明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



当初、歴史あるモチーフに敬意を表し、私の寒山拾得を、などとは考えず、なるべく埃を立てぬよう、大人しく末席に座ろう、としおらしい事をいっていた。人形を作って写真作品にする、私にはそれだけで充分。だが、頭に浮かんだイメージのためにはどんな手でも使おうという独学我流、無手勝流の出自、育ちがどうしても頭をもたげて来る。 そのせいで私の寒山拾得は、星の数ほどある寒山拾得とは一味違う表情になったが、聖性という意味ではどうだろう。世を捨てた巌窟住まいの乞食坊主に聖性を見た、かつてそんな時代があったはずだが、もっと明快に聖俗兼ね備えた寒山拾得を、と考えていた。そこで一カットのためだけに、とは思ったが、文殊菩薩と普賢菩薩像を入手。寒山と文殊、拾得と普賢を1カットづつ左右に、真ん中に虎と豊干禅師。計三作、これにて『三聖図』としたい。寒山拾得と文殊普賢の共演作は観たことがない。私のイカれた寒山拾得の表情も端正な菩薩がバランスを取ってくれるに違いない。 当初のしおらしさはどこへやら。やはり頭で考えたことは、いざとなると役に立たない。無駄だから、先のことは一切考えないと決めたの昨年だったか一昨年だったか。それはともかく。気になることをちょっと思い出した。真ん中の豊干禅師は阿弥陀如来の化身ではなかったか?!

 



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曽我派初代蛇足こと曽我墨渓の『一休宗純』と『臨済義玄』は共に京都の一休ゆかりの一休寺、真珠庵にあるそうである。鏑木清方の三遊亭圓朝図が公開されてるのに見に行かない私が京都まで行くはずがない。もう出来ちゃったし。 小学生の時見た蛇足作の横目でこちらを見ている一休に、竹竿持たせて、先っぽにシャレコウベで〝門松や冥土の旅の一里塚目出度くもあり目出度くもなし”をやらせて撮りたい。これは掛け軸並みの長い紙を使い、竹竿を長ーくしたい。この流れで連作の『一休和尚睡臥図』を作ることも出来る。ちょっとダサいな、と思いながら当時の門松を調べてみたが、掲げた髑髏にカラスがまとわりついている図を思い付き、冬のカラスはどうしてる?と調べたら、初鴉は正月の季語だと知った。これで門松を配する、という野暮臭いことをしなくて済む。タイトルも『初鴉』。 ムシロを掛けて寝ている睡臥図の一休の胸元にもカラスを1匹止まらせたい。さらに酒の入ったひょうたんも転がしておこう。作家シリーズの時のように、一休や蛇足にはウケたい気もするが、律儀な私でも、さすがに室町時代の人々に気を使う気にはならない。この二作はおそらく、あまりにも私らしい、私らし過ぎたかもしれません。という作品になるだろう。

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本日より9月11日まで『蒐集家・神谷瓦人と近代俳句』に当館に寄贈された書籍、短冊など1000点の中から選りすぐりを展示する。同時に私の室生犀星、永井荷風、泉鏡花像を展示している。市川團十郎もあるそうなので九代目も、となったが、三升としか書かれておらず、神谷氏も詳細は残していないという。三升は九代目と十一代の俳名であり、ややこしいのは、九代目の娘婿で、銀行員から役者に転向、亡くなって十一代團十郎を追贈されたが、生前は五代目市川三升である。素人上がりではあったが、演じられることも無くなっていた市川家のお家芸を復活させ、その養子が海老さま、後の十一代目團十郎で、現海老蔵の祖父である。何かと色々あるが今年十三代目團十郎誕生の噂もある。展示物が九代目の物と判明すれば私の九代目も追加展示したい。 芭蕉像と芭蕉庵はすでに収蔵されている。芭蕉制作時、図書館に通いながら、へたり込んでいる芭蕉の銅像を横目に私より随分若く死んだくせにこんなジジイにしゃがってと腹を立てた。全国のいい加減な芭蕉像を呪いながら、嫌味なくらい門弟の残した肖像画のみを参考に作った。これと夏目漱石が己れのカギ鼻を写真修正させており、そんな事気にしてるから胃を病むのだ。ごまめの歯ぎしりという奴だが、制作上得たこの二つは一生言い続けてやる、と誓う私であった。

