ドストエフスキーの肖像画で最も有名な肖像画はヴァシリー・グリゴリエヴィチ・ペロフ描くところのこの作品であろう。だが私にはどうしてもドストエフスキーには見えない。いつもいっていることであるが、私は残された写真でさえも、そう簡単には信用しない。夏目漱石の鼻筋のように、写真師が修正している場合もある。この肖像画は私には本人と違って耳が小さいし、髭越しに透けて見える顎は細いのに、こちらはエラが張っているように見え、体格も良いように見える。ただでさえ他人の創作物など参考にしたくない私は、編集者に、ドストエフスキーの生前に描かれた作品なのか調べてもらった。死後であれば私と条件は一緒である。即無視であるが、生前に描かれたものだという。これは困った。だがどうしても私がドストエフスキーです。ということが伝わってこない。いってみれば、なんらかの事情で本人をモデルにすることができず、妙に似ている近所の農家の主人を座らせて描いた。そんな感じがしっくりくる。写真に残されていない、貴重な角度を描いた作品ではあったが、たとえロシア政府が公認していたとしても、私のなかの屈託が払拭できない以上、一切参考にしないことを決めた。
ドストエフスキーの髭は、私が造ったような密度はなく、実際はまばらである。それでも石像だろうと銅像だろうと素材上、固まりとして表現せざるをえない。今回は異例の速さで制作が進行したので、何かの素材を利用し、顎のラインが透けてみえる髭の表現を試みたい衝動にかられた。しかし私の中には“フランケンシュタイン博士の教訓”といえるものがある。つまり、“やりすぎてはいけない”。 何度も書いていることであるが、実物と見まごうばかりの作品を作るのが私の本意ではない。私が考える、必用なリアル感さえあれば、粘土丸出しで良いのである。やり過ぎて野暮で嫌みな作品になることだけは避けなければならない。 そうはいいながら制作のたびごとのこうした思いつきが、徐々に私の作品に変化を与えてきた。最初の作品がただの手捻りだったことを思うと、随分長い間作ってきたと呆れるばかりだが、人間の脳は思いついた物は作るようにできている。といったのは養老孟司氏であったか。私は幼い頃から、この仕組みにずっと苦しめられ、またこれ以上ない快楽を与えられてきた。しかしもう子供ではないのだから、フランケンシュタイン博士の教訓を胸に、ハシャギ過ぎないよう気を付けている。
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