明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



三島由紀夫は「あと何百万年たっても、女が男にかなはないものが二つある。それは筋肉と知性である」といっている。しかも書いているのが婦人公論というから困った人である。1963年当時はまだそんな時代だったのであろうか。私が女性だったら、三島は二度と読むまい、と思ってもおかしくないセリフである。そもそも女性だったら三島は作らなかっただろう。 何度か書いた気がするが、私は死ぬまでに一度見てみたいものに、スポーツで女性が男性の記録を抜く瞬間がある。63年といえば、翌年に開催されたのが東京オリンピックである。その時マラソン銅メダルの円谷幸吉の記録は、すでに女子に1分も抜かれている。長距離走など“根性”がものをいう競技には可能性があるのではないか。 私は円谷が大嫌いである。『男は後ろを振り返るな』という父親の言いつけを守り、競技場内でヒートリーに抜かれる。父親は人生訓としていったので、そういう意味でいったんじゃない、としたらとんだマヌケな男だが、後ろから迫るヒートリーに、“シムラ後ろ後ろ”ではないが、手に汗握って応援した少年にしてみると、胸糞悪い遺書を残して自殺されてガッカリ。憎さ百倍に転じ、日本男児の悪例のイメージとなった。 ところで三島先生は思いもよらなかったろうが、現在では女性で先生くらいの筋肉の持ち主はいくらでもいる。

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現在制作中の作家は存命中である。資料写真が潤沢にあるのが良いが、あまりやり過ぎで、だっら本人使えば良いじゃないか、となってはならないので、作り物臭さを残したほうが良いだろう。酒場で渋く、ということだが、かつでジャズ、ブルースシリーズで、散々そんな男性像を作ってきた。
“マレーの虎”こと陸軍大将、山下奉文の色紙が届く。水野晴郎が制作した怪作『シベリヤ超特急』で嬉しそうに自ら演じていたあの人物である。シンガポールでの降伏交渉の場で、敵将パーシバルに無条件降伏を迫る「イエスかノーか」という映像で有名だが、緊迫感を出すため、早や送りにしているそうである。確かにその時代の映像としてはせわしない。大日本帝国は実に芸が細かいが、実際は要領の悪い通訳に対していったので、敗軍の将にそんな振舞いはしない、と本人はいっている。後に日本がミズーリ艦上で無条件降伏をするさい、パーシバルを同席させマッカーサーにしっぺ返しをされている。 二・二六事件の青年将校は、事前に皇道派とされた上官の腹を探っている。首相に担ぎ出すつもりだった真崎甚三郎陸軍大将、他、山下奉文等々。そこで事後、彼らが立ち上がることを信じたわけだが、天皇の逆鱗にふれ、結果反乱軍となってしまう。そもそも事の起こりは皇道派に焚きつけられた相沢という少佐が、陸軍の逸材、統制派の永田鉄山を惨殺した所から始まる。永田は他国に対する占拠を反対していた人物で、名コンビといわれた東条英機が奔馬としたら名騎手にたとえられ、ブレーキとなりあの戦争には突入しなかっただろうとみる人も多い。青年は美しいと三島はいうが、登場する青年達は単純に過ぎると私には思える。  今回の震災により、予定していた個展会場の存続が危うい、ということで開催もまだ未定であるが、かまわず進めることにする。三島の二・二六をテーマにした作品は、制作の下ごしらえは済んだ。来月は他のバージョン制作のため、浜松に行く予定である。アダージョの制作でくりかえしたように、先に背景を制作し、そこに人物を配していくという手法である。 今回の震災で、東京にいながら、ショックで何も手に付かないという知人もいる。私の場合は世の中に無くたってかまわない物を、あえて作るという渡世を選んだので制作はあいかわらずである。

