明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



今作っている人物がことの他快調で、だったら当時仕事を一緒にしたり、手紙のやり取りをした人物も、返す刀で作ってしまおうか、と昨日書いたが、そんなことばかりやっていると来年の予定がおかしくなってしまうだろう。ただこの無計画、行き当たりばったりが私の方向性を決めて来たのも事実であり、毛細血管が枝葉を延ばすが如きに迷走しながら進んで来た。しかしその人物は制作中の人物との共演こそ画になりそうだが、単体ではあまりに渋過ぎて、さすがの私も手が出せない。そう思っていたら鏑木清方がその人物の日常を、まるで見て来たかのように描いているではないか。“またお会いしましたね” 今年は鏑木清方の『三遊亭円朝像』が私を悩ませ創作とは何か、ということを考えさせられた一年だったといって良いだろう。そう思うと、それがなければ制作中の人物を作ることもなかった。まさにここでまた一枝伸ばしたことになる。 それにしても、ここに至るのに少々時間がかかり過ぎた。写真資料を見ながら実在の人を作るのは、昨日書いたように、私の力では年6体が限界である(写真作品制作も含む)たまたま作りたい実在した人物がいなくなり(といいながら作っているが)見渡してみたらまだ山の5合目あたりではないか。これはまずい。私は小学生の頃からことあるごとに大器晩成だといわれていたが、晩とはいったいいつのことを指すのか。もうすっかり夕暮れ時のような気がするのだが。これから私ができることといったら睡眠時間をさらに減らすことぐらいであろう。

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』より

月刊ヘアモード12月号 no・693
不気味の谷へようこそ第9回 脳内イメージを表す人形写真

※『タウン誌深川』25日“明日できること今日はせず”連載5回「芭蕉の実像」

HP

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




制作中の人物は、自画像を数種残している。当初初めて見た迫力の自画像を元にしようと考えたが、他の像と比べるとあまりにデフォルメがなされている。自分で描いたからといって信用はできない。こう見せたい、こう見られたいがどうしても入って来る。何しろ敵?は創作者中の創作者である。ではすべてが噓かというと、禿頭の後頭部に残るざんばら髪が、本当の状態を描いているように思える。この人物は、松尾芭蕉についで、画しか残されていない人物である。つまり想像で作れる余地があることになる。そのせいか、頭部の完成は早かった。 私は子供のころから写生が苦手であった。見たまま描くのなら、想像の余地がない。よってつまらない。考えてみると写真に対しての不満も、自作を撮影することを始めるまではそこにあった。そのまま写ってしまうのでは身も蓋もない。この人物が写真が残っていないせいでスムーズにいったのなら、当時組んで仕事した人物も作りたくなってしまった。誰も見向きもしないが、極近所に住んだ記念碑もあるし、鏑木清方も制作している。私の“もう作らない”ほどあてにならないものはない。 現在制作中の人物は、私にとって写実と創作の狭間で、また創作上、分岐点的人物として実に象徴的な人物といえそうである。

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』より

月刊ヘアモード12月号 no・693
不気味の谷へようこそ第9回 脳内イメージを表す人形写真

※『タウン誌深川』25日“明日できること今日はせず”連載5回「芭蕉の実像」

HP

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




手足を人間と合成する予定の1作目だが、被写体の爺が暑いだ寒いだすべったの転んだの、と能書きが多いのを思い出した。先に造形しておいて、それに合わせるより、爺を先に撮影して、それに合わせて造形した方が良い、と考えた。 7年前定年を迎え、昼間から飲んだくれて暇そうだし、身長が163センチの三島由紀夫と同じくらいだったので、浜松の航空自衛隊に連れて行って、展示してあるF-104の操縦席に三島を乗せるにあたりスケール代りに座ってもらったり、『潮騒或は真夏の死』では、浜辺に寝転がる三島の、海水に接している部分だけ爺で撮って人形の三島と合成したり、60代にしてはしおれている手足を柳田國男の手足として使った。本人を知る人からすれば、民俗学の大家、柳田國男先生の手足に、なんて人物を起用するのだ、といわれてしまいそうだが。 酔っぱらって救急車に9回、パトカーに2回乗っている。最近の相撲界の騒動で報道されているたった数針の怪我や、医療用ホッチキスなど、この人物の騒動を見慣れている目には、でかい図体して何を大げさな、と思えてしまう。 今回先に人物を撮っておこう、と思ったのは制作中の人物が180センチくらいの身長だったので、プロポーションのことを考えると造形した物に合わせてもっと曲げろ伸ばせよ、いうより、爺に合わせて造形すべきだろう、と方針を変えた。よって2作目に予定していた立像をまず先に作ることにした。

