明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



二日酔いの友人二人と相変わらず二日酔いをしない私。パタ-ンは十代の頃と変らず。熊牧場という、北海道の海鮮を売り物にした店へ行き、ルイベ定食。牧場はかつては入場料を取っていたようだが、今は二頭しかいないので、無料化していた。ほとんど廃墟であり、腹がわずかに呼吸をしめしていて、かろうじて生きているのが判る。熊に恨めしそうに見上げられた。 郵便局に用事があるIと判れ、N君に見晴らしの良い場所に連れて行ってもらう。美味そうに煙草を吸うN君。前回ここへ来た時は、私もまだ煙草を吸っていて、こんな所で吸うのはまた格別であったろう。両君とも煙草が止められないといっているが、1人で打ち込む仕事は、止めにくいのは良く判る。学生の頃、ハイライトは80円だったよな、と話す。蚊取り線香のようなパッケ-ジの朝日が、廃盤になるというので、ワンカ-トン買った覚えもある。 午後、今度は用事があるというN君は、夜合流するとして、Iの工房の軒先で二人でバ-ベキュ-をすることにした。幸いIの工房は、二階に泊まれるので、家族と顔を合わせずに済むので気楽である。すでに働いているというIの二人の娘など、恥ずかしくて、とても会う気になれない。Iも同様であろう。 話は尽きないが、お互い今だから話せるという話もでて、なんでそんな些細なことが当時は一大事だったのだろう、とお互い呆れあっては笑いあう。 二日酔いから夜になって回復したN君も合流し、さらに飲み続けた。こちらに来る前日、デジタル一眼レフを買ってきたが、月が手持ちで撮れてしまってビックリする。

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早朝五時半に旅館を出る。長谷寺の石段は数は多いが段差は低い。せっかく来たのだから、と膝が悪い母は数えながら上がっていく。昨年は私が「今なん時だ」などといって邪魔をした。宗旨替えした父の永代供養は済ませているが、今回は母と私の諸々の祈願ということであったが、法要の際、読み上げられた私の名前が違っていた。ご利益も半減の気分である。今回も大観音の足を触る。 丁度牡丹と紫陽花の間の季節で緑一色であったが、この日の東京と違い、爽やかな五月晴れで気持ちが良い。朝食が遅くなってしまったので、一度旅館に戻り、再び出かけ、公開していた16メ-トル46センチの御影大画軸や寺宝の数々を見学する。ここには松尾芭蕉も訪れており、十日あまり前に記念の碑ができたばかりだという。2往復は母にはきつい筈だが、せっかくだから観て行こう、というので、もう一度本堂近くまで上がる。予定より遅くなったので四日市で母と別れ、湯ノ山温泉へ向かう。菰野の陶芸村で陶芸工房をかまえる友人Iに迎えに来てもらう。N君も合流し、温泉に入った後、施設内の酒場で再会を祝し乾杯。案の定、この齢になると数年会わないくらいでは懐しいという気分は薄いが、十代で知り合った連中との想い出は、恥ずかしいことほど楽しい。青春の迷場面の数々が想い出される。 東京では考えられない早い時間でラストオ-ダ-となり、降り出した雨の中、カラオケスナックへ。私は大のカラオケ嫌いだが、選択の余地がないのでしょうがない。友人とはすでに顔馴染みの女性客が何人か歌っていたが、妙に上手である。昔どこかでクラブを経営していたらしいマスタ-を含め、女性客全員が訳ありで、それぞれの事情を抱えこの土地へ流れてきた人ばかりだそうである。迫真の歌唱も、その辺りが反映されているようである。子犬を連れた髪の長いスレンダ-な女性は、なにやら重い病気を抱えているらしい、とN君に耳打ちされた直後、その良い香りを漂わせた女性が突然私の膝の上へ。岩崎宏美さんのヒットメドレ-を熱唱されてしまう。病気を抱えた女性は当然いたわらなければならない。“人間椅子”と化した私は、K本でしばしばご一緒する宏美さんのご主人、今 拓哉さんの顔を想い浮かべていたのであった。私はカラオケは数回しか歌ったことがなく、『サムライ日本』『愛しのマックス』しか歌ったことがない。本日は『愛しのマックス』の方を。 雨のそぼ降る山の中の場末のスナックで、事情を抱えた女達の熱唱が深夜まで続いた。

