明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



木場の河本のカウンターにワックスをかける。どうするかは未だ未定。物の存在感というのは特別である。私は本来、写真が最終形態であり、自作の被写体は内緒にして謎のままにしておきたいくらいで、作品を買っていただいた方だけに、競馬の予想屋のように、こちよこちよと書いて、そっと渡す、なんてやってみたいものだが。人形があった方がが良いといわれるから参考出品している。 そもそも頭に浮かんだイメージが、本当に頭の中にあるのかどうか、制作して、物として目の前に提示して確認したい、という私からすると、思い出や、イメージも良いが、実物が目の前にある良さはある。この板一枚で、その上を猫が歩いてい光景や、出禁になった人や、死んでしまった人の顔も浮かぶ。解体現場から救出した甲斐はある。閉店間際、椅子やらなにやら持ち帰った人が居たというが、家で愛用している人はいるだろうか?尻の感触で河本は甦らないだろう。 昔、郷に帰って河本を再現した店をやろうと、店内の寸法を計って帰った人がいたらしいが、おそらく叶うことなら、と私と同じことを考えた人はいるだろう。しかし、あんな埃にまみれ釘が出ている板切れを家に持ち帰って、無事に済む環境にいなければならない。そんな環境にないからこそ、河本でグズグズ飲んで、不思議なくらい家に帰ろうとしなかったに決まっている。私に向かって「家に何台洗濯機あると思ってんですか!」といった娘を持つお父さんにも、是非、自身餓そこにホッピーの瓶を並べている写真とともに、カウンターに触れさせてあげたいものである。

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幼なじみの友人Nと中学か高一の時録音し、ラジオの自作自演コーナーで放送されたカセットが出て来たが、聴くのが怖いし、装置もないということまで書いた。実は先月、レコードやカセット、ラジオが聴けるおもちゃみたいなプレーヤーを買い、すでに聴いていた。当ブログはウソは書かないが、都合の悪いことには触れないというのがルール。 その幼稚園からの友人Nとビートルズにはまり、ギターをかき鳴らした。フォークギターに、段ボールのバスドラ、タッパウエアのタムタム、蒸し器のハイハツト。ステックだけラディック。これで始めた。Nは電気に強く、しよっちゆう秋葉原に出掛けていた。ギターの前にコードブック、エレキギターの前にまずアンプから、という奴で、アンプの中古を見つけてきて、大きなスピーカーボックスを自作した。そうこうしてある日、秋葉原で1000円でエレキギターを買ってきた。ネックがやたらと太く、技術家庭科の本箱等で、お馴染みのラワン材。お互い始めて触ったエレキである。今でこそ国産ビザールギターと称され愛好家も多いが、当時はなんといってコピーモデルの時代であった。彼は十年数年前に亡くなったが、おふくろさんからNの物をもらってやってくれ、といわれてお邪魔した。最初に浮かんだのは、Nがバイトして買ったグレコのレスポールではなくあのギターであったが、彼とは二十年は会っていなかったので、すでに処分していたか、もらわれていたか判らないが、興味はカメラに移っていたようであった。 ところで朝ネットを見ていたら、ジミ・ヘンドリックスが、60年代に使っていたという、日本製ギターがオークションに出品され525万から、という記事を読んだ。まさにNが秋葉原で1000円で買ってきたあのギターであった。トレモロユニットがわずかに記憶と違っていたが、腹ペコの中学生が始めて食べたご馳走であるから忘れようもない。手の小さいNには弾きずらそうだったが、ジミヘンの手ならまったく問題なかったろう。ところで件のカセットにはNがなにやら作曲に四苦八苦してる様子が延々と入っていた。これは私がオリジナルをやろうと主張したせいで、おかげて我がバンドは以降上達することはなかった。

