明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


背中に蛇に牡丹のモチーフの彫り物を入れた女性は、オイルプリントにもしたし、今回和紙にプリントもした。背中はすでに完成し、今は前面に骸骨のモチーフを入れているという。いずれまた撮ることが決まった。もう一人、大きな女郎蜘蛛を入れている最中の女性も撮らせてもらう予定だが、こちらは谷崎と共演させて『刺青』を制作しないわけにはいかないだろう。何故だか二人とも蛇を飼っていて、一人は一匹は2メートル以上の蛇がいるらしい。そんなことを聞くと、私の“及ばざるくらいなら過ぎたる方がマシ”魂が疼いてしまう。ついでに“感心されるくらいなら呆れられたい”魂までも。 そういえば蛸に絡まれた女性も和紙にプリントした。何故こんな作品を作ったかというと、円谷英二を制作した時に、権利上怪獣を使う訳にいかず、作中よく大蛸を登場させた円谷なので、勝ちどき橋を大蛸に襲わせた時のデータが残っており、被写体の女性をたんに笑わせようとしたのが発端で、やってるうちに熱中してしまったのであった。昨日売れる写真はさりげない写真だと聞いたばかりであるが。私には到底無理のようである。 20年以上前に仕事をした方から連絡をいただいた。記憶を辿りながら話す。時間は経つものである。ある人物を作る話しが出たが、今年の流れからいったら面白ろ過ぎだが。正式な依頼でもなければ、浮世絵師なんて作れるものではない。

※拝啓つげ義春様』
 (後期)21017年10月21日(土)~11月5日(日)『ゲンセンカン主人』展示
ビリケンギャラリー
 住所:〒107-0062 東京都港区南青山5-17-6-101
 TEL:03-3400-2214
 営業時間:12:00 ~19:00(月曜休)
 ホームページ:http://www.billiken-shokai.co.jp/

※『タウン誌深川』25日“明日できること今日はせず”連載5回「芭蕉の実像」

※深川江戸資料館にて九代目市川團十郎像を展示中。11月12日まで。

HP

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来春の個展では私なりの絵画主義作品(ピクトリアリズム)としてやろうと思っていたが、同時に手漉き和紙のプリントにはまっている。私はどうしても“及ばざるくらいなら過ぎたるほうがマシ”タイプなのでやり過ぎてしまう傾向にあるが、そうしないではいられないのでこればかりはいたしかたない。今日は以前撮ったヌードと『三島由紀夫へのオマージュ展 男の死』の時に潮騒の1場面として制作した海女達である。作者がこういうことをいっていいものかどうか判らないのだが、ここにホントのことは1つもない。 そして手漉き和紙が、私の過ぎてしまいがちな毒を中和してくれている。コッテリした揚げ物にレモンを搾ったが如し。じつにマズイ喩えではあるが。何年も前の作品に、何故か楽しい気分にさせられて見飽きない。娘達が今日の獲物についてガヤガヤいっているからだろうか。青空だろうか。陽に焼けた娘の肌の色だろうか?いずれにしても今になって何故なのか良く判らないのだが、レモンの一絞りも効いているのだろう。ところで本日某所で売れる写真は?と聞いたら花でも風景でもさりげない写真だそうである。“さりげない”。私の辞書の何処をさがしてもそんなものは出て来ないのであった。残念。 帰りにT千穂に寄ると、明治座の11月公園『京の螢火』の寺田屋の番頭役深沢敦さんと若手の御一行様で一杯。先日深沢さんにお会いした時、寺田屋当主役の筧利夫に三島由紀夫をやって欲しい、と伝えてもらうようお願いした。少林寺拳法やっていたし、あの顔にバランス、サイズ感。三島が大きかったら三島にはならなかったろう。筧利夫をおいて三島役はいない。何故誰も三島役に起用しない。


※拝啓つげ義春様』
 (後期)21017年10月21日(土)~11月5日(日)『ゲンセンカン主人』展示
ビリケンギャラリー
 住所:〒107-0062 東京都港区南青山5-17-6-101
 TEL:03-3400-2214
 営業時間:12:00 ~19:00(月曜休)
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※『タウン誌深川』25日“明日できること今日はせず”連載5回「芭蕉の実像」