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ライターの妹尾美恵さんからジョニー・ウィンターのチケットがあるので、とお誘いいただいた。最近の映像を見た知人から話しを聞いて一度は断念したのだが、ボクシングも中止だし、せっかくなので行くことにした。CMでは元気な頃のライブ映像しか流さないが、いいのかそれで?
ここのところ二・二六事件の朝の再現を試みている。青年将校役の三島由紀夫が、様々な状態で配される予定である。先日のブログに書いたように、オイルプリント化して発表の可能性もでてきたが、二・二六でオイルプリントといえば想い出すことがある。  2000年に九段にあった画廊でオイルプリントの個展を開いた。99年に1日だけという特殊な形では初披露しているが、ちゃんとした個展としては始めてである。観に来ていただいた方々は、始めて眼にする技法であったろう。これはいったい何なんだろう、ということに終始し、絵の具を使う技法は、現代においては、いっそ版画の一技法だという方が判りやすいと思われた。しかし歴史的には写真という分類であるから、私が勝手に解釈を加えることは避けた。画廊主自体が最後までこの技法を把握することができずに終ったが、画廊としては限定何部、という写真、版画的な表記を求められたが、この場合、何部同じものがあるというのが前提だが、用紙を手作りし、ブラシで叩いて印画するこの技法では、データがあれば同じものが出来る他の写真技法と違い、このネガを使って今後何部しか作らない、という意味になる。 この前年、後に画像加工などすることなど考えもせず、HPを作るためウィンドウズを入手していたが、オイルプリントを広めるためにもホームページを作る必要を感じ、翌年このサイトを開設したのであった。 二・二六というのは、この画廊は千鳥ヶ淵と目と鼻、通りを隔てて靖国神社があり、事件当日戒厳司令部となった九段会館も近い。画廊のビルの地下では、決起軍将校がビラを印刷したと聞いていた。以前紹介したことがあるが、そこで撮ったのが、この1カットである。ネガフィルムには妙な物が蠢いている様子がハッキリ写っており、物によっては、尾をひいて、あきらかにホップしている。詳細に見ると床などにもかなりの数である。入ってきた方といきなり眼があうのも、と私は柱の陰に坐っており、回ってきた所で挨拶することにしていたが、室内に入ってきた気配があるのに誰もいない、ということが2回あった。私は基本的に、“そんなもの”があったら大空襲のあった東京なんかで暮らせるもんか、という立場である。それはそうだろう、どこぞのトンネル、どこぞの病院などというセコイレベルではないのだから。しかし“そんなもの”が人一倍好きだということは別な話しで、よって待望の1カットなのである。

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夕方打ち合わせ。珍しく生きている人物である。作家としては二人目。一人目は巨体の、当時某出版社に住み込みの人物であったが、原稿が完成しないまま、そのままになってしまった。依頼してきた出版社は依頼したきり挨拶もなし。いい加減な出版社である。P○P。 今回の出版社は時間がないらしく、(何故かいつもそうだが)急遽飲み会の予定などキャンセル。長谷川のトリプルタイトルマッチを観戦している場合ではなかった。 中央公論アダージョでは、古今亭志ん生の飲酒表現が東京都交通局からクレームが付き、お銚子とガラスのコップを湯飲みに変更させられた。(このシチュエーションで 志ん生がお茶を飲んでいると思う人はいないだろうが)もう時効だろう。笑い話としか思えないのだが、この件では都知事に裁定をお願いしようというところまでいった。当時新銀行東京の問題でそれどころではなかったが。実際いっていたら、いや都知事も良いところはあるんだぜ、ときっといえただろう。 煙草もNGだったので、吉田茂に葉巻をくわえさせることもできなかった。しかし今度の作家は、そもそもバーで飲んでいるところだというし、煙草もOKである。ジャズ/ブルースシリーズを含め、私ほど作品に煙草を持たせたり、くわえさせてきた作家はいないだろう。望むところである。今では煙草は臭いだけだが。

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一日  


それにしても水道水の汚染など、発表のしかたがあまりにもお役所的で要領を得ず、あれでは、お年寄りは高級布団でも買わされてしまうだろう。水はどこにもない。私は乳幼児ではないので水道水で充分である。汚れないで生きようったってそうはいかない。東京オリンピック以降の日本人は、薄いガス室の中で生きているのと同じ、といっていたのは誰だったか。  4月8日のボクシング、トリプル世界タイトルマッチ両国国技館。2階級制覇のWBC世界フェザー級王者長谷川穂積×同級1位のジョニー・ゴンサレス(メキシコ)WBCスーパーバンタム級王者西岡利晃(帝拳×同級6位マウリシオ・ムニョス(アルゼンチン)WBCスーパーフェザー級王者粟生隆寛(帝拳×同級3位のウンベルト・グティエレス(メキシコ)。すでにチケットを入手済であったが払い戻しが決まった。会場は神戸ワールド記念ホールに変更だそうで、楽しみだったがこればかりは仕方がない。

