明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



結局今年もあんたで始まってあんたで終わるのか。  今日はまだマシである。携帯電話の声に張りがあって、かえって笑ってしまった。朝から夜勤明けのタクシー運転手がたむろするT屋にいったが、アルコールの極薄いウーロン茶しか飲ませてもらえなかったという。腕が折れたといいながら飲み歩いているのだから、あたりまえである。酒を出す方にしても、うちの酒を飲んだ後に事故に遭われてはかなわないというのが本音であろう。新しく買った外付けのハードディスクにデータを転送したままにして、今年もこれで最後だ、と昼から乾杯。私は明日実家に帰るし、目の前の河童みたいな生き物は名古屋の兄弟の所に行く、というので、その後どうなろうと私の知ったことではない。来年は何回救急車に乗るつもりだ、そのうち棺おけの中だろう、といいながら4時過ぎまで。今日も仕事のトラックドライバーのSさんも後で合流する、というメール。どうせ長丁場になる。一度解散して出直すことに。 元々あるバックアップ用のハードディスクは、あっちこっちにデータが分散してややこしくなり、整理のためと、万が一に備え、もう一台に整理して収納することにした。来年はオイルプリントを再開するつもりでいるが、そのためのデータも選んでおかなければならない。 今年『貝の穴に河童の居る事』を手がけてつくづく思ったが、今は無い、あるいは初めから無い風景を捏造するためには、今のうちに撮っておかなければならないパーツがある。パーツとしての風景は、ことあるごとに保存しているが、今後もさらに収集し、いずれ足腰が立たぬ時がきても、ベットの上でそれらのパーツを組み合わせ、在りえない街や風景を現出させてみせよう。 7時に現役トラックドライバーSさんと、その先輩であり、Sさんに“荷物運んでいた人間がお荷物になってどうする”といわれたKさんと再び顔を合わせ乾杯し、あいも変わらぬ馬鹿話に終始する。私の創作に対してこの位理解がない連中でないと、気分転換にはならなかったろう。と改めて思ったのであった。

過去の雑記

HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




朝食もまだだったので、3時過ぎの中途半端な時間に腹が減る。本も読みたいので長居ができるサイゼリアへ。この辺りはこういう時に適当な喫茶店がない。ワインの500ml。一人飲みは、馬鹿々しい話に相槌を打たなくて良い所がなによりである。よって家で飲むとハイピッチで、肴とアルコールのシーソー状態で、あっという間に終わる。度数の高いものしか飲まず、氷どころか一切水などで割ることはない。薄めてしまっては、せっかくの酒の味わいが損なわれてしまうからである。といいたいところであるが、実はただ壜の始末が面倒だからである。よって数十年、一度も家で飲んだことがないのが壜ビールである。最初に私が目指したのは陶芸家であったが、こんな人間に良いものができるはずがない。陶芸の専門学校の卒業制作は二升徳利で、どっと注いでも飛沫が飛ばないようなぐい呑みを、とトイレの朝顔を観察したりして。品よく注げば良いだけの話で、まったくの馬鹿であった。 禁煙席。室生犀星晩年の、頻尿で苦しみ、なおかつ出ないという切ない話を読みながら通路を隔てた向いからは、40代後半独身と思しい女同士のいいたい放題が聴こえてくる。「社長がツイッターでしつこくてさ。あれで口説いてるつもりなんだから」「私達って強いじゃない。年上なんてもう絶対駄目よ」「男って可愛そうよねえー」(ねえーの部分ユニゾン) 気がついたらピッチがさらに早くなっている。まあこんな会話も、どういう二人か、によって違って聴こえるだろう。あえて書かないが、この連中に手玉に取られている男達というのが実在するとは到底思えない。 こちらからは、背中合わせの席の女子中学生二人が、勉強の手を止め時おり苦笑しあっているのが見える。 『今のうちに笑っておくが良い。このオバちゃん達も昔は君等みたいだったんだぜ。』 今日は室生犀星という日ではないな。と追加のグラスワインを飲み干し、蕎麦屋で蕎麦食べ退散す。

