明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



先日アダージョ12月号表紙を入稿したばかりだが、今のうちに、来年2月号用の資料をチェックしに、江東区内の図書館を回る。某文化センターでは、かつてこの人物の講座を開いたそうだが、そうとうなマニア、○○ガイが集まったそうである。それを聞いて溜息の一つも出るところだが、こと容姿に関しては、研究者を越えるほど、頭の中で自由に動かせるくらいにならないと作れるものではない。 夏目漱石の場合は、写真に写る場合はレンズを見ず、斜に構えると画になると思っていたようで、つまり写真は肖像画の延長である。一方、今回の人物は、写真は記録と考えていたようで、記念写真や、屋外の集合写真、他の人物が様々な方向をむいていても、一人この人物だけは真正面を向いている。ヨソを向いたら撮影者に失礼だといわんばかりである。律儀な性格がうかがえるが、さらに幼少時、晩年、どの写真を見ても、ほとんど同じ表情である。こんな人物の場合、かえってファイトがわく。 本人がブスッとして真正面向いているあいだに、私に色々させられてしまうかもしれない。

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今回楽しみにしていたのは、羽田から旅客機が飛び立つシーンである。TVCMで観た時、あまりに私の記憶そのままなので唖然とした。母に確認すると、私の2歳の時の記憶であることが判った。私を始めて手放した日なので間違いないという。親戚に連れられて行ったのだが、向う道中おやつに乾パンをもらい、不味かったことまで覚えている。羽田のシーンは、飛ぶ方向から角度、飛行機の大きさまで記憶のままで、見物ポイントがあそこにあったのであろう。日本橋のシーンもよく出来ていて、手彩色の偽カラー絵葉書で目にしていた風景そのままであり、トロリーバスも懐かしく、カメラを動かさずによく見せてくれ、といいたくなるのは前作同様であった。しかし、1作目の続きということで、初めから1作目を越える気はないような作りになっていて、話が簡単で予想が付くのは前作以上で、話がゆるいにも限界がある。2作目こそキツくフンドシを締めるべきであったろう。前回も気になったが、青空のヌケが悪く、つねに光化学スモッグのようにドンヨリとしているのはデジタル技術の問題なのであろうか。東京は空こそ今と違うのに。あそこまで細部にこだわっておいて不思議である。御用とお急ぎのない本日の私は、ノンビリ眺めてきた。

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大崎ThinkParkの展示が一ヶ月経ったので、漱石から寺山に換えに行く。決局、展示場所の“穴”は改善される事はなく、現場のミスで私の作品には小さすぎ、適切な照明が当たることはない。向かいにあるテナントの表示の看板でかろうじて照らされているというお粗末である。寺山は上半身しか無いので、サイズで撰んだ。帰りにK本に寄ると、常連の大手建設会社のMさん「あ、それウチでやったビルだ」 始めてきた客だろうか。今日も壁に飾ってある、私がK本で撮影した永井荷風の写真が、いつ荷風がここへ来たんだという話題になっていた。 K本の営業時間は4時から8時である(土曜はもっと早い)時間になると、客の誰かが外に出してある自転車と暖簾をしまうのだが、若者が暖簾しまっていいですか?などといいながら嬉しそうにやっている。聞くと、千葉県は松戸の会社員で、K本の暖簾を仕舞いたくて、わざわざ来るという。恐るべしはK本である。

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連休前から、インターネットに使用しているパソコンが不調である。突然止まるのだが、それもしばらく間をおいて起動すれば、何事もないように使えていたが、USBの接続まで駄目になってしまう。 先日、アダージョ5号表紙画像を入稿。12月という事もあり、キャンドルの火を撮影し、いろどりを添えてみた。パソコンをそのままに連休に入る。自転車を乗り回したり、釣りをしたりしていたが、すべて放っぽりぱなしのツケが、ただいま回ってきているというわけである。ハードディスクを取り出し、ケースに入れて外付けのハードディスクに、という方法があるそうなので、早急にやらないといけないが、もともと機械嫌いなので億劫である。動いているスキに、なんとか雑記を書く。

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午前中に、ジェットエンジンの翼を着けた人物を撮影する。思った以上に光の当て具合が難しい。この人物の、私のイメージする表情を出さないとならない。 昼に木場のヨーカドー、スターバックスでTさんHと待ち合わせ、幕張メッセで開催中のサイクルモード2007に向う。このメンバーでは、熱帯魚探索ツアー以来。自転車の最新モデルが集結ということで、試乗もできるようになっている。20インチなどの小径車が流行っているということであったが、思ったほど見る事はできなかった。Hは次の自転車を決めるつもりで来たのに、かえって迷ってしまったのが可笑しい。私が見たかった14インチの折りたたみ、バイポッド・アントは只今在庫がなく、最新モデルは決局間に合わず、発売は来年2月以降になるということであった。目的が果たせないと判ると、広い会場に急に疲れが出る。もっとも気になった自転車を、最後にもう一度見たかったが探せなかった。 渋滞の帰りの車中、『ALWAYS続・三丁目の夕日』をすでに観てきたTさんが、鈴木オートが私と同じことをいっていたと笑うが、どんなセリフだったか教えてくれず。鈴木オートでは、ロクなことでは無いだろう。私も早く羽田空港を観たいのだが。