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午後、田村写真の田村さんから朗報が届く。 91年、私は本業を脇に置いて、忘れられ廃れて久しい写真の古典技法『オイルプリント』の再現に挑んでいた。神田の古本街に通っては、当時の文献を集め、実験をくりかえしていた。市販のペーパーなどないので、工業用ゼラチンを溶かして紙に塗る。ところが当時の文献どおりにやっても紙に厚塗りが出来ない。ゼラチン層が薄いと諧調が出ないので、独自で厚塗りの工夫をしていった。室温が高いとゼラチンがいつまでも固まらず、よってペーパー作りは冬の寒い時期に限られていたが、文献には特に季節のことなど書かれておらず、このままでは厚塗りができないはずで、不思議であった。田村さんからの連絡は、アメリカより購入した写真用ゼラチンを使った所、工業用ゼラチンとは粘度が違っており、むしろ室温が高くないと、すぐに固まってしまうということであった。昔使われていたゼラチンと同質のゼラチンであろう。 オイルプリントに関してネットの情報といっても私のサイトくらいしかなく、けっこう参考にしてチャレンジしている人がいると聞く。これで私のオイルプリントのページも改訂版を制作しなければならないだろう。過去に京都造形大学、西武百貨店でオイルプリントのワー^クショップを行ったが、最初のペーパー作りのハードルが高かった。田村さんは将来的に、ゼラチンペーパーの制作販売も考えているという。事前にペーパーが用意されていれば、こんな面白い技法はないだろう。(おそらく子供にやらせて、もっとも喜びそうな写真技法でもある) 私は一人再現に挑み、個展まで開いたこの技法に愛着があり、人物像を作り写真を撮り、それをオイルにするという、これが私の作品の最終形態だと考えてきた。作りためたデータも、すべてオイルプリント化可能である。あの頃、写真家でもないのに、私は何をやっているのだ、と内心ハラハラしながら止められなかった。頭で止めても止まらない時は、それに従うほうが結果が良いと思ったのは10年後にオイルプリントの個展を開いた時である。私はこういうことをやろうとしていたのか、と。出来がもう一つの表層の脳よりマシななにかが私の中にある。以来“それ”に従ってきた。 次回の個展には紙を作ってオイルまで手が回らないと思っていたが、これで久しぶりにオイルプリントを披露することになるかもしれない。

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雪の日に深酒をして撮影できなかった私だが、6年前に撮影した雪を使い、無事積もらせることができた。江戸川乱歩の『盲獣』では、犯人がバラバラにした死体を様々な形で処分する。浅草寺上空を風船で飛ばしたり、ハムの包みから出てきたり。 雪の中から出てきた足を撮影するため、雪を追いかけ川治温泉まで撮影に出かけた。雪からちょこっと覗く足を撮影するためだけに、雪の中から出てくる“足”を伴い、ペットボトルに入れた絵の具で作った“血”を持って。今だったら足は暖房の聞いた部屋で、後から撮影するだろう。血は雪に垂らしたが生々しくなり、結局後から消した。2某日5 先日、乱歩の時に考えた、撮影した場所を血だらけにする方法が上手くいったが、液体が溜まった様子を表現するため、後から加工するのではなく、いかにも血痕の滴りを表現する方法を考えた。やはりペットボトルに、ある物を入れた水を持参することになるが、赤い絵の具と違って、はたからは、ただの水をこぼしているようにしか見えず、乾けば跡形もなくなる、というのが改良点である。6年前と同じことをしているわけにはいかない。

