明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



明け方、ようやく完成し、デザイナーwさんと、色見本をお願いするため田村写真にデータを送信。昨日の雑記を見るとなにが『乾物屋のオヤジと火星を歩く』だ、というわけで、寝不足でいかれていたようである。眠れそうにないから、このまま起きていよう、というのが最後の記憶で、気がついたら寝ていた。あわてて田村写真に向かう。 以前ebayで落札してもらったレオニード・マシーンの直筆サイン入り写真とようやく対面。セピア調のプリントにサインのインクも鮮やか。1926年とあるが、ディアギレフがヴェネツィアで亡くなったのが1929年だから、バレエ・リュス在籍中ということになる。やたらと筆圧の高い人で、親の仇とでもいう感じで書かれている。後のバレエ映画『赤い靴』のイメージもあり、かなり変人なのではないか。軍服はしばらく見たくもないが、こういうデザインを肋骨服という。肋骨にしては骨が多いが。 色見本を持って急いで中央公論新社に向かう。行ってみたら、私よりさらに粘っているのがライターのFさんであった。まだ原稿を書いているらしい。頭がフラフラするが、まず食事を、ということで木場に帰ってT屋に顔を出す。生サバを煮付けたばかりだというので、ご飯はあとで、とまずビール。今日は二百数十年ぶりに土用丑の日が二回ある2回目だそうだが、サバの煮つけを食べてしまったので、その気はなくなる。芋焼酎をロックでやっているうち、ご飯を食べるのを忘れて帰る。 寝たと思ったら1時間で知人の電話。携帯が繋がらないという。昨日充電用のコードを無理に引っ張って千切ってしまっていた。あいかわらず電気製品にたいする扱いは過酷で、すぐ当たるが、パソコンのプリンターについで馴染まないのが携帯電話である。常に頭の中には、逆関節に真っ二つにするイメージがある。電話はというと、こういう時に限って野暮用なのであった。もういいや、というわけで、シャワーを浴び、フワフワしたまま数日ぶりにK本に。入稿を終え飲みながら、空腹なんだか眠いんだか、どっちなんだろう、と考え込んでるというのは幸せな状態といえる。次に近所のインド人のやっているカレー屋に行き、電気ブランのソーダ割りを飲みながらチキンカレーを食べる。目と鼻のT屋に寄ろうかと思ったが、寝転がって飲みたいと、タンドリチキンをもらって帰る。だったらマトンカレーにしとけばよかったなどとDVDを観ながら飲み、いつの間にか撃沈。

過去の雑記
HOME

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




入稿日に撮影ということになってしまった。集中するために、フィルムは手元にあった27枚撮りフィルム1本のみ。 ファインダーを覗いていてムカつくのは、せっかく資料を調べて作った部分がが隠れていることである。作ったところは見せたいのが人情というもの。しかし作ったのも撮影するのも私なのだから、文句の持って行きようがない。捻ったりいじったりして、少しでも枠の中に入れたい。昼前に終る。 背景はすでに用意してあるので、あとは主役を入れるだけだが、時間との勝負。配置と、背景、主役本体の色が決まったのが6時半。デザイナーのwさんにレイアウト用に送る。これで後は朝までに完成させればよい。軍服がこんなに大変だと知っていたら、果たして作っただろうか。同じものでも、陸軍と海軍では読み方が違っていたりして、いい加減にしろといいたい。  単発ではなくレギュラーで続く仕事というのは、アダージョが初めてなのだが、個展を中心に、ほとんど作りたいものだけ作ってきた私も、おかげで随分面の皮が厚くなってきたような気がする。前回の、『植村直己と板橋を歩く』を完成させた時点で、何だっていけるような気になった。今回軍服姿に決めた、もともとのきっかけになった撮影予定地が、ギリギリまで待って駄目になり、それを見越して事前に撮った今回の背景は、行ってみたら工事中で、肝心なところはすべて幌に覆われていた。しかし、たいして動じることもなく、画になりそうなところを一本だけ撮って団子坂を見に行ってしまった。こうなってくると、『乾物屋のオヤジと火星を歩く』だとしても、私には作れるだろう。 多少眠いせいもある。

過去の雑記
HOME

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


完成  


アダージョ次号用人物ようやく完成。軍服を着せようなどと考えたものだから、普段よりより1週間は長くかかってしまった。 この人物は普通にイメージすると、立派で貫禄があるという以外やりようがない。しかしせっかく私が作るのだから、それでは面白くない。そこでどうせ立派なら、胸に勲章をぶら下げるくらい過剰にしようと考えた。胸に勲章着けた男というと、カッコの悪い男の象徴のようなもので、軍服といっても明治時代の礼服なので派手で、鳥類のオスを連想するほどである。始めはなんだか理容師のユニフォームのようだったが、部品を加えていくと徐々に様になってきて、結局立派になってしまった。なってしまったが、こんな姿を不鮮明なモノクロでなくカラーでみると新鮮である。自分で見たことのない物を作るべきだと改めて。 明日は撮影して背景に合成までやらなければならない。サーベルを作るため、T屋でもらった菜箸を削ってたらマメができてしまった。

過去の雑記
HOME

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




今日はサーベルを作らなければならない。今回作るのは儀礼用の細身の刀である。外側はサーベル調、刀身は日本刀という軍刀が多いが、この人物は戦場で戦うことはなかったろうから、儀礼用がいいだろう。刀を作るのは三島用に作って以来である。あれは白鞘だったので版画用の朴の板を削ったが、今回は細いので、折れにくい物にしたい。  軍服というと右胸から肩にかけてぶら下げる紐、飾緒(しょくちょ、かざりお)がある。これは貴重だった鉛筆を紐につないだ名残、もしくは計測用の紐だった、など諸説あるらしいが、これがあると、いきなり軍服という雰囲気になる。適当な太さの紐を探して、金色に染めて使えばよいと思っていた。しかしよくみると、三つ編みになっている。そんなことまでしたって判らないだろう。常にそう思いながら、結局やることになるのだが、三つ編みというと、女の子のお下げのイメージしかない。ネットで検索して編み方を調べると、これは私の苦手な分野である。こんなものを作ってはいるが、実は全く不器用なので、スムースにできるわけがない。コーナンで紐を買い、昼定食時間も終わりに近いT屋へ直行。「カミさんいる?」T屋は子供が5人いて、3人は女の子で、一番下の娘は小学生である。案の定、目の前であっというまに編み上がる。私がやっていたら、時間も含めてとんでもないことになっていたであろう。 ついでに使っていない菜箸をもらう。これは中将閣下のサーベルに。 

過去の雑記
HOME

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




一昨日は合計10時間も飲んでしまったので、今日の午後は乾燥充分。 着彩前の粘土は白いのだが、飾帯や金ボタン、肩章その他がない大礼服は、詰襟でなければ理容師のユニフォームのようである。まず肩章を作る。海軍と違って房飾りはない。これで一気に制服調になる。袖には階級が判るような刺繍が施される。明日一日かけて着彩及び仕上げの予定。羽飾り付きの帽子は、目深に被るのでせっかく作った部分が隠れるし、屹立した羽根がデザイン上邪魔になるかもしれないので、手に持たせることにした。ぎりぎりまで待った背景の第一候補は、結局許可が下りず。第二候補はすでに調整済みである。

過去の雑記
HOME


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




仕上げに入る。手に持たせるつもりの帽子を作っているが、頭に乗せたくなってきた。軍帽を被っている写真はあるが、礼装時に被る羽飾りがついている帽子を被る写真は、恐らくないからである。私とすれば、ないとなればやりたくなるわけで、この人物が派手な飾りを頭に立てている姿はインパクトがあるだろう。しかしこの人物の頭は、なじみのある形に違いなく、そこを隠したがために、その人物に見えなくなるのではないか、と思うのである。有名な写真と、わざわざ違う角度で撮って、そんな危険を侵す私だが、一応は考えるのである。いっそのこと被っているのと手に持っているのと、両方撮ってみるのも良いだろう。  乾燥が足りないと細かい仕上げができないので乾燥機にかけたままK本へ。なんだかんだと飲んだあげくに帰宅。帽子の続き。TVで『Xメン』を観るが以前観たなと思いながら再び乾燥機。ここはちゃんと乾燥を済ませたほうが良い、とちょっとT屋に顔を出す。ちょっと出したつもりが朝の7時。ただ飲みつづけて一日が終る。その代わり乾燥はほぼ終了。

過去の雑記
HOME

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


一日  


大乱歩展の出品作が決まる。寝ている乱歩と、三人書房の写真の計二点。始めポスターに使われた乱歩を、ということであったが、あれは燃えないゴミの日に捨ててしまった。というのも、撮影用に作った物で、写っている部分以外は作っていないのである。もちろん下半身も背中もない。よって展示ができる類のものではないし、散々使ったのでもういいや。というわけである。私にそう思われてしまった作品の末路は哀れである。捨てたといっても、首は引っこ抜いておいたのはいうまでもない。
アダージョの打ち合わせ。関係者に披露しようと、制作中の次号特集人物、尉官、佐官、将官でいうところの中将相当閣下の首を引っこ抜きポケットへ。いつもの新宿御苑前のデザイナーWさんの事務所へ向かう。  第一候補の撮影場所はNGということであったが、編集長が交渉を続けてくれていて、最終的な回答は未だ来ないらしい。第2候補地はすでに撮影してあるので、ぎりぎりまで待つことにした。 場所を居酒屋へ移す。編集長、デザイナーのWさん、ライターのFさんに、編集長は大学で教えることもあり、その教え子の女性も加わる。私としては次号の特集人物が誰に決まるかが気になるし、さらに“誰が何処を歩く”になるかがさらに重要で、その組み合わせに常に頭を悩ませるのは、表紙担当の私とライターのFさんである。候補は上がっているが、まだ決まらないということであった。以後、編集長が最後の担当者だといわれる深沢七郎の話や、中央公論の明治、大正期の編集者、滝田 樗陰(たきたちょいん)の話などする。ライターのFさんは話に加わらず、編集長の教え子と話しこんでいたので、お開きとなり、店外にでてFさんと二人になったとき、「Fさんが話し合いに参加してくれないから、次号の特集今東光になっちゃたじゃないですかー」「エッ」 ここが私の限界なのだが、すぐに「ウソウソ」とバラす。せめて駅までそのままにしておくべきであった。

過去の雑記
HOME

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




軍服姿の人物を作っていると、今どきこんな作品を作っている私って、と子供の頃から求め続ける快感が湧いてくる。おおよそ作った後に一度乾燥させ、飾帯や懸章、勲章、サーベル等を作らなければならない。軍服といっても礼装なのでカラフルである。帽子には前立てという、鳥の羽根の飾りが付く。それを被った写真は見たことがないし、ムッツリした偉い人だけに、頭にそんなものを立てているだけで面白いのだが、頭の形が重要な人で、大事に作ったので、そこが隠れるのは忍びない。帽子は手に持たせることにした。  中学生の頃は戦闘機や戦車のプラモデルを作るのがみんな好きだったが、同級生の中に今でいう軍事オタクがいて、いずれ徴兵制が復活する、ということを休み時間に力説した。その日たまたまTVで春風亭柳昇の『与太郎戦記』をやっていて、軍隊は愉快なところだという宣伝に思えて笑えなかった。朝礼や体操で号令をかけられ、並ばされたり走らされたりに屈辱を感じていて、弾に当たって死にたくもなかった私は、早く齢を取って、兵隊として使い物にならないようになりたい、と願ったものである。  江戸川乱歩は、戦前は人に会いたがらず、部屋に閉じこもって空想したり原稿を書いていたが、戦時中は積極的に近所の人等と協力し、軍事訓練に参加したりして、すっかり社交的な人物に変身したというから、環境は人を変えるということだろうか。私の育った東京の下町の子供たちには女々しいことが嫌われ、男らしく、と見栄をはらなければならなかった。そのせいで、少年兵の本を読んで、志願したら戦争に行けたのに何故行かなかったんだ、と父に詰め寄った小学生の私だったが、ほどなく地がでてきて、使い物にならない男に、と願うようになり、たゆまぬ努力の結果、予定より短期間で望んだ結果になった。

過去の雑記
HOME

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




私は妖精とかピエロとか作ることもなく、男ばかり作っている訳だが、そのほとんどがスーツ姿である。ジャズ・ブルースの頃はもちろん、作家も、ほんの一部の着物姿はあるが大体スーツ姿である。 5、60年代の黒人ジャズマンのスーツ姿のかっこ良さといったらなく、ヘアスタイルも、もっぱら短髪の人物ばかり作っていた。たまにリラックスした、ネクタイを緩めたところなど作ってみたかったが、これがどうにも我慢ができない。自分のことは棚に置き、ビシッとさせてしまうのである。結局1、2体くらいしか作らなかったはずである。  ようやく作り始めた軍服姿の人物だが、これはもう、キッチリしていなければ形にならないが、作っていて実に楽しい。この人物は普段、多少首が右に傾く癖があるような気がする。昔の写真は感材、つまりフィルムに相当する部分の感度が低く、シャッタースピードが遅いので、その分姿勢に気を付けることになるが、外でスナップ気味に撮られたものは、なんとなく傾いているように見える。人物像を作る時は、どこかに特徴がないだろうかと写真をチェックし、なんとか取り入れようと考えるのだが、結局軍服姿の男を、傾かすことは出来そうにない。

過去の雑記
HOME

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


一日  


今回アダージョ用に誰を作っているかは、どうも判りやすいが、いよいよ軍服を着た全身像の制作に入ることになる。軍服など初めて作るので、楽しみには違いないのだが、それにしたって猛暑の連休中に作るには、もってこいとはいい難い。グズグズ始められずにいて、団子坂周辺の古地図を検索していたら、三人書房が鴎外旧居跡より下にあると思い込んだのが間違いで、逆方向だということが判った。団子坂に面してもおらず、先日歩いた感じでは、坂というほどの傾斜は感じられなかった場所のようである。紛らわしくも三人書房に似た店が、坂下に向かうカーブにあったのは間違いないのだが。 そもそも、こんな場合、まず地図を調べることが最初であろう。地図を見もしないで、見た目で歩いていってしまうのも、方向音痴の私が、おかしな場所に迷い込む原因の一つである。なんとも呆気ない結末だが、だとすると、私の制作した三人書房に、坂の傾斜をつける必要はないかもしれない。こういう余計な作業こそやりたかったのだが。 しかし良いこともあった。完成していたはずの頭部が、どこか引っかかるものを感じ始めていて、グズグズしていた原因も、そこにあったようなのである。その引っ掛かりの理由が急に解明され、15分で見違えるできになった。もう大丈夫である。 改めて軍装の資料を眺めていると、私が『人間椅子』の内部に男が持ち込んだという設定で使用した水筒が、日露戦争の時に、陸軍に支給されたものだということが判った。その前はガラス製の水筒を使っていたようだが、アルミに茶色に塗装したものに替わったそうである。富岡八幡の骨董市で入手した。
以前新聞にも載った巨大な虹が、同じ場所に今日も。

過去の雑記
HOME

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




先日、酷暑の中でかけ、結局公開日でなく撮れずに帰ってきた場所は文化財の建物なのだが、編集長よりNGの可能性大との連絡。著作権の派生する物に使われるのがいけないらしい。映画の撮影なども断わっているので、特例を認めるわけにはいかないという。実現するなら著作権などどうでも良いが、それはいけないと編集長。役人という人種は頭にセメントが詰まっている。撮影場所に関しては、思いつくまでが大変で、当然人物像のポーズにも影響がでてくる。万が一ということもあるので引き続き交渉をお願いし、別な場所を撮りに行くことにした。NGが解ければセメントのくだりは削除しよう。 しかしこんな時にはこんなもので、行ってみると肝心な箇所が工事中。ホロがかかった部分を避け、唯一のポイントを見つけて撮影。 そういえば、ここは歩いても団子坂が近い。『三人書房』に激似の建物の在った場所が特定できないだろうか、と行ってみた。森鴎外旧居跡は工事中だったが、そこから下ること200mあたりに在ったらしいが、果たして同じようなカーブがそこにあった。急遽行ったので、写真を用意しておらず、角度を合わせられなかったが、バスが停まっているあたりが怪しいではないか?改めて来てみよう。  昔ジャズのシリーズを制作していた頃、個展のたび、DMを配りにジャズ喫茶を廻ったり、送ったりしたものである。20年近く活動をしていたにも係わらず、ジャズ関係者は今は亡きいソノてルヲ氏以外は誰も来てくれなかった。(寺島靖国氏はラジオ番組収録で来てくれた)その怨念は髪を金髪に染め、日本人レスラーを血祭りにしていた上田馬之助の如しで、以来ジャズ雑誌は一瞥もしていない。それはともかく。作家シリーズを始めた時、DMを置いてもらおうと、喫茶店『乱歩。』にも持っていった。当時DMを見て私がしていることを判る人などいなかったので、覚えてはいないだろうが、『乱歩 夜の夢こそまこと』を電話で注文いただいているのを、たまたまデザインの北村さんが店で聞いていた。12年ぶりにお邪魔した。  帰りにk本に寄るとSさん。あれ以来、岩崎宏美に摘まれた福耳を触らせろ、中には舐めさせろとまでいわれて話題の77歳である。「今度は良い唇してますねっていおうか?」と私。
 
過去の雑記
HOME

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




県立神奈川近代文学館、開館25周年記念『大乱歩展』画像をアップ。それにしたって“大”など付けて画になる作家など、そういるものではない。 使用された作品は、まだ立教大に所有権が移る前、ご家族がお住まいだった頃の土蔵内での撮影である。子供だったらぶら下ったり飛び下りたり、ちょっとしたジャングルジムになりそうな土蔵内であったが、後に、土蔵の乱歩の蔵書すべてに、子供時代に私がした悪戯描きだらけなことが発覚し、立教大関係者に詰め寄られるという夢を見た。 乱歩旧蔵の村山槐多作『二少年図』も出品されるようだが、以前、世田谷文学館の企画で、世田谷に縁がある作家像を、今の世田谷の風景の中で撮ったことがある。『二少年図』が寄託されていたので、ここでしか撮れない作品ということで、絵を背景に乱歩像の撮影もした。館長室の壁に作品を掛けてもらい、村山槐多作品を前に、片手に乱歩、片手にカメラの私は、いったい何をしているのだろうと思ったものである。期間も長いし、会期中は何度か足を運びたいものである。ついでに中華街にも行きたい。

過去の雑記
HOME

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




昨日梅雨は明けたらしい。町田謙介さんの新譜『FUTURE BLUES』(blues interactions)の発売記念ライブがあり、ご招待いただいていたのだが、昨日の件で著しく体力を消耗。念のため、K本で腹内を消毒したのち耐えられずに失礼してしまった。肝心の撮影ができなかったのだから良いことなしの一日であった。町田謙介さんといえば、第一声で衝撃を与えることができる、数少ない日本人ボーカリストの一人であろう。
作家の胸像は全国各地に残されている。後世の彫刻家が、残された写真を元に制作した場合は、私と条件は一緒であるし興味はないが、生前、本人を目の前にして制作された胸像となると、話は違ってくる。制作中の人物は、ご丁寧にも胸像用の、3方向より撮影された写真が残されている。その写真は彫刻家のアトリエで撮影されたもので、完成作は『ドイツ風を盛り込んだこの胸像に、本人も満足』したらしい。しかしデスマスクならともかく、私には他人が制作した作品など参考にできるか、という意地があるし、面倒くさがりもあり、気になるうちに本日頭部が完成した。 新潮社の『新潮日本文学アルバム』は小版とはいえ、作家の写真資料として有り難いものである。頭部の完成を迎えようという本日、後ろのページに、件の彫刻家が、戦災で焼け残った胸像を修復している小さな写真に初めて気付いた。実物を見ていないのでなんともいえないが、それを見る限り、なんだか似ていないのであった・・・。本人が気に入ろうがなんだろうが、信じるのは自分の目だけにしておく方が良さそうである。『新潮日本文学アルバム』も、最新版でどうかは知らないが、初版から14年後の12刷の段階で、左右逆の裏焼き写真を載せている。なんで気付かずにいられるのかが不思議である。

過去の雑記
HOME

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




都内某所に背景の撮影に行こうと外へ出るが、あまりの暑さにT屋に寄り、朝定食で腹ごなし。小学校に花の手入れに向かうSさんが顔を出す。昨日の福耳の件で、「Sさん、寿命延びたんじゃないの?」照れながら「ありがとう。」昨日は飲みすぎと高まり?であまり寝られなかったというSさんは77歳だそうである。  現地に着くが、炎天下、道に迷って必要以上に歩くことになってしまった。クラクラするな、と思ったら猛烈な便意が襲ってきた。コンビニでペットボトルの水を買う。昼食の弁当を買うサラリーマンで混雑する中、トイレを借りようと思ったが、切羽詰った様子の男が、「ウチは防犯上お貸しできないことになってます。」と断わられているのを目撃したことがあり、いい出せずに店を出る。妙な成分の汗をかきながら目的地に向かうが、途中4度ほど波が押しよせる。その度立ち止まり、時計を見ながら『待ち合わせの時間は過ぎてるぞ、いい加減にしろ』という演技。困ったことに、待ち合わせて立っているには不自然な場所に限って波がくる。人通りもなく、誰も見ていないだろうが、見ていたら明かに怪しい。事情があることを示していないと耐えられない。間が持たず、左と右、『“アイツ”はいったいどちらの方角から来るつもりだ』という演技を加える。遥か彼方の待ち人を探すまぶしげな表情はクリント・イーストウッドの如し。眉間のシワは油汗とともにナチュラルに出る。 ようやく目的地に着き、入園料を払い、トイレの場所を訊きく。実際は牛歩であったが、気持はウォーリー与那嶺の猛スライディングで滑り込みセーフ。肝心の撮影場所は本日公開日でなくアウト。

過去の雑記
HOME

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


一日  


この暑い中制作するような人物ではないのだが、こればかりは仕方がない。頭部制作にひとごこちつき、閉店まで1時間を切っていたが、K本に行くと今拓哉さん。空いている常連席に坐ると、隣りは、オレンジ色のTシャツを着た岩崎宏美さんであった。 昔インタビュー記事で、いかにマイケル・ジャクソンが好きか語っていたのを、しばしば目にしていたので、武道館でジャクソン5を観た話をすると、「私も観ました」。当然であろう。マイケル・ジャクソンと結婚する、と中学生時代、親に宣言したそうである。マイケル・ジャクソンが丁度変声期の公演だったことなど、さすがによく覚えている。その日、南沙織と通路ですれ違った話は、私の記憶としてどうも怪しいし、第一、南沙織とすれ違った話を岩崎宏美にしても、何も面白くないので止めておいた。今さんは高校時代、森鴎外邸跡の本郷図書館に通ったらしく、鴎外のファンだといっていた。 8時になったので店を出てT屋に向かうと、一昨日くさやをドアノブにぶら下げておいてくれたSさん。お礼をいう。この時間に会うのは珍しいと思ったら、今さん夫婦が後で来るらしく、くさやを食べさせたい、と先に来て待っていたらしい。御夫婦が合流。くさやは本当に美味しく、Hさんが焼いただけあり、頭もすべて食べられた。 TVではK1。山本キッド、パンチを空振りしたところにチョン・ジェヒのパンチで、まさかのKO負け。どうしたのだろう。魔裟斗VS川尻は、魔裟斗の完成度の高さが印象に残った。引退まで残りあと1試合。岩崎さんも立ち上がって声援していた。 私がSさんの福耳の話をしたら、あやかろうとばかりに、後ろからSさんの左右の耳たぶを摘む岩崎さん。なんとも嬉しそうな80近い老人。この一件により、私は当分遠慮なく、Sさんの丹精こめたピーマンを、頂き続けてもいいだろう。いや明日催促することにする。

過去の雑記
HOME

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