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金魚の飼い方に、名前を付けてはいけないと書いてあった。子供の頃に金魚に死なれて、もう飼いたくない、といいながら釣り用のボートにその金魚の名前を付けた友人がいて、「お前金魚に名前付けてたろ?それがいけない。」なんていっていた私だが、今回は、最初に名前ありき、役柄に合わせて金魚を選ぶ、というおかしなことになってしまった。 しかもすでに別名迄付けてしまっている。寒山と拾得は、桜東錦という金魚で、桜が、その色から来ているものかは知らないが、桜色をしたアンコ型である。第38代横綱に 照國万藏というのがいた。気が着いたら真綿にくるまれるようにして土俵を割っていた。という力士でアンコ型でリズミック。次第に上気して桜色になることから"桜色の音楽"と呼ばれた。秀逸なネーミングである。そこで、寒山と拾得を、それぞれ照國と万藏と名付けた。勿論水中の金魚に名前を呼ぶことはないけれども。ヤフオクで拾得が常に持っているミニチュアのホウキを入手。このままでは浮いてしまうだろう。 まだ作り初めてもいない寒山拾得。馬鹿げた話であるが、私には判る、深いどこかで静かに燃え始めている。昔の母であればいち早くそれに気付いてゾッとしていただろう。 可愛い照國と万藏をアップしたいのは山々ではあるが。何しろ生き物である。金魚は上手に飼えば十年は生きるという。しかし生き物のことは判らない。数年前まで飼っていた熱帯魚、フラワーホーンは、タフな魚で、何度も繁殖させたが、私が飼うと、30センチがせいぜいで急に調子を崩し、死なれてきた。止めた理由もそれであった。東南アジア等で、風水にもとずいて作られ、遺伝的な問題もあるのだろうか。そう思うと、作られたといえば金魚など最たるものであろう。幼い頃の金魚すくいの金魚以来であり、あまり自信がない。名前を付けるのは少々早すぎた。

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スケッチブックに何か描いて構想を練ると、往々にして、最初の一枚目のイメージが固定化してしまい、面倒なことになる。メモ用紙の悪戯描きを深夜ゴミ箱あさって探したこともある。よって本当はあ ああだこうだ、とスケッチブックブック相手にやりたいのだが、一切やらない。だがしかし、人間が登場しない芭蕉庵だったら大丈夫であろう。スケッチブックと鉛筆と物差しを買って来た。遅くとも、今月中に寸法出しは済ませたい。深川は水が出やすい土地であるから、床下を高めにしたい。どんな高さに設置されるかにもよるが、屋根が邪魔で、芭蕉が良く見えないのも困る。門弟の中には、そこそこの商人もいたようだし、それなりの庵だったかもしれないが、華美を好まない質素な人物だったそうであるし、俳句の枯れたイメージもあることだし、と芭蕉像制作時にいっていたことと一転、パブリックイメージに殉じようという、私である。しかし記録が残されているわけではなし、様々な人が描いた芭蕉庵も憶測に過ぎない。そうであれば、パソコンの空き段ボール箱を乱歩が潜む屋根裏に仕立て上げた経験しかない私とすれば、美しい芭蕉庵よりは、経年変化も著しい、ボロ屋を作る方が面白いに決まっている。先日のグループ展に出品した、人形制作者の仕事場風景には、しゃれこうべが置いてあったが、何人かの方に「ホンモノですか?」と聞かれた。澁澤龍彦邸の骸骨でさえレプリカであるから、私の家にホンモノがあるわけがない。単なるプラモデルである。しかし撮影用に、と、リアルな塗装をしているうちにやり過ぎてしまい、夜が明ける頃には、すっかり佃煮じみてしまった。つまりやるなら醤油で煮しめたような芭蕉庵の方が、作るなら面白い。

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ベランダで金魚を飼うためセメントを練るときに使うを注文。昨日もらって来たホテイアオイを入れよう。そもそもいただいた玉サバという種類の金魚に目覚めさせられたのであったが、我が"寒山拾得劇場"のキャストを考えると、主役がヒラヒラした尾びれの桜東錦となると、とフナ尾の玉サバが元気で目立ち過ぎ、ベランダに"出向"を命じざるを得なくなった。餌みんな食っちやうし。もっとも自然光を浴び、ホテイアオイもあり、金魚にとってはこちらの方が快適に違いない。 友人が今度は家で金魚の撮影か?どういう風に出品するのだ?というから金魚なんて出品しないよ。ただ眺めるだけだと聞いて呆れる友人。今度ばかりは私が自身が呆れている。だがしかし、腕組み眉間にシワ寄せていたら100%何も浮かばないのはわかっている。もし何か浮かぶとしたら金魚を眺めている時だろう。 金魚の動きをただひたすら目で追っているだけで、何も考えない。これは好都合なツールとなるだろう。 釘抜きを買って来た。先日解体現場から救出して来た木場は『河本』のカウンターから釘を引っこ抜くためである。思い出は心の中にあれば良い。勿論である。しかしこの年期の入ったナラの一枚板に、手術を終えた大門美智子のように手を添えたならば、間違いなく遠くを見る目になるだろう。昔、私か河本で撮影した、長見順さんのCDジャケットをアップ。我が家にあるのは、労働者風のオヤジ、しかして実体は怒涛のドラマー岡地曙裕さんの、あのカウンターである。


