明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



昨日完成した、しゃもじとすりこぎを持って踊るというのは、鏡花はどこの何祭りとは描いていないが、実際愛知県で今でも続いており、鏡花が実際目にしたのは明らかであろう。作中では河童に化かされた三人が、しゃもじとすりこぎを持って踊らされてしまう。我に返って慌てて旅館に戻り、私たちはなんであんな可笑しなことをしたんだろう、と話していると、実際その祭りを見ている笛吹きが薀蓄を語る。『青いおかめ、黒いひょっとこの、扮装いでたちしたのが、こてこてと飯粒をつけた大杓子、べたりと味噌を塗った太擂粉木で、踊り踊り、不意を襲って、あれ、きゃア、ワッと言う隙ひまあらばこそ、見物、いや、参詣の紳士はもとより、装よそおいを凝らした貴婦人令嬢の顔へ、ヌッと突出し、べたり、ぐしゃッ、どろり、と塗る……』見物客が、嬉しそうに顔にすりこぎで味噌を塗りつけられている映像をネットで見たが、すりこぎは当然男性器の象徴であり、味噌を塗りつけた木製のまさにそのものを持って踊る画像もあった。  制作に集中してくると、創作の神が見ているのか、参考にせよといわんばかりの物や事に出会う、ということを度々書いてきた。今回笛吹き役をお願いしたMさんがK本にいるというので行くと、いつももぎ立てのピーマンをいただくSさんから、30年前に作った物を昨日預かったという。もと大工で現在80過ぎのSさんが、自分が死んで、こんな物が残っても、と持ってきたそうである。紙袋を開けてみるとでてきたのは全長50センチの木製の男性器であった。私の想像であるが、子供のいないSさんが願いを込めて作ったものではないだろうか。謹んで撮影に使わせてもらうことにした。 それにしてもこういう出来事は、いったいどう解釈すればよいのであろうか。

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最近Kさんは朝から飲まなくなったので、一日中泥酔して怪我をしたり周囲に迷惑をかけることがなくなった。夏バテ気味だとか、他にも理由はあるが、それはともかく喜ばしいことである。房総で大はしゃぎしたのが今のところ最後である。口癖の死んでも良いを連発した翌日、はしゃいだ原因が帰ってしまい、屍のようにニコリともしなくなった晩。ベランダにイタチ、カワウソの類が一瞬表れた。ニホンカワウソは絶滅したと公表された。あれはなんだったのであろうか。ハッキリしているのは、いわゆるキツネ色ではなく黒かった。  

制作中の泉鏡花作『貝の穴に河童が居る事』は河童が自分の腕を折った人間に復讐するため、鎮守の森の姫神にあだ討ちを頼みに行くという話であるが、そんなこととも知らない三人組は、河童の術で酒に酔ったかのように踊りながら街中を行く。踊るシーンはもう一つ。鎮守の森の神様に障ってしまったのでは、と鎮めるために踊る。この2カットが完成した。綺麗な着物を来た人たちがすりこぎとしゃもじを持って踊っているのである。人に見られるわけにいかない撮影であった。
出版社が潰れて廃版になってしまった私の初出版は江戸川乱歩である。12人の作家を扱った2冊目。そして3冊目が泉鏡花になるのだが、趣は異なるが、乱歩と同じく鏡花も相当幼児性の強い作家である。私がこの二人選んだのは偶然ではなく、クレヨンを握ったまま寝てしまい、体温で溶けてシーツを汚して叱られた頃と変わらない陶酔感を感じている私も、幼児性に関しては御同様のようである。