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父の墓参りに神楽坂へ。地震の被害は思ったほどではなく、子孫がキリスト教に改宗して、放ったまま風化が進んだ旧松山藩酒井家の巨大な墓も倒れず、本堂の瓦が落ち、御本尊が前に進み出ていた程度だそう。戦中供出されたおかげで無事返還されたという梵鐘が、揺れてかってに鳴ったというのは怖い。母が放射能を気にして頭を雨に濡らすなという。東京じゃ関係ないよこんなもの、と、かつて発がん物質チクロを毎日10円玉握り締め、駄菓子屋で摂取しつづけた息子がいう。寿命が300年あるというなら少々気をつけるけど。 母と別れて京橋の警察博物館へ。 確認したいものがあったのだが、展示しておらず収穫なし。目的事以外は目に入らない私だが、本来なら熟視したであろう、殉職警官の顔写真と遺品。爆死した警官の着ていた破れた制服など展示してあり、何かのついでにもう一度観ようと思う。 照明を押さえた銀座通り。寒々としていて信号機がやけに目立つ。青木画廊に寄ってみると、水道管が破損したとかで、水が出ないらしい。画家の方と青木さんのご友人と、お茶のかわりの赤ワインをいただく。画家の方は計画停電にひっかかり、ひどい時は日に2回、6時間停電したという。今は早起きして、明るいうちに制作をしているという。“なんで今こういう物を、という時にこそ、あえて描かなければならないと思う”に同感。 夕方近所のスーパーに寄ると、久しぶりに見るインスタントラーメンが少量。

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一日  


三島が自衛隊で乗ったジェット戦闘機『F-104』について調べていて不明な点がある。参考になる資料を探していて、近所の模型店に行ってみたが、機体に関する資料はあるが、パイロットに関する物はない。そこで、詳しいサイトがあったのでメールで質問をしてみた。アダージョを制作していた時も、何度か人物のファンサイトを運営されている方に助けていただいた。なにしろ基礎知識も何もない人物を作る場合もあり、たった二ヶ月では、人を把握するにも限度がある。参考文献を探すだけでも骨が折れる。 さっそくお返事をいただき、教わった資料もネット上で見つけ注文することができた。その方は現役の自衛隊員であり、連日支援活動で忙しくされているようである。私のように、世の中になくても良い物をあえて作ろうとする人間は、こんな時に、と申し訳ないような気もするが、私のような人種こそ、世の中平穏無事でなくては困るのである。  明け方、飲み物を買おうとコンビニに行くと、棚には久しぶりに見るカップラーメン類に、パンの数々。コンビニでは普段の二倍の商品を用意していると聞いていたが、潤沢に見える商品も、このあとに現れる買占め隊により買われていくのであろう。家の中で腐らせ、ひどい目にあえば良い。 ペットボトルの水に、カレーパンを一つだけ買った。

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イベント屋のSからメール。映画『唐山大地震』の試写会の仕事が入っていたが、試写会は中止、公開も延期だそうである。これが決まってからニュージーランドの地震があり、今回の大地震である。試写会のメイン会場は、天井が落ちて死者まででた九段会館だったというからしかたがない。当日、試写会が行われるはずだったらしい。  母が、外出るときは注意するようにいう。母の友人に、やたら怯えている人がいるようで、しょっちゅう電話があり、その影響らしく大袈裟なことをいう。その人の息子も息子で、すでに日本海側に逃げることを決めたらしい。こんな時にあたふたするもんじゃないよ、といっておいた。
私は自分で知らないうちに、女性の機嫌を悪くする、あるパターンがあると感じていて、以前、女性の友人に訊いてみたことがある。曰く「例えば、何か大変なことが起きた時、一緒に大変がってもらいたいのに、他人事みたいな顔をしているんじゃないか」と。見てきたようなこといいやがる、と思ったが、思い当たるところはあった。というより、まさにそうなのかも。しかし私にもいい分があり、二人して大変がってどうする、といいたいのである。たとえ内心慌てていても、せめて片方は平然としていなくてはならないと思うのだが。それをいうと、そうかもしれないが、腹の中で落ち着いて、外側では一緒に大変がってもらいたいものだ。という。そんな器用なまねは私にはできません。 夕方、門前仲町を歩くと、早仕舞いの店が目立ち、ほとんどの店が照明を抑えていて実に頼もしい。ここぞとばかりにギラギラさせている店舗が馬鹿に見える。それにしてもスーパーやコンビニのなんとも寒々しい姿。金は払っているので略奪されたのとは違う。とはいうものの。 東京にはかつて“やせ我慢”という超特級の特産物があったのだが。

