明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



先月12日のブログに、昔私が制作したジョン・コルトレーンのテナーサックスが描く三角の空間に、トレーン見つめるマイルス・デイビス、という作品に、この作品知ってます、といわれたことが気になって、という話しを書いた。たまたま撮影時、2体の人形が同じテーブルに立っていたことから思い付いた作品であったが、何しろ“観てきたような嘘をいい”と制作しているので、そう勘違いされたのであろう。そんなことを書いて間がない先日、Facebookでフォローしているチャーリー・パーカーファンのグループに投稿された画像を見て驚いた。あの三角からバードことパーカーの顔が。私にとってパーカーは特別な存在で、岐阜の山奥の製陶工場に就職して、モダンジャズマンとして名前だけは知っていて、町に出た時にアルバムを購入したのだが、音は良くないし、同じ曲の別バージョンが続き、がっかりしてしまったのだが、なにしろ安月給である。元を取ろうと無理して聴いていたらハマってまい、朝起きたらまずパーカー、帰宅したらまずパーカーという有り様で最初のボーナスに同僚に少し借金して、東京に帰った際に銀座の山野楽器で安いアルトサックスを購入し、ケースまで買えずにブチブチにくるんで山奥に帰った。そして、縦笛しか吹いたことがなく、押さえる部位の多さに唖然として立ち尽くした私であった。今思うと熱病にかかったとしか思えないが、パーカーのサウンドはジャズ云々以前にこの世の物ではないと未だに考えている。私が一人につき2体作ったことがあるのはパーカーと谷崎潤一郎だけである。 それにしても、どこから持ってくるのか、パーカーの未見の画像を見られるので参加しているグループなのだが、先日ブログに書いたばかりなだけに、このポートレイトには驚いた。 私はリーダーとしてトレーンを見つめるマイルスとして制作したが、パーカーもそんな顔をしている。




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『石塚公昭 幻想写真展 生き続ける作家たち』 2018年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutube
2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtube

『江戸からの旅人、杉浦日向子の世界』深川江戸資料館葛飾北斎と古今亭志ん生像展示


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一日  


朝から洗濯日和。よって本日の撮影は中止。まったく写真なんて物は不自由である。眉間にレンズを当てていたのが、ちょっと外側に在る物にレンズを向けようと思ったらこの有り様である。
オイルプリントも、その後改良点も出てきたし、いずれ技法の小冊子を作りたいと考えている。オンデマンドなら一冊から注文ができ、在庫を抱える必要がない。石塚式はゼラチン層を厚くしたお陰で、画を出すだけなら誰でも、といっているが、思わぬ副産物も生まれている。水分を含んで盛り上がったゼラチンにブラシで、それこそ1、2ミリの高さからフェザータッチで優しく小刻みに触れると微細なディテールと共にクッとコントラストが上がる。仕上げの段階の、これこそが、他のオイル、ブロムオイルにない特徴であり、醍醐味である。ようやくネットで世界のインキング映像をみられるようになり、ブロムオイルの老作家が大きなブラシを逆手に持ち、ドカドカ叩いていたり、電動工具にブラシを取り付けドドドドとやっているのを観てビックリした。石塚式ではあんな無茶はしないし、できない。我流でやってきて、知らないうちに独自の場所に着地していたのを知った。
熱はでないわりに咳があまりに長すぎる。友人に喘息ではないか、といわれた。そう思うと、以前同じ症状で医者の薬が効かなかったのも合点がいく。埃やカビなどが良くないそうで、心を入れ替え部屋の片付けをなどと、殊勝なことを考えたバチが当たったのは間違いがない。

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『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載11回『猛虎図』