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ベランダの物干し。そうとう頑丈な物を選んだが寿命が来た。頑丈さを謳うだけあり、洗濯ばさみが外れることはなかったが、紫外線による劣化であろう。端の洗濯ばさみから次々に砕けはじめた。自然に回転していたせいで、申し渡したように両サイドから中心に向って砕けていく、面白くなってそのまま使っていたが、ついに本体が折れ破れ傘のようにぶら下った。再び売り場で最強と思われるものを選んだ。
先日書いたように、人間共が予定より生き々としてしまい、その分、それに対応する異界の者達の再考を迫られている。 赤背黄腹の蛇が登場する。人間の脚に絡まって異界に連れてくる役割であるが、張り切って登場するわりに、人間の信仰心に気づいた姫神にそれを止められ、なんら仕事することなく終る。女顔のミミズクと違って赤背黄腹以外、特徴は描かれていないので、ただの蛇のつもりでいたが、半日かかって石段にそわせ、異界の住人らしく変えた。これで異界の方針は決まった。 暗いうちから始めて、すで暗くなっている。Mに行くとKさんと、Kさんの後輩の現役のトラックドライバーのSさんがいた。Kさんに“荷物運んでた人がお荷物になってどうする”と上手いこといった若い彼だが、携帯に入れた完成したばかりの異界の蛇を見せると、画像を見た後、私の顔を見比べるように瞬間見た。「今、なに馬鹿なことやってるって思ったでしょ!?」「いやいやそんなこと思いませんよ!」感心されるくらいなら呆れられたい私である。トラックドライバーに呆れられないでどうする。という話である。 もう一人ドライバーが加わり愉快に過ごす。パチンコが出たというSさんにご馳走になってしまった。

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昨日と先ほどの区別がつかなくなってきたところで、もう止めようと家を出る。私の作業を待っている面白いシーンがまだ貯まっているので、モニターの前から離れないと作業を続けてしまう。 K本は終っているのでT千穂へ行くと、先ほど完成したカットを携帯に送ったばかりの、笛吹き役のMさん他、K本の常連がいた。当ブログを読んでいただいているMさんには、異界の連中をがんばって作って、と発破をかけられた。 登場人物をお願いしたK本の常連を中心とした素人劇団の皆さんに、ハードルを高くされてしまうとは思わなかったが、これは嬉しい誤算である。つまり使うレンズから色調から区別をし、人間と異界の存在たちにコントラストをつけるつもりでいたが、人間が予定より+方向に振れたおかげで、異界の描き方を当初より-方向に持っていかないとバランスが取れなくなった、ということである。予定より諧調が広い作品になりそうである。 
一人所在なげにカウンターにいるKさん。T屋で朝から飲むことが減ったおかげで、一日中泥酔して鎖骨折ったり額を32針縫ったりすることがなくなった。同じ運送会社の若い後輩に、「荷物運んでた人がお荷物になってどうする」。といわれなくなることを願うばかりだが、それでも行きたいところはあり、二人以上でないと入れない店に誘われた。行ってみると、なかなか演技の達者な娘がいて、Kさん再び「ショック!」同じ冗談に何度でも引っかかれる特異体質のKさんは、ショックを受けた状態が一番面白いので、周囲にいじられないよう詳細は書かないでおく。

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毎日何十時間もモニターの前である。おそらく3日間で寝たのは5、6時間であろう。昨日立ち上がったのが3回だけという有様である。幸い誰も止める人はいない。身体に良くないから、などというのはつまらない話である。好きなことやっていて身体に悪いわけがない。 何度となく書いているが子供の頃夢見たのは、どこかの王様に幽閉され、算数も宿題もやらないで良いから、ここで好きな本を読んで図画工作だけをしておれ、ということである。中学生になった。どうも王様は現れそうにない。母に生活保護ってどうすれば受けられるか質問して、そこまで怒らなくてもいいじゃないか、というくらい怒られた。今思えば母としては我が息子にがっかりであったろう。 私のような渡世では、妻や子のために頑張る。などという不純な理由で制作することは絶対してはならない。いないからいうのであるが。ただひたすら作りたい。それだけである。こんなことを続けていると、多少頭がイカレてくるのか、妙な物が頭に浮かんできて、それをまた取り出して見たくなるし見せたくなる。これの繰り返しである。何が有難いといって、二日酔いをしないことと、モニターを何十時間見つめていても、なんともないことである。 おそらくこのブログを後で読んだら、いつにも増してガッカリであろう。酔っ払っているわけではない。