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スーパーやコンビニでカップラーメン、パンなどが買い占められ、商品がなくなっている。被災地というなら判るのだが何を慌てているのか。 私が中学生の頃、オイルショックによるデマから始まり、トイレットペーパー不足で大騒ぎしたことがあった。売り場に殺到するニュース映像を見ては、日本人ってなんて貧乏臭くて卑しいのだ、と辟易とした。紙なんてなんだって良いじゃないか。 もっとも我が家は東京23区内といっても土俵際で、直接口を開けている形ではなかったが、まだ汲み取り式であった。なので、紙はなんだって良かったわけだが。
先日、私の考えた技法(というほど大袈裟な物ではないが)により、都内某所の玄関前を血の海にしてから、そのできに満足し、適当な場所を撮影したデータを見つけては血だらけにしている。こんなことが前にもあったな、と思い出したのが、江戸川乱歩で『目羅博士』を制作した時のこと。真昼の光景を撮影し、それを月光降りそそぐ夜景に変えた。短編ということもあり、ほとんど青い色調で通した。これがまた面白く、かたっぱしから夜景に変え、必要以上に作ってしまった。この方法は、後にアダージョの松尾芭蕉でも使った。 妖しい月光風景に血となれば、ゴシック調吸血鬼譚を思い浮かべるが、残念なことに、青白い月光の下では、鮮やかな血の色は台無しで、月光により変身した怪物には灯かりの灯った室内にて暴挙に出てもらうしかない。暴挙は是非外の暗がりで、という場合にはしかたがない。猫が捕まえたネズミを見せに来るように、口のまわりを血だらけにしたまま、灯かりのある室内に顔を出してもらうほかはない。

他の人形にかくれて気が付かなかったが、棚の奥でひっそり、宮武外骨とマルコムXが倒れながらも斜めに支えあい、“人”という字になっていた。

 

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一日  


去年脳出血で手術をした高校時代の友人Sから電話。築地の癌センターに入院したという。先日の電話で頭痛から再検査、放射線治療をするときいていた。久しぶりの電話で脳出血の話を聞かされたので、放射線の治療って?とは思ったが、そんな治療もあるのかくらいに考えていたが、癌だったそうである。先日まだ本人はピンときていなかったらしい。幸い抗癌剤による吐き気は、それほどないようで、来週退院し、しばらくほとんど毎日通院ということになる。そう軽い段階ではなさそうだが、案外淡々としている。どこまで本音かは判らないが。とりあえず喋るのは回復に良さそうなので、通院の帰り、喫茶店を決めておいて、しょっちゅう会うことにしよう。高校生に戻ったような感じか。いや学校が遠かったので喫茶店などほとんど行かなかったな。お互い真面目だったし?  地震の被害が大きい東北方面は、愛知で陶芸家のTの実家が山形である。聞いてみたら無事だそうで、岩手で陶芸家をしているO君とは電話は未だ通じないが、電気がようやくつながり、家族も無事とのメールが届く。 友達のお父さんが○○○石油に勤めていて教えてもらったのでみんなにも伝えるね。という、出会い系サイトの宣伝メールのような文面が飛び交っている。

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帰宅  


観測史上最大の地震となる。ヘリからの中継で、走る自動車が津波に飲み込まれる寸前、カメラのフレームから外れる。意図的だかどうか心配ではあるが、確かに飲み込まれるところは見たくない。 明け方まで各地の友人知人にメールをするが、届くことは少ない。たまたま実家にいたが、携帯、固定電話、通じないので、外にいたら母のことで気を揉んだことであろう。どういうわけか公衆電話はすぐに繋がるようである。友人によるとすでにメールにて、流言飛語の類が飛び交っているようだ。リアルさを演出した悪質な物まである。 住まいの様子が気になるので、午後、数日振りに帰宅。玄関の60L水槽は水が半分に。何故か玄関に水がこぼれた様子がない。見たら水が横にジャンプしたらしく、とんでもないところが濡れていた。1匹だけのフラワーホーンはめげずにジタバタと餌を要求。部屋に入っていくと、作品が棚から落下していた。受身の下手な奴はとんでもない体勢に。本棚はガラス戸、もしくは見開きの戸が付いているので、収めていた本には何事もなかったが、アナログレコードが散乱。母の実家にあり、子供の頃はこけしや観光地の土産物などを飾っていた、関東大震災の翌年に購入したガラスケースには、ライツ社の大判レンズ、プラズマート、ブッシュ社製ラピッド・アプラナート等々の古典レンズを容れていたが、まっさかさまに落ちて、ケースが割れていた。ストラスのピクトリアルレンズは、たまたま別の所にあり無事。起きたことはしょうがない。とりあえず今日は被害チェックなどしたくない。先日制作した、二・二六の将校に扮した三島由紀夫が倒れる予定の、血溜まりの出来た都内某所の画像をチェック。作ったのはホントだったとホッとする。こんな時はKさんと飲むに限る、そのままにして出かけた。