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友人  


明日雨や晴天でなければ、つまり陰影の出ない曇天であれば、ようやく懸案の背景を撮影に行く。助手は暇している友人Eである。彼とは16年の深川資料館の個展以来である。その時も5年ぶりくらいであったろう。小学一年からの付き合いなので、その程度のブランクはあってないような物である。一年生の時黒板に描いた彼の似顔絵を私は未だに描ける。 洲崎の旧パラダイスに永井荷風を撮りに行った時も付き合ってもらたし、ニジンスキーの薔薇の精の時は後ろで花びらを蒔いてもらった。中学の時は学校に来ない彼を迎えに行ったし、ロックばかりだった私に日本のフォークを教えてくれたのは彼だった。後に古本屋通いと日本映画も教わった。高校時代は今は亡き銀座の並木座で『仁義なき戦い』を観ていて山城新伍を「こいつ白馬童子だぜ」。大川橋蔵だと思い込んでいた私にショックを与えたし、小津の『東京物語』では、隅田川のずっと向こうのきわから銀座に出てきて、こんなの観ていられるか、と耐えられずに途中で出た。 まあ思い出を書いていればきりがないが、長らくお袋さんの介護をしてきて、会うこともままならなかったが、今年亡くなり、少しは外に引っ張り出せそうである。 新HP
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午前中に田村写真の田村さんから修整したオイルプリントの画像が送られてきた。さすがであった。石塚式オイルプリント修整法は、実に画期的で、オイルプリントがもし写真の中心的技法であればたいしたことであったろうが、残念なことに哀しいくらい読んで字の如く、自画自賛するしかない。そういえば、私がカラオケで歌う、美樹克彦の『回転禁止の青春さ』は“俺の選んだ この道が 廻り道だと 云うのかい 人の真似して ゆくよりかこれでいいのさ このままゆくさ*ゴーゴーゴー レッツゴーゴー ゴーゴーゴー レッツ ゴー 回転禁止の 青春さ♪”というわけだが、しかし3番の“俺はゆくのさ マイペース ひとり唄って ひとりでほめて♪”と結局自画自賛するしかないというわけで、たいした道じゃねぇじゃねぇか、と苦笑することになる。それはともかく。石塚式修整法は、田村さんのようなプロ中のプロが、あれをやっていると思うと、ちょっと微笑ましくなってしまうのであるが、ゼラチン層の厚さ故に使える技なのである。 午後友人に通信料などの見直しのため、ショップに付き合ってもらった。横で説明聞いていても、まるでちんぷんかんぷんで、風邪ひきの疲れもあり眠くなってしまうが、助手席で寝てしまうわけにもいかず。そうでなくても、他人事みたいな顔をしている、といわれ気味である。機種変するなら来月に。
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本日も田村写真。昨日に続き焼き鳥を用意いただいてしまったので、ポーランドの、魔除けまた風邪に効果的な薬液を少々。十代の頃、金がなさすぎて、薬局で二回買ってしまった物を思い出した。あれも胃にも傷口にも沁みた。
オイルプリントの技法公開のために2000年にHPを作った。その前年(正確にはそのまた前年に1日だけ披露)のオイルブリントの個展で、初めて見る物に対して良い悪い、好き嫌いの前に、これは何だろう?と、比喩でなく、実際に目に灯りが灯らない来廊者を見て、人のやらないことをするだけなら簡単なことだが、灯りを灯すのは容易なことではないと思い知り、マニュアル本を腹を立てて投げつけながら作ったが、全く反応が無かった。あとで聞くと、試した人もいたようだが、ウンともスンともであった。 その後改良点もあったが、反応があるならまだしも、一人で相撲取っているなら、次のことをやって行こう、とどうしてもそうなる。