明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



蝦蟇仙人は何かいわく有り気なアクセサリーが欲しい、とアクセサリーを作っている友人に聞いてみた。粘土で作れば?というのだが、私が欲しいのは道教という馴染みのない世界の住人、蝦蟇仙人に、何某かの違和感という調味料が欲しい。 先日も書いたが、中学、高校の試験中、逃避のため、エレキギターのデザインと自転車改造計画を立てるのが常だった。試験が終わると同時に、その情熱はウソのように雲散霧消となる。 私が最初に入手したギターは親戚の納屋に打ち捨てられた国産エレキギターで、後から知ったのはチャーが初めて手にしたのと同じグヤトーンであった。親に捨てられたり壊したり、今持っているのは3代目である。いわゆるビザールと称される、独特のチープなデザインと音なのだが、そこが良い。ところが自分でデザインすると、ビザールな違和感が出ない。そして悟った。目を瞑ってデザインでもしない限り、自分の中にない物を出すことは不可能だと。その様子を知る高校の同級生で精神科の医師は、俺が作る、とビザールどころか、まるで患者の作だろ?と疑うようなギターを何本もものにしている。私はというと口ばかりで、未だに、未加工のホンジュラスマホガニーや、文机の欅の天板がギターに使える、とグズグズ言っているのも先日書いたばかりである。私は無い物ねだりはせず、自分の中に在る物を取り出すことに集中することにしよう。



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『タウン誌深川』の文章だけ入稿を済ませた。『蝦蟇仙人と三足の蛙』寸前に勘違いに気付いた。蝦蟇仙人は八仙(日本の七福神のようなもの)の1人だとずっと思い込んでいた。相棒の鉄拐仙人は入っているものの、蝦蟇仙人は入っていなかった。日本では鉄拐仙人より蝦蟇仙人の方がポピュラーである。児雷也という妖術使いに変じ、歌舞伎、講談、時代劇と活躍した。私も子供時代、大蝦蟇に乗り巻物を口に咥え、印を結んで「御免!」煙幕玉を投げつけ煙と共に消えるのを何度も観ている。最後に観たのは映画館で、松方弘樹主演の『怪竜大決戦』(東映66年)である。怪獣の造形、特撮こそ東宝作品には及ばないものの、時代劇ということもあり、女優が皆OLに見える東宝の世界とは一線を画した味わいがあった。 壁に雪舟の『慧可断臂図』の画面だけのサイズで短辺が1メートルあまりの模写の掛け軸が掛かっている。曾我蕭白描く奇岩程ではないが 、切り落とした己の腕を捧げ持つ悲しげな人物にふさわしい不穏なムードである。特に奇岩に見えるのは二つの穴のせいだろう。なぜ二つなのか?それを目に見立てると、大口開けた怪物の口の中の出来事に思え、これが一種のサブリミナル効果となり不穏なムードを醸しているのではないか。不動明王の目のようでもある。このテク?を私も使ってみたいが、誰も気付いてくれず、たまりかねてブログで自分で解説してしまうのがオチであろう。



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日曜美術館『ユニークな肖像画が語る異色の人物たち』曽我蛇足の『一休宗純』が画面にアップで映る。おそらくこの作品のおかげで、数百年間、好き勝手な像が捏造され続けて来た松尾芭蕉みたいな目に合わないで済んでいる。その代わり小坊主時代をいじられまくったが。 これらの迫真的肖像を残す、というのが禅宗でも臨済宗の特徴であることを知らず、一休も臨済宗か、などと偶然だと勘違いしていた私だが、座禅一つしたことがないのに開祖臨済義玄を作るという〝暴挙”に出たのも無知が故のことであるが、2001年筋肉モリモリの男が薔薇の花を身体に貼り付けて踊るバレエを一度見ただけで翌年ニジンスキーで個展を開いてしまった。若気の至りだと思っていたら私は何も変わっていなかった。知らないというのは可能性においては素晴らしいことである。そう思うと、私が独学我流者でなく、師や先生がいたなら、一番美味しい所を失っていた気がする。良いか悪いかは別にして、間違いなく今の私にはいなかった。 小学生の頃、算数なんてつまらない物が大人になって必要になるはずがない。そんな物教えてないで、先生は聞かれたことだけ答えてくれれば良いのに、と思っていた。