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石塚式ピクトリアリズムは、そもそも小さい人形が被写体であることが前提で、切り抜いて配するので写真の空気感は犠牲になり、レンズの味は邪魔になるだけである。そうするからこそ、初めて日本画調になる。グループ展に出品していのは、オイルプリントの再興しか頭になかった頃の作品である。レンズはニューヨークのロチエスター辺りに点在した、小さなレンズ工房の一つで、名前からすると、ドイツからの移民だろう。5×7インチ用ぐらいの広角レンズで、前玉をはずして焦点距離を2倍に伸ばして使った。絞りはなく、シヤッターは、何かのキャップだった。お陰でレンズの味、空気感は過剰に出ている。それから幾年月。写真から陰影を排除することになるとは。まさに"思えば遠くに来たもんだ'。感慨深い。 豊干禅師のイメージにピッタリな渋い青文魚を入手し、続いて脇役のつもりで入手した志村養魚場産桜東錦があまりに可愛く、主役の一人拾得に昇格。となれば寒山も桜東錦で、と寒山顔を時間をかけて選んだ。方向性が決まって来た。キャラクターに合った魚を選ぶ。といっても単に私の思い込みであるけれども。ペット愛好家の親バカ症状が、早くも現れて来ている。それまで嫌いだった物が好物に変じて来た私だが、こうなると、本郷の金魚坂に今行ったら昨年とはまったく違って見えるだろう。嫌いな物が好きに転じた場合の前言翻しぶりは、私にはお馴染みの物で、何も感じなかった物が輝いて見えてしまう。よって冷静さを欠きつつある今は、行ってはならない。この水槽内に、こんな配役が必用、と目ぼしがついてからにすべきである。今行ったら、登場もしない役者をスカウトしてしまうことになる。ただし今回に限っていえば、寒山拾得制作のため、という大義名分があるので、金魚をただ眺めていても罪悪感を感じないところが喜ばしい。 しかし金魚を飼うことが何故そうなるのか?やってる本人が判っていない。いや、寒山拾得を解ってやるなんていう奴が今までいたのだろうか?解っでいないからこそやるようなモチーフなのではないか?なんだそれは?私は何をいっている。

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今にして思えば5月の『三島由紀夫へのオマージュ展 椿説男の死』は、コロナ禍のその後の状況を考えると、延期せず決行して本当に良かった。ハードル間隔を突然変えたら.保っていた歩幅がガタガタになっていただろう。お陰でそれまでのスピードを保ったまま、ゴールを駆け抜けることができ、寒山拾得に見立てた金魚の水槽は眺めている。水槽の金魚を二年間眺め暮らし、寒山拾得展に備える、なんてことを本気で考えてはいなかっただろう。60センチの水槽内に金魚を揃えているのは、確かに寒山拾得の制作のためだが、他にどんな策があるというのか?後は寒山詩集を読むくらいしか思い付かない。といいながら、満更悪い策ではないだろう。とどこかで思っている。 日曜日が最終日の江東区文化センターのグループ展は、どうもメンバーの方々には出品作『E嬢像』が私が作った人形と思われていたようである。私はほとんど女性を作らず男性ばかり作っている。様々な理由を申し述べて来たが、同じ手法、同じサイズで男女を同じ土俵に上げられる気がまったくしない。男性漫画家には、男のキャラクターにはバリエーションがあるのに、女は皆同じような顔なんて人がよくいる…。あれは私には良く判る。逆に女性の漫画家は、中年男が宝塚見たいで冴えない。まあ色々事情がある。 文化センターを出たところで、先日センターの金魚をいただいた管理者の方に声をかけられる。そして見た目はトウモロコシの軸みたいな、盧材をいただく。素焼きの焼き物状の物で多孔質で、そこにバクテリアが住み着き、水を浄化するという。帰宅後、洗濯用ネットを買いそれを詰め込み水槽へ、さらにいただいたペットボトルのバクテリア溶液を投入。子供の頃はバクテリアのことなど知らず、バクテリアを単なる汚れだと思い、水道水の塩素で死滅させていた。