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一滴  


昨日のロケハンで不思議に思ったのが、店や展望台で働く人に、目の前にそびえるビルに光がいつ当たってるか、どう当たってるいるかなど、何を聞いても誰も知らない。毎日見ている景色だろうに、と思うのだが。そんなものらしい。予定時間に喫茶店の窓際に陣取る。景色を眺めるうち、昨日までの構想と、少々フレーミングを変えることにした。撮影はあっという間に終わり帰宅。現像を済ませネガを選んでいると、一階下に住む映画プロデューサーのYさんからK本より電話でお誘い。「今日はネガ選ぶのに時間かかりそうなので行けるかどうか」といったものの、使えそうなカットを1カット見つけたとたん、安心して出かける。行くとYさんが常連席で、コーラの1リットル瓶から、500ccのペットボトルへキンミヤ焼酎を移している。一見、火炎瓶製作中である。 K本は女将さんが、コーラの1リットル瓶ごと冷やした焼酎を、いったん年季の入ったガラスコップに表面張力を最大限に生かして注ぎ、それを一滴もこぼさず客のコップに注いでくれるのが嬉しいわけで、そのリズムは芸の域に達しているのだが、重いコーラ瓶を扱うのがいかにも大変そうであった。日ごろ、これができなくなったら止めるといっていた女将さんだが、それでは客のほうが困るわけで、軽いペットボトルに換えてみようという初の試みなのであった。作業後、数滴あまった焼酎を自分のグラスに垂らすYさん。すかさず常連から「ずるいぞY」実にたわいがない。Yさんは明日が早いし、定年退職のGさんは、もう少し飲みたいが1杯は飲めない。かといってこぼさないように注いでくれる焼酎を残すわけにいかない。半分お願いと両サイドからいわれ、私のグラスは減ることがない。

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中央公論アダージョのH編集長と、都内某所、高層ビルにてロケハン。次号は主人公に空を飛んでもらおうと思っているので、ビルを何棟も行ったり来たりして撮影ポイントを探す。展望室もあったが、ガラスに密着できないようになっていて、写り込みを避けにくい。開店前の店に頼んで窓外の景色をチェックさせてもらう。会員制クラブは昼間見るとけっこう汚ない。絨毯など、中学校の石灰まみれの体操マットの如し。よほど照明を落として営業するのであろう。入店規則に服装がどうのと書いてあるが、笑止千万である。そういういう店に限って、本部に許可をもらわないと、などとうるさい。勿論そういうものだろうが、時間のことあり、すべて却下。結局、すぐに了解をもらえた、感じの良い喫茶店に決め、窓際を予約する。問題は、明日の光線。 かえりにK本に寄ると、おでんが始まっていた。喉が渇いていたせいで、キンミヤ入りチューハイをゴクゴクと喉を鳴らして飲んでしまう。隣りに座る常連のMさんに、空を飛んでもらう予定の某作家の首を披露。無事ウケる。ここでウケないようでは話にならないということになっている。

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試写会開場が中央公論新社の真ん前で、せっかくなので次号のアイディアスケッチを持ってお邪魔する。今号の『夏目漱石と本郷を歩く』が地味なので、次号は少々ハデにと、主人公にジェットエンジンを背負わせ空を飛んでもらおうと考えている。タイトルに毎号“歩く”がつくのに、歩かずに飛んでるじゃないか、ということもなく、背景になる撮影場所も決まる。 映画はかつてのロシアバレ団の名ダンサー達が、数十年ぶりに集まるところから始まる。現役当時のフィルムは目も覚める美しさ。ディアギレフ以前は、ほとんどフィルムが残っていないのが残念だが、彼の死後のロシア人ダンサー、その他ロシア名で活躍した各国ダンサー、バレエ・リュス初の黒人ソリストの証言など、貴重かつ興味深い。上映時間を2倍にして当時のフィルムを長く見せてほしいくらいである。給料は安かったようだが、老人達はバレエ・リュスに在籍していた誇りを、みな持ち続けていた。それにしても、あの名花がこの老婆。時以上に残酷なものはない。 帰りの地下鉄車中、ジェットエンジン背負った人物が○○背景に飛んでいるというのは、よく考えたら、とんでもない図である。こんなことを考えている間は、私はすこぶる付きで機嫌が良い。鼻息が荒くなってきて、K本でキンミヤ焼酎胃袋に放りこみ、馬力をつけて作業を再開したのであった。