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6年前のゴールデンウィーク、江戸深川資料館で『深川の人形作家石塚公昭の世界』を開催。写る所しか作っていない作品を会期中も控え室で作り足し、展示出来る物はできるだけ出品した。この時会場で、2つの発見があった。一つは、初めて長辺2メートル以上に引き伸ばした作品を初めて見て、細密でなもなく、粘土丸出しの作風なのに関わらず、アラが目立つどころか拡大する程リアルに見える。連中にこんな意志があるとは私自身思わなかった。 もう一つは、初めて私の作品を観た人には、どの作品が古く、どれが新作か判らないかもしれない、と思った。作り方も、初個展からほとんど変わっていない。独学我流のくせに、必要のないものは一切身に付けないよう守った。一度入ったものは出て行かない。学べば良いという物ではないだろう。この展覧は私の中締めとなったが、その直後からだろう。図書館に行っては浮世絵、日本画を眺めては、西洋画、写真に無い自由さを羨ましがっていた。そして江戸川乱歩いうところの〝現世は夢夜の夢こそまこと”にまた一歩踏み出すこととなり、その旅路の最突端が、今の所寒山拾得ということになる。

『深川の人形作家 石塚公昭の世界』



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昨日スマホを落としだが、無事戻り、遅くても翌日の昼までに書くことにしていたブログを昼過ぎに書いている。岩波書店刊『写真画論 写真と絵画の結婚』を読む。写真登場当時〝大きさも色彩も自由自在で、耐久性に優れた絵画に対抗できるはずはなく、そもそも被写体の姿がそのまま映ってしまうということは、当時の画家にいわせれば、欠陥以外なにものでもない”絵描きが失業する、と恐れた話は聞いたことがあったが絵描きの言い分が面白い。さぞかし野暮に思えたろう。 両者の間には様々な歴史があり、それを結婚に例えている訳だが、私が何者で、何故こんなことをしようとするのか、その点のみに関心がある私には、特に参考になる話は出て来なかったが、西洋の油彩を学び、迫真的な女性の肌を描いた日本の絵描きの嬉しさは、筆で描いた鬼火や、赤富士は後ろにあるのに、それを見上げる葛飾北斎作って喜んでいる私と同質な物を感じて微笑ましい。 私のデータが勝手に使用されようとしているのを事前に知り、使用を止めてもらう。『それを許してたら私等の渡世では生きていけませんので。』

 



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28は日から江東区の芭蕉記念館で9月まで、今のところ室生犀星、泉鏡花、永井荷風の人気を展示するので、ゴソゴソやっていたら、ふげん社で展示はしたが、撮影をしていない葛飾北斎が出てきた。前屈みでタスキ掛け筆を取っている。想定では画室で、『蛸と海女』用の写生をしているところである。つまり女の裸を描いている。傍の桶には蛸が這いずり出ている。結局陰影のない石塚式で頭が一杯であり、途中で止めた。『ゲンセンカンの女』で陰影をできるだけ出さないですすめたが、行燈に半裸の女、ここで陰影出さずにどこで出すのだ、と結局陰影出して決定稿とした。画室の北斎も当然そうなると、止めたのをすっかり忘れていた。私は案外、こう決めたのなら、それで全て通すべき、というところがあったが、自分が作ったご馳走なのに食べるのを身を捩って我慢する、というのは馬鹿だろう、と思う今日このごろである。

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一日  


実在した作家を制作していた時、一つのモチベーションになっていたのが、その作家にウケたい、という事であった。それはとっくに亡くなっていようと。自分でも奇妙ではあったが、ずっとそうだった。それが極まったのが、シリーズ最後となった三島由紀夫であろう。最後は私と三島の二人の世界であった。洗濯物を見上げると洗濯物と私の間に三島が透けて見える有様であった。今手掛けている物は、もちろん爪の先ほどもそんな事は考えない。様々な意味でタガが外れている。 立体作品を制作するということは自ら陰影を作り出すことに他ならない、それをわざわざ排除しようなんて。それは私が思い付いてそうしたくなった訳だが、そこに至る間の身を捩らんばかりの想いは、二刀流でない、被写体制作者と撮影者が別では起きない作用が働くはずだ、と確信している。それはともかく。本来陰影を撮る用に作られたカメラとレンズを持っているのに撮るのを我慢する必要はないだろう。そりゃそうである。臨済義玄の〝喝”の表情など特別なレンズで撮ってみたいものである。