過去の雑記

HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




某大教授の世紀末美術の講座を受講した人達と、教授を含む4人。私のような人見知りが、何故講座など受けたのか未だ不思議であるが、色々お世話になり、皆さんとも御縁が長く続いている。地元在住ピアニストのTさんが予約してくれたネパール料理店が実に美味しかった。時間も早いので次に、ということでT千穂へお連れした。カウンターには恐らく河童みたいなのがいて、女性がいると近寄ってくるが、絶対目を合わせないよう注意しておいた。 朝っぱらから酔っ払っているKさんに、昼ごろ門前仲町の日高屋に呼び出された。昼食時でもあるし富岡八幡あたりも賑わっているだろう、と出かけたが、充電中の携帯電話を置いていったのが悪かった。到着して店内を見渡してもいない。ふざけた爺ィだ、と別な店で食事を済ませて帰ると、4回もの着信履歴。わざわざ呼び出しといていいかげんにしろ、と文句をいうと、ずっと店にいたという。?見えなかった。あんた小さすぎ。物理的にも内容的にも。 私に河童を作らせるために舞い降りた妖精ではないか。かつてつまらない冗談を書いてしまったが、制作していると不思議なことがしばしば現実に起きる。三郎は娘の尻を触ろうとして見つかりそうになり貝の穴に隠れる。そうとは知らない人間にステッキで穴を“かっぽじられ”左腕を折らてしまう。ところが先日、Kさんも同じく泥酔のあげくに肩の辺りを怪我し、現在左腕が使えない。妙な所の骨が出っ張りだし、どういうわけだか脇腹が紫色になってきたという。 肉体が滅んでも魂は残る、という。だったら肉体が滅んで馬鹿だけ残る、ということはないのだろうか。そんな物が寄せ集まって世の中に災いをもたらせているということはないのか。 

過去の雑記

HOME

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




昨日の風涛社の忘年会に続き専門学校時代の友人5人との忘年会。ここ3年T千穂である。 最近は忘年会で顔を合わせるだけだが、9月のご近所限定の出版祝いの会にも来てもらった。Hは帰りに手ぶらなので忘れたかと「本どうした?」と聞くと、何時間も作品の朗読、制作秘話の披露、乾杯までしておいて「本って何?」といった。ついに通風の発作が出たという。泉鏡花が取材し、物語の舞台とした房総の神社の撮影に付き合ってくれたKは、17年も止めていたタバコを再開していて驚いた。理由を聞けば、そりゃタバコくらい始めるだろう。ということがありそうなので詳しくは聞かない。 10代からという、ここまで付き合いが長いと今更どうの、ということもなく、昨日のことも40年前のことも一緒くたである。独身の私とMさんを除けば、倅が彼女を連れてきたり娘が彼氏を連れてきたり、という話にもなるが、ご近所のお父さん方に比べると腹は座っていように見えるが実際はどうか。おそらく若い頃のジタバタを皆知っているので、娘の彼氏に不満をいおうものなら、お前がそれをいうか、という結果になり、自分を棚に上げる訳にはいかない。 途中、昨年に続き母が顔を出し焼酎の差し入れ。さらにどういう神経だか、関係ないのに、なんだかんだとにじり寄ってきて、いつの間にか横に座っている陸河童Kさん。酔っ払って怪我して左腕が上がらない。トラックの助手席のアルバイトをしているが、とんだ役立たずである。店のトイレには未だに『貝の穴に河童の居る事』のチラシが貼ってあり、作中の河童の台詞が書かれている。“左腕を折られたでしゅ”怪我の個所も丁度河童がステッキで突かれた場所である。 Mさんが座敷から転げ落ちたり、昨年と同じ話をしたような気がしながら、今年も一本ジメにて無事お開きに。