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現在のモチーフを手掛けるようになってから、昔から頭のはしっこで何となく思っていたことを、改めて考えることが多くなった。私には幼稚園、小学校時代からの友人もいる。よって思春期に遠くを見る目になったり黙りこんだりの変化を見てきた。しかし私は変声期がないかのように無段階である。昔、小学校の同窓会に出たら、ただ拡大しただけだ、といわれたが、高校出て入った工芸学校の同級生と数十年ぶりに会った時は、あまりにあの頃の調子で現れたので、戻るのに時間がかかった、といわれた。知らんがな。私に言わせれば肉体的なことを別にすれば人間の内容が経年変化する方がむしろ謎である。それも原因か、私生活上の変化も引っ越しか、作る物のモチーフの変化しかない。そんな私がいつしか至ったのは、人間も草木同様の自然物であるから、あらかじめ肝心な物は備わっているのではないか?と当ブログにも事あるごとに書いて来た。達磨大師は壁に向かって座禅九年で手足が腐って無くなったそうである。 レンズを外側に向けず眉間に当てる念写が理想などと出不精の言い訳みたいなことを言い続け、どうも中国の雄大な風景さえも作業台の上で。作る方向に至りつつある。



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写真の欠点は無い物は撮れない。また製品に依存している分、時代に左右される。フィルムがバカ高く驚いた。オイルプリントの実験に孤軍奮闘していた90年代の終わり頃、判ってくれそうな人がいると、何かしらの手がかりを求めて、プリントを持って会いに行ったものであるが、ある人に、いつか写真材料ではなく、薬種問屋に通うような人が現れると思っていた、と言われたことを思い出す。 後にクラシックカメラレビューにオイルプリントに関することを書いた時に、一度こんな手法を手掛けると、様々な物が製造中止になろうと、大丈夫な気になる、というような軽口を書いたが、その後加速度的に現実となってしまった。 それにしても不思議なのは、石塚式ピクトリアリズムは、あれほどこだわった古典レンズも必要なく、カメラに付いていたズームレンズで充分であり、ズボラな私にぴったりで、そうしようと考えた訳ではないのに、今まででもっとも懐に優しく、自分に都合良い物になっている。 時代に逆らい、わざわざ高いフィルムで撮影している人達は変わっている、と思わなくもないが、仙人作ってもはや一体何に逆らっているのかも不明な私に言われたくはないだろう。



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鉄拐仙人仕上げに入る。同時にペアとなる蝦蟇仙人も。様々な理由で予定とは違ってしまったが、行き当たりばったりの割に的をそれほどはずさず予定の着地場所近くにに着地したのではないか。 昔から使っていたちゃぶ台は、畳生活も限界が近づいている。そこでスチール製の折り畳みの脚を入手していたので、テーブルにしたい。妙に重いと思っていたが、脚を外してみると、思いのほか欅の天板4枚が分厚い。後は脚に塗装してボルトで止めれば良いはずである。もう一つ、早々にギブアップした文机がある。障子越しの光で執筆する泉鏡花が頭にあったのだが、様々意味で正反対の人物をイメージしたのが失敗の元であった。すでに昔の役場の机のような作業机に換え、処分しようと台所に立てかけていたが、天板が欅の一枚板である。ここで私の不治の病いが出る。2枚重ねればギターに丁度良い。高校の試験中、逃避の手段がギターのデザインと、自転車の改造計画であった。以来、一度も作ったことはない。5年前に入手したホンジュラスマホガニーの板も手付かずである。そういえば、三十年以上通った煮込みの銘店は、木場の河本の解体現場から救い出したカウンターも未だサーフボードのように立てかけてある。