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聖性  


禅の世界の広さ深さの表現のため、寒山と拾得は聖俗併せ持つ存在として描かれてきた。痩せていると書かれている寒山拾得の多くが肥満体だったり、無邪気な唐子調なのが不可解であったが、今はそれが聖性の表現なのだと思い至った。また痩せた乞食坊主の場合も、世を捨てた隠遁者の姿に、また聖性を見ていたのだろう。 人物像制作者とすると、最終的究極のモチーフは『羅漢図』になるような気がしないでもない。あまり違いがない、というと語弊があるが、同じように興味深いのが『乞食図』である。人間の種々相がリアルに描かれ見飽きない。 私の寒山拾得は、ちょっとイカれてはいるが、星の数ほど描かれて来た二人とは一味違う表情になった、と思うが、果たして聖性という意味ではどうだろうか。山奥のボロボロな隠遁者に聖性を見た時代とは違う。



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円山応挙が松に積もる雪を描かず下地の色で雪を表現しており、それを私も思い付いて今年、雪が降ったのに雪を撮りに行くのを止めた、と昨日書いた。これは大家応挙と同じ事を思い付いた私、という話ではなく、写真作品で雪深い景色を描くのに、雪を全く撮らない私、という話である。愉快な話だと思うのは私だけだろうか?あまり聞いたことはない。陰影さえ無ければこんなことも可能である。 これは毎度のことだが、そろそろ最近起き抜けに見る夢が、ほとんど制作の事を普通に考えている。三島由紀夫の時はベランダの洗濯物を見上げても、私と洗濯物の間に三島が挟まって見えた。子供が口を開けたまま、西の空でも眺めていたら、ろくなことは考えていないのだから、手遅れになる前に、アンモニアを嗅がせたり、頭の一つも叩いて我に返すべきだ、と良く書くが、やる奴は、某施設に連れて行って検査をしょうが相談しようが無駄である。不幸中の幸いは、たかだか可愛らしいお人形を作って写真を撮る程度で収まっていることであろう。と昨日に続いて同じ事を。 寒山拾得は今のところ2カットであるがもっと増えるだろう。



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今まで作りたいものが鮫の歯のように縦列になって並んでいるように途切れることがなかった。人は頭に浮かんだ物は作るように出来ているそうだが、そうなると我慢するのは困難である。ある種の犯罪者が自分では止められないから死刑にしてくれ、という時、つくづくやらずにいられないことが、たかだか可愛らしいお人形作りで良かったと思う。生まれ付きのことだから私には責任が無い、と思う私は、そんな理由から、連中には多少同情的な気持ちが拭えない。 作りたくなるのは良いが、ぼた餅が落ちて来るように予告無しに突然降って来るのは何とかならないか。フードコートで、ハンバーガーに齧り付いていたり、油断している時が危ない。せめて今やるべきことをが終わってからにして欲しい、先の目標など持つべきではない。持たないに限る。 何でも鑑定団の再放送を観ていたら円山応挙の雪が積もった松の木だかが紹介されていた。その雪は何も描かれていない下地の色を雪に見立てていた。私も『慧可断臂図』の雪景色をそうしよう、と思い付き、今年雪が降っても撮りに行くのを止めたのだった。



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嘘を付くにはホントを混ぜるのがコツだが、私の場合、虚実をどうブレンドするか、そこが工夫のしどころである。数年前、いずれは寒山拾徳を手掛けることになるだろう、と思っていた時、豊干の乗る虎は普通に本物を使おう、と思っていたが、実物を見たことがない絵師の描く虎の味を出すために猫を虎に変えたらどうだろう、と思い付いた。そう思ったら止められない、虎に竹林は付き物だろう、と区内にあるほんの申し訳程度の竹林を撮り、八百屋に筍が出るのを待ち店先で撮った。青木画廊は個展における陰影のない石塚式ピクトリアリズムの初披露であったが『月に虎図』は私が見ても唐突さ違和感で浮いていた。 昔、オイルプリントを初披露した頃、瞳に明かりが灯らない来廊者であったが、今回も同じことが起きるに違いない、と写真家でただ一人オイルプリントを面白がっていただいた須田一政さんなら、と10年ぶりくらいにお知らせしたら体調が悪いが面白そうなので行きます、といっていただいたが、間に合わなかった。須田さんのチャレンジ魂には感銘を受けた。 ところでマタタビを用意してもらって撮影したトラ猫だったが、思ったようには撮らせてくれない、そこで寒山拾得、豊干の虎が眠る『四睡図』はぐうたらな動物園の虎を撮り、今度は逆に、虎みたいな猫にしようと考えている。

 