過去の雑記

HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




久しぶりに旧知の女性と会う。クリスマスにダメおやじのツラは見たくない。5時に待ち合わせ、たまたま昨日、録画で見たばかりの『孤独のグルメ』に出てきた焼き鳥屋に行ってみた。彼女は下戸なのだが、こちらはかまわず飲みながら一通り食す。次に中華の店へ。 彼女には、三島由紀夫へのオマージュ展『男の死』は止めた方が良いと説得されたことがある。こんなテーマでは誰も観に来ないだろうという理由であった。三島は死の直前、様々な死に方を演じ、篠山紀信に撮らせている。魚をぶちまけて死んでいる魚屋、体操選手が片手で吊り輪にぶらさがったまま射殺されていたり、やくざのリンチ死等々。それぞれ三島の考えたシチュエーションで撮影は行われ、死の一週間前に出版契約を交わし、衝撃的な死の直後、出版される予定であった。それを目にした大衆の驚きを想像して三島はさぞかし愉快であったろう。結局諸々の事情で出版されることはなかった。 私はそのことを知らず、三島が様々な状態で死んでいる所を作ったら三島にウケるだろう、と考えた。それはずっと暖めていたが、“本物”が発表されてしまったら元も子もない。4年続いた『中央公論Adagio』の終刊が決まった時点で個展の準備を始めた。 仮に三島に対し失礼なテーマだ、といわれたとしても、発表されていないとはいえ、本人が腹に包丁刺さった魚屋までやっている事実、という強力な後ろ盾?が私にはあった。 当時止めるよういった彼女は、「あの個展は良かった」という。反対したじゃないか。というと、作品が良いこととやるべきことは別だ、という。(おっしゃる通りで御座います。)しかしそういうことを考えずにやってしまうのが私の持ち味じゃないの?彼女にいわせるとそこが私の欠点だそうである。紹興酒のボトルを飲み干したところでお開き。  良い気分で帰るつもりで覗いた店が悪かった。酎ハイをちょっと飲んで帰るつもりが、話したいことが溜まってる店主に話を訊かされ注がれ、午前3時半。5、6杯飲まされたが、飲みながら酒が醒めていく。アルコール度数と状況とのバランスで、私にはたまに起こる現象である。入った時にはホロ酔いだったのに出た時にはすっかり頭は醒めていた。二日酔いをしたことがない私の肝臓は時折余計なことをする。

過去の雑記

HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




来年、国立新美術館で『バレエ・リュス展』(仮)が開催されるそうだが、オーストラリアのコレクションが主な展示物らしい。リアでなくラリアである。となると恐らくディアギレフ以降ということになるだろう。私としてはロシアバレエといってもディアギレフとニジンスキーがらみの物語以外にはあまり興味をそそられないのだが。  久しぶりに大判の古典レンズを覗いている。レンズは作った人達の、世界はこういう風に観える、というイメージが反映しているものであろう。作られた国によって特徴があるようである。私の場合、イギリス製レンズで良い思いをしたことがない。写真はどうしても製品に依存せざるをえない。製品であれば、こういう物が需要があるだろう、売れるだろうという製造者の思惑が働いているわけだが、100年以上経っていれば製造者はとっくに死んでおり、そんな生臭みは抜けているところが良い。 新刊書と違って古本の良いところも同様であろう。もっとも『貝の穴に河童の居る事』(風涛社)のように、生臭いのは登場する主人公だけ、という場合もある。

当ブログでKといえば馬鹿という意味だが、今年だけでも何回救急車に乗ったろうか。もう乗らない、といった1時間後には乗っている。定年後ヒマなのでパチンコか酒しかない。ようやく元いた運送会社の駐禁よけに助手席に乗るアルバイトを始めた。しかし一週間後にさっそく頭ぶつけて救急車。年内まだなにかやるだろう、と思ったら、朝の6時と夕方の6時を間違え、翌日肩にヒビが入ったらしい。一昨日のカラオケには鎖骨折ったときのギプスをつけて青い顔していたが、酔っ払って盛んに腕を振るから悪化させた。朝起こされたり救急車に乗ったり、迷惑かけられ通しの私には、ざまあ見ろ、という権利が充分にある。年内さらに何かやらかすとしたら、以前額を“への字”に23針縫った27日だろう。馬鹿は死ねば治るというのは、果たして本当なのであろうか。