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本日は母と奈良の長谷寺へ向かう。午前中に茨城で父方の法事があり、一度東京に帰ってから出かけることになるので、来月にすれば、というのだが、母は今日は日がいいと譲らない。  これは母方の血統だと思っていたが、とにかく出発に時間がかかる。元栓がどうした、鍵は財布は、荷物に入れたはずの物を確認して何度も出し入れし、挙句に忘れたりする。はたから見ると、実は出かけたくなくて、わざとしているのではないか、と思うくらいである。もっとも何かの折に、誰かの奥さんが出てくるのを、長い時間、玄関先で待たされたことが何度かあるから、母方の親類特有のことではないのかもしれない。 前の晩から実家に止まり、翌朝私が、あれはどうしたっけ?などといおうものなら、なんで昨日のうちに用意しておかなかった、と怒るくせに、結局、母のお馴染みの、あれがない、これがない(そのわりに、なんでこんな物が要るのか、というものはしっかり納まっている)の出掛けのドタバタのせいで電車に乗り遅れ、長谷寺までのチケットはおろか、予約をしている、昨年と同じ旅館も無駄になるところであったが、一か八かでタクシーで東京駅に向かうと、運転手も無理、といったわりに道路が空いており、発車十分前に到着した。これが母にいわせると、原因がどこにあるかはさて置いて、今日は運が良い日、ということになる。もっとも昨年の長谷寺行では、私の方向音痴のせいで、遠ざかったはずの名張に戻ってしまった、ということがあったので、あまりいうと薮蛇になる。  旅館に到着して、すぐに地鶏のすき焼きで食事。客のほとんどが、早朝の法要に参加する、ということで風呂も早々に済ませたそうで、忙しいのは判るが、早く入れとせっつかれ、慌しくて落ち着かなかった。早々に寝床の中で、せせらぎの音を聞きながら、携帯電話の説明書を読む。

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一日  


木場のデイナイス東京の一階で打ち合わせ。それまでメールでのやり取りだけだった、七月末の展示の担当者に概要を聞く。私が昨年、直接サインをいただいたYさんも参加と聞く。 おそらくYさんも含め、ほとんどの人が首を切断していると思い込んでいた某短編小説の殺人事件は、両手両足など五つに切断、ということは首は切断されていないことになる。私は制作してしまってから気がついたわけだが、中学一年生から、ずっとそう思い込んでいたことになる。もっとも気がついていたら、あまりにグロテスクで作らなかっただろう。担当者には、そう思い込むにはYさんの挿絵の影響も?ときかれたが、それもあるかもしれないが、読めば、まず誰しもが、ニッコリ笑った可愛らしい首をイメージするに違いないのである。この小説家の作品は、穴や隙間だらけのようにも思えるが、ここが作者の仕掛けた罠であり、それをビジュアル化しようと映画化され、魅力的ではあるが、核心に触れることなく、どこか足りない作品が、今後も作り続けられることであろう。この人物の作品をビジュアル化するには、よけいなことに踏み込んではいけない。襟首摑まれ甘い罠に引き込まれそうになっても、耐えなければならないのである。  新しく携帯電話を入手した。この雑記は、都合の良いことを書いているようには、とても見えないが、あまりにも体裁の悪いことは書かない。一時はあれだけ登場した糠床は省みられることはないし、熱帯魚はすでに全滅している。携帯電話は、おそらく家のどこかにあるような気がするのだが、探すのが面倒で、そうこうして、あると便利だと気づいたというわけなのである。若い女の子から、新しい機種の使い方の説明を受けたが、もともとマスターしていたわけではないのに、見栄をはって自分でやるから大丈夫、などといったのを後悔しながら解説書を読んでいる。  明日は母とふたたび奈良の長谷寺に行くのだが、風邪をひくことがない母が、ガラガラ声になっていた。どうやら先日来の私の風邪がうつったらしい。風邪で寝こむことがなく、鼻声だった記憶もなかったのだが。