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今回女性連は、昼夜で着物を換えるという贅沢をしている。すべて笛吹きの芸人役のMさんの奥さんのご尽力の結果であるが、主にMさんのお母さんから譲り受けたものだそうで、作品として残ることをかえって喜んでいただいている。そういえば、祖父の代からという父親の遺品のステッキを借りた人にも同じことをいわれた。 今回着物に関して勉強になったが、コーディネイトされたものを見れば私でも良さは判るが、バラバラであればチンプンカンプンである。日本女性は着物を着ると歩き方からしぐさから、自動的にしとやかになると良く耳にするが、あれは真っ赤な嘘であった。こんなところも、奥さんが付きっきりで目を光らせてくれていたので助かった。 編集者が人間が強い、というのはまさにその通りである。話のほとんどが梅雨の夕刻で、どんよりとした空模様であるが、晴天の撮影ができなかったので、鬱憤をはらすために、作業はそちらから始めているし、異界の連中と分けるため、コントラストの高い今時のレンズを使っている。そこへもってきて素人劇団の湿度0パーセントの演技が加わっているので、そうとう強く見える。今後この強さに対抗してバランスを取るためには、異界の連中には相当ドンヨリ、ジメジメしてもらわなければならないであろう。こんなことを考えなければならなくなるとは思いもしなかった。

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先日待望の晴天。私としては相当な量のカットを撮影した。待ちに待ったということで、その後の数日、家を出ることなく、房総の海岸や、室内を撮影した背景に、着物姿の3人を合成している。怒涛の勢いといって良いであろう。なにしろ鬱憤がたまっている。 パソコンに取り入れてチェックしていると、素人劇団の皆さん、それぞれがそれなりに役を解釈し、ところどころ妙な小芝居をしていておかしい。中にやたらと目をつぶっているカットが続いているのがある。偶然にしても多すぎる。そうであった。こういう撮影の時、シャッターを切る合図は避けるべきである。目をつぶってはいけないと思うあまり、合図にあわせてつぶってしまうのである。 海岸の松の木陰でセンベイを食べる談笑シーンは、知り合いでないとこうはいかない、という自然な表情が撮れているが、何もそうバリバリと食べ続ける必要はない。一言いっておけば良かった。私のいったとうりにしてくれているのである。 楽しみにしてくれているので、軽くした画像を携帯に送っているが、実際の撮影現場を知っている皆さんだけが面白いことであろう。
夕方本郷の風涛社へ行き、ようやく三回目の打ち合わせである。まだ出版時期など決められる段階ではないが、ようやくどんな本になるのかなんとなく想像できた。  一人自分も登場させろ、といっている人物がいる。あえて登場してもらうなら顔も出ないあの役かなというのがあり、編集者に意見を聞くと、人間が強いので、もういいんじゃないですか?確かに対応すべき河童も姫神様も翁もできていない現状では、素人劇団の皆様、かなりカラフルでお強い。 帰りにT千穂によると、夏の間は毎日避暑のため、ヨーカドー内を一日ただフラフラして過ごすKさんがいたので、残念なお知らせを告げる。「だから眠狂四郎みたいな編集者だっていったでしょ?あれはたぶん泣いて頼んでも駄目だな」。