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新しい金魚が新たに水槽に参入するたび、眼を開かされ、イメージにも変化がおき、よってキヤストの変更を余儀なくさせられている。脇役で買ったはずの桜東錦。頭の肉瘤、フラダンスのような泳ぎ、両方ともかつて金魚の嫌いな要素であったはずが、それが見たくて水槽の前に行く。写真、パソコンなど、嫌いだった物に限って創作上の大事な手段に変じてきた私だが、嫌いだった物が好きになると、深い影響を受ける。それにしても新たに魚を水槽に参入容れるときの楽しさは、子供の頃と変わらない。寒山拾得'には寺の僧侶など、まだまだ金魚を導入する余地はあるが、最終的に室内の水槽は寒山と、拾得、豊干の"三聖"と虎に限り、後のキャストは大部屋行き、ベランダ住まいとなるだろう。そちらの方が管理はしやすいらしい。そもそもは金魚は、上から眺めるものということになっている。 何が原因か、あまり良くなかった体調も少しずつ上向いて来ている気がする。動き出しの目眩はまだ残っているが、ゆっくり行動すれば。さっそくホームセンターに行き、桜東錦をもう一匹。家にいる方が、なんとなく拾得という気がしたので、寒山という顔をしているのを探す。特に好ましい特徴があるわけではないが、あれが拾得ならば、これが寒山かな、というのにした。やはり主役を決めてから脇役を決めべきであった。なにしろ最初の四匹は、雨の中かろうじて捕まえられた玉サバで、選らんだわけではない。肝心の寒山と拾得と豊干が、泳ぎの下手なしっぽの持ち主で揃ってしまい。フナ尾で泳ぎの上手い連中は寒山拾得劇団からはじかれることになりそうである。しかし、私に金魚の良さを教えてぐれた功労者達である。大事にしよう。実はつい最近、愛情がなくなった魚を邪険にした友人が、その水槽に新な魚を入れると翌日死ぬことが続いた。幼魚とはいえ、タフで知られた魚だったのだが。冗談で盛り塩しろ、といったらおさまった。

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キャストが決まった、といいながら、ウチに新たに来た桜東錦を見ていたら迷いが生じてきた。らんちゆうのような肉瘤に覆われた顔がなんとも愛敬がある。子供の頃はどこが良いのだ、と思っていたが。いわゆるキモ可愛いという奴か。ちょっと空気の読めない役人閭丘胤の役よりも寒山じつとくに通じる物がある。ホームセンターには、うなるほど居たので、その中から、たやすく似たような相方を選ぶことができるだろう。急遽主役となった。マンガが原作の映画などは、多少演技に難があつても、原作に似ている配役が良い。それと同じである。豊干がピッタリだったせいで、頭の中で思い込まなければならないなら、イメージにあつている方が良いにきまつている。これで明日、相方を探せば、後のは、残りの中から決めるか、また毛色の違った、例えは出目金辺りから探しても良い。余った連中は、ベランダで飼うことにしよう。 これで2年間眺め暮らす予定の"寒山じつとく"は、結団が見えてきた。連中を背景に、寒山詩のブログ、またはせっかく泳いでいるのだから動画にしても良い。いずれにしても制作に対しての備忘録にもなるだろう。

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金魚の餌はせいぜい1日1、2回で良く、やり過ぎないのが長生きさせるコツなのだが、魚を飼うのが久しぶりなこともあり、ついほんの一つまみを何度も、これは良くない。隠れて眺めても、エサを欲しがりじたばた。 小学生の頃は、友人宅によばれる時は、母が他所様でガツガツしたらみっともない、と食事してから送り出されたのを思い出す。 その母は最盛期は80キロ超級を誇ったが、私がおっぱいを吸い過ぎ、お腹が減っ たからだ、とすべて私のせいにしていた。それはともかく。水槽内の寒山拾得、豊干がピッタリだったことから、全体のイメージが決まって来た。虎はともかく、まもなくキャストがすべて決まるだろう。 豊干禅師こと青文魚は中国から輸入されたらしい。そう思うと、黒い体色も僧衣のように見え、僧衣の下から透けるいぶし銀がなんともいえない。地味で一匹だったら飼う気はしない、といっていたが、今は一番見ている。 本日ちょっとした打ち合わせを済ませ、ホームセンターに材料を探しに。ついでに、ついペットショップへ。そういえばもう一人、閭丘胤(りょ きゅういん)がいた。説話の始まりは役人である閭丘胤が、頭痛に困っていたところに豊干という旅の僧が現れ、閭丘胤の頭に含んだ水をプッと吹き掛けると頭痛が治ってしまう。そこから話は始まり、最後に、なんとも置いてきぼりな空気にさらされて終わる。その閭丘胤を忘れていた。と思ったら、かわいい金魚を見つけた。これで本当にすべての登場人物が決まったのではないか。後は、石や流木で中国の山中を模してレイアウト。 私はどうも二年後の寒山拾得展のため、毎日この60センチ水槽内の金魚を眺め暮らすことにより活路を見いだそうと、どうも本気で考えているようである。寒山拾得で個展をやる、などという人間の考えることは良くわからない。

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本日からまで8×10インチサイズのカメラを使ったグループ展に参加する。オイルプリントを拡大した作品を展示するつもりであったが、さる事情で、使用しネガを使った作品二点となる。撮影したのは20年以上前である。個展技法オイルプリントは、感度が低く、引き延ばしができないので、当時は作品サイズに応じた大型カメラを使う必要があった。だがほどなく、イメージセッタという街の印刷屋の印刷用ネガを使うことを思い付き、35ミリカメラでの拡大作品が可能になった。イメージセッタは夜中も稼働していたので、個展が近くなると、自転車で良く往復したものである。そうこうして、デジタルネガの時代になった。いずれにしても、廃れた技法に孤軍奮闘していた1990年代の想い出である。一点は、気圧の変化で気分が変化するタイプの女の子。もう1点は某人形制作者の室内の有り様である。たいした物ではないが、この人形制作者は、坂口安吾の部屋程度の散らかり様で、世間は何を驚いている。と思ったそうである。 会場の前には錦鯉の池があり、階段状のフィルターシステムはホテイアオイが繁茂している。先日、放流している管理者から、金魚をもらったばかりである。 ここのところ調子が悪く、そろそろ帰らせてもらおうか、と思っていたところにある情報がもたらされた。 私は64年の東京オリンピックのせいで、東京がどう変わろうと無くなろうと不感症になったてしまった。しかし唯一残念なのが、30年以上通った木場の煮込みとホッピーの銘店「河本」の廃業である。本日、解体が始まり、目撃した常連から情報が入った。解体作業員が親切で、一枚剥がしてくれた。サーフボードのように抱えタクシーで運んだ。 さて切り刻んで煮出して染み込んだ煮込みの香りを思い出すのも良し、百年前の暖炉の木でギターを作ったブライアン・メイを気取るのも良し。その場合、ピックは女将さんが愛用した栓抜きを加工するが良いだろう。

http://www.tokyo8x10.org/


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ここ2、3週間どうも体調が悪い。異様に眠かったり、立ち眩みがする。どうしても外に行かなければならないときは、立ち上がって行動する前に、椅子に座り、しばらく安静にしてから立ち上がらないと目眩がしする。今日は、数ヶ月ぶりに、ホームの母の顔を見に行くことになっている。面会は30分と決められている。いつもと違い、梅干しやら何やら食材の持ち込みは禁止されているので、面会時間内に食べられるものだけとなる。ただ一つとなると90の母は鶏唐である。行って見ると"息子と会うのに頬っぺた赤く塗り過ぎだろ?'"多少痩せたが、かつて80キロ超級であった母からするとスマートになったと、相変わらずであった。 行きは駅からタクシーで行ったが、中途半端な所に、江戸時代から続く金魚屋があるので信用金庫で休んだりしながら寄って見た。まだ暫定的だか、うちの赤や白の寒山拾得とのバランスを取るために、赤白以外の豊干禅師が欲しい。店内を何度も回り、埼玉県産と書かれた青文魚というのにした。体型はオランダ獅子頭で体色はまさにいぶし銀。一匹だったら地味で飼う気にはならないが、寒山と拾得と豊干と考えると良さそうである。大きさといい、渋さも豊干にふさわしいだろう。休み休み帰る。携帯ショップへ。修理したら、スピーカーが駄目になって帰って来た。また修理である。幸いショップを変えて正解であった。従業員に誠意を感じ好感が持てる。 普段から1日1仕事の私が、母、金魚、スマホと三つもこなしてヘトヘト。 しかし目論見通り、豊干が加わりコンピとは思えなかった寒山と拾得どのバランスが取れて満足。豊干に拾われたから拾得というそうだが、常にホウキを持っている。ミニチュアのホウキを入手することにする。いずれ水槽内にホウキを。


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一日  


何度も繰り返しになるが、ガラケーから始まってスマホに変わり、相変わらずろくなことがない。先日修理が終わり、と思ったら、電話は出来るがスピーカーから音が出ない。また修理である何度壊れるんだ。以前と違ってバスで行かなければならず、いい加減にしろ、という話しである。富⚪通の製品は二度と買わない。 寒山拾得は、とりあえず、寒山詩をぼんやりと目にする程度にして、後は寒山拾得に見立てた金魚を眺め暮らすことにする。私にしてはなかなかの名案である。説話上の連中ともなれば、金魚の観察が適当であろう。もっとも、頭を空っぽにできるという効用が主目的であり、そういう状態の時にしか、棚ぼた式に閃きは訪れない。 いただいた四匹は、捕まえられたのを貰ったので、選んだ訳ではないので、そう都合良く寒山と拾得、豊干というわけには行かない。兄弟のような寒山と拾得二匹に、毛色の違う豊干一匹、といきたいのだが。しかし、眺めているうちに、脳内のイメージに修正が施され、1番大きい赤いのと、体格では劣るが尾が長い分体調は互角で赤白の更紗模様の一匹、まったく似ていないが、この二匹が寒山と拾得になりつつある。となると、豊干禅師は水槽外から連れてくるしかない。明日、数ヶ月前ぶりにホームの母の所に面会に行く。許されているのは30分だけだが。そのついでに、一キロ程の所に江戸時代から続く金魚屋があるので、豊干禅師をスカウトしてこようと思っている。うちには赤と白しかいないので、それ以外の色味が欲しい。そして寒山拾得展開催の暁には、金魚を参考に作った、とか何とか、柿見て赤色を思いついた陶工柿右衛門みたいな事を言ってみたい。柿右衛門エピソードは嘘っぱちだが。

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最近眠くてしようがない件だが、最近飲めるようになったブラックコーヒーを飲むのだが、やはり体質的にカフェインが効かないようである。一時抹茶に凝ったことがあったが、良く眠れた。眠眠打破とかいうのもさっぱりであった。エナジードリンクとやらを始めて飲んでみたが、何も起こらず。 深川のコーナンに小津安二郎旧居跡の前を通り、工具を買いに行く。引っ越し以前も良くここを通ったが、何処に何があるが判っているのでどうしても来てしまう。 その先には軒下にへたり込む、枯れ枝のような芭蕉の銅像。芭蕉を制作中は、私より年下のくせに、このクソジジイ、と銅像を横目に呪いながら深川図書館に通った。数々の人物を作って来たが、腹を立てながらファイトを燃やし制作したのは松尾芭蕉だけである。何しろ、会ったこともないのに、適当なことを、と与謝蕪村にも腹を立てていた。その頃知らなかった、芭門の一人の肖像画を最近見たが、やはり下ぶくれの顔に吊り気味の目、耳と鼻が大きく、明らかに芭蕉を身近に見ていた門弟だと判る。野見宿禰や当麻蹴速、または寒山と拾得など、居たかどうかも判らない人物とは訳が違う。いい加減なことば出来ない。 芭蕉庵に関して、ある参考になりそうな資料を見付けた。友人に相談すると、様式的に時代が違う。芭蕉マニアにはうるさいこと言われるのではないか、と言う。”マニアっていったって、いい加減な芭蕉像で平気でいるんだから、気にするかよ?“

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芭蕉庵の落書きの件は、何も作り始めてもいないのに考える事ではない。それは私も判っている。こういう時思い出すのは遠藤周作がいった“やらなければならない事がある時、他のことをせずにいられない人を怠け者という”おっしゃる通りである。しかし怠け者の上に名案が降ってくるのもしばしばそんな時である。 作業机の上で、現場合わせで切ったり貼ったりすれば良い、と考えていたが、小、中学校の技術家庭科が2か3だった私である。空間把握能力にも相当難があり、フライボールは捕れない。部屋の間取りを描こうとすると、しばしば紙面からはみ出す。そう考えると、良く制作を続けて来たな、と思うが、手の届く範囲ならなんとかなるようである。芭蕉庵は私にはサイズが大きすぎる。そこで仕事でCADを扱っている友人に図面を書いてもらうことにした。まずは庵の枠組みさえ出来れば、手の届く範囲となり、何とかなるだろう。スケッチの類いは一切描かないが、今度ばかりはそうはいかない。 そういえば、古池のことは考えていたが、それより何よりまず肝心なのは芭蕉の木だろう。植物に関しては、殆ど興味がないのでどうやって作れば良いのか。面倒な事は後回し、最後に自分の首を締めることになるのがお馴染みのパターンだが、まだ始めてもいないのに後悔は出来ない。

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