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久しぶりに徹夜をした。早寝の習慣がつき始めていたので久しぶりである。寝る前に富岡八幡の骨董市を覗いてみることにした。先日、やっていない日に工務店のSさんに誘われ無駄足を踏んだから、半年振りくらいだろうか。こんな日は何か必ずある。鳥居の下で、青山のビリケン商会の店長T君に会う。川端康成の写真がありましたよと教えてくれる。なるほど、これだろうか? 私は川端を作ることを考えないではなかったが、ただ人物像を作るだけでなく、その作品世界の中に作者を置くわけである。となると、あの目玉がいけない。川端的世界のどこかに、あの猛禽類的目玉がランランと光っていて画になるであろうか。 それは某新聞社の紙袋の中に30枚近く入っていた。どうやらノーベル賞受賞前後のドタバタ時のものであり、スウェーデンで撮影されたと思しき物もある。吉永小百合との写真もあったそうだが、映画マニアに売ったそうである。そんな物はどうでもよいが、おそらく受賞を聞き、すぐに駆けつけた三島由紀夫と一緒に写った写真もあったはずである。いかにも原稿に使ったものから、受賞インタビューのマイクをセッティング中や、記者に囲まれ、本人が見えないものまである。僧侶姿の今東光と歩く写真の裏には『金色堂落慶式で五十年らいの親友、今東光氏と連れ立って歩く川端さん43・5・1』と鉛筆書き。今時、モノクロ印画紙のプリント自体が貴重だと購入。この目玉を主役にするべきかも。 家に向かうと工務店のSさん。私をハゼ釣りに誘おうとしていたらしい。「冗談じゃないよ徹夜明けだよ」 結局夕方になり、さすがに寝ようとするとSさんから電話。[K越屋で鍋やるから行こう」人恋しげな七十過ぎの老人にいわれるのでしかたなく休日のK越屋に。結局、Sさん飲みすぎで大変なことになり、家に電話しないでくれというので、親仁さんがそっと次男坊を呼んできた。Sさんこの次男坊とは仲が悪いらしい。脂汗をかいて息子に担がれ帰った。シミジミとして酔いもさめる。あと数時間で、2日完徹になるところであった。 

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一日  


あれもしなくちゃ、あそこも行かなくちゃと考えていると、私のキャパはすぐに一杯になり、決局何もかもが面倒になり、どこへも行かず、人形の頭を作っては自転車の部品を換えたりして一日が終わってしまう。幸い作る事だけは面倒にならないのは有り難い事である。 とはいうものの、幼稚園児の頃、幼稚園など行きたくなくて、どこかの王様にお城に幽閉され、何にもしなくていいから、ここで一生好きなものを作っておれ、とかいわれたらどんなにいいかと思ってたら、こんなことになってしまったから、子供がボンヤリ遠くを見る目をしていたら、張り倒してでも、目を覚まさせるべきであろう。

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先日ホームページのカウンターが20万を越えた。有り難いものである。私がインターネットに興味を持ったのは1999年に、一人一日、1ヶ月間の個展というものがあり、その様子をネットで配信するということで、会場に置いてあったパソコンを見たのが最初であった。91年から独学でオイルプリントを始め、8年かかって、なんとか人前に出せるようになったか、ということで、その時はオイルプリントを1日だけ披露したのである。(一技術に10年かかると思い知った)今でこそ古典技法に興味をもつ人が増えたが、当時は惨憺たるものであった。日本人は未知のものを前に、まず感じるという運動神経が鈍く、どんな成分で出来ているのか知るまでは感じてなるものか、と無表情である。そして同じことばかり聞かれるので、ホームページを作り、オイルプリントがどういうものか載せたら良いのではと考えたわけである。だいたい人形作って写真に撮ってます、と口に出すたびいってる私がつまらなそうだとウンザリしていたので、説明しないで済まそうとも考えた。 イメージがすべてであり、ホントのことなどどうでも良く、マコトを写す写真という言葉を、蛇蝎のごとく嫌う私は、人形作って写真に撮り、デジタル加工してオイルプリントにするという、ウソの上塗りともいうべき行為に、もっとも愛着がある。そのわりにオイルプリントの新作を発表していないし、オイルプリントで検索しても私のことくらいしか出てこない。これはまったく問題であり、そろそろ再開も考えなければならない。乱歩から漱石までネタは随分たまっている。

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