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今日は前回撮れなかったカットがあり、一日がかりの撮影になるだろう。しかし天候に対する運の悪さは昨日で断ち切られたようである。中止のところを急遽やることにし、そのフェイントにより肩透かしをくらって土俵下に落ちていった何者かの音を聴いた。昨日とはあきらかに違って爽やかである。
荷物があるということでMさんに車で迎えに来ていただいた。踊りの師匠と師匠仲間の娘役の二人の着付けを待つ。昼夜着物を替えるのだが、前回日中の外での撮影ができなかったので、一日で2回着替えてもらうことになってしまったが、娘にいたっては3回である。おかげで着物に関してすべてお願いしてしまったMさんの奥さんはカーレースのタイヤ交換のような忙しさで、撮影中はちょっとした襟や裾の乱れをチェックしていただいたりして、おかげで撮影だけに集中することができた。 さっそくマンションの中庭に出て、まずは登場シーンである。今回良いのは素人劇団ではあるが顔見知りなので、三人ともよく知っている酔っ払いの話でもしてもらえば、自動的に房総に遊びに来た顔になることである。 次に着物のまま足首あたりまで海に入る。そこで娘の白いふくらはぎを見て河童が『一波上るわ、足許へ。あれと裳(もすそ)を、脛(はぎ)がよれる、裳が揚る、紅い帆が、白百合の船にはらんで、青々と引く波に走るのを見ては、何とも、かとも』。とムラッと来てしまう重要なシーンである。鏡花のいうところの“紅い帆が、白百合の船にはらんで、青々と引く波に走る”様を実見して納得した次第であるが、そんな色っぽい情景も、実際の現場の様子は・・・。これは参加者だけの愉快な思い出としていただこう。 一日様々なことをしていただいて、すべては書き切れないが、私がああだこうだいうよりも、劇団員の皆さんの自主性にお任せしたほうが良い、と丸投げしてしまった河童に化かされ、そして神様を鎮めようと踊るシーンも部屋の内外とも無事に終った。案の定、私が参考に、とメールで送った神楽舞のビデオの予習も充分であった。今だからいうが、私自身はなんとなくしか見ていない。

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やはり思ったとおりである。晴天を想定した正午の撮影は無理のようである。諦めろと雷鳴轟く。電車に乗って来てもらう番頭役のTさんのこともあり、予定の一時間前には中止の連絡をしたが、それならば、と曇天を想定した某所に出かけると晴れるのだろう。と見る間に晴れだした。やはり私の動向に合わせてスイッチを点けたり消したりしている奴がいるのは間違いがない。フェイントをかけ、一時間遅れで撮影を決行。これでずっと続いてきた、天候に対する悪運が断ち切れたのではないだろうか。奇妙な撮影はうちのマンションの中庭で行われた。はたから見て奇妙でも、私の覗くファインダーの中では、思惑通りの画になっている。タクシー運転手と旅館の番頭の撮影、今日のところは終る。悪運が断ち切れたなら明日は晴れてくれるであろう。
撮影に使おうか、となんとなく思いながらそのままにしていた物がある。来週の打ち合わせにそなえて全体を眺めていると、これがないとまずい、という気がしてきた。検索してみると、この生き物の季節は終ってしまっている。諦めずに検索していると、生の物を冷凍して販売している所をようやく見つけた。冷凍物があるなら慌てることはないが注文しておこう、とバスケットに、念のため2つ入れようとしたら、残り1つのため受け付けられないという表示。危ないところであった。

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姫神様乾燥に入る。乾燥機を使うと室内温度が上がるので使う気がせず、久しぶりにベランダに置いている。離れて見ると、神主と花嫁が並んでいるようである。 それにしても、昼間の晴天の海岸シーンを別にすれば、物語のほとんどが梅雨のドンヨリした風景が舞台なのだが、いいかげんにしろ、というくらいずっと雨が降らない。房総のロケでも、夕暮れを待ち、東ドイツ製の陰鬱に写る妙なレンズを持っていってなんとかこなしたが。その後の東京でも、濡れた樹木を撮影したのは一度きりである。それもあわてて現場に着いた時は晴れている有様である。 曇りもしくは雨が降れば、即撮影に出かけなければならない場所があり、台風に期待している。農家の方々にはもうしわけないが、水の精ともいわれる河童を不細工に描いた呪いかもしれない。姫神様を早急に完成させる必要があろう。

ここの所、色々なお誘いをすべて失礼している。何しろ寝心地を悪くして制作時間を延そう、という状態である。1時間もかからない実家にもまったく帰っていない。母が珍しく風邪をこじらせ食欲がなく、3キロ痩せたという。未だに味がおかしいというが、会ってみたらむしろ3キロ痩せたことが嬉しいようであった。私が知るかぎり母が寝込んだのは、私が小学生の頃の神経痛くらいである。実家は、創作用筋肉が緩んでしまう場所である。しばらく帰る気にはなれない。 