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入稿  


咳が止まらず、咳止め各種を飲んだり塗ったり。咳のせいで目が覚める始末である。喉飴の舐めすぎで口の中がおかしい。 例によって写る部分しか作らなかったとはいえ、次号アダージョ用作品が、今までにない早さで完成した。風邪のせいで出かけられなかった為でもあるが、タクシー運転手のTさんや、運送会社のKさん、T屋の主人Hさんやかみさん、K本の常連など、制作途中の首を一度も披露せずに終ってしまった。 しかし考えてみると、難航しているときほど披露する頻度が高い。数センチの首に何日も向き合っていると景色も変わらず、果たして自分が進行しているのかどうかも曖昧になってくる。九代目の團十郎の首を見せられ「どう?」などといわれたところで、いわれたほうが迷惑である。良くなったかどうかは別にして、前回見たときと違っている、ということさえいって貰えれば安心するのである。日ごろは楽しいことをすると、肝心なものが減る気がして、祈るような心持で制作に集中するが、風邪っぴきでかえってスムースに進んだことについては、少々考えねばならない。
田村写真にでかけ、色見本を作ってもらい、データとともに新宿御苑前に向かう。恒例の編集会議である。この日に完成データを持っていくことはまずない。咳飴、喉スプレイ、マスクを持って出かける。私が係わるのは表紙だけで、中のことは聞いていても仕方がないのだが、私のいない間に万が一、次の特集人物が決まってしまったら、と思うと風邪をおしても顔を出さずにおれないのである。実際候補に上がった1人など、いきなりいわれたら、口が開いたまましばらく固まるところである。

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風邪のせいで外出もままならず、宅配のピザを食べている有様で、K本にもしばらくいっていない。しかしどういうわけか、アダ―ジョ6月配布号の作品が、予定より早くしあがりそうである。この体調では難航しそうだし、と行儀の悪いことに、最悪事は寝床から手だけ出して作っていた。傍から見たら執念の図、というところだが、当人は好きでそうしており、別段どうということもない。実家で頭部を作っていた時は、さあできた。といってる数分後には、又いじっているので、母にはいい加減にしておいたら、といわれていたが、いつもだったらT屋のかみさんや、運送会社勤務のKさんにいわれているセリフである。さあできた、といっていながら嬉しくないのは、完成していない証拠である。それにしても、風邪のせいで力が抜けたのであろうか。妙にスム―スに事が運んだ。月末には母と、また奈良の長谷寺に行くことになりそうなので助かった。行ったばかりなので、どうせなら他の所へ、と思うのだが、行きたいというのだから仕方がない。今回は帰りは母と別れて、三重県は湯ノ山温泉近くの陶芸村で工房をならべている、専門学校時代の二人の友人宅にお邪魔する予定である。4、5年ぶりだと思うのだが、十代の頃に知り合った連中は、4、5年ぶりなど大した変化を感じるはずもなく、ついこの間という感じである。先方からすると、又来たのか、という風ではないだろうか。昨年亡くなったSのことでも懐かしみながら飲みたいものである。

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風邪をひいた。喉から来る場合はゆっくり進行し、医者でもらう薬も効かない。始めは喉が痛いだけで、いたって元気だが、数日かけて一通り経験することになっている。そんなわけで、咳がひどく外出も控えていたのだが、今日は京橋のフィルムセンタ―で、九代目團十郎と五代目菊五郎の“團菊”が出演する『紅葉狩』(1899)を上映する。これは一度観ておきたい。頭を動かすとあらぬ方向にフラフラするが、幸い熱も悪寒もなく、ただふらつくだけなので問題はない。のど飴、のどスプレイなどを供えて出かける。 このフィルムは、日本人撮影では最古のもので、昨年、フィルム初の重要文化財に指定された。團十郎も菊五郎も、始めは承知しなかったが、参考に残しておきたい、と説得されたようである。興行には使わないと一札入れさせ、渋々承知したらしい。  撮影は歌舞伎座の横に幕を張って行われた。勿論、フィルムの感度が弱いため、外光を使うしかない。『戦前の記録映画・小型映画特集』計8本で83分だが、最初が小鷺の繁殖で、『紅葉狩』以外、全く興味のないものばかりだし、無声のシ―ンとした館内で、咳をするのも迷惑だろうと、数分で外へ出て、一時間ほど過ごして『紅葉狩』の6分間だけを観た。一台の映写機をただ真ん中に添えただけで廻しっぱなしの記録映画で、團十郎の弟子の七代目松本幸四郎がいうように、名優團十郎も菊五郎もなく、“まるで狂った機械人形みたいにただギク々チカ々と飛び跳ねてゐるだけで”あった。おそらく屋外で風があったのだろう、團十郎は扇を落とし、後見の市川新十郎が、舞台同様拾って手渡していた。完成作を観た團十郎も菊五郎も不機嫌になってしまい、絶対に世に出さないという約束を改めてさせたそうだが、間もなく二人とも亡くなり、門外不出の約束も、すぐ反古にされてしまう。  私としては團十郎の長い顔が動くだけで満足であった。そういえば、これは初めてチャ―リ―・パ―カ―の映像が初公開された時、映画館で呆然と眺めて依頼の気分であったが、さすがにこちらは呆然とはならず仕舞いであった。
企画展の『映画の中の日本文学 Part3』ポスタ―をただ並べただけで内容はなし。