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昨年から作って来た全十四人が、仕上げ着彩を残し完成した。残るは、仏教、道教、儒教の三教一致の禅の精神を表した『虎渓三笑図』とほぼ同様の、寒山と拾得と虎と豊干禅師が寄り添い眠る『四睡図』をスケジュール的に間に合えば、と後回しにした。 後は仕上げを進めながら、中国のトゲトゲしい遠景の山並みなどの制作について始めなければならない。背景をどこまで作るか、或いは実景をどこまで使うか。この虚実のブレンドが工夫のしどころだが、ついに全てを作ってしまった場合、私は鬼の首を獲ったかのように、外側の世界にまったくレンズを向けずに完成させた。だからいったろう、刑務所に入れられても、いつもとクオリティの変わらぬ物を持って出所してやる、と。カンラカラカラと調子に乗るのが目に見えている。 まことを写すという意味の写真という言葉が生理的に癪に触った。それに携わると、自動的にまことに関わるようで虫唾が走る。写真を始めた直後から様々な方法でずっとあらがい続けて来た。結果、私のやってることは写真なのだろうか?カメラを使った別の何かなのだろうか? とどのつまり江戸川乱歩いうところの「現世(うつしよ)は夢夜の夢こそまこと」であり、それについては私も乱歩同様、生まれつき知っていたと思う。



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鉄拐仙人は動きのあるポーズで作っていて面白いが、完成するのが惜しくて買い物に出かけたり食事したりグズグズしてしまう、快感をより高め長引かそう、という私の昔からの悪癖である。回転寿司のレベルが一、ニヶ月前よりすっかり落ちていた。 考えてみると、想像力により様々な表情に見えるように、無表情の人物ばかり作って来た。それに伴いポーズも同様である。昔しはボクサーを数体作ったが、ほとんど顔を腫らした試合直後の男ばかりだった。あえていえば極初期のチャック・ベリーのダックウォークがせいぜいだろう。作家シリーズとなると、さらに何もしていない。ジェットエンジンを背負って空を飛ぶ手塚治虫が動いている方だろう。昔の漫画雑誌の表紙をイメージした。小学校の卒業記念で学年で作った大きな紙のモザイク画は、その年にあった月面着陸にちなみ宇宙遊泳だった。真ん中に大きく主役の宇宙飛行士の下書きをしたのは私だったが、今見るとポーズが何となく似ている。 人体の構造は幼稚園児の頃から見続けたプロレス中継で知らないうちに学んだ。せっかく非日常的なポーズの男達のデータが膨大に頭の中にあるのに、ただ突っ立っている人物ばかり作って来て勿体ないな、と今頃になって思った。鉄拐仙人乾燥に入る。



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制作スケジュールを考え、長らく保留扱いになっていた鉄拐仙人は仕上げを残し完成。これで全14人、一通り手がけたことになる。点数的には充分なので、改めて身体を作り、一画面に4種登場(寒山、拾得、豊干、虎)の四睡図を後回しにすることにした。これで背景以外だと、豊干用の虎と、琴高仙人が乗る鯉を撮らなければならない。冬が旬だという鯉の撮影が遅れでいるが目的は美味しく喰らうことではなく撮影であるし、気分がまだ盛り上がらない。琴高仙人が髭、衣など風を受けて水中から飛び出したところを想定して作ったので、水表現でも難敵の水飛沫は避けられない。頭の中のシミュレーションでは、大分まとまって来た。さすがに感じるばかりでな 後は中国の山並みを作らなければならない。 学生時代、カメラマン志望の友人と口ゲンカしては「あの娘はお前が可愛くした訳じゃないし、山だってお前が雄大にした訳じゃないだろ!」と吐いたことがバチとなって帰って来たのは間違いない。そう思うと、蝦蟇仙人用の蝦蟇を、今となっては触るのもイヤだと作ることになったのも、あきらかに幼い頃、連中に残虐の限りを尽くしたせいだろう。いずれにしても今回のモチーフは様々な意味で、今までの来し方を振り返ることになった。