※深川江戸資料館にて九代目市川團十郎像を展示中。11月12日まで。

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江戸川乱歩に関しては、最初に気球にぶら下げてしまったし、屋根裏の散歩者や盲獣にもなってもらった。そこで作者を作品の中で、といった趣向ではなく、乱歩本人のポートレイトという風に撮ってみたい。乱歩像でも、未だ写真作品としてちゃんと撮影していない作品が数体ある。寝転がって煙草をふかしながら良からぬことに思いを馳せる乱歩。これは神奈川近代文学館の『大乱歩展』など展示は何回かしているが、写真としては、朗読ライブの『屋根裏の散歩者』でスライド用に撮影しただけである。 乱歩は寝床で執筆したそうだし、寝転がって空想に耽っているところを作ろう、と思いついた時に私がしていたポーズそのままである。和綴じの本を開いている所を(と書いた今、広げて眺めている物について、もっとインパクトのあるものを思いついた)。 確か何かの広告で、乱歩は暗い土蔵の中で蠟燭一本で執筆しているようなことを書かれ、迷惑していた、ようなことを書きながら、そのイメージを案外利用していたのではなかったか。円朝でせっかく入手した和蠟燭は、炎を筆の手描きにしたおかげで減ることもなく。なんならここで使っても良い。眼鏡のレンズに映る炎。あれだけ乱歩は実際は常識人だったので、盲獣をやってもらってもグロテスクにならぬように気を使った、などといっておいて、ここで作られたイメージに乗っかるのか? そこまでで画としては充分。と思うのであるが、例によって余計なことと思いながら、例えば乱歩が今何を妄想しているのか、中空にその画を浮かべてみたくなったりして。かつて『人間椅子』において女流作家佳子の座る椅子の中身を透かせて見せたことがある。何しろ『怪獣解剖図鑑』の大伴昌司の影響を思い切り受けた世代である。

※『拝啓つげ義春様』
 (後期)21017年10月21日(土)~11月5日(日)『ゲンセンカン主人』展示
ビリケンギャラリー
 住所:〒107-0062 東京都港区南青山5-17-6-101
 TEL:03-3400-2214
 営業時間:12:00 ~19:00(月曜休)
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※『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載5回「芭蕉の実像」
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一日  


老人には逆らわず、なんでもハイハイと相手すべきだ、とよく聞くが、他人ならともかく、家族となるとなかなかそうはいかないものである。母が入院していた病院でも今世話になっているホームでも、母は何かと色々いっていたが、そんな訳ないだろ、といっても、すべて話しは通っている、という。それを聞くと母も相当ボケたのではないか、と思わされるのだが、それは周囲が調子良くハイハイその通り、なんて適当にやっているせいである。 母に頼んでいた書類が送ったというのに届かない。もう一度送った、送ったのは職員に確認している、というのに届かない。そこまでボケたのか、と思いながらホームに電話すると、母には送ったといっておいて、投函していなかったことが発覚。仕事としては、老人相手にいちいち本気にせず、適当にしていないとやってられないかもしれないが、大統領宛てに手紙を出そうというならともかく、息子宛の手紙はちゃんと投函してくれよ、という話しである。母からすれば、職員が判りましたやりました、伝えてあります、といえば信じてしまうのは当然である。なんでもハイハイいってられない家族が迷惑する。 先日携帯電話が突然起動しなくなった。またか、という人もいるかもしれないが、今度にかぎっては私のせいではない。その間もらった数件の電話は、一度頭に染込んだら、10年以上会わなくても最初の「モシモシ」で誰だか判る、という、それがどうした、という私の特技が始めて役にたった。 うかつにもバックアップを取っていなかったので、携帯のアドレス帳に私を登録していただいている方がこれを見たら、電話番号などメールしていただけると有り難い。