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日曜日に撮影でお世話になるMさんと、T千穂で打ち合わせをすることになった。出がけに土曜日撮影させてもらうことになっている、タクシー運転手役のK2さんから明日の打ち合わせをしないで良いのか、というメール。日曜日に河童に化かされ踊ることになっているMさんを考えると、K2さんはただ歩いてもらうだけである。何も心配ありませんと返事。 Mさんは奥さんとみえた。奥さんには着物を拝借し、コーディネイト着付けまでお願いし、大変お世話になっている。昼夜着物を換えるという贅沢な状況になってみると、『貝の穴に河童が居ること』を作品化することを決め、私はどうするつもりだったのかとゾッとするのである。 そこへT屋で飲んでいたK2さん。借りてきた衣装を持っている。大正時代の写真集を見ていて、タクシーの運転手が現代のある服に似ているものを着ていたので借りてもらった。K2さんには大きめであったが、現代の感覚でピッタリである必用はない。今とは違うが当時はこんなだったのかも。というくらいが良い。しかしコピーライターでアートディレクターもするK2さんからすると、着ているところを事前にチェックもしない私が信じられないようである。 私は今回の人選を顔だけで選んでいるといってきたし、それは正しいのだが、先日の意外なほどの好結果に、付き合いも今日、昨日の人達ではない。意識せずに、あらゆる部分をチェックして決めていたのではないか、と思うようになってきた。 K2さんは自前で帽子を買ってもらってしまった。生真面目な性格ゆえ、相当念を入れて選んでもらったのは想像にかたくないが、「俺は帽子絶対似合わないんだって」。 まったく問題ありません。奥さんに「アンタ私が似合わないっていうから嫌味でわざと被ってんでしょ!」といわれているタクシー運転手。あると思います。

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天気予報を見ると土日は雨である。私の天候に対する運の悪さが未だに続いているならば、晴天の海岸を背景に設定した土曜の撮影は延期。日曜のMさん邸の撮影は、前回、撮影現場に向おうとしたら暗雲が湧き出し、着替えてもらってる間は晴れたり曇ったり。準備が整ったころには曇天。帰りには晴れ間が、という間の悪さであったが、今回もまた、ということになるのであろう。そしておそらく延期ならば、と暗い室内を撮りに現場に着くと晴れるのであろう。 以前知らずに仕組まれた環境のなかで生活する男の映画があったが、私も神も仏もない、などという連中の中から、知らない間に選ばれ、ライトを点けたり消したりされているのではないか?だがこうしてあらかじめ書いておくと運が変わるかもしれない。悪戯もそろそろ飽きてくる頃であろう。

ようやく翁役の柳田國男の制作に取り掛かる。私の昔からの悪い癖で、作りたいのに他のことをして自分を焦らし、頼むから作らせてくれ、という状態に持っていく。かなりマゾヒズム的であるが、我慢した末のご馳走は美味しい。集中力も増し、制作風景をビデオで撮って驚かせたいくらいのスピードである。私はどちらかというと、快感を増したり長引かせるためには、どんな手でも使うタイプである。

