明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



たまたまやっていると観るドラマである。末期癌まで治療してしまう、非常に腕のたつ医者らしい。しかし過去に何があったか知らないが、南の島にいるわりにボソボソボソボソと陰気くさい。飛行機が揺れている間中、スチュワーデスの表情から目をそらさない私としては、まっぴら御免な医者である。 それにしても三島由紀夫をやるなら筧利夫だろうと、いつも思うのであった。

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先日、門前仲町の赤札堂の食品売り場で、見たことがないほどのタレ眼の女性を見た。東西線の車中では、中年男の頬のたるみ具合がディアギレフ。某展示会場にいたアーティストがまた日本人離れした風貌で。門前仲町では、前を歩く中東人風の男の、後ろから見た肩の辺りがディアギレフであった。ここ数日、私にディアギレフの”部品”を見せるかのように目に付いた。 私が人形制作という役柄で、何かの物語に出演しているような気分になるのは、こういった”わざとらしい”出演者に、目の前をチラチラされる時である。かつての『ブー・フー・ウー』の黒柳徹子のような存在が、人形を置いたり、陰でクランクを回しているのではあるまいか。でなければ私はノイローゼであろう。 門前仲町の古本屋にて『白髪小僧』夢野久作著作集3(葦書房)を購入。その他新潮や小説新潮臨時増刊の名作短編特集、昭和の文学特集などがズラリと置いてあったので片っ端から。これからの冬に向け寝床の友を確保。 キャピトル東急が取り壊されるそうである。私がスティービー・ワンダーと会ったのはここではなかったか。前日、知人に餃子を御馳走になり、気になったのを思い出した。

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一日  


椅子に座るディアギレフ。イメージはすでに決まっている。もちろん実際に写真に残されているポーズなどさせる気はない。できれば一目でディアギレフの人となりが判るような雰囲気にしたいものである。それにしても椅子が厄介だよなあと思っているところで、友人Sと近所で飲むことに。 昔から駄ボラばかり吹いている男だったが(どんな駄ボラだかは、友人と書いている以上、私が恥ずかしいので書かない)十幾つも若い奥さんをもらい、なんだか以前より落ち着いてきたから不思議である。というより、彼が落ち着くくらいだから、結婚というものの過酷さが窺い知れるというものである。 ドブロクは後から効くから気をつけろと言っておいたのだが、二軒目にはいつもの焼き鳥屋K越屋へ、8時だから閉店しているが、電気が点いているので開けると、昨日から旅行へ行っていて、今日は休みだったらしい。まあいいから入れと言うので始める。九州から馬刺しが届いているということで、楽しく飲む。宴もたけなわの頃、例によってSの奥さんから電話。例によって『電話の向こうにいるのはパットン将軍か?』ということでお開きに。あとで聞くと、電車を乗り過ごして、大変だったらしい。

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氷点  


先日知人と話していて『氷点』またやるらしいけど、どんな話?昔から、たびたび映像化されていたが、原作も読んだことがないし、一度も観た事がない。あらすじを聞いていて、「誰だ、そんな話考える奴は!」 私は女流作家は作らないのかと良く聞かれるのだが、考えてみると、女性の小説自体、ほとんど読んだことがないのである。ノンフィクションならけっこう読んでいるが、作り事の世界は元少年だった作家に限るようである。 ドラマの方はというと、後半は特に原作と違う部分があったそうだが、キャスティングがなかなか魅力的だったし、全2回なので観ることができた。

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ディアギレフの巨大な臼型福助頭には、すっかり苦労させられたが、こうなったら、よほど楽しませてくれなければ我慢できない。始めに制作したディアギレフは、ただ立っていたが、リニューアル版では、そんなことでは、とても許せない。 しかし、立っていないとすれば寝てるか座っているかだが、寝ているのはともかく、座らせるとしたら椅子はアール・デコであろうか?嗚呼イヤだ。 楽器を作りたくなくて作家シリーズを始めたのに?頭部ができて、これから作る楽しみが待っているというのに・・・。

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バレエ・リュスの衣装デザインから背景まで描いていたレオン・バクストが残した、有名なディアギレフの絵がある。私はディアギレフを始めて作った当時、その流れ落ちそうな目尻の垂れ下がり方が信じられなかったのだが、角度によってはそう見えるらしい。そもそもバクストの作風からして、そんなことを強調することはあり得ない。 バクストではないが、ディアギレフを描いた数カットのデッサンがある。私は、オデコばかり強調して、ふざけるなとばかりに、以来一瞥もくれなかったのだが、今日久しぶりに眺めてみると、私が手にしているディアギレフの頭にそっくりなのである。『なんだ、ホントだったのか・・・。』大変失礼しました。 ホントーに厄介な頭である。今のところ、ディアギレフの横顔は、帽子をかぶって額が隠れている写真しか見たことがない(あとはデスマスク)その頭のせいで、難産で母親が亡くなったらしいが、一番厄介だと思っていたのは本人かもしれない。