過去の雑記

HOME

 



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




スチールギター制作用ホンジュラスマホガニーようやく届く。なるほどラワンとは大分違った。上等な赤身といったところである。宅配便で起こされたので大判用レンズを磨く。来年はポートレイト他、撮る予定である。もともと引き伸ばしができないオイルプリントのために始めた大判カメラであるが、100年も経つ古典レンズは描写が普通でないものばかりで面白い。それでも人形は、アナログでいう35ミリでの撮影しか考えていない。人形を人間大と考えると、ただでさえカメラは巨大な物になってしまう。なんでも撮れば良い、ということでないことは、試してみて良く判った。どんなフォーマットで何をどう撮るかは、充分考えるべきであろう。 レンズを磨いていて今年最後のスタジオ練習に遅れる。トラックドライバーでベース担当のYさんが急な仕事で来れなくなり、Sさんと二人。1930年代製ラップスチールギターを初めて大きな音量で鳴らす。歪ませるとサザンロック調の音。中にどんなコンデンサが入っているか今度開けてみたい。 ひょんなことから年齢も違う二人のトラックドライバーとスタジオを借りて約一年。腕の方はさっぱりで、超低空飛行のままであったが中高生に戻った気分だけは充分味わえた。さすがにあの頃のような喧嘩にはならないし。もっとも当時の録音テープを聴いて面白いのは、演奏よりむしろ喧嘩の様子なのだが。次回に手がける曲の構想も決まった。Sさんと昼食後、ギターを背負ったままT千穂の常連とのカラオケへ。結局オジサンばかり5人で4時間半。うち競馬ですった者2名。ここ数日の飲みすぎで、変調きたして様子がヘンな者一名。

過去の雑記

HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




朝6時。酔っ払いの電話で起こされる。T千穂に行ったらシャッターが閉まっていたという。何故閉まっている、と女将さんの携帯にも電話したらしい。今が夕方の6時だと思い込んでいる。こういう人は以前もう一人いた。こちらは早朝のつもりでゴルフクラブを持って出かけ、夕方と判ってK本に飲みに来た。最近見かけないから多分死んでいるだろう。さぞかし良く燃えたに違いない。 昨晩、天井が金属板で、ただでさえ音が響く店で、一人大きな声で喋りまくる男がいた。男がタバコを吸いに店外にでると、とたんにシンとし、店の客ががホッとするのが判る。よほどだだっ広い所の育ちなのであろう。窓から手を伸ばすと隣家に届くような東京の下町育ちには考えられない。地震があった前後に外でよろけていたが、脚を捻ったように見えたので本日メールしてみると、親切な警官が家まで送ってくれたという。自転車は買い換えないで済んだかもしれない。 前述の酔っ払いは、結局朝から再び飲み始め、日中フラフラと。.帰れといっても帰らず。しかしアルコールで麻痺しているだけで体力があるわけではないので最後はガス欠。急激に落ち込んでしまった。 こういう方々は日々の醜態を覚えていないから平気で生活している。泥酔時の映像を素面の時に椅子に固定し無理やり見せたら面白いだろう。その際、舌は噛めないようにしないとならない。 昔の子供はこういうオジサン等と目を合わせてはいけない、とうるさくいわれたものであるが、気持ち悪いほど子供を街で見かけないのは幸いである。私は酔っ払いの他に、犬と子供と自転車に乗るオバサンとも積極的に目は合わせない。犬は一度目が合っただけで、旧知の仲のような顔で二ヶ月付きまとわれた経験があるし、子供は私が子供時分に大人がどう見えていたか覚えてい過ぎて嫌である。自転車のオバサンは見ている方向に突き進む傾向がある。