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』より

月刊ヘアモード12月号 no・693
不気味の谷へようこそ第9回 脳内イメージを表す人形写真

※『タウン誌深川』25日“明日できること今日はせず”連載5回「芭蕉の実像」

HP

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




子供の頃は朝無理矢理起されていたので寝ぼけて夢と現実の区別がつくまで数分かかることがあったが、最近寝起きに考えることが案外現実寄りだったりする。撮影用に作る新作のポーズを、それにより若干ではあるが変えることにした。私の夢の特徴は、出演者、シチュエーションは現実的ではないが、私のすることセリフはあくまで私のいいそう、やりそうなことしかしない。よって犯罪が発覚しそうになった時に考えることは、いかにも私らしいし、逃走のしかたもいかにも私がしそうなことしかしないのである。今朝の夢は、なんで制作中のことに及んだかは知らないが、目が覚める直前だったせいか、ほとんど日中考えることと変わらなかった。よって目が醒めても「その方が良い」。もしかしたら、夢をみなければ予定通りことをすすめていたかもしれない。 今回の人物は、1作目を撮影専用に決めたことにより、手足を人間を撮影して合成することにした。この場合、拙著『貝の穴に河童の居る事』で柳田國男の手足に起用した酔っぱらいの干からびた爺を再び起用の予定である。土曜の午前中に撮影を予定している。この爺、休みの日は午前中から飲んでしまうので注意を要する。干物がアルコールで戻ってしまってはいけない。

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』より

月刊ヘアモード12月号 no・693
不気味の谷へようこそ第9回 脳内イメージを表す人形写真

※『タウン誌深川』25日“明日できること今日はせず”連載5回「芭蕉の実像」

HP

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


一日  


最新作は撮影専用に決めた。よって写る部分しか作らない。前回書いたようにその方が画的に思い切ったことができる。撮影したら首を外して修正し、展示も可能なバージョンを改めて作る。制作は来週から。 2時に増上寺に。ここで修行した従兄弟の結婚式。よって数珠持参。 本堂に響く笙と鐘の音。僧衣の新郎。彼が生まれた時母と駆けつけたが、手を合わせて生まれて来た、と誰かがいった。『そんな馬鹿なことあるかよ?』。あれから50年だそうである。お上人の説法は意外なことにユーモアもあり。なかなか経験できない興味深い物ばかりであった。寒い中、本堂の前で記念撮影。撮影会のように、余計な観光客にまで撮影される。増上寺は「中央公論Adagio」の最終号、田中角栄と大門を歩くの東京タワーの撮影で通った。営業から東京タワーを入れて欲しいという要請から場所と人物が決まったらしい。何故大門で角栄なのか良く解らない。ここでこそ東京タワーで円谷英二をやりたかった。実景をスタジオのミニチュア扱いする、というアイデアは円谷にしか使えない。使わずに終わるよりは、と勝ちどき特集の時に進言して使ってしまった。 披露宴まで2時間の間があり八芳園へ。記念撮影など経てようやく披露宴。この新郎、東京23区で最も標高の高い400年近く経つ寺の住職でありながら、ロシアでクラウンの修行してきたり、マジック、イリュージョンする芸人でもある。話し方を学ぶために弟子入りした、というのが全く解せないのだが、師匠の「俺が夕焼けだったころ〜」を久しぶりに聴く。芸人仲間の曲芸や演奏など。される方が恥ずかしいキャンドルサービスがなくて良かった。アルコールの提供のされ方が私には上品過ぎたので、地元へ帰り飲みなおした。