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一日  


実家にケーブルTVが入り、プロバイダ、その他ついでに色々することになった。説明を私が聞いても良く判らないくらいなので、母だけでは無理である。少なくなってきたとはいえ、未だに電話、ファックス詐欺の類の電話もあるようである。  背景の画像も完成し、胴体も仕上げを残し凡そ完成。残るは頭部だけなので、今は写真資料と粘土と頭だけを持って帰っている。以前、この人物に関しては、スタジオの外光に眩しそうにしている、と書いた。つまりクリント・イーストウッド状態、と思っていたのだが、もともと目が細い人物だ、という証言を、今日になって見つけた。おまけに“額は梅毒のため抜けあがりおりたり”。もっとも梅毒云々というのは、いっているのはこの人物一人だけのようであるが。ということで、眩しげな目の周辺の力をいくらか抜いた。
九代目團十郎のプリントだが、送り先を未だにいただけない方が三人おられる、と思っていたのだが、どうも私が専用のフォルダを作ったのがいけなくて、削除してしまったのではないか、と思い始めている。要らない、という方もいるのかも、と考えると、催促していいのか、と思うのだが。お心当たりの方はお知らせください。ご覧でない場合もあるので、今週末までに、改めてメールさせていただきます。

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ここのところ、たいして書くことがない。先日、某事件のため、若い警部補が再び訪れたが、傍から見たら滑稽な場面もあり、格好のブログネタになるはずだが、被害者のこともあるし、またその警部補が真摯な態度の青年であり、書きそびれた。 本日は父の七回忌である。都営地下鉄の牛込神楽坂へ。鶴澤寛也さんの稽古場があるので、『春琴抄』の佐助のようなカタチで階下より耳を澄ますが、稽古日ではないようで寺へ向かう。 住職が亡くなって、従兄弟が住職となり、初めての法事である。叔父のお経は見事であったので、録音は残っているのか聞いてみるが、定かではないようである。卒塔婆の旧いものがツタが絡まり溜まってきたので処分する。そのまま帰り、古石場文化センターに向かい、17時よりピアノ演奏をバックに、中井貴恵の小津安二郎の『秋日和』のシナリオの朗読を聴く。偶然にも、原節子の夫の七回忌のシーンから始まる。このセンターは常に室温が高いので眠くなるが、中井の父親の佐田啓二が演じたシーンなど思い出された。すでに小津コーナーに展示されている私の小津安二郎像は、やはり帽子をピッタリに作り直して良くなった。その代わり帽子は二度と脱げない。 自転車でそのままどこかに飲みに行こうとすると、K本の常連がK本から、次の店にいこうと信号待ちをしているところへ出くわし合流。その後も一人で飲んだりして、おかげでオークションで気にしていた短冊の落札を逃してしまった。幕末から明治あたりの、元深川芸者の歌人の短冊である。歌の内容はどうでも良い。千人の男を斬った、といわれていて、中には山内容堂も含まれるといわれる。ちなみに女性の場合は千人斬りとはいわず、“千人信心”という。

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雑記に間が空いてしまったが、前回の雑記の内容からして、あまり間が空いてもまずいのではないか?と実家のパソコンで書いている。幸いにも、肝心の人物の首の制作が順調に進み、用事のついでに実家で身体の制作をしていた。制作に特別な道具、材料を使うわけでもなく、自分の家より順調なくらいで、なんの支障もなく乾燥まで済ませた。 
ケーブルTVで母と『如何なる星の下に』(1962)監督:豊田四郎を観る。母は舞台になった築地辺りの育ちなので、ああだこうだいいながら観た。池辺良と山本富士子が隅田川を船で渡っていたが、62年といえば、物凄くドブ臭かったはずである。 私が、たとえば当時の西村晃の後ろ姿だけで名前をいうので、母は驚いているが、人の形に関しては私はこんなものである。左を向いた肖像写真を見ながら、右側の顔さえ普通に作れるが、それが地図になると、左右どころかピクリとも頭の中で動かせないのは、どういうことなのであろうか。グーグルの地図を見ながら、モニターの前で、頭を逆さまにする勢いで傾けているところなど、とても人様には見せられない。