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ベニスに向う列車内で、世紀末から20世紀初頭のサロンの女王ミシア・セールとディアギレフが写っている写真がある。ミシア・セールはディアギレフ曰く”何ひとつ月並みのものがない女性”ということだが、ポリニャック大公夫人、ココ・シャネルと並んでバレエリュスの重要なパトロネスの一人である。車窓からの光で、ディアギレフの顔が逆光となり良く見えないのだが(異様な額の形はわかる)ミシアにディアギレフがじゃれついているかのようである。バレエに大金を注ぎ窮地におちいると、こんな感じで金を引き出していたのだろうか?ケチなシャネルからも引き出しているのだから、たいした人物である。 それまで女性が中心であったバレエからニジンスキーを始めとする男性舞踏家にスポットを当てたのはディアギレフの功績だが、今にしても客の大半は女性なのであるから、そうでなければバレエの興隆はありえないであろう。 

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「おいおい、いたじゃねえか俺も犬捕まった時」「そうだっけ?」「犬殺しのオヤジに話しかけること自体が怖かったよ」「べつにあのオヤジが殺すわけじゃないだろ」「そうだけどさ。 バキュームカーのホースがブルブルやってる上に乗っかって遊んでて○○○が△×◇□※したの覚えてるか?」「あれは○○○じゃなくて俺だよ・・・。」「汚ねェなあ」「忘れてたこと思い出さすんじゃないよお前は」 「乱歩はもう作らないのか?」「一応一段落」「知り合いの大学生が乱歩ファンらしくてさ、けっこう色々読んでるらしい」「乱歩は古くならないからな」「やっぱり子供の頃は少年探偵団だって」「だろうな」「だけど全然怖くなかったって」「そりゃあ今読んだら怖くはないだろ?」「だから言ってやったよ。少年探偵団は東京オリンピック前の東京知ってる奴しか、あの味は判らないってな。」「あたぼうだよ」「だよなー。やっぱり東京は、オリンピック前だよな」「戻りたくはないけど」「俺も」

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フィリピンで犬に噛まれた日本人が狂犬病で亡くなった。36年ぶりだそうである。私の子供の頃は狂犬病という言葉も、まだリアルであった。 狂犬病で思い出すのがグレン・フォード主演『恐怖の48時間』66’である。自分の飼い犬に噛まれ狂犬病に罹った医師が、48時間以内に街にたどり着いて、ワクチンが間に合うかという映画であった。急いでいるのに人を助けたり、なんだかんだと邪魔が入ってハラハラするというストーリーだったと思うが、狂犬病は別名恐水病といって水を恐れるらしく、男が途中、水道水や、湖だったかを見つめては、病気の進行具合を確認するというような場面があったような気がする。そんなバカなと思うのだが。 そういえば昔は、野犬狩りの車を目にしたものである。棒の先の針金のワッカに近所の飼い犬が捕まって、「おじさん、そいつ野良犬じゃないよ!」あの時はあわてた。

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ディアギレフ難航の理由は、以前手に入らなかった資料を入手したことによる。それらを並べてみると、その造形は同一の人物とは思えないくらい違いがある。キャプションがあるからディアギレフなのかと思うくらいなのである。あちらを立てればこちらが立たずで、判りやすくいえば、鉄腕アトムのツノはいったいどっちを向いてるのだという迷路にはまった。(先日TVで明日のジョーのフィギュアを見たが、苦肉の策とはいえ、実に珍妙な前髪であった)よけいな物を手に入れたものだと思ったものだが、マコトなど写さないレンズも、この手のウソはつかないことは解っている。そうこうして先日、三島の写真資料の件で惑わされたことに気がつき、ためしにディアギレフの写真を並べてみたら、一転、すべて同一の人物に見え、形が良く見える。 視神経の奥の脳ミソは、常に柔らかくしていないとならないと反省した次第である。私はあまり集中して励むとロクなことにならない。


