるほうが食欲がわくようで、皆が見ているところで夕食をとる。女将さんの夕食姿を肴にホッピーや酎ハイが飲めるようでないと、今の状態ではここに居られないだろう。 ここで女将さん、食後に喉を潤そうと思ったのか「ホッピー飲んじゃおうかなー」。大好きな酒粕でも酔ってしまう女将さんのいつもの冗談かと思ったら、焼酎の入っていないホッピーをチビリ。ホッピーの名店の80歳の女将が、はじめてホッピーを飲む姿を3カット撮ることに成功した。案の定、美味しそうな顔にはならなかったが。


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一日  


検索したら、すでに情報がでていたので。制作しているのは、10月12日から開催される『日影丈吉と雑誌「宝石」の作家たち』(町田市民文学館ことばらんど)用の日影丈吉である。写真資料に乏しく、若い頃から晩年までの容貌の変化する中から部分をチョイスして作った。情報にリンクさせるべきだが、このブログはガラケーで書いており、リンクの仕方が判らず。 K本の撮影は、休業中につき、店の奥が電灯も点けず暗いままで“K本のすべて”を撮影する目的は達成されないままである。しかし肝腎の女将さんの表情は充分撮影できた。 某新聞に、仮名ではあったが、常連客が代わりに接客しているようにもとれる記事があり、以来、記事を読んだであろう客が顔を出すようになったが、あくまで休業中ある。女将さんを励ましに常連が出掛けているだけなので、客を受け入れる状態になっていない。タウン誌深川の『常連席にて日が暮れる』は、休業中の店について書くのは、読まれる方に申し訳ないような気もしたが、編集後記に事情は簡単に書いてもらった。 本日は、先日8年かけて銭湯お遍路743浴場を達成したMさんに、組合理事長の認定証を見せてもらった。私には、どうやって感心してよいやら少々判りずらいが、とにかく凄い数字である。

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