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一日  


午前中、オークションで落札した明治時代の浮世絵、豊原國周作の九代目團十郎が届いた、浮世絵は三枚続きになっていることが多いが、額装すると横に大きい。とりあえず菊五郎や左團次はいいから、主役の團十郎一枚で良い。鶴澤寛也さんの稽古場で見た、坂崎重盛さんから贈られたという額に入った九代目を見て、これは収まりが良いと思っていたのである。  明治期の浮世絵は、浮き出るようなドギツイ赤に特徴があるが、この赤、青、緑などの色使いは、昭和三十年代までの駄菓子屋には、メンコその他氾濫しており、馴染み深い色調であり、人口甘味料チクロの味が口中に甦るようである。駄菓子はチクロに限る。この件に関しては團菊爺が如くの私である。入手したのは『児雷也』であるが、緻密さには少々欠けるが、刷りたてのような瑞々しさである。
午後、某所警察より、十年程前の一家殺人事件について聞きたいと電話。被害者が人形劇、アニメーションに携わった経歴があり、被害者宅に、私も取り上げられた太陽の『人形愛』特集 平凡社(1999)があったそうである。それで私のところまで来るのだから、よほど難航しているのであろう。掲載された作家は全員回ったそうである。遺留品が多い割りに、一向に進展を見ない事件であるが、被害者とはお会いしたこともなく、役にたてない旨伝えたが、とにかくお会いして、ということなので、近所の喫茶店で聞かれるまま答える。 殺人事件に対する時効がなくなった今、地道に事件を追っている苦労が伺われ、一刻も早く解決して欲しいと思わずにはいられない。この太陽『人形愛』特集号が、実はあまり売れなかった、と警察から聞くことになるとは思わなかったが、いつも打ち合わせなどで使っている店のせいか、雑誌のインタビューと大差ない部分もあった。しかし一応、と指紋をジッと確認されたあたりは、なるほど、電話では無理である。

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撮影二回目。本日も晴天。撮影ポイントは決めてある。直射光は人物像の立体感や表情に影響を及ぼし、なにより素材感がでてしまうので避けるのだが、今回は日除けがあるので、背景は直射光でも、人物には当たらないで済む。しかし前回、人物の上には陽を遮るものがある、という状況説明が画面内に不足していたので、人物が背景から浮いてしまうおそれがあった。人間の目というものは、そういう違和感には敏感なものである。そこを逆手に取れば、判っていても、人形が実物大に見える。 前回、もう少し後から撮れたら、と思わなくもなかったが、地面を工事していて、パイロンや柵があり、ヒキが撮れなかった。そこには警官の詰め所があり、立っている警官にどいてもらって横に立てばなんとかなりそうである。観光客に声をかける愛想のよい警官なので、頼んで、そこから撮らせてもらった。日本人だけでなく、外人観光客が多い場所なので、特に愛想の良いのが選ばれているに違いない。やはり連休中は人の行き来が尋常ではない。帰り際挨拶すると、「今日は人が多いからね。プロじゃないんでしょ?」ようするに仕事なら許可が要るということである。例によってあらぬ方向にカメラを向け、サンダル履きでプロの気配を消した、せっかくの変装?なのに。と思えば、“まさかあんたプロじゃないよな”という意味であった。帰宅後、編集長に申請をお願いする。これで後は背景を準備しながら、それに合わせた人物の身体を作る。今回は人物の表現には特に工夫を凝らさず、あえて有名なイメージに殉じるつもりである。しかし同じイメージでも、立っている場所によって、本人の考えていることも違って見えたら面白いかもしれない。

