明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



先の話はともかく、現在制作中のYだが、あまりにスムーズに完成に向い(頭部のみ)こういうときは気をつけるべきだと、日にちを空けてみたが、やはり完成といってよいようである。当ブログをしばらく見ていただいている方は御存知かと思うが、完成した、といっておきながら、数日後に前言をひるがえし、またイジリ始める。ということが良くあるわけで、諦めが悪いことで、非常に格好が悪いことになる。であるから慎重にかまえてみたのだが、やはり完成していた。首さえ出来てしまえば完成したも同然である。 締め切りというものは、時に苦しめられるが、ツクヅク有り難いものである。先日、HPを始めて間もなくの頃の雑記を読んであきれてしまったが、セルゲイ・ディアギレフは写真を発表したことはあるが、ディアギレフ像自体は、発表したことがなく、また触りだしてしまって、すでに10年。完成していない。自分も変われば完成のイメージも変わってしまう。まさに逃げ水の如しである。 しばらく休みらしい休みを取っていなかったので、来月早々に自転車担いで出かけようと考えている。その際、Yの首は絶対持っていかないことにする。昭和30年代、葛飾区某所では、“男は諦めが肝心”といかにあっさりしているかが男らしさの、基準の一つであったが、そんなことをいってる奴に限って諦めが悪い。人間バレないと思うといい加減なことをいってしまうものである。

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アダージョでは珍しく、次号のYに続く24号の特集人物もすでに決まっている。平行して資料を読んだりできるので有り難いわけだが、問題は特集場所である。その人物が生まれた場所と、一時住んだ場所が候補に挙がっているのだが、一時住んだ場所は当時の面影はカケラもなく、どこにも立たせられる場所がないように思える。こういうことは何度もあったが、その度なんとか切り抜けてきた。(つもりである) しかしその私の頓知力?を持ってしても、今度ばかりはどうしようもない。あとはどちらが特集場所に決まるか待つばかりである。しかしそうこうしていて、今まで試みたことがないアイディアが浮かんだ。 以前も書いたが、本当は毎回作風が違うくらい、何らかの試みをしたいと思ってきたが、一つの頭が考えることなので、そうはいかない。だがこのアイディアは、人物像を自分で制作し、撮影してきた私が、絶対にやりそうにない手法である。アダージョは煙草や飲酒表現はダメだとしても、一般の商業紙とは違って表現は自由なところがある。なんだかむしろ、この方法を試みたくなってきた。もっともこれはあまりにも私の作風と違うので、今度ばかりは独断で進めるわけにはいかないであろう。これが使えるのは一回限りの奇手である。 

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一日  


骨董商のMさんより近くを通ると連絡。人形を入れるのに良さそうな箱がある、というので永代通りに止めたバンに乗り込む。まるで良からぬ物の取引である。いくつかある箱のうち、サイズが丁度良い物を一つ選ぶ。こういう木材の古び方は、作ろうと思っても、日常使っていた物にはかなわない。そういえば昔、イギリス製のレインコートを買い、父に着させてくたびれさせ、5、6年後に取り返そうと企んだことがあるが、父はすっかり忘れて、色が明るすぎる、といって妹のイタリア系アメリカ人の旦那にあげてしまった。こういうことに父親を利用してはいけない。 その妹の長男がサンフランシスコ・シンフォニー・ユース・オーケストラに合格したと連絡。私がその昔、チャーリー・パーカーにのぼせて、リコーダーしか吹いたことがないのにアルトサックスを入手し、長らく放置していた物を、サックスをやりたいという甥っ子にあげたのが、ついこの間のような気がするが、今ではクラリネットを吹いている。 チャーリー・パーカーといえば、最近YouTubeで始めてみるフィルムを観て驚いたばかりである。昔、唯一残るフィルムだというので、デイジー・ガレスピー等と『ホット・ハウス』を演奏するのを映画館まで観に行った。今回見たのはスタジオで撮影されたものだったが、いつ発見された物か、ジャズ界の出来事には疎くなってしまった私はただ驚いた。 YouTubetといえば、最近周囲で盛り上がっていたのは『スーダラ節』にあわせて『スリラー』を踊るマイケル・ジャクソンであろう。ジーン・ケリーもあるが、違和感の面白さでは比べ物にならず。