過去の雑記

HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




スチールギター制作用に注文したホンジュラスマホガニーは10日ほど経つが未だ届かない。カットするだけなのに何をしている。 ある作家のことを調べるため図書館に通いながら、ついでに日曜大工センターでカンナを買ったり、木工や、その塗装方法など調べているが、一筋縄では行きそうにない。カンナがけなど中学の技術家庭科の本箱以来であろう。日曜大工好きだった父に小学生の頃、のこぎりやカンナの使い方を教わった記憶はあるが、結局鉛筆削るのも下手糞なままである。 S建設で技能オリンピックの選手を教えていたOさんはその辺で飲んでいたが定年になってしまったし、元大工のSさんは胃の全摘から間がない。Sさんにはいずれノミの研ぎ方など教わることにしよう。問題は塗装である。塗っては乾かし磨く作業に、場合によっては数日から数週間間をおくそうである。ギターを手作りするアマチュアのサイトを見ると、散々失敗してきたらしく、そこはあせらず落ち着いていくよう、誰しもが口を酸っぱくして書いている。普段はだらけているのに作ることになるとせっかちになる私には、ご馳走をぶら下げたまま一週間もただ眺めて暮らすなどとても無理である。 人形制作の場合は乾燥機で強制的に乾燥させてしまうので、工程に間を空けるということがほとんどない。もっとも芯まで完全に乾燥するまで待っていられず、そのせいで事故もたまに起こすのだが。 という訳で一番簡単そうなオイル仕上げしかなさそうである。マホガニーにオイル仕上げ。これでは高級家具ではないか。それだけは避けたかったのだが。

過去の雑記

HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




私の好奇心は、どこから由来しているかというと、間違いなく母である。私はだんだん判って来た。 子供の頃、私の過剰な部分を恐れ、とにかく普通の子供にしようと母は苦労していた。どこも優れていなくて良いから、とにかく人並みに。目立つことはせず、とにかく普通に育って欲しい。児童相談所にも連れて行かれた。母が狭い下町育ちということもあろうが、時代もそういう時代であった。 私は小学校の4、5年。まばたきが止まらない時期があった。中学生になり、TVでロバート・ミッチャム主演のモノクロ映画を観た。精神科の医師なのだろうか。まばたきを続ける子供が出てきて、その横で当時教育ママといったらコレ、というキャッツアイ型の眼鏡をかけた母親がこの子はこうでああで、といっている。ミッチャムの見立ては、あんたが黙ればこの子のまばたきは収まる。あっさり片付けていた。つまり親のプレッシャーによるチック症だった訳である。私は逆まつげのせいだと思い込んでいたので、その日の夕飯時に母に訊くと、当時、医者にプレッシャーのせいだ、といわれたと、プレッシャーの元が他人ごとみたいにいう。 私が好きなことを続けているようで罪悪感のような物が拭い去れないのは、母のせいであろう。今になればそれもこれも、少々変わった息子が人に迷惑かけずに、ちゃんと生きていけるよう悩んだ末のことであろう。おかげで、生き方の割りに常識人のつもりでいるし?人との距離感を常に気にかけ、人間関係で失敗することは皆無である。罪悪感が有ろうと、やりたいことはしでかしてしまうものであるし。 だがしかし。話が違う、と母にはいいたいのである。杖をつかずには不自由なわりにじっとしておらず、どこへでも出かけていってしまう。炎天下、80過ぎの婆ァなんかどこにも歩いてないぞ!これだけ雪が積もって何処へ行く!いくら止めても無駄である。近々催されるカラオケ大会。学生時代の連中との忘年会。いつ?などと訊かれてうっかり答えるわけにはいかない。すべて乱入するつもりでいる。とにかく目立たず大人しく生きろ。私にあれだけいっていたではないか。話が違いすぎる。