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どうも納得ができない。知人や、飲み屋の常連に、三島できたよと見せていながら、何かすっきりしない。完成してるから、もういじるなと言われても、何か引っ掛かっている。諦めが悪いといいながらこれは尋常ではない。しかし今日、その理由がはっきりした。 私の中には、私なりの三島のイメージがある。それを作るにあたり、当然、残された写真をかき集め参考にするわけだが。三島はレンズを向けられ、自分をさらけ出すような人物ではない。それは徹底していて、笑っていたってウソくさい。実像を写そうとすれば、一人でいるところを隠しカメラで狙わないかぎり無理であろう。(それでも可能かどうか) 写された写真と、私の中のイメージのズレが、完成を拒んでいたのである。マコトを写す写真という言葉を嫌悪し、さらに私は人体模型を作っているわけではないと言っていたのに。写真が多数残されていたおかげで、肝心なことを忘れるところであった。 写真を閉じ眼を瞑るべきであろう。写真をいくら見ても三島はできない。

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一日  


三島の頭部の仕上げにかかる。いつも最後は耳である。耳はポイントとして適当に付けておき、途中で付け替え最後に仕上げる。 散髪?していると下から鉛筆の跡が。そうとう迷走したので、下手したら昨年の三島かもしれない。 先日、三島が死の5日前にやっていた事を耳にし、さすが三島と感心。どうせ作るなら、こんな人物を作りたいと改めて思ったのであった。笑う人は笑うだろうが、本人は承知の上でやっていたこと。私が三島を笑ったのは小学生の時、TVで『からっ風野朗』を観た時が最後である。


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以前にも書いたが、人の顔を作る場合、真ん中で目立つ鼻などより、よっぽど額のニュアンスが大事である。額に比べれば、鼻はたんにウズタカイでっぱりである。額には前頭葉の内容が表に滲み出しているかのようで、後にライティングにて表情を抽出するためにも、ないがしろにはできない。 私が手がけた実在の人物で、表情豊かなオデコの持ち主はマルコムXと三島由紀夫が双璧であろう。三島の額は、三島が嫌った蟹の甲羅にもにて、実に複雑な起伏を持っている。というわけで三島の頭部が完成。しかし、もう、できた完成だと言わないでおこう。 知り合いの編集者から近所にいるのでと電話。彼は運が良い。ポケットに三島を入れて喫茶店へ。ひとしきり話した後、彼と別れてスーパーにて買い物。レジでポケットから手を出す時に、三島こぼれる。落とさないよう慌てると、レジのおばさんの前へゴトリ。おばさんの口から「ウッ」 これは失礼。


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海外のオイルプリントのサイトを教わったので見てみると、その人物は紙にゼラチンを3回塗布している。気持ちは大変良く解る。 オイルプリントは、用紙にゼラチンを自身で塗布するところから始めるのだが、発明されて数年後、既成の印画紙を使用したブロムオイルに取って代わられていく。私が知る範囲では、満足する出来を見せているのは、繰り返し転写し、諧調の深みを加えたブロムオイルトランスファーのように思えるのだが、オイルプリントの場合は、ゼラチンの厚みを自分で工夫できるので、満足いく諧調を得るべく、私は過去のテキストを無視して、ゼラチンの量を増やし、厚み増して行ったのだが、この人物も同じことを考え、3回も塗ることにしたらしい。 爪の先ほどのことだからこそ、地球のどこかで同じ事を考えた人物がいることを知るのは、インターネットの面白さである。言葉さえ判れば会ってみたいくらいだが、こんな人物に限って、実際会ってみたら嫌な野朗だったりして。などと空想することも楽しい。

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先月、今度こそ完成と言っていたディアギレフ。男は諦めが肝心であり、執着心の強い男はみっともないという風潮の、東京は某下町で育った私としては、実にカッコ悪いことなのであるが、また手を入れ、変わってしまった。これ以上私としてはやりようがないとまで言っておきながら実に恥ずかしいが、その時はそう思ったのだから仕方がない。思えば数年前に作ったディアギレフの表情に、いささか悲しげなニュアンスを加えようと思ったのが、暴走の始まりであった。それが今では、『貴族の血を引く男色家で、才能豊かな美しい男達を見出し育て、その男が女に走ればゴミのように捨てる。金持ちの女からは不思議と金を引き出すが、私服を肥やすことなく生涯ホテル住まい。ロシアからヨーロッパへバレエを逆輸入し、各芸術に大変な影響を与え、ヘアートニックの香りをプンプンさせて糖尿病で死んだ男』というものを(ロシアからバレエを~はともかく)一発で表現できないだろうかと考えているのである。 身辺雑記など始めたおかげで、とっくにバレていただろうが、私はまったく諦めの悪い男なのである。ホントは子供の頃から、一度だって諦めが良かったことなんかないのだ。見得をはるのは、なかなか辛いものである。

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