2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』より

月刊ヘアモード12月号 no・693
不気味の谷へようこそ第9回 脳内イメージを表す人形写真

※『タウン誌深川』25日“明日できること今日はせず”連載5回「芭蕉の実像」

HP

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




人形の芯に使う盆栽用のアルミ線届く。 最新作は作ろうと喉もとまで出かかっていた時、T千穂に飲みに来ていたIさんにちょっと洩らしたところ、私が以前見せた作品からの連想なのだろうが、その人物がこんなことをしていたら、と何気なく口から出たのが、私が考えていた画なのであった。これが作ることになる最後の一押しとなった。その後、頭部が仕上げを残し完成し、Iさんが来る頃かと、頭部をポケットに入れて持って行った。それを見せたりしていたが、そこへ奥さんが遅れて来た。すると今日、私が作っている人物の作品を見て来たという。詳しい。こういう偶然や連鎖は制作中に良く起きることなのだが、こんな時はなにがしかの風が吹いているから流れに乗るに限る。週末から作り始めることにする。1体目は、展示を考えずに撮影用に徹するかがまだ決まらない。撮影用なら撮影用で、またやりようがある。写らない所は作らないという効率的なことだけでなく、展示を考えず、全方位的な整合性を無視して制作することが出来る。つまり矢吹丈の前髪、あるいは鉄腕アトムの角的なことも画を優先し可能なことになる。被写体専用の造形は、作家シリーズに転向早々から度々やってきた。被写体制作者と撮影者が同一ならではのことである。

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』より

月刊ヘアモード12月号 no・693
不気味の谷へようこそ第9回 脳内イメージを表す人形写真

※『タウン誌深川』25日“明日できること今日はせず”連載5回「芭蕉の実像」

HP

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




午後、アメリカから帰った妹と待ち合わせ、母の入っている老人ホームに向かう。妹と母が合うのは一年ぶりであろう。妹が買って来た昼食を3人で食べる。母は車椅子に乗っているが、リハビリの若い担当者が、今母に行っている施術を説明してくれる。かと思うと歯科医の日で、入れ歯が合わない所を修正してくれる。妹は行ったり来たり立ち働く若い職員が、みんな感じが良いことに驚き、安心していた。母はというと、車椅子からまずはシルバーカーで歩くことに執念を燃やしており、50メートル歩いたなどといっている。この婆さんはおだてれば木に登るタイプである。他の年寄に、食事を口に運んであげたり、世話を焼いているそうで、職員にお礼だと自分だけ飴やみかんを貰っていると自慢気である。余計なことをするな、というのだが、他人にそうすることが、自分が死んだ後も私や妹に帰ってくるのだ、といわれると何もいえなくなる。私達にあげようとみかんを取っておいたのだが部屋に忘れて来たという。いくつになっても親である。妹も安心したのか予定より長居した。 近々親類の結婚式に出席するのだが、喫茶店で妹と祝儀袋の書き方など検索していると、最近作に集中するうち、私は結婚式の日取りを3日間違えていたことに気付き、妹と話しながらメールで近所で礼服のクリーニングが間に合う店を探してくれるよう友人に頼んだ、すると折り返し電話が着てしまった。こんなことが隣の妹にバレたら大変なことになる。慌ててごまかし電話を切った。兄がこうだと、妹はこうなる、という恐ろしいくらいの典型なのである。すぐに妹と別れて友人に電話をすると幸い1軒見つかったという。安心してバスで帰るとバス亭目の前のクリーニング店でも大丈夫だという。すぐに持って行き、ホッとし過ぎて、飲みに出かけてしまった。

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』より

月刊ヘアモード12月号 no・693
不気味の谷へようこそ第9回 脳内イメージを表す人形写真

※『タウン誌深川』25日“明日できること今日はせず”連載5回「芭蕉の実像」

HP

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


創作  


昨晩急に寒気に襲われ、これはまずい、とコンビニで辛そうな物を買い、さらに唐辛子をふりかけ早めに寝た。幸い応急処置が効いたようである。母親のいる老人ホームに、アメリカから帰った妹と今度一緒に行くことになっている。 頭部完成。何がすがすがしいといって、架空の人物や、写真が残されていない人物は、フィニッシュを自分で決められることである。むしろ写真資料が潤沢に在る場合はこうはいかない。 存命中の人物は書籍の表紙など、依頼が無い限りは作らない。私などより、3Dで本人をスキャニングして像を造れば良いのではないか、と思わないでもないが、むしろそれを写真作品にする場合の解釈を見せられるのが面白い。実在した人物は、依頼されないかぎり作らない、といっていながら始めてしまったのは、そんな画が浮んでしまったからである。本人はそんなことまでしなかったろうが、その人物ならやっていても不思議ではない、という画なのだが、架空ではなく、実在した人物は、その人物の伝説なりイメージを利用して創作できることが面白い。例えば十字路で悪魔と取引したおかげでギターが上手くなったというロバート•ジョンソンなど、当然十字路で悪魔を待っている写真など存在していないので、創作する面白さがあった。今回の人物など、やりすぎても昔の人過ぎて、どこからもクレームは来ないであろう。