過去の雑記

HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




ここ数ヶ月、レンジでチンのパックであるが、玄米を毎日食べている。もともと雑穀米や麦ご飯なども好きで、玄米も美味しく食べている。朝食はカエリ煮干というものを納豆に混ぜるのが気に入っている。塩分が少ない煮干なのが良い。昨日いつもの店で玄米パックが売り切れていたので白米パックを久しぶりに食べたら、結局そっちの方が美味かったのだが。 ニューギニアのジャングルの原住民対象に食味に対する調査をした時、魔力的な美味さの日本の米は可哀そうで食べさせられなかった、というのを読んだことがある。日本人がそこらの連中と違うのは、国土の狭さと四季の刺激、水の良さのおかげだ、と考えているが、こんな物をあたりまえにに食べているのだから違って当然であろう。 先日の薔薇の花束は、わずかにへたって来たが、まだまだ豪奢な色香を漂わせている。K本に持っていき、花好きの女将さんに喜んでもらえた。私としては、私が薔薇の花を、という違和感が面白かろう、と思わせぶりに入手経路などいわずにいようと思っていたが、当ブログを見ていながらK2さんが、R子さんが、誕生祝いに客にもらった薔薇ではないか、と普通にズバリいってしまった。見て見ぬふり、知って知らぬふりができない人はいるものである。その代わり女性の常連Hさんに、酎ハイに絞るレモンの絞り方が下品だ田舎モンだ、と突っ込まれていた。

過去の雑記

HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




昨日の深夜。大層な薔薇の花束を持って私は永代通りを歩いていた。実に違和感がある。 天才バレエダンサー『ニジンスキー』を制作した時、初めて観たバレエであり、それがきっかけでニジンスキーに興味を持った演目『薔薇の精』ははずせなかった。制作には薔薇を撮影する必要がある。花音痴の私にしては薔薇、特に赤い薔薇はもっとも好ましく感じる花ではあった。しかし撮影用に薔薇を買いに行くのがいやで、ぐずぐずと近所の小学校の校庭からはみ出た薔薇を撮影していた。当然不十分であり、室内で撮影する必要もあった。しかたなく花屋に買いに行ったのだが、その際、聞かれもしないのに「撮影用で」といい訳せずにいられないし、帰りの道中を思うと憂鬱であった。何故これほど抵抗があるのか。思い当たることが一つあった。 高校時代、下校途中のこと。相手がどう私に持ちかけたかは覚えていないが、若い女性から小さな花束を買わされて帰ったことがある。家族中に充満する、こんな物買わされ帰って来て。という冷ややかな空気。特に父の呆れ顔は未だに記憶にある。どう考えてもあれが原因である。 最近の花は長持ちする処理がされていると聞いた。月曜まで美しさが保たれるのであれば、花好きなK本の女将さんに差し上げようと思っている。常連席では何故私が薔薇を、となるのは避けられないであろう。ならば数分間でも酒の肴になれば、とこの件に関して一切口を割らないことに決めた。

過去の雑記

HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




朝Sさん宅に電話をする。声が元気で安心した。80過ぎて元気だったSさんが、調子が悪くて出席できない、とわざわざ来てくれたのは、ご近所でやってもらった出版祝いの前日であった。その時は飲みすぎて胃痙攣に、といっており、その後K本で飲んでいたので安心していた。近所の小学校で30年もウサギや草木や菊の世話を続けており、その間の卒業生の感謝状は、どうやって保管しているのか、という量であろう。一度菊の撮影を頼まれ、手作りの仕事場にお邪魔したことがあったが、そこが学校の耐震工事の際に撤去されることになってしまい、気落ちしているんだろう、と思っていたが、家で倒れて入院。胃を全摘ということになった。Sさんには『貝の穴に河童の居る事』で漁師の若者が被る使い古しの麦わら帽と、手作りの子宝祈願の男根を提供してもらった。麦わら帽はボロくて良い味をだしていたが、子宝祈願の方は文字の下地ということもあったが、私が少々遠慮しすぎてよく見ないと判らない。 洗濯物を干していると、そのたびSさんを思い出していた。部屋の電気が消えている、とか同じ洗濯物がいつもぶら下がっている、とか通りから常に見上げて気にしてくれていた。聞くと大分痩せたそうだが、じっとしていられないタイプなので散歩しているという。何人かに元気なことをメールで知らせると、即座に返信があり、みんな心配していたのが良く判った。 岩崎宏美さんのコンサートの帰りの二次会で、宏美さんにつままれた福耳を、片いっぽう、おしぼりで拭いてしまってすいませんでした。もうしません。もっともあれ以来私を警戒して、離れて座るSさんであった。

過去の雑記

HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


一日  


過去の写真データをひっくり返して選んでいる。代表的な物を、来年はオイルプリント化してみたい。廃れていた古典技法だが、91年当時、写真家でもないのに、人形も作らず何をやっているのだ、と内心ハラハラしながら熱中した。昔は道具など既製品があったという面では不利であったが、昔の連中にできて私にできないはずがない、と鼻息だけは荒かった。素人ということもあったが、過去の作家を倒す、という敵愾心みたいなものまであったのを覚えている。仕事をしないで余計なことをしている、という後ろめたさに打ち勝つためには、そんな物も必要だったのであろう。実際、発表しようなどと思っていなかったので画がようやく出たところで中止した。しかしその後写真を発表するようになり、そういうことなら、とオイルプリントを再開したのだが、以来、自分の直感を優先することに決めた。なんでこんなことをしたいか判らなくても理由は後で考えれば良い。辻褄は必ず合う。 K本へ行き母からMさんへ、と預かっていたくさやを「この程度の物が食えないような奴に娘はやらないとか嫌がらせにでも使ってください。」と渡す。Mさん本日も問題の件についてひとくさり。今日始めて訊いたという顔ができただろろうか。是非本人に直接いってください。でないと5回目を聴かされそうである。 俳優の今拓哉さん来る。気になっていたことが判った。今さん黒目が大きい。訊くと眼球自体が大きく、普通のコンタクトでは曲率が合わないそうである。本来“黒目がちな瞳”というのは美少女専用の表現であるが。

過去の雑記

HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




図書館で調べ物の後、たいして欲しいものに当たらず、かえって安心して覗ける古書店に寄ると『大アジア燃ゆるまなざし頭山満と玄洋社』(読売新聞西部本社編 海鳥社)があり買ってしまった。図版が多く、マズイことに制作可能程度に頭山の肖像が載っている。大アジア人物シリーズ?は面白そうであるが写真でどう表現するかだが、こういう人物達は一人荒野に立たせれば画になることは間違いがない。いや年の瀬に考えるようなことではない。 帰宅後ついにギター制作用に、今では輸入禁止の希少材だというホンジュラス・マホガニーを注文してしまう。ギターといっても構造的に簡単なスチールギターだが。さらに急な寒さに、ついにユニクロにてタイツを注文してしまう。寄る年波という奴であろう。しかたがない。タイツの色は黒以外には考えられない。私は未だに大きい煎餅を手にすると、空手チョップで割る誘惑を抑えがたい。 ギター仲間のトラックドライバーSさんが、ボーナスが出たといって関係者を招集。T千穂にて鍋を御馳走になる。ヘビメタ好きのSさんは高校卒業後、ギター制作の方に進むか悩んだそうである。Sさんに設計図を見せる。独身であるSさんに、人生は一回きりだと見せ付けてやらなければならない。 散会後、向こうのテーブル席には、当ブログで只今旬のお父様Mさんが相変わらず酩酊している。閉店後、間違いなく飲み足りないMさんと一緒にT屋に行くと、そこにK2さん。娘と娘の彼氏と初対面の時と同じ席に座っている。店主のHさんを含め、奇しくも最近娘が彼氏を連れてきた父親三人が揃ってしまった。私は一人リングサイドで観戦という形である。 娘が正式に婚約したらしいMさんに比べれば我々はまだマシとでも思うのか、そんな空気が感じられるが、傍から見れば時間の問題。目○○鼻○○の類である。父親とはこんなアルコールという鎮痛剤なしではいられない時期があるからこそ、孫が可愛く感じられる仕組みなのであろう。上手くできている。それはそうであろう。このままじゃあんまりである。

過去の雑記

HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