※『拝啓つげ義春様』
 (後期)21017年10月21日(土)~11月5日(日)『ゲンセンカン主人』展示
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地元の『タウン誌深川』の最新号で、51歳で、私よりずっと若くして亡くなった松尾芭蕉を、どいつもこいつもいい加減なジジイ扱いして、門弟が師匠はこういう人だった、と肖像を描き残しているのに無視して何処の馬の骨か判らない芭蕉像を乱造して、ということを書いた。一説には全国に2千体はあるという。地元深川にもあるが、これから2400キロの旅に出るというのにすでに軒下にへたり込んでいたり、顔もまちまちである。実在した人物に対するリスペクトがまったく感じられない。銅像など腐りもせずそこに居続ける訳である。なんでそのような加減なことが平気でやれるのか?私はその人物に見せて恥ずかしくないよう。さらに常にウケることに心を砕いて来たのだが。それに引き換え、先日書いた鏑木清方の肖像に対する考えなど、じつに真摯であり、うたれた。 私は以後、頭部をすでに作ってある人物を別にすれば、依頼されない限りは実在した人物を作ることはないだろう。つまりもう人物について調べ、思いを馳せ、気を使うことから開放されることを意味する。もっとも小学生の時から、好物だったのは人物伝、評伝の類いであったし、興味の対象は人間だけ、といっていいくらいなので、興味が薄れることはないだろうけれども。

※『拝啓つげ義春様』
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エンケンこと遠藤賢司が亡くなった。小、中の同級生Eにメールをしたら、中学卒業間際、同級生3人で記念にカセットに歌を録音した時に、私は「寝図美よこれが太平洋だ」を歌ったそうである。吉田拓郎、武蔵野タンポポ団その他、3人で分担して録音した記憶はあるが、それよりむしろ私の演出でドキュメンタリー風に私とYが「E君」。2階からEが「おお上がれよ」から始まることや、当時の高校野球、ヘビー級ボクサーのジョー・フレイジャーのデカパンの話などの会話を入れたことを憶えている。Eとトレードした岡林信康や中津川フォークジャンボリー、吉田拓郎のライブ盤など未だに手元にある。Eは深川江戸資料館の個展に久しぶりに彼と血がつながっているとは思えない美人のお姉さんと来てくれた。 中学時代は先端をいくロック少年であった私はアイドルにうつつを抜かす同級生を馬鹿にし、これを聴け、と啓蒙活層にいそしんでいた。先生にドアーズを取り上げられ「ハートに火をつけて」「タッチミー」「あの娘に狂って」?なんだこれは!と叱られている所をEは憶えている。おかげで後にキャンデイーズのファンになった時は、こそこそと隠れるように隣町のレコード屋まで買いに行くはめになったが。そんな私にフォークを教えてくれたのがEであった。高校受験の朝、遠藤賢司の『満足できるかな』(71)を聴いてから受験に望んだ記憶もある。Eはお袋さんと二人の介護生活で、私が近所まで行くから、といっても喫茶店で会うこともままならない。いずれあのカセットに録音した曲などカラオケで歌いまくりたいものである。

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肖像  


肖像画に関する本を読んでいたら、昔は写真館とは別に肖像画屋がけっこうあったそうである。店頭には、有名人の似顔絵が掲げられ、中にはこんなにそっくりに描けてます、とばかりに、参考にした小さな写真も並べていたらしい。今どうなのか知らないが、上野に行くと、そんな作例を並べた似顔絵描きがいた。それらは単に写真をそのまま写すだけのものだが、肖像画は内面を描くことが肝腎で、第二番目に大事なのが似ていることだという。鏑木清方についても出てきた。清方のエッセイに書かれていることだが『若いときには肖像画ほど面白くないものはないと思っていた鏑木清方が肖像を描くようになったのは、1930年の『三遊亭円朝像』からである。画道に入れと勧めてくれた恩人(円朝)に建碑の代りに故人が勧めてくれた仕事でこの人の職分の姿を写し、世に残そうと思ったという。この制作に苦心したために古画の肖像を見直して、次第に肖像が、精魂をまことにうちこめる第一の仕事と思い込むようようになったようである。円朝は、よくその人を知っていたので始めから見通しがついていたが、樋口一葉を描いたときは、小説をよく読んでいたので、充分知っているつもりが、本人にあったことがないので、見通しがつかなかったという。』 思えば清方の円朝像に興味を持ったのは、写真に残されている円朝と、清方の円朝像が似ていなかったからだが、そのために、昨年来ブログで書き連ねて来たように、私の知り得ない円朝が居るのではないかと疑心暗鬼になりながら文献を彷徨い、円朝像に取り組んでみた結果、この筆者が書くように、写真より清方作の方がより円朝だった。という結論を得、とても大事なことを教わった。これはそろそろ作りたい人物がいなくなってきた私に対するはなむけ、のような気がしている。

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イメージの世界とこの世の間でいつまでもフラフラしていてはしょうがない。浮世絵の自由奔放さに魅かれていたはずだったが、そのわりに私の頭は固く、こう変えたのだから、これからはすべてこうすべきだ、と考えてしまう。川瀬巴水は、人物を大きく描く時と、風景を描く場合は別人が如くに別なルールを適用している。ああしなければ描ける世界が限られてしまうであろう。私もそうしていこうと思ったわけであるが。私は日本語しか話せないが、何語か多少話せるようになっても、その言語で夢を見るようになるのは、そう簡単なことではないだろう。 いつもこの調子である。棚からボタモチが降って来たように、突然思いついて、止むに止まれなくなる。所が表層の脳がそれに付いて行けず、いったい私は何をしようとしているのか。自分が判っていないのだから、何処へ行くの?と人に訊かれても上手く答えられない。馬鹿みたいである。はやくこの時期を脱して、最初からこうするつもりで計画通り。みたいな顔をしたい。その間のドタバタはここで逐一書いてしまっているわけだが、幸か不幸かたいして読者がいるわけではないので、あまり恥ずかしくはないのであった。

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目標  


先日、ネット上で、ある浮世絵を見た。画面内に描かれているものは比較的普通の遠近法で描かれている。ただ1つ、床に置かれた団扇が、他の物品の遠近感から伺える床の角度に合っていない。江戸時代などはまずそんなことより、情報を画面の中に収めることが肝腎である。そこに団扇が置かれていると。こういうことは“身も蓋もない”写真というツールは向いていない。 この歳になって10本の指を使って計算している子供の如き有様だが、絵画の勉強をしたわけでなく、色々やりながらああだこうだするので、時間を要し(一度出品した作品を差し替えたりしながら)あらぬ方向に進みがちだが、例えば黒人のギタリストなど、奇妙な弾き方をするミュージシャンがいるが、日本だったら情報は氾濫してるし、口やかましいアドバイザーがいくらでもいるので、なかなかそのまま大人にはなれないだろう。好きなミュージシャンで、安物の日本製ギターを酷い音でかき鳴らすハウンドドッグ・テイラーという人が生前いった『おれが死んだら、みんなは、「たいしたプレイはできなかったけど、確かにあのサウンドは良かったなあ」って言うだろうな。』私はこの辺りを目標にしているのだが。

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最近始めた手法は、最初に陰影を排除することから始めた。次に遠近感をかつての日本的平行遠近法に、と試行錯誤しているのだが、これには陰影がないことが最低条件であろう。私はいい加減な割に律儀なところもあり、そうするからにはそれまでのことを捨て、今後すべてそれでいくべき、と考えてしまうのだが、陰影を描きたくない時は描かず、描きたい時には描く、という日本画の柔軟性を知るにつけ、私も少々学んだ。小学校の3、4年のとき、湖面に映るボートの影を描いて、なんでこんな物を描いた?と教師に問いつめられ『だってそうなってた』。と思った私である。散々馴染んだこの世に未練もある。そこに夜営業している寄席があれば外に漏れる灯りを表現してみたいし、行灯を置けば、それが描く灯りと作り出される陰も表現してみたい。例えば新版画の川瀬巴水のように人間を風景の中に描く時と人物を大きく描く場合は陰影の扱いは違う。そこは別世界とはっきりと分けている。私もそうすることにした。ただし1つの画面の中に矛盾があってはならない。

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構想  


実在した人物を作る場合、頭部を作るのに最も時間がかかる。それさえできれば、出来たも同然である。作りたい人物もほとんどなくなり、来春の個展では新たに撮影用に作るとしても、頭部がすでにある人物しか扱わないつもりである。ここ数年、撮影用に、写る部分しか作らなかったりした物等、作り飛ばして放ったらかし、であったので、ちゃんとしておこう、と考えたのが深川江戸資料館の個展であった。それでも展示にいたらなかった作品は10体体以上あったろう。広いホールではあったが、出品数の制限もあった。 写る部分しか作らなかったのは主に交通局のフリーペーパー用に制作した物で、画にならない、都営地下鉄沿線風景を背景にするため、背景を決めて、それに合わせて造形するという苦肉の策を取ったためだが、そういう背景と関係なく、改めて写真作品として残しておこうというもくろみもある。私の場合、実在した人物を、何もない所から始めた場合、写真撮影を含めて、1年で6体がせいぜいである。しかしすでにある作品を使い、頭部を作る必要がなければ、時間的余裕がある。となると、ちょっと欲が出てくるのは『寒山拾得』である。いずれ爺さんにでもなり、作品化する方法があれば、と頭の隅にウッスラ考えていた。そもそも私の晩年は今まで作って来たデータを、すべてオイルプリント化して終わるのではないか、と想像していたが、最近始めた手法のせいでそんな構想も崩れた。崩れたけれども、その方法なら、写真では扱えないだろうと思っていた『寒山拾得』を描けるような気がしてきた。意識したのは、今年の7月末、千駄木の全生庵へ三遊亭円朝像展示の件で伺った玄関先であった。中国の寒山寺と同じ、臨済宗の禅寺であったことに縁を感じた。こういうことは逃すべきではない。もっとも、昨日書いたように、私はブログでこうして思いついたことは書くが、断念したことは書かないのだけれど。

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先日、三島のことで、ブログ以前の身辺雑記を読んでいたらストラヴィンスキーを作っているようなことが書かれていた。そういえばそんな記憶がある。顔が制作欲をそそったのだろうが、写真作品にするアイデアが浮ばず断念したに違いない。おそらくデイアギレフやニジンスキーと並べて、くらいのことを考えたのであろう。私は思いついたことは書くが、熱帯魚や糠床同様、断念したことは書かない。 オイルプリント法の技法公開の目的で2000年にHPを立ち上げたが、当時は画像を軽く、となにがしか更新しないと見てもらえない、といわれたものである。そこで身辺雑記を始めたのだったが、さぼり気味が露にならないよう日付は書かず、某日などと書いている。しかしこれだけ長く続けていると、人生上の馬鹿々しい出来事はほぼ書いてしまったような気がする。なので、昔のことを書いていると、これは以前書いたのではないか、とよく思う。実際書いたことを忘れて同じことを書いているだろう。 友人に、よく次から次へ、作りたい物がでてくるものだ、といわれるが、空腹になったら食べたい物が浮ぶように浮んでくるので、むしろ浮ばない、という感じが判らない。しかしこれは逆に言えば、これで満腹になった、仕事をやりきり定年を迎える、ということがないということを意味する。つまり道半ばで、悔しさに歯ぎしりしながら死ぬしかないわけであり、これは恐い。そこでつい最近特にスピードをアップしてしまう訳だが、道半ばで終わることには違いがないのであった。

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昼食を食べそこね。5時になり冷えて来たのでで、近所のラーメン屋に行くと客は誰もおらず、従業員が一人。麺を茹でながら「次はまた何かやるんですか?」「来春だね」。そんな話しから始まり「萬鉄五郎や村山槐多って知ってます?」「槐多は作ったことあるよ。」赤ん坊がおしっこしてるのありましたよね?」「「赤ん坊じゃないけど」槐多におしっこさせたよ」。こんなところで村山槐多の名前が出るとは思わなかった。しまいにはキュビズムまで出て来た。先日田村写真で、キュビズムって浮世絵の影響ではないか、と話しが出たばかりである。日本から輸入された陶磁器の包み紙で浮世絵を知った向こうの画家達のことも知っており、日本と西洋の遠近法の違いも判っている。ここがラーメン屋でなかったら寿司を御馳走する場面である。地元生まれで神田じゃないのは知っているけど。そういえば昨年、深川江戸資料館の個展用にドストエフスキーを持っていたら通勤途中の彼とすれ違った「外国の作家なんだけどさ」。すると「ドストエフスキーですか?」その話しをするとドストエフスキーしか顔を知らなかったから、という。 休みの日に絵など観に行って、こうして感じて帰ってくる人がいるんだよなあ、とちょっと良い気分になった。

※『拝啓つげ義春様』
 (後期)21017年10月21日(土)~11月5日(日)『ゲンセンカン主人』展示
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※『タウン誌深川』25日“明日できること今日はせず”連載5回「芭蕉の実像」

※深川江戸資料館にて九代目市川團十郎像を展示中。11月12日まで。

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来春  


期日はまだ未定だが、来春の個展が決まる。決まらないと、ただ思いついた方向に行ってしまいそうで落ち着かない。もう新たに作りたい人も少なくなって来た。昨年深川江戸資料館で虫干しした、今まで作って来た作品を最近の手法で撮り直した作品が主となるだろう。 もう一つ、私が20代で始めた架空のジャズやブルースマンの作品展もやる予定である。こちらはまず、一体でも頭部を作ってみないと良く判らない。あの調子で、ということであれば5、60年代的な細いスーツを着た人達になるだろう。好みはそう変わる物ではない。当時はまだ写真をやっていなかったこともあり、写真はほとんど残されていない。何体作るかは未定だが、昔と変わらなければ、おそらく1体はボクサーになるのではないだろうか。同時にこのシリーズ最後となった個展用にたった2ヶ月間撮影した写真がほとんどになるだろう。しかしここへきて、まさかあれを再び作ることになるとは思わなかった。

※『拝啓つげ義春様』
 (後期)21017年10月21日(土)~11月5日(日)引き続き『ゲンセンカン主人』展示
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 営業時間:12:00 ~19:00(月曜休)
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※『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載4回「哀しい背中」
※深川江戸資料館にて九代目市川團十郎像を展示中。11月12日まで。

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三島は事件の直前、二人の彫師に打診しているが、本当に入れようとしていたのか撮影用だったのかは判然としない。三島の告げた期日内では無理、と断られたという説もある。人形の背中に唐獅子牡丹牡丹を描いてくれた彫Sに訊くと不可能ではない、という。本人の覚悟次第だそうだが、数週間後に腹を切った三島なれば、どうということはなかったろう。私は本当に入れる気だったと見る。プロの彫師としては数週間後に死ぬとは知らないので三島の身体を考え断るのは当然であろう。彫師に打診する直前、隊員とサウナで打ち合わせしている。つまり背中に何も入っていないところを見せておいて、バルコニーの演説の後、脱いだとたん森田以下、初めて目にする背中の彫り物。となったかもしれない。三島ならやりかねない、と私は思う。 直後に後を追う森田になぜ自身の介錯をさせたか。結果、グサグサと、ヘタクソな介錯で三島は酷い目にあっている。普通なら森田に代って見事に介錯した古賀に任せるのが妥当であろう。それは三島がかつてバチカンで見た大理石のアンティノウス像の石像に似ていたからだ、と私は考えている。森田がアンティノウス像に似ていることを活字化されたのは『平凡パンチの三島由紀夫』の著者、椎根 和さんが始めてだそうだが、私もまだブログではない身辺雑記時代の2006年の10月某日11と12に三島の首を制作しながら言及している。興味の在る方はPHOTOGRAPHをクリックしていただきたい。 こういっては問題も異論もあろうが、私としては、三島の理想の死に方実現のために作られたのが楯の会だと思っている。そう思ったのは死の丁度10年前、三島が変名で会員制同性愛雑誌に書いた『愛の処刑』を読んだ時である。これは先年全集にも収められたが、自身のイメージする理想的な死に方を書いた、と私は読んだ。


※『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載4回「哀しい背中」
※深川江戸資料館にて九代目市川團十郎像を展示中。11月12日まで。

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