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』より

月刊ヘアモード12月号 no・693
不気味の谷へようこそ第9回 脳内イメージを表す人形写真

※『タウン誌深川』25日“明日できること今日はせず”連載5回「芭蕉の実像」

HP

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




肖像写真が残されていない人物を制作する場合、その分、創作の余地がある。それはイメージさえ自分の中にあれば、完成も早いということを意味する。肝腎の頭部が大分良い感じになってきた。頭部が出来た頃には写真作品としての画もおおよそ浮んでいる。撮影用専用の造形であれば、写る部分しか作らないが、当然それは展示は出来ないことになる。昨年の個展では、おかげで未完成のまま制作が間に合わず、展示できない人物が結構いた。しかし、今回はできれば撮影専用に留めておきたいところ。完成作品をみればそれはそうだろう、と思っていただけるだろう。ならば、撮影専用は専用として、撮影後に首を引っこ抜いて、展示用に改めて制作した方が良いかもしれない。悩むところである。これはできるだけ大伸ばしのプリントにしてみたい。 今回は特に私の、感心されるくらいなら呆れられたい願望炸裂の巻なのだが、人物大のサイズに拡大すれば、見る人もさらに呆れやすいだろう。今回の作品は、今年より始めた陰影を排除した撮影方法をおこなう予定であるが、陰影がなくて艶があっては矛盾が生じる。人物と“共演”してもらう物が艶々しているので、どうやって艶を消すか、その辺も今から考えておかなければならない。

オイルプリントプリント映像

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』より

月刊ヘアモード12月号 no・693
不気味の谷へようこそ第9回 脳内イメージを表す人形写真

※『タウン誌深川』25日“明日できること今日はせず”連載5回「芭蕉の実像」

HP

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




最初に参考にした肖像画は、私が知っている顔とは違ったが、迫力があった。しかしいつもいっているように、本人が描いているからといって簡単に信用する訳にはいかない。本人が描いているからこそ信用できない場合もある。 自画像だけでも数種あり、みんな違う。他の画家の像も並べているうち、この部分はおそらくこうだったろう、などと、特徴が見えて来た。これは3人の門弟が描いた肖像画だけを参考にして取捨選択して制作した松尾芭蕉で経験済みである。結局、最初に参考にした肖像は、本人が描いているにも関わらず却下。これで方針が決まった。浮世絵が実は当時の感覚からすると、リアルに特徴を捉えていることに気が付いていなければこうはいかなかった。
私は毎年行ってきた行事は、唯一、K本の女将さんを囲んでの富岡八幡のお酉様であった。近年は女将さんの脚の具合を考慮して、女将さんはタクシーで向かってもらっていたが、かつては女将さんを先頭に、ぞろぞろ常連が連なっての行き帰りであった。しかしクーデターが起きて長年通った常連が追い出され、その行事は途絶えた。K本の熊手はそのまま古びていって貫禄だけ増しているようである。女将さんの様子だけが心配であるがしかたがない。しかし途絶えたまま、というのも寂しいし腹も立つ。そこで今年はK越屋のオヤジと俳優の今拓哉さんにお付き合いし、二の酉に向かった。今年は6人であったが、やはりしみじみとして良いものである。この習慣が新たに続くことになれば良い。来年はチリジリになったK本の落ち武者達にも声をかけよう。

