昨年出版した『貝の穴に河童の居る事』(風涛社)では、主人公の河童の三郎を、ばい菌恐怖症の鏡花がべとべとして生臭いと書いているので、そんな三郎を撮るのに、美しい描写をするレンズは必要なく、むしろ嫌な感じに写るレンズを使用するべきだと考えた。そこで2本ほど用意したのだが、描写に癖がある分、背景に合成するにあたり、その癖が背景と馴染まず仇となる。よってほとんど出番がなかった。使えたとすれば、舞台が梅雨時なのにかかわらず、梅雨明けに撮影するはめになり、わずかに陰鬱な描写を利用できたくらいである。しかし駄目レンズというものの、例えば曇りの日に苔を撮って、グリーンのあまりの美しさに驚いたことがある。一芸は持っているので飛び道具として侮れない。 ところで生臭くべとべとはしていないが、いずれ撮影しなければならない人物は、プライドは人一倍高いが、貧乏で借金にまみれ、自己嫌悪で酒なしではやっていられない神経衰弱のアル中である。常に喉の奥から胃液が逆流しているような表情をしている。しかも例えば縛り付けられた上から、刃がついた振り子が心臓めがけジワジワと降りてくる。そんな最低な状態に私にさせられる訳だが、そんな状態に、夢見るように世界を描写をする銘レンズを使ってどうする。という話である。幸い今回はモノクロームを中心に考えているので、色の再現性など気にする必要はない。そこで昨日、これはどうか、というレンズを2本ネットで注文した。明日にも届くだろう。評判が悪い分、安いというのが何よりである。
先日ブログに書かなかったが、青いサッカーボールのようなカメラを乗せた、グーグルのストリートビュー撮影車を清澄通りで見かけた。今年2度めである。前回は世田谷文学館の搬入の時だったから4月である。あまり外出しない私が2回もみかけるというのはよほど走り回っているのであろう。
※ 昨日フェイスブックにアップしたがこちらでも。現在のポー氏。災難が待ち受けているとも知らず、今のところ穏やかである。
世田谷文学館展示中
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