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ロンドンオリンピックの開会式。日本人がよけいなことさえしなければ、ここもあそこも、どこもそこも、ウチの使用人だったのに、と行進眺めながらお婆さん想ったかどうか。8月15日。
昨日、母は茨城の父方の親類の家に一泊し、帰ったと思ったら神楽坂に墓参りに行くという。炎天下、80過ぎた婆さんなんか歩いていないよ、といっても無駄。受け取る物もあり私も神楽坂へ。昨日から画像から鳥居の撤去その他であまり寝ていない。現場を知っているから違和感があったが、これで小説通りとなった。代わりに植えたのは三重県産の杉の古木。母と長谷寺へ行った時撮った物である。 編集者から電話。先日腸の具合が悪いと打ち合わせをキャンセルしたが。検査結果を聞くと、原因が判らないといわれたそうである。どうせストレスであろう。だから河童に真面目に取り組んでさえいれば、腸が悪くなるわけないだろ。と念を押す。そうしたものである。 三回目の打ち合わせは来週に決まる。とりあえず今ある素材を元に仮組みしてもらうことにした。時間をかけて1カットにこだわった揚句に入らないでは困る。ここで全体像を把握しておきたい。 母は墓参りの後、両国で最近仲がいい年下の女性と待ち合わせている、と別れたが、夜制作していると携帯に電話。出るといきなり二人で大きな声を張り上げカラオケで『銀恋』。1番歌い終ったったところでプツンと切れた。

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何度も書いたが、鏡花はモデルとなった神社をかなり正確に描写している。違うことといったら鳥居の数と位置である。 鳥居はなんと数えるのであろう。作中は二つだが、実際は三つあった。長い石段があり、石段を上がったところに鳥居があり、これが神社の顔のように見える。そこを右に曲がり、さらに左に曲がった所に三つ目の鳥居があり社殿がある。 問題は、もっとも画になる、長い石段の頂上にある鳥居が作中にはないことである。鳥居に刻まれた年月日は、鏡花が訪づれたと思われる時期以前であったと思うのだが。 私は当初からその鳥居を生かそうと考えていた。なにしろ画になる。鏡花は何処の何神社とはいっていないし、そもそも私の作品も創作なのだからかまわないではないか。私は薄目で見るようにしてやり過ごそうと思ったが、鳥居があるなら鏡花は書くはずで、鏡花が書かない物はないのである。『怪しい小男は、段を昇切った古杉の幹から、青い嘴(くちばし)ばかりを出して、麓を瞰下(みおろし)ながら、あけびを裂いたような口を開けて、またニタリと笑った。』。鏡花は何故鳥居を古杉に替えたのか。私はせっかくの鳥居を、泣く々いくつかのシーンから消したのであった。 一つ考えられるのは、石段の上に鳥居があれば社殿はその背後だと普通は思うだろう。そうではなく、そこを曲がってまださらに奥にあることを強調するためか。それとも鏡花は震災前に訪ずれていて、その当時は鳥居でなく杉の古木だったというのだろうか。 

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鏡花がモデルにした神社は海を望んでムード満点で、常夜燈に灯をともす翁役の柳田國男を立たせるのが今から楽しみである。実際の灯篭はかなり大きく、柳田では台がないと届きそうにないが、異界の翁である。そういうことを気にしてはいけない。 本日より柳田國男にとりかかるはずが、地形に関して解釈の誤りに気づき、一日修正していた。草むしりをして石段を取り除いて、と実に厄介である。デジタルならどうとでもなる、と思う人がいるが、そう簡単にはいかない。私のように、天候を変えたり、街をそっくり田畑に代えたりしなければならない場合(鏡花がそう書いていればしかたがない) 肝腎なのは、自分の中にある記憶の蓄積である。つまらないことに限って、意識しないうちに記憶してしまう私のタチが、“見てきたような嘘”を創作することに役立っている。もっともハードデイスクの容量は限られていて、母の誕生日をようやく覚えたと思ったら5日違っていた。  房総では苔むした石段を随分撮影してきた。冒頭、人間に腕を折られた河童が、鎮守の森の姫神様に復讐を頼みに石段を上がる。『しょぼけ返って、蠢くたびに、啾々(しゅうしゅう)と陰気に幽(かすか)な音がする。腐れた肺が呼吸(いき)に鳴るのか――ぐしょ濡れで裾から雫が垂れるから、骨を絞る響ひびきであろう――傘の古骨が風に軋むように、啾々と不気味に聞こえる。』異界への入り口である石段は重要である。 それにしても潔癖症の鏡花は、こんな場面を書く場合、どんな顔をしていたのであろう。原稿用紙をいつものように清めたことは間違いないが。

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