もし、ゼラチン紙を自製し、試みようという方がおられたら、ゼラチン層を厚く、を心がけていただきたい。'石塚式'オイルプリントとは、単にゼラチン層を厚くしただけであり、結果誰でも画が出るようにしたものである。試みる人が増えれば田村写真でも、ゼラチン紙を作っていただけるだろう。何しろ昔某所でワークショップやった時、当時は寒い時期に作っていたこともあり、ゼラチン紙制作で何人も脱落してしまった。 そういえば、改良点として披露する機会がまだないのが、乾燥後に加える修正法がある。これこそ石塚式だが、実に簡単かつ効果的で、これを早く思い付いていたら、何十枚の作品をゴミ箱から救い出せたことであろう。アトリエシャンテーヌのワークショップの時乾いた作品がなかったので口で説明したが、目で見ないと忘れてしまうだろう。
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それにしても今回の風邪は長引いている。これが年というものであろう。風邪で医者に行く習慣がないが、以前同じような状態で薬貰ってみたが効かなかった。ただやたら寝ている。8時間以上寝るなんてことは普通ではありえない。効かないといえば、銀座リコーイメージングの個展以来、コンビニでブラックコーヒーを良く買うが、カフェインに関しては全く効かない。体調悪いなか田村写真へ 。オイルプリント。 昼食の時間、弁当を買いに行くというのて、焼き鳥弁当でもあればとお願いする。ご飯はあまり要りませんけど、といったら、のど飴と、焼き鳥を買ってきてくれた。それを見て名案浮かぶ。田村写真には写真用品として、ヨードチンキを常備しているが、ポーランドの、悪魔払いに使いそうなス○リタスという薬液もある。悪魔払いに使えそうなら、風邪にも効果があるに決まっている。新HP
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今日は朝からついてない。つまずいて足の親指切って出血、洗濯物は生乾き。乾燥機にかけている時間はない、冷えきった寝床など、すぐ暖めることができるタイプだが、風邪引きゆえ愉快ではない。深川江戸資料館『江戸からの旅人、杉浦日向子の世界』展示は北斎と志ん生の2体。北斎は以前個展会場でちょっとした事故があり、安定が悪くなり杖がわりの天秤棒があるからなんとか立っている状態である。何回か理由を書いているが、本来、たとえピンヒールだろうと、私の作品は自立する。もちろん展示の場合は台から棒を立てている。杉浦日向子は江戸ブームの現在、早すぎる死は今更ながら惜しい。改めてゆっくり観に行くつもりである。 某写真家がオイルプリントを出品したいということで、急いで麻布十番の田村写真へ。写真技法は数々あれど、オイルブリントは、ちょうどブルースミュージシャンが、歌いながらギターを自ら弾くように、本来自分でプリントする類いのものであろう。 ネガを見ると、こういう場面はオイルブリント初心者は避けるように、という好例のような難しい作品であった。ゼラチン紙が足りなくなった。田村写真にはゼラチン紙を上手に作れるFさんがいたが、お子さんができて休職中であり、田村さんも大変である。そうこうして切った足の指が疼くので見たら少々出血。田村写真には写真用品としてヨードチンキもある。そこで思い出した。子供の頃、ボーイスカウトでキャンプに行った時、錆び釘を踏んでしまった。世話役に大工のおじさんがいて、傷口に蝋を垂らし、トンカチでトントン叩いて、こうしておけば大丈夫。おかげで夜中に救急病院に行くはめになった。幼くしてトンカチ持った大工は信用するなという教訓を得た。新HP
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一日  