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一日  



コンビで描かれることが多い蝦蟇と鉄拐仙人は、寒山拾得の難航中いるうちに始めててしまった道釈画のモチーフの一つである。しかし制作が進むと、仙人はスケジュール的にも保留にしおこうかと思ったりしたが『蝦蟇鉄拐図』ということにして二人で一カットにするか、と考えた。重なっていれば作らないで済む部分も多くなる。しかしいつになくポーズらしいポーズを付けて作っていると、今度は作った所は見せたくなる。それぞれ1カットにしたくなって来た。二人で一カットにしても重ならないようにしよう。それに口から分身を噴き出しているのに対応させ、衣を風にたなびかせたくなった。対する蝦蟇仙人は無風状態で、呑気に巨大なガマガエルを頭に乗せている。後で考えよう。 ドラマ『おいしい給食』を観る。学校給食に異常に執着し、そのために教師をやっている男。原因は母親の作る食事が不味すぎるからだそうである。揚げパンがどうの焼きそばがどうの、と興奮しドタバタする様は、教室の生徒には見えていないかのようである。フト、私のブログもハタから見るとあんな風に見えているのではないのか?



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骨組みのままロクロ台の上にそのままになっていた鉄拐仙人は、私に後回しにされ続けている。脚の悪い乞食の死体に乗り移り鉄の杖をついている。その杖に脚を絡ませ、器用に義足のようにしている画を描いていたのだが、どちらの脚が悪いのかが不明である。ただ杖を持っている図ばかりなのでこうしてみようと考えたが。ホントのことはどうでも良いといいながら、想像上の人物なのに関わらず手が止まってしまう。これは性分なので仕方がない。その代わり歌舞伎のようなポーズで中空に分身を口から吹き出しているところとした。むしろ格好が良い。不都合があっても、悔しいので失敗して良かった、というところまで絶対に許さない。これもまた性分である。 豊干禅師は釈迦如来ではなく、やはり記憶通り、阿弥陀如来の化身だと判った。これでメインとなる寒山と文殊、拾得と普賢、豊干と阿弥陀の共演作は確定した。聖俗の二面ということだが、この共演は私は見たことがない。文殊菩薩、普賢菩薩、阿弥陀如来はそれぞれの背後霊のように立ち現れている、というのをイメージしている。鉄拐仙人、ようやくロクロ台の上でポーズを取る。



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撮影の仕事で隅田川を越える。昔一度だけツアーでニューヨークに行ったが、オプションツアーのバスガイドに、チャイナタウンから一歩も出ずに生涯を終える人がいると聞き、その狭さにバカじゃないか、と呆れたが、気が付いたら、私がそうなっていた。2時間を越え、乗り換えに手間取り苛つく。昨晩レンズの選択に寝不足である。撮影はというと、あっけなく終わった。クライアントがこれで良い、というのでよいのだが。隅田川を越えたほどの手応えはない。 『虎渓三笑』の高僧慧遠は山を降りないと決めていたのに、友人二人を送って行き、話に夢中になり虎渓を越えてしまい、それに気づいて笑う。なので橋を渡り切るべきだと思うのだが存外橋の半ばで笑っている図が多い。もしやと思って曾我蕭白の三笑図を見ると案の定、渡り切って笑っている。真面目だ。蕭白は真面目をこじらせた挙句のイカれ方だとふんでいる。 帰りの車中やたら混んで殆ど座れず疲労困憊で帰宅。無呼吸症候群用の装置は外泊のためだろう。バックが用意されている。今回の荷物に適当なカメラバックがなかったのでそれに入れて出掛けた。