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実景を作り物の屋内スタジオに見立てるというアイディアは、円谷英二が特集されることあれば、と以前から温めていた。円谷以外に使いようがないアイディアである。 初代ゴジラ(1954)は戦争の記憶もまだ生々しい時期に作られた作品だが、ゴジラの上陸後のルートは、B‐29の爆撃ルートと同じだそうである。アメリカ映画『キングコング』(1933)に刺激された円谷は、当初、大ダコが東京を襲う、という映画を考えていたそうで、本人のタコ好きもあろうが、海外からの要望もあり、円谷が手がけた作品に大ダコが度々登場する。隅田川にタコというのも妙だが、『フランケンシュタイン対地底怪獣バラゴン』(1965)では、富士山麓の湖から大ダコが登場する。海に近い勝どきあたりは、塩ッパイ分まだマシであろう。前日に活き締めされた瀬戸内海のタコを取り寄せ、糠でヌメリを取って撮影し、勝鬨橋に絡ませたが、熱中のあまり気がつくと足がイカより多い11本になってしまい、断足の思いで8本に減らした。 円谷は水の表現には苦労したはずで、水の性質上、よほど大きな模型を使わないかぎりミニチュア感が出てしまう。さすがの円谷も如何ともしがたかったようだが、一方私としては、円谷とは逆に、街をミニチュア化しないとならない。背景撮影のついでに、岸からほんの2メートル先の隅田川の水面を撮影して合成したが、それだけであたりの風景が、ミニチュア化し始めた。印刷で判るかどうか、勝鬨橋を自転車に乗った人がタコの足下をくぐろうとしている。気付いてはいたが、怪獣映画には、たとえば阿蘇山火口に落ちたカップルの帽子を、たった二百円で取りに行って怪獣の犠牲になるようなオッチョコチョイが付き物である。円谷の背後にあるのはモスラの卵というわけで、ダチョウの卵を使った。この実景を屋内スタジオに変える試みの締めは背後のスタッフである。小学生の頃、円谷にファンレターを出したという、同じマンションの住人にお願いした。円谷は、たまにはゴジラも血でも流したらどうだという意見に、子供にそんな物を見せられるかと激怒したそうである。つねに怪獣ファンの子供達のことを考えていたという。

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一日  


午前中、自転車整備。太いタイヤに替えてからブレーキに当たるので、ブレーキをヤスリで削る。こんなことは陽が落ちてからすべきであった。 中央公論新社より『中央公論Adajio T谷E二と勝どきを歩く』が届く。お世話になった近所の模型店に持っていく。今回主役のT谷も含めて、ワザとらしく嘘臭くしたのだが、かえって実景であるはずの街まで作り物めいてしまっている。初めて使用したデジタル一眼レフは、たいして説明書を読まずに使ったため画調が変だったが、それが今時のビルのデザインと相まって、何もしないうちに、すでに模型っぽく写っていた。T谷E二なのだから狙いどおりなのであった。今のビルは雨で汚れが落ちるようになっているらしいが、そういえば、ただ灰色のビルは少ない。 中央公論のロゴの上にはジェット戦闘機が乗っかっているし、Adajioの上には電動ドリルが乗っている。一応遠慮したのだが、編集長がかまわないというので乗せてもらった。もっともタコも交通の妨害をしているし、同じマンションに住んでた人が後姿で下向いてるし、今さらである。
夜『ナショナルトレジャー』を観る。フリーメイソンだなんだと実にアメリカらしく馬鹿々しい。こういうのを作らせるとワンパターンである。なにかというと石を押したり何かはめたりして、壁が動いたり開いたりするが、子供の頃、ボタンを押しまくった交通博物館のようである。自転車のハンドルを短く切断しながら観るくらいで丁度良い。それにしてもジョン・ボイドは老人になっても童顔で、いつまでたっても『真夜中のカーボーイ』を思い出してしまう。