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一日  


一種の逃避行動、いや間違いなく逃避行動だが、部屋を片付けようと頭の隅によぎっただけで、創作意欲が溢れ出てしまう。展示用の作家の人形を用意しなくてはならないし、棚を設置する場所も確保しなくてはならない。作品は着彩を済ませていなければ、積み重ねようが問題はないが、いや多少問題は出て来ている。『虎渓三笑図』の三人は、写らない足は作っていないので、寝転がしているのだが、陶淵明の、中国詩人らしいドジョウ髭は、3回折れた。撮影まで放っておくことにした。飲みに出かける時に、首をポケットに入れて、なんてことも、ここに至ればさすがにやらない。撮影について考える。『豊干虎図』『鉄拐仙人図』『慧可断臂図』を仕舞い、大き過ぎて飾り難い『琴高仙人図』に差し替えることにした。 先日、酔って救急車に乗ったSがもう懲りた、と酒を止めたという。たった2針で?20針超を2人知っているがいずれも懲りた様子はない。

 



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水の表現をどうするか、なんて考えていると、いっそのこと、山も川も全て作った物だけで、なんて誘惑に駆られる。アトリエから一歩も出ず花鳥風月を描く画家がいるなら、粘土で作って写真を撮る人間がいてもおかしくはない。だがしかし、上手な嘘を付くならホントを混ぜるのがコツではある。 マコトを写す写真という言葉を蛇蝎の如く嫌うあまり、画面の中にマコトなど写してなるか、と写真を初めて以来、ずっとファイトを燃やし続けて来た気がする。人形を人間かのように撮影したり、廃れていた技法オイルプリントを手掛けたり、挙句が光と影の芸術たる写真から、陰影こそが自由を阻害している、と言いがかりを付け、写真から陰影を排除する始末である。 ブルース・リーのセリフ〝考えるな感じろ”はそんなことは知ってる。と続けて来て、考えないために金魚を眺め、ようやく寒山拾得の頭部が完成し、月を指差す寒山を作っている最中、考えるな感じろの続きが月を指して指を見るような物だ、と知る。その時、手法とモチーフの座標上のピントがピッタリ合って着弾地点にストライクの気分を味わった。昨年の初め、水槽の金魚をボンヤリ眺めていた私に教えてやりたい。

 



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今週はいっせいに着彩に入りたい。着彩といっても、凝り過ぎても陰影のない手法で撮ると、ただ汚く写るので、とくに肌は一色のベタ塗りだし、着衣も老人が多く地味である。数は多いが、それほど大変ではないだろう。撮影自体も、既にどの角度から撮るかは決まっているし、三脚でちゃんと撮れれば多くが数カットで終わる。後は一番肝心な配置となる。今回は髪の撮り方に新たに試したいことがある。上手く行けば多用したい。 それにしても水をどうするか、ずっと悩みの種であったが、鯉に乗った琴高仙人には避けられないし、山深い風景には、小川や滝は付き物であろう。陰影がないということは艶も反射もないということである。火は筆描きでこなしたが、小川に線など引きたくはない。最有力は水の揺らぎだろう。飛沫はともかく。 作家の人形を展示の予定があるので、ちゃんと揃えておかなければならない。私の悪い癖で、完成し写真を撮ってしまうと、つまり頭の中に浮かんだイメージを取り出し、確認してしまうと役目が終わった、とばかりに扱いがぞんざいになってしまう。探しても眼鏡が出てこなかったりする。



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私が〝考えるな感じろ”となった理由を昨日長々と書いた。あの一件で、自分を信じるようになり、何で寒山拾得なのか良く判らなかったが、頭で悩まなければ必ず見つかる自信があった。『書を捨て街にも出ない』さすがに達磨大師のように岩壁を見つめている訳にはいかないけれど、水槽の金魚を眺め暮らす、というのは我ながら名案であった。 虎に乗せるか、虎を傍らにはべらせ、自身は岩に座らせるか決まらない豊干禅師、一カットの画面に二人を共演させるため、まず蝦蟇仙人を作って、と思っていた鉄拐仙人を残してほぼ完成。それにしても蝦蟇仙人はカエル顔している必要はなかったし、頭に乗せた金運、幸運を象徴する三本脚のカエルも、あそこまで大きくする必要はなかった。そもそも蝦蟇仙人なんて、妙な存在なのだから可笑しい方が良いだろう。そう思うと私が40年に渡って歴代選んで来たモチーフは、私の持っている物を、それに乗じて作ることが出来る物であった。ここに至り歴史ある古典的モチーフにかこつけ、こんなやりたい放題のモチーフはないのではないか?小学生の時に作った八岐のオロチや、キングギドラを思い出し、誘惑に苛まれた龍を作るのを今回は何とか我慢した。



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