被災地の方々には心よりお見舞い申し上げます。

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地震  


午前中、病院で検査。血圧正常なり。午後、昨日味をしめたマッサージに行く。本日担当は若い女の子。昨日の青年の大変さを思うと喜ぶ気になれず、むしろがっかり。案の定物足りない。訊かれるのでもう少し強くても、といってみたら、そこはプロであり、エルボーがグッと食い込む。銭湯の湯やお灸の熱さに満足する老人の如し。 そうこうして揺れ始める。かまわず続けているので、この娘気がつかないのかな?と思うまもなく大揺れ。地震には慣れているはずの東京生まれの私も、初めて経験する揺れである。ここはチェーン組織のマッサージ店のようだが、こういう場合の対処も想定しているらしく、客に声をかけ、マッサージ台の下に隠れるよう指示される。さきほどの女の子には、一応靴をと渡される。さすがに女性従業員は下に隠れているが、男性従業員は窓を開け、出入り口の確認など、落ち着いて対処していて感心した。動きが収まったところで、念のため、本日の営業は中止ということで後日返金するという。 外にでると駅周辺には沢山の人。ほとんどが携帯電話を手にして異様である。といっても携帯も何も通じない。帰ると母は室内でヘルメットをかぶっていた。  先日の雪の日、ついでに撮影しておこうかと思った二・二六事件時の戒厳司令部、軍人会館こと九段会館の天井が崩れたという。

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実家近くにあるマッサージに出かける。母や妹も行ったそうだし、昨日遊びに行った地元の先輩の陶芸家Sさんも薦めるので行ってみた。プロのマッサージを受けるのは始めてである。なんとなく行きそびれていた。  私は床屋が嫌いで、ずっと自分で切っている。床屋が苦手になったのは、生えてもいない髭を剃ってもらうときに、床屋の親父の鼻息が顔に当たり、あの親父の顔がここにあると思うと可笑しくてたまらず、それをこらえるために子供の頃ずっと苦しんだせいである。その間太ももをつねったりした。あとで考えれば、髭はそらないでいい、といえばよかっただけのことだが、断ってはいけないような気がしていたのである。 マッサージがそれと同じとはいえないが、他人とそんな形で接するのがなんとなく億劫であった。しかしなにしろ背中がとてつもなく張っているのは父親譲りで年季が入っている。行ってみることにした。 カーテンで仕切られたベッドに寝転がる。開始早々「何やってたんですか?」。「何やってたって?いや特に何も・・・。」「指が入っていきませんね」。「何かされてたんでしょ?私なんかいくら鍛えてもこんな腕になりません。」数十年間、ずっと安静にしていただけなのだが。「タバコを止めてから太るばかりで」。マッサージ師は陸上選手のような青年だが、体重をかけて思いっきりやってる感じが伝わってくる。「でも何かされてたんでしょ?」しつこい。ずっと可愛らしいお人形を作ってます、といえる感じではない。「昔ちょっと力仕事を」。鉄骨運びのアルバイトは大昔の話である。「やっぱり」。がんばってやってもらっているのは判るので、申し訳なくて寝てしまうのをこらえるが、一回鼻が鳴ってしまった。言葉の端に、『ここまで思いっきりやってるのに寝るか?』という感じが伝わってくる。「1回、2回でどうなる、という感じではありませんね。今日は筋肉にちょっと起きてもらえれば」。 1時間、まったく物足りないが、思った以上に良いものであった。お愛想で「すいません。今日は災難でしたね」。といったら、笑顔で特に何も応えてくれなかった。

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