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朝8時過ぎにT屋へ行くと、定年を迎えた運送会社のKさんがすでに飲んでいる。隣りには近所の新聞屋の配達員。この青年は空気が読めないこと甚だしく、いつ洗濯したかというジャンパーを椅子にかけ、少ないカウンター席を二つ占有している。今日は煎餅のカケラを背中に付けていた。朝食が終ってもいつづけ、酷いときは寝始める。不気味なのは、トイレに入ったらしばらく出てこず、トイレットペーパーを1ロール半使うことがあるそうで、トイレをしばしば詰まらせる。いったい中で何をしているのか。ジャイアント馬場が海外修行のおり、ドケチの日系レスラー、グレート東郷邸に居候した際、トイレットペーパは一回30cmと決められたそうである。この青年など東郷に下駄で殴られ、傷口に塩を擦り込まれ、半殺しの目にあうだろう。 常連のKさんやTさんに巻き込まれることなく、ロケハンに出発。  当然の事ながら現場に行ってみると、そう都合の良い場所は見つからない。何ヶ所か撮影する。現場を見て、人物のポーズを変更することにした。これで全身の制作に取りかかれる。團十郎の場合は、写真に残っていない表情にしたことが面白かったが、今回の人物は、そうすることに意味はない。それでも残されたポーズとは変えるつもりでいたが、立っている場所、シチュエーションからして、むしろわざわざお馴染みの様子にしたほうが面白いと思えてきた。  フィルムの現像を済ませ、T屋の前を通ると主人のHさんがヒマそうにしているので寄る。晩くなり、そこそこ飲んで、帰り際、先日屋上でやった野点もどきの話になる。店の入り口に色こそ赤くないが、大きな野点用の傘が立てかけてある。穴だらけだよ、といいながら店の外へ出て開いてみるHさん。ミシミシいいながら開くと、物自体は良いようだが、ボロボロ。閉じようとすると閉じない。閉じないと店に入らない。暗い路地の真ん中で、大きな開いた傘をああだこうだしてるHさんを放って帰るのも面白いと思ったが、なんとか手伝って閉じて帰った。

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頭部が大体完成した人物は、昨年であったら、キャッチーな方向にいったと思うのである。しかし現在ではイメージが出尽くしている感があり、後発ゆえに、普通に力を入れているようでは、もう沢山といわれそうだし、少なくとも私はウンザリするだろう。いや、もうしている。イメージ変更が吉と出るか凶とでるか。無難でないことだけは確かである。
連休中に、背景撮影を済ませておきたいと思い、カメラを持ってでかけるが、富岡八幡の骨董市に引っかかってしまう。 芝居用か居合いの練習用か、刀が目に付く。ここで入手しても良かったのだ。忘れていた。しかし撮影用とするなら全く問題ないが、特に柄巻の部分の古びた感じが有り難くない。結局、新聞紙でくるんでもらってバッグに突っ込んで、気にならない程度の茶碗を一つに、永井荷風がかけていた物と同じような眼鏡フレームを撮影用に買う。気分がまったりしてしまい、撮影の気分ではなくなる。スーパーで酒の肴を買い、本日は洗濯の日とする。撤退の判断だけはやたらと早い。じっくり取り組む人物像制作と違い、運動神経重視の撮影は、ちょっと気分が翳ったら止める。時間に余裕がある場合だが。  石川遼君、国内男子ツアー「中日クラウンズ」の最終日。首位とは6打差18位タイでスタート、12バーディ・ノーボギー、トータル13アンダーで優勝。1ラウンド“58”の新記録。高校時代、同じクラスに尾崎直道がいたにもかかわらず、申し訳ないが、何が面白いか判らなかったが、遼君が登場して初めてゴルフが面白くなった。

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制作中の人物は、当初イメージしていた画から随分変った。伝記、評伝の類を読み進めていくうち、イメージが変化することは当然のようにある。アダージョの場合、常に一つが終って、ようやく次の人物が決まるという状態で、そこから伝記、評伝の類を読み始めなければならないので、團十郎などは、歌舞伎の歴史のある約束事も多いし、我慢できずに最終決定があるまえに伝記を入手し読み始めていた。 今回も次第に変ってきて、当初決めていた撮影場所も変更した。背景に使おうと事前に入手していたものは無駄になってしまったが。 今回はいつもと違う部分もあり、考え方を変え、私としてはめったなことでは使わないよう、禁じ手としていた手法を使うことにした。有名人であり、それゆえ配布される時期を考慮するうち、この人物は、普通こういう扱いをされることはないだろう、という画にすることにした。
『歌舞伎を救った男』マッカーサーの副官フォービアン・パワーズ(集英社)岡本嗣郎著 戦前来日し、寺だと思って入った歌舞伎座で歌舞伎に魅入られ、戦後進駐軍としてマッカーサーの通訳、副官という立場で来日し、魔の手から歌舞伎を守った人物の話だが、もしあなたという存在がなくなったら、歌舞伎の日米交流とアメリカ公演の同時通訳はどうなりますか?という問に、「だれも不可欠の人物にはなりえない。いつかあなたに代わる人物が現れる」と答えている。あなたの代わりを誰にもさせたくなければ、“可決”の人物になればよいわけである。随分前に、そのことに気付いていた私であった。

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