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豊干禅師が阿弥陀如来の化身だ、と勘違いしており、実は釈迦如来だった、と先日書いたが、阿弥陀如来だ、と書いてある本が、本棚の中にあった。月を指差すのは拾得である、と断言している文献もある。禅宗のモチーフとして、実在した風狂の人と見做されている布袋尊が指差す画もあるし、誰が指してもかまわないだろう。巻物を持つ寒山が指差すものも箒を持つ拾得が指している作品もある。 私としては、座禅もしたこともないのにこんなモチーフを、という気分があるのは否めない。それはやればやるほどつのる部分もなくはないが、私が禅画の類いを見て、その気になってこうなった訳で、それは制作された意図をまともに受け取った結果である。という意味では問題は感じていない。 美術的基礎もほとんどなく、独学我流でやって来たのに、私のカンは、余計なことは知るな学ぶな、と自分を守って来た。その理由がここに至りはっきりして来た。〝考えるな感じろ”を阻害する物を本能的に排除して来たということだろう。そのためには、寺や山にこもるのも効果があろうし、王様に石の塔に幽閉されることも、あるいはコロナ禍さえも。 月を指差す寒山を作った時〝考えるな感じろ月を指し指を見ていてはならない”の意味を知った時確信した。



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寒山拾得が難航し、その間他のモチーフに手を広げていった経過について全く覚えていないが、雪舟の『慧可断臂図』は一眼で引きつけられるものがあった。構図の妙というか達磨大師は伝説の通り、岩壁に接するように真横を向いている。少林寺の岩窟で9年座禅を続け、しまいには手足が腐り取れてしまい、その様子を作ったのが高崎のダルマということになる。そして曾我蕭白の寒山が住う結晶のような岩肌ほどではないが、奇岩に取り囲まれている。その手前に切断した腕をささげ持つ男。その切り口は羊羹を切ったかのようにスッパりと、よく見ると僅かに切断面を現す赤い色が引かれている。断臂(だんぴ)とは肘から下を切断することをいう。慧可も大師と並行に真横を向いている。不思議な空気が漂っている。しかしこれが全て雪舟のアイデアなのか。オリジナルなのかは知らない。中国の検索エンジンで同じような絵を観たことはある。 腕を切り落とし、教えを乞う慧可は、悲しげであるが、私はもっと意を決した表情にさせたい。当時これがどれだけ知られた画題だったのか不明だが。もう少し説明したい。慧可は切断に使用した剣を雪に突き立てている。積雪の場面であることも雪舟作では良く判らない。慧可は手前に大きくほぼ正面を向き、達磨大師は洞穴の奥4メートル辺りでこちらを振り向いている。残る問題は、洞穴を実写にするか作って撮るかである。



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先日作ったのは全11人と書いてしまったが14人であった。相変わらず数字にいい加減である。現在私が手掛けているのは如何なる物なのか、知ったかぶりをするためにも確認しておきたい。 水墨画が中国から伝来する前、平安から鎌倉にかけて宮廷に仕える公家の絵師による公家に似せた〝似せ絵”が描かれた。また、それまでは多くが想像で描かられて来たのと違い、実見した高僧を迫真的に描いた彩色画〝頂相”(ちんぞう)が描かれる。私が参考にした曽我蛇足の一休宗純などがそうだが、禅宗でも特に臨済宗により盛んに描かれて来たことを知らず、この一休も、寒山拾得と同じ臨済宗だ、と偶然と思い込んで手掛けていた。恥ずかしい話だが、作ってしまえばこちらのもの、知らなかったこともメリットにカウントしている。 そうこうして新興仏教、禅宗が中国より持ち帰ったのが水墨画で、中でも私がモチーフとしているのが、道教また仏教に関する人物をモチーフにしている〝道釈人物画”ということになる(私はあくまで人形作って写真に撮るのだが)こうして改めて考えると、一体私は何をやっている?と思わないでもないが、デイアギレフがコクトーに「私を驚かせてみろ」と言った。私は私自身を驚かせたい、とは常々思っているが、他人はともかく自分を呆れさせてみよう、とまでは思っていない。いよいよ私も未知の領域に踏み入ろうとしているのかもしれない。



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