オイルプリントプリント映像

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』より

月刊ヘアモード12月号 no・693
不気味の谷へようこそ第9回 脳内イメージを表す人形写真

※『タウン誌深川』25日“明日できること今日はせず”連載5回「芭蕉の実像」

HP

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




以前、“私が作ってるのは誰でしょうクイズ”をやって正解者にはささやかなプリントを差し上げたものだが、ブログの流れ、文章の端々から漏れたところから判る方がいたようである。そう考えると、そんな方々には、只今制作中の人物はすでにお見通しであろう。 私が浮世絵に興味を持った最初は、役者絵などどれを観ても似たような顔、また描く顔の角度も皆同じ。しかしある役者の、描き手の違う画を複数枚ならべて見ていたら、ある共通の特徴があった。それは現代人の私には並べないと気付かないようなものであったが、ちゃんと描きわけていることが判った。当時の庶民はその違いを見極め、楽しんでいたに違いない。江戸庶民は渋い。そう思ったら西洋の常識に染まった眼は随分野暮で安っぽくなってしまったものだ、と思ったものの、そう簡単に修整が効く物ではなく、出品した作品を二回も差し替える、というドタバタを演じる始末である。上下が逆さまに見える眼鏡をかけて生活する、という海外の実験をTVで見たことがあるが、最初こそヨロヨロしていたものの、ほどなく普通に自転車に乗ったりできるようになっていた。たいした脳の対応能力であるが、それにしたって修整期間は必要であろう。年内中になんとかならないものだろうか。

オイルプリントプリント映像

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』より

月刊ヘアモード12月号 no・693
不気味の谷へようこそ第9回 脳内イメージを表す人形写真

※『タウン誌深川』25日“明日できること今日はせず”連載5回「芭蕉の実像」

HP

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




午後、Kさん(当ブログを出禁にした陸(おか)河童のK公とはもちろん別人である。)の車で銀座に向かう。こちらで個展をどうか、とKさんの提案により。すでに先方に作品は見ていただいていたが、とりあえず顔合わせ。いずれオイルプリントで個展を、ということになりそうである。 単に人形を作っていた写真ド素人の私が、1991年より訳も判らずオイルプリント制作を始めた。それがいつの間にか個展を重ねることになった。以来、止むに止まれない時は、その時意味がわからずとも、乗ってしまえと考えるようになった。 止むに止まれぬ、といえば、実在した人物は自主的にはもう作らない、と書いていながら、筆も乾かぬうちに始めてしまった。人間は頭に浮かんだものを作るように出来ている。らしい。もっとも、作らないと書いていながら、どこかですでにきな臭い匂いが鼻の奥でしていたのだが。古い友人なら、これは始めるな、と思っただろう。理由の1つは写真も残っていない人物だということがある。つまり創作の余地がある、ということである。私ごときには鏑木清方のように、写真が残っているのに、事実と違っていても主観を優先、ということができない。池波正太郎のようなマネはできないのである。ところがこの人物には、私を縛りつける肖像写真が残っていない。その代りに自画像を数種残しているが、私が小学4年に上がる時、学校を去る担任の田中先生に、本好き、特に人物伝ばかり読んでいる私に、そんなに好きならと内緒でいただいた世界偉人伝にも乗っていた有名な画と違う。本人が描いているから正確かというと、私は簡単には信じない。夏目漱石でもかぎっ鼻を修正させているように、こう見られたい、という心理が必ず働いているからである。しかし、本人の描いた肖像と他人の描いた肖像、まるっきり違うようで、重ねてみたら肝腎な部分が重なり、もの凄く驚いた。恐るべしニッポン式リアリズム。 その人物をどういう画にするかは、すでに決まっている。おそらく私の“感心されるくらいなら呆れられたい”願望を充分満足させてくれる作品になることであろう。

オイルプリントプリント映像

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』より

月刊ヘアモード12月号 no・693
不気味の谷へようこそ第9回 脳内イメージを表す人形写真

※『タウン誌深川』25日“明日できること今日はせず”連載5回「芭蕉の実像」

HP

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




『猿の惑星』は面白いと聞いていたが、小学生の時に観た第一作を超えることないだろう、と『イット』を観る。うっかりしていた。酒場と恐怖映画に子供は禁物である。特にアメリカ映画では子供がたいして酷い目に遭うことはないだろうと、観ていてさっぱり恐くない。猿の惑星一作目は小学生同士、連れ立って見に行ったが、それに相応しい映画である。ピエロとクラウンはニュアンスが違うと聞いたことがあるが、作中ではクラウンといっていた。しかし私くらいの歳になると、いくら上目使いに睨まれたところで恐いことはない。ゴジラ第一作の恐さは黒目がどこにも接していない意志を感じない見開いた目にもあるだろう。それが判っているから牡丹灯籠のお露はそうしたのだが、案の定、恐いという人が多かった。などと、人形制作者的なことを書いてみたりして。ただ今回のピエロ役は、求めに応じて外斜視をやれたというのには感心した。歌舞伎役者は不動明王にならい、片方だけ目を寄せることができるが、外斜視が自在にできる人は少ないだろう。 


オイルプリントプリント映像

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』より

月刊ヘアモード12月号 no・693
不気味の谷へようこそ第9回 脳内イメージを表す人形写真

※『タウン誌深川』25日“明日できること今日はせず”連載5回「芭蕉の実像」

HP

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




田村写真にてオイルプリントのワークショップがあるとのことでプリントも頼みたいので顔を出す。受講者は今回も1度目でなかなかの出来映え。テクニック的には上級者コース?のブラシの使い方を伝授。塗布するゼラチンを厚くすることでハードルを下げることができた石塚式オイルプリントであるが、ユーチューブを観た海外の人からも「あんたのやり方はいやに簡単だな。何でだ?」と不思議がってコメントを貰った。柔らかいブラシによる触るか触らないかの“産毛タッチ”?による最後の仕上げはゼラチン層の厚い石塚式ならではのブラシの使い方で、ネットで初めて海外のブロムオイルの老作家が、大きなブラシを逆手に持ち、ドカドカと乱暴にブラシで叩きながらプリントしているのを観て、手本もなく、何も知らずにやってきて、私独自のプリント法を得ていたことを始めて知った。電動大工道具にブラシを取り付けてドカドカやる輩までいる有様で呆れ返った。もう1つ。数年前に考えた修正法は、今まで失敗だ、と数々のプリントを捨ててしまって後悔している。こうなると、やはりオイルプリントの簡単な指南書を作ってみたい。私が参考にした明治、大正時代の指南書は、「私の秘法を伝授しやうと思ふ」。などとぬかしておいてたいした秘法ではない場合が多いのであった。 手透き和紙にプリントしてもらった『ゲンセンカン主人』についで『明治の寄席前の三遊亭円朝』(仮)も三度目の正直で田村写真にてプリントし直しをお願いした。写真の身も蓋もない所から脱却しようと今年に入ってジタバタしていたが、私も案外律儀な所があり、白黒はっきり付けて、とつい思ってしまうのだが、もともと浮世絵、日本画の自由さに惹かれていたのに常識からなかなか逃れることが出来ず、ようやくテーマごとに使い分けてもいいではないか、と思えるようになった。遠近法については『ゲンセンカン主人』。陰影法については『明治の寄席前の三遊亭円朝』。ようやく結論を得た。


オイルプリント

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』より

月刊ヘアモード12月号 no・693
不気味の谷へようこそ第9回 脳内イメージを表す人形写真

※『タウン誌深川』25日“明日できること今日はせず”連載5回「芭蕉の実像」

HP
 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




もし再びオイルプリントによる個展をするようならば、制作のマニュアル本をオンデマンドで作るのもいいかもしれない。本体オイルプリント制作法を公開するのが目的で立ち上げたHPであるが、当時は画像は軽く、といわれていたし、その後の改良点もある。プリント用紙、道具など潤沢に出回っていた時代のマニュアル本と違って、今の時代に試みる、ということを踏まえたつもりである。入手し易い道具、材料を使って私自身、個展を何度もやっている。 私は写真を始めたのがおそかったが、1つには写真がカメラその他、製品に依存している割合が大きい、というところも抵抗があった。それをああだこうだ、と使う側が採点したりしている。他のジャンルを思うと、あまり様子の良いことのように思えなかった。 古典レンズやカメラに詳しい人を訪ねた際に、「いつか写真用品店ではなく、薬品問屋などに通って写真をやる人が現れると思った」。といわれた。そうやって使う薬品にしても製品には違いないが、写真用品と違い製造中止を危惧する必要はまずない。 私のやってきたことに人の役に立つことなど1つもないが、あるとすれば廃れていたオイルプリントという技法を蘇らせ、より容易に画を出せるようにしたことであろう。
現在オイルプリントを制作する場合、ゼラチン紙制作をお願いしている田村写真にて、明日14日、オイルプリントのワークショップがある。私も顔を出すつもりでいる。
プリントの様子はこちら

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』より

月刊ヘアモード12月号 no・693
不気味の谷へようこそ第9回 脳内イメージを表す人形写真

※『タウン誌深川』25日“明日できること今日はせず”連載5回「芭蕉の実像」

HP

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