寒気がして熱っぽくなる風邪は無理して汗かいたりしてなんとかなるが、喉から始まる風邪は熱こそでないが、鼻水から始まり、咳がでて、一通り経ることになり長引く。なのでささいな喉痛が始まった時点でうんざり。深川江戸資料館の『江戸からの旅人、杉浦日向子の世界』人形三体の搬入も1日遅らせてもらい、開催前日の明日搬入ということに。杉浦日向子は私と一つ違いだが、力士では放駒の元大関・魁傑のファンだったそうで、私もそうである。あれほど熱中した力士はいない。最後まで柔道の癖が抜けなかったが。弟子の大乃国は横綱で負け越したことがあるが、'休場は負けと一緒'といった、親方譲りの真面目さである。貴乃花との不仲説があるが、同じガチンコ同士残念である。 森下の画材店で画材を買い、文化センターのロビーにある美術書を咳をしながら眺めていると、警備員さんがのど飴をくれた。新HP
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写真はやはりなんといっても被写体である。自分で作った物を被写体にしていれば、悪ければすべて私が悪いことになる。逆に良ければすべて私のおかげであり、被写体に感謝したり、礼をいうこともない。しかし今回に関すれば、背景に使わせていただく被写体が素晴らしく、これで人形さえなければ、なんてことにならないようにしなければならない。私はテレビは観ないが、しょっちゅう紹介されている場所のようで、ホームにいる母でさえ知っていた。だがしかし、私が企んでいる使い方は、人形を被写体とする私でないと生かされない、と久しぶりに自画自賛しているところである。 11月23~12月9日深川江戸資料館レクホール特別展『江戸からの旅人、杉浦日向子の世界』に、葛飾北斎、三遊亭円朝、古今亭志ん生を出品する。。新HP
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撮影を手伝う暇はないかと友人に電話。「ブログに間があきがちな時はろくなこと考えてないに決まっているだろ」。ブログに嘘は書かないが、不都合なことは書かない。日々無自覚に浮かんだことをだらだら書いていてはならない。舌の根も乾かないうちに何をいっている、脇道にそれて何を考えている、なんてことになり、恥をかくのがおちである。 そうはいっても様々なことが整理されるのは、つまり、初めからの考え通り事が進んだような顔ができるのは完成も間近な頃であろう。以前だったらこんな時、三十年通った居酒屋や近所の酔っぱらいの話でも書いていたら良かったが、居酒屋はクーデターが起きてしまい、常連席を長年暖めていた常連は亡き名物女将に線香一本あげさせてもらえず、女将を囲んで毎年行ったお酉様の熊手は二年間そのままで、埃をかぶり貫禄だけが増しているそうである。新HP
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背景を撮影に野山にロケに出かけることもあるが、今度ばかりは寒山と拾得、または猫を虎に見立てた虎に乗る豊干禅師である。どこかで、背景だけホンモノ使ってどうする、というのが私のどこかにあったのではないか?朝、母からの電話に目を覚まされ、身体を起こそうとした時にアイデアが浮かんだ。そろそろ撮影に行こうと考えている。ただ陰影を出さないように、曇天の日を選ばないとならないことと、できれば一人助手がいるだろう。子供の頃から偉人伝の類いが大好物であったが、子供の私がすっかり騙されたのは、人のやったことのないことを成す人か偉い人だと思いこまされていたが、日本ではどうもそうてはなく、誰でもやっていることで上手な人が偉いということのようである。大リーグで活躍する日本人選手が、変な打ち方だったり変わった投げ方だったり、二刀流だったり、普通のやり方でない選手に限り超がつく活躍をしてきたのが、ざまあみろ的に嬉しくてしょうがない。新HP
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23日から人形三体を展示する予定があるのだが、チェックしてみないと判らないが、出したりしまったりで、塗装のし直しが必要になる場合がある。塗装はアクリル絵の具だが、手持ちにない色の場合、画材店に買いに行かなければならない。出不精が仕方なく出かけるのであるから、つい粘土を買ってしまっても、これはしょうがないことであろう。普段は箱で買うのだが、買ってしまうど部屋の片付けをせずに、制作に逃避してしまうのは間違いがなく、ずっと我慢をしてきた。部屋を片付けよう、と頭の片隅にチラとでも思うと、たちどころに創作意欲が湧いてくる。この不可解な現象のお陰で私は制作が続けられてきたといっても過言ではない。もしチリ一つなく片付いてしまったら、私の制作活動はどうなってしまうのか。それを思うと不安のあまり、遅々として片付けが進まないのであった。新HP
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一日  


外側にレンズを向けず、眉間にレンズを向ける念写が理想だ、などといっているが、外側の世界に対する興味が益