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本日はほとんど制作に関することはしなかった。自宅にいて何もしないというのは、いつ以来であろう。良く判らないくらい久しぶりである。先日のロケハンで撮影したカットの中に数カット、そのまま使えそうなものがあったせいである。配布されるのが10月なので、季節のこともあり、少し涼しくなってからもう一度撮りに行こうかと思うが、とりあず押さえたということで安心である。 それで何をしていたかというと、自転車のハンドルをどちらに向けて装着しようか、ということで一日が終った。もともとフラットバーが着いていたのを、ドロップハンドルにすでに二回取り替えている。一度目は幅が狭くて、小径車輪には安定が悪く、二度目に幅広の物に替えたが、どうも乗り心地に愛着がわかず、ほとんど玄関に置きっぱなしであった。こればかりは乗ってみないと判らない。そこで最近あまり見かけないが、セミドロップハンドルを思い出して入手してみた。セミドロップといえばそうなのだが、ピンとした口髭のような形なので、マスタッシュバーというらしく、ちょっとイメージは違ったが、クラシカルでなかなか良い。当初大人しく、本来の着け方をするつもりであったが、前後逆さまに着けると牛の角状のブルホーンバーのようになる。しかもウネッとしていてそれこそ突き出した牛の角である。そんなことを、ネットでブレーキやら変速機など検索しながら一日悩んでいたのである。だいたいこういうことは、中学生の頃から、試験中に限って燃えたもので、自転車とギターの改造というのは、試験勉強のためにあったといっても良いくらいだが、本日は逃げ出したいほど嫌なことは特になく、逃避行動の類ではない。 結局、スパルタンな乗り方をするわけでもなく、なにも自転車を勇壮な形にする意味はない。大人しく、楽なポジションに決めた。さすがにこの辺りは、私も多少大人になった感じがする。

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いくらか気温が低いようなので、午前中ロケハンに出かける。事前に目星を着けていた場所があったのだが、行ってみると工事中であったり、草が生えた地面が良かったのに、おそらくお盆で刈り取られたのだろう。味がなくなっていた。いくらかましといえどまだ暑い。自販機で水分補給しながら歩く。ここはどうか、と思うとコンクリートで補修されていて使えない。Yは近代的な物を画面の中に入れたくない。 屋根越しに木が茂っている場所に行ってみると、たいてい茂みの向うに一般家屋が透けて見える。東京も昔はスカスカで、文化人にちなんだ場所など限られていていて、凡そが都心ということになる。ちなんだ地域で撮影するといっても、戦災で風景が一変した東京では無理がある。それにYは、駄洒落や頓知の類が通じない相手である。  そうこうして路地を巡っているうち、切り取れば画になりそうな場所をようやく見つけ撮影。画として良ければいいというわけでなく、ここに人間大の物が立ってどうなるか、ということが肝心である。後は、ポーズなどを検討し、それを踏まえてもう一度来ることになるだろう。

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猛暑  


世間が休んでいる時は制作が進む。背景を探しにロケハンに行こう、と思いながら連日の猛暑のせいで出かける気にならず、おかげでYの頭部が急速に完成に向かい、というより完成しているように見える。少々慎重なのは、ほぼ完成といっていながら、やはりまだまだ、ということが良くあるからである。原因は、当初参考資料を見てイメージした人物像に到達しながら、その間に、さらに蓄積され深まったイメージのため、予定したゴールが、いつのまにか逃げ水のように遠ざかり、完成などしていないではないか。という仕組みである。時間はまだある。 Yは色々な不思議なことについて云々している。当初、そんな事物も作ってみようかと思ったが、Yでそれは違うと考え直した。25日配布のアダージョ22号は少々過剰だった、ということも頭にあるのだろう。ただ、Yのことを何も知らない都営地下鉄の利用者に、“その筋”の人だ、ということは表現したい。この人物は、ただのご隠居じゃないぞ、というわけである。 本当は毎号なにか試みて、撮影者が毎回違うように見えるくらいにしたいのだが、アイディアの出所が一つなので、そうもいかない。そうこうして、現場に行ってもいないのでなんともいえないが、2、3アイディアが浮かんできた。しかし明日も暑いらしい。この調子ではどう考えてもYの頭部は完成であろう。

