明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



待っていた写真資料第2弾がようやく届く。頭部はおおよそ完成していたが、見たことのない角度の写真があるなら見ておかなければ安心できない。ムスッとした写真ばかりだが、江戸川乱歩の横にいるカットは嬉しそうに見える。そうしたものであろう。 これで仕上げをすれば、今月中に頭部を完成させるという目標は果たせそうである。頭ができればできたも同然。展覧会の図録に載せるには来月中旬には写真がいるということだが、写るところができていれば良いだろう。この後、ひょっとしたら、初めて一般人を作ることになるかもしれない。

※タウン誌深川にて『常連席にて日が暮れる』連載中

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数少ない写真資料の中のプライベート写真。どこかの公園らしい。黒足袋に下駄。上着のポケットに両手を突っ込み、実に昭和な格好である。さらにくわえ煙草でムスッとし、実につまらなそうである。残された写真も少ないようであるし、単純に写真嫌い、と決め付けてしまったが。 撮影者は奥さんだろうか。そう思うと本人としてはポーズを取っているつもりなのではないか。あえてレンズを見ないようにしているし。木に寄りかかっている写真は、まさにそんな感じである。あきらかにポケットから出した、左手のやり場に困っている。ただしゃがんだ写真を見ると、お父さんあそこで撮りましょう、ここがいいわ、と(撮影者が奥さんだとして)奥さんの思い付きに従っているお父さんにも見えてくる。だったらどうだ、という話ではあるが、作るに際し、少しでも手がかりにならないか、と目をこらしているわけで、ポケットの中の小銭が多少増えたような気にでもなればそれで好いわけである。今月中に頭部が完成すれば上等であろう。

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先日は女将さんが、二升五合のキンミヤ焼酎とポーズをとっている所を撮影してしまった。いやはや。K本の愛猫モッコを撮った時、神経質なはずが逃げもしないでレンズを見る。シャッター切ったら次にアクビをして見せた。厨房担当のあんちゃん曰く「こんなの初めて」。それを耳にしたとき、女将さんも撮れると確信した。“将を射んと欲すれば、まず猫を射よ”というわけである。 人形制作と写真撮影は使う部分が違う。なので同時に進めると気分転換になり調子が良い。制作中の作家はK本と目と鼻の場所で明治時代に生まれ、平成になって亡くなっている。つまり亡くなったのはそれほど昔ではないのだが、ネットで画像検索してもほとんど出てこない。完成後、展示収蔵予定の文学館に雑誌に掲載されたカット、ご遺族からお借りしたプライベート写真をコピーしてもらった。どうやら写真が苦手な人物らしく、家族旅行の写真でもムスッとしている。肖像写真には、人にこう見られたい、という部分が出るものである。ならば、と。思いっきり乗っかって、くわえ煙草の苦味走った昔のドラマの事件記者みたいな方向で行こうと考えている。

※タウン誌深川 『常連席にて日が暮れる』連載第一回 或る酒場 発行。

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キンミヤ焼酎の専務が二升五合の祝80歳。女将さんの名前入りの焼酎を持って現れる。昔酒屋の奥に埃をかぶって飾っていたような特大瓶である。女将さんに抱えてもらって記念撮影。あと挨拶に来るとしたら某ビバレッジであろう。 それにしても女将さんの表情の変化がめまぐるしく、なかなかついていけない。この調子だと営業再開は早まるかもしれない。動きに関していえば、休業前と遜色ないように見える。あと肝心なのは、一部で◯大煮込みと呼ばれているらしい煮込みの再開であろう。 また再開したとしても注文時、耳の遠い女将さんと目が合うまで待てるくらいの客でないとならないだろう。

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一日  


女将さんに焼酎を注いでもらうと焼酎グラスが表面張力で膨らんだ状態までためてからジョッキに注いでくれる。これは素人がやろうとすると、こぼすことを恐れて上手くいかない。私は陶芸家を目指していたころ、様々なものをこぼさないようしていたせいか、上手く注げる方である。しかし女将さんは目が悪い。なのに何故あの芸当が可能なのか。ひょっとしたら、焼酎に当たる光たけを照準にしているのではないか。店内の電灯がまだ点かない時刻。手元は暗く焼酎の表面はみえない状態で注いだことがある。焼酎にあたる光の形によって、張力で膨らむほど入ったかどうか判った。対象部分に光が2点あることによって、グラスが水平を保っているかどうかも判断できた。ということかもしれない。いずれにしてもこの見事な手技をようやく撮影できた。さらに炭酸二本を同時に注ぐ姿も撮影。データを現像してみたら、背後で嬉しそうに拍手している人がいた。よくここまで回復された、と私も同様の気持ちである。ただそれも時間的にはまだ短く、満杯のお客を相手するには、まだ当分かかるだろう。もともと写真嫌いな女将さん。当初レンズを向けるとけげんな顔をしていたが、ここの所はまったく意識しない、良い表情が撮れている。写真の主役は被写体であろう、と改めて。

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盗作  


近頃盗作について耳にする。知らなかったから良いというものではないし、常習犯の可能性もでてきている。他人のやらないことをしたいと、ああいった仕事を目指して始めたのだろうに。 私も一度、黒人のコーラスグループの人形をある商品にパクられたことがある。弁護士に中に入ってもらい、話あった。向こう側は、デザイナーは私の作品を知らなかったというが、某イラストレーション雑誌の表紙になっていたし、シャッターのTVCMで人形アニメーションにもなっていた。小さな商品で作りとしてはちゃちな物で、パクられた、というほどのことではなかったが、3人のポーズが一緒のところにムカついた。せめて左右を逆にするとか気使いを見せていたら、文句をいう気にもならなかったのだが。そんな程度の気使いもしない、あるいはできないデザイナーに腹が立った。結果製造を取り止めさせることができた。 この時、相手は3人であったが、一番の上司であろう男が、かつての東映の時代劇スター東千代之助の晩年ににそっくりで、それが気になってしょうがなかった。サラリーマンがよりによって東千代之助に激似とは。両隣の部下は判ってるのか?いいたくてしょうがなかったが、そういう場ではないので我慢した。 弁護士は真似されるというのはそれだけ作品が良いということですよ。などと私にいったが、真似しようって思われた時点でダメではないか。と思った。

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ホッピーのジョッキがスゥインググラスのように揺れているのを見た。揺れている間に2カット撮ったし、隣のTさんも観ていた。こんな座りの良いものが、と底を見たが、ただまっ平ら。酔っぱらいにとっては不思議がるようなことではないのだろうか? 400カット弱の調整をおおよそ済ませる。K本の照明は長年普通の蛍光灯であったが、突然電球色の蛍光灯に変わった。まだ一年経っていないだろう。店外から見ても、その赤味を帯びた光はほっとさせてくれたものである。おかげで早い時間の外光だけ、そこに店内の灯りが混ざり、最後は店内の灯りだけ。という各種の雰囲気が撮れたことはラッキーであった。メリハリも付く。撮影開始直後には、常連席のカウンターに、女将さんが立ち上がるのに良いだろうと、真新しい白木の、昔でいう“踏ん張り棒”が設置されたし。古色を帯びたカウンターに、あれは今後も白いままであろう。今のところ、あれにつかまった女将さんを見たことはないが。

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店に絡みついているムカゴはこの日照りで、葉はすでに黄色く変色して大きくはならないそうである。よって葉の陰にあるものがかろうじて。

お盆休みといっても特に。地元の祭りくらいである。

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古いレンズとはいえ、ピントを外したカットがあるな、と思っていたら視度調節が狂っていたのに気づいていなかった。 大正時代のコダックの単玉レンズの絞りを全開にして、ソフトフォーカスレンズ化したべス単。これが性能がよく、絞っても使えることを遅ればせながら知った。しかしK本にべス単ではあまりにノスタルジックに過ぎる、と思っていたが、視度調節をしたこともあり使ってみたら、特に過ぎることもなく、詳細に写したくない客を、とろけさせることができ、こんな使い道があったとは。 そんな時、女将さんが突然、あるアクションを始め、しかたなくべス単を向ける。身体に染み付いたよどみのない動きが実にスムース。帰宅後データを現像。撮り始めの頃の女将さんのカットを次々削除。改めて見るとここ数日と表情がまるで違う。

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豊かな表情を客に向ける女将さんだが、それとは一味違う表情を1カットものにした。毅然としていて重味がある。ただ飲みに来ていると、気がつかない表情である。こんなカットが撮れてしまうと、方針が微妙に変わって来てしまうが、それはそれである。撮れずに変わらないよりよほど良い。 こうなったら後はアイドルの写真でも撮るつもりで81歳になる女将さんを撮っていればいいのではないか?昨日カウンターのそこここにあった花がない、と書いたが、誰かが持ってきた豆っぽい草が置かれていた。 タウン誌には現在休業中と後書きにでも入れてもらうことにした。

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それにしても、お婆さんを被写体として撮ることになろうとは、まったく想像していなかった。 たまたま休業ということになり、客の邪魔をせずに撮影ができる、と近所のサンダル履きで行ける軍艦島でも撮っておこうぐらいの気持ちであった。 店内で撮っていて、何か寂しいと思ったら、花好きな女将さんが飾る花が活けられていない。私は特に花に興味はないが、潤いに欠けることは判る。それはともかく。そうこうして、店内のディテールを少しづつ撮りためてきた。後はまだ撮っていない防空壕の蓋、常連席の補助板、暖簾を外に出した所。あたりだろうか。女将さんが復帰したなら、グラスに表面張力一杯に注いだアップ、炭酸を二本いっぺんに注ぐところ、チョークでカウンターに逆さ文字で計算するところは是非押さえておかねばならない。もし常連のだれかが出禁になってくれれば、その場面も撮っておきたい。二度と復帰はできないけれども。そういえば、来年定年で郷に帰る人がいるから、ひとつどうだろうか?間違いなく諦めはつくだろう。

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女将さんを撮っていると、表情が豊かなことに改めて驚く。2週間前はぼんやりしていて、なかなかレンズを向けられなかったのだが。そう思うと、周囲を客に囲まれ、それぞれに様々な表情を振りまき対応していたからこその女将さんだったのだな、と気付いた。混んでいて他人同士が肩寄せあっている状態でも、一人一人に別の表情で接するのは中々できることではないだろう。客はその間、女将さんを独占している気分なのではないか。何しろ咄家を撮影したかのような表情の変わり方である。店内の撮影では客の表情を撮らず、空気感が出れば、と考えていたが、それに対応するのが女将さんの表情だと考えてはいたが、ここまでの表情を見せられると、女将さんのキャラクターが重要になってくる。主役不在の間に舞台を撮影していたのだから、主役が帰ってくれば、やはり主役だ。となるのは当然のことであろう。リハビリ期間は当然必要だが、復帰は間違いないと、ファインダーを覗きながら。

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今日女将さんが、たまたまホッピーと炭酸の空き瓶をケースに仕分けたのを見た。そもそも店の中心の、そのポジションに立った所を見ること自体が久しぶりなので、あら?と思う間もなく、無意識にやっているのであろう仕分けのスピードに驚く。女将さんの真似をしてみてオタオタしたので良く判る。ますます陽が昇る日が近いと思ったのだが、そんな技を見せてしまったせいか、一瞬照っただけでお休みの時間。 タウン誌1P。840字ぴったりで入稿したが、966字に増やせとのこと。減るよりは良い。

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一日  


K本の店内は外光のみ、外光プラス電灯光、電灯のみ、とそれぞれ表情が変わり面白い。そこへもってきて、絞りが壊れて解放値専用のレンズを使ってみたら、妙にコクがあり、特に夕日や電灯色の赤みを帯びた描写がどうやらK本に向いているようである。私は縦位置に撮るのが好きで、意識しないと横位置の写真が少なくなってしまう。思い出しては撮っている。 営業再開したとしても、今時は客を撮るのは面倒なことになりそうである。結局顔はできるだけ入れず、空気感重視でいくことにした。しかし女将さんがいなくては画竜点睛を欠く。先日、実に良い表情が撮れた。後は営業再開をして、焼酎を注いでいるところを撮らせてもらえれば良いだろう。

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