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一日  


K本の常連が集まり、Mさんのマンションのゲストルームで宴会。19階の高さで、江東区が一望である。こういうところから下を観ていると、パチンコ玉でも落とす奴がいたらどうするんだ、といつも思う。雑多な人間が集まり、馬鹿々しい話に終始しする。たまたま今月25日配布のアダージョで、背景で作業する人物として協力してもらったYさんが、撮影直後に引越しすることになり、色見本を差上げる。小学生の時に特集人物Tにファンレターを出したというYさんには、背景とはいえ、協力してもらったのが良い餞別代わりになった。本日もK本と同じノリで相変わらず楽しく過ごす。一部、奥さんを連れてきた人で、下ネタの切れ味が鈍る人がいたが、それはしかたがない。 帰りの道中『私が作っているのは誰でしょうクイズ』に応募してくれたKさんに、今回クイズは?と聞かれたが、どうも良いヒントが出せそうにないのでやらないと答える。Yが誰だか教えてもかまわなかったが、知りたくないという。かといって、この人物こそ誰だか判らないと、この雑記は退屈である。 
最晩年、口癖のように「惜しいことをした。昔話や方言などに熱を上げるんじゃなかった。もう時間が足りない。」と愚痴をいったそうである。これでYといったらあの人物しかいないだろう。都営地下鉄のフリーペーパーと考えるとシブイ人選である。 それにしても恐ろしい話である。熱を上げるんじゃなかった、という後悔は私の場合はなさそうだが、アレが作りたい、作ればよかったと愚痴っている、己が老後を想像してゾッとするのであった。

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相撲協会の新理事長が、元大関魁傑の放駒親方に決まった。めでたい。優勝二回の大関だったが、以前から理事長には放駒がいるだろう、と思っていた。魁傑といえば何しろ常識人である。休場は負けと同じだと、怪我だろうと出場し続け大関を陥落し、数場所後に再挑戦の後復帰。始めの大関昇進の時は異論もあったようだが、当時の理事長春日野が、その人間性を買ったという話である。花籠親方夫人が魁傑を“常識人の一言に尽きる。あの若さで、常に相手の気持ちや立場を考えて行動しているのを見るに付け、教えられる思いすらする”と評したくらいの人物であるから、理事長にはうってつけである。育てた横綱がまたガチンコの大乃国だし。話しているのを聞いていたって、もごもごと要領の悪い北の湖あたりと違って明晰である。今の相撲協会にとって、世間に肝心なことをちゃんと伝えられる理事長が必要であろう。 現役時代は柔道のクセが抜けず、足技にこだわるところがあり、下半身が相撲取りらしくなかったが、私はとにかく魁傑が好きであった。贔屓がいるといないとでは、相撲を観ていて面白さが違う。魁傑が理事長になったとなると、相撲全体を応援せずにはいられなくなるだろう。

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桐箱  


朝からYに関する物を読む。手掛かりを探すが今のところ、たいしたイメージが浮かばない。早くロケハンに行きたいが、どんな人が立つのか決まらないのだからまだ早い。毎年御盆の時期は、車が少ないことや、空気が綺麗なことを利用して撮影できないか、と考えるのだが。今回は台風は使えないだろうか。 写真だけでしか知らないYが、左側に顔を向けて、頭の中でちょっと動いた。本日より頭部を作り始める。こんなことをきっかけに始めることは多い。
いただいた某所の瓦を入れておく桐箱が到着。真田紐や黄色いウコン布も付いている。せっかくなので、墨で『某所 瓦』と箱書きをしたい。桐はそのまま書くと墨が滲むので、滲み止めにチョークの粉を塗ると聞いた覚えがある。私は昔陶芸家を目指したことがあるが、桐箱が必要なほどやっていない。さっそく今年遊びに行った三重県の旧友など、陶芸家の知人にメールをすると、濃い墨なら大丈夫、砥の粉を塗る、などと教わった。墨を濃くして書いたら上手くいった。瓦は現場の漆喰の粉が着いたままで保存したい。茶碗他、陶器類は本棚の上に積んだり並べたりしているが、これは久保田万太郎が釘かなにかで『灰ふかく、立てし火箸の夜長かな 万太郎』と書いたという徳利の箱の隣りに置いた。これは字はともかく、徳利の作りがいかにも素人臭く、入手以来、一度も使ったことがない。陶芸は趣味とするなら最高だが、貰った人が迷惑している話を良く聞く。

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ようやく決まったアダージョ10月配布号の特集人物だが、我慢しきれず先走って写真集を入手し、写真資料的には、なんとかなりそうだが、またまた問題は背景である。この人ばかりは現代的な匂いを避けたいところなのだが、そもそも東京など、震災、空襲により、少々風情があると思っても、おおよそ戦後に作られた風景ばかりで、作りが安っぽい。もっとも、それが不満かというと、東京というところはそうしたものである。私は東京オリンピック以降、すっかり不感症になってしまい、東京の風景がどうなろうと知ったことではないのだが、街歩きフリーマガジンで背景が必要となると、そうもいっていられない。誰々と何処そこを歩くと、ただその通り、にしただけでは、つまらない表紙になることは目に見えている。時には頓知に近いような奇策をもって対処しなければならない。 以前の、片手に人形、片手にカメラで街を行く撮影方法は、創刊二号の向田邦子で早々に諦め、いかに野暮臭い現在の東京、さらに都営地下鉄駅近くに人物像を馴染ませ表紙にするか、頭を悩ませているわけである。今号の『坂本龍馬と大手町を歩く』は江戸城の大手門にたたずませ、中にハトバスのガイドや黒船ならぬ外人のカップルなどをウロチョロさせ、本来日本の将来を見詰めているはずの龍馬の表情が、『イメージと違っちゃった』。と見えたら幸い、といささか皮肉を込めてみたのだが、それで良かったのかもしれないが、あまり伝わらなかったようである。ブームの前であったら、いくら武田鉄也が尊敬する人物でも、多少ヨイショしたのであるが。 というわけでYである。今月25日に配布されるTが、特集地域に少々ご迷惑をかけており、やり過ぎてしまったので、次号はYだけに、シミジミと穏やかにしたいところなのだが、そんな場所が果たして見つかるのであろうか。

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近所の定食屋で朝昼兼の食事。ここは真ん中の席が客と向かい合わせになっており、上から下がった仕切りがあって、相手の胸元から下しか見えないようになっている。向かいにはおそらく60すぎの女性が坐ったのだが、座る時に、ピンクのようなオレンジのようなジーンズのチャックが全開なのが見えた。相手が男性ならどうでもいいが、女性の場合、人前で気が付いた時のことを考えると、店を出るときに女性店員に耳打ちでもしておくべきなのであろうか。 店員とのやりとりを聞いていると、ごく普通の女性のようであったが、食事を始めてしばらくすると、なにやらブツブツとつぶやきだした。何をいっているのか判らないが、何かに対して怒っている様子なのは伝わってくる。かと思ったら、こらえ切れないような様子でクククと笑っている。実に楽しそうである。私はこの女性が、例えば世間が浴びせる奇異なものを見る視線や誹謗中傷など、ものともしないタイプと判断した。それにああやって、何かを“受信”している可能性さえある。黙って店を出たのであった。
夕方、編集長より次号特集人物が、ようやくYに決まった旨のメール。それにしても今時、Yを特集するフリーペーパーというのも実にシブイ。誰でも知っている人物から、これからよりディープな人物を扱う機会が増えていくのであろうか。
 
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桐箱  


先日建設会社のMさんからいただいたブツは、土埃を落とさないため、なるべく触らないようにしているが、 このまま置いておくわけにもいかない。このブツには相応しいと、桐箱を用意することにした。茶道具の、茶碗用の桐箱が丁度良いので注文する。届いたら蓋には、墨でドコソコのナニだと書くことにする。なるほど、骨董店でときおり見かけるおかしなものは、私みたいな人間が、桐箱に入れて喜んでいた物なのだなと思ったのであった。 このブツはMさんの会社が担当している建築物ではなく、大学時代だかの友人にお願いして、いただいたものである。先日K本でお会いしたおり、Mさんの会社といえば、これまた歴史的な建造物のあそこじゃないですか、と調子に乗っていってみると、後輩にドアノブを持って来いといってあるという。後輩には「頼みますよ、バレたら私ヤバイんですから」といわれたらしいが「大丈夫だよ、“俺”はもうすぐ定年だから」と笑っていた。そのことを母と電話で話すと、あそこで結婚式をあげた、という。式の直前、階段で、祖父から父に大事にしてもらいなさい、といわれ、母は泣いてしまったそうで、なんでこんな所でそんなことをいうの、とタイミングの悪い祖父は祖母に叱られたそうである。祖父があの顔でそんなことをいったのかと思うと可笑しいが、祖母に叱られているところを想像してさらに笑えた。当日の様子は知人が写真に撮っていたそうである。家にある昔の写真は一通り見ているはずだが、結婚式の写真だけは見たことがない。それをいうと母はそうだった?と惚けていた。
アダージョの次号の特集人物は、八月にとっくに入っているのに、いまだに二人の候補がでているだけで決まっていない。しかし編集長からは、70パーセントYだと聞いているので、図書館に行き、評伝の類を読む。すでにネットで写真集も落札していて、もう一人の候補は考えないようにしている。Yに決まれば、それはやりがいがあることは間違いがないが、例によって現在の東京の、都営地下鉄駅周辺で背景を用意しないとならないと考えると頭が痛い。

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友人  


高校時代の親友Aと、7、8年ぶりに会う。昼の二時半に木場のギャザリヤで待ち合わせなのだが、相変わらず酒は飲まないだろうから、高校生のように、延々と喫茶店で話すことになるだろう。彼は精神科医をやっているが、医者となって間もなく結婚をした。私は例によって、友情を持ってバカなことはやめろ、と止めたのだが、長い浪人生活、慣れない過酷な関西での研修医生活など経て、私の阻止を振り切って結婚をした。そして私の予想をはるかに上回って、会う機会がなくなっていった。待ち合わせに携帯電話持つ私に、会う早々、こんなものは鎖みたいなもんだぞ、という言葉に生活者としての実感がこもっていたが、後で着信履歴を見て、だから俺は止めたじゃねェかとはいわなかった。彼は見た目も中身も変わっていなかったからである。私のように無責任に生きているのと違って、すべてをこなした上で相変わらずなのだから感心する他はない。おかげで所有するギターが15本になってしまったようだが。 昔はよく思ったものである。『お前が今俺に語っているのは何についてだ。主語はなんだ?』私は慣れていたので、全体像が見えてくるまで黙って聞くことにしていたが。それが医者として忙しく患者と接し、休みを削って某大学で講義をし、家庭人になることによってさすがに修正されており、すっかり順序だてて喋っている。『随分サービス良くなったなァ』。私のように子供の頃からペースが変わらず、思秋期に遠くを見る目になって押し黙ったりもせず、人が変わっていくことが良く判らない人間には、同じ調子、同じ勢いで話せる友人がいるというのは幸せなことである。他の旧友と違っているのは、久しぶりだというのに、昔の話は挨拶代わりで、ほとんど現在進行中の話しかでないことである。これからは少々時間に余裕ができるそうで、彼には鎖となる携帯電話も、おかげで気軽に連絡が取り合える。会う機会も増えることであろう。 彼が患者が働く施設で300部作った本をようやくもらった。書店に並ぶことはないが、タイトルは『ヒルコ コンプレックス』。副題がヒルコの漂白 真夜中のコンステレーション 治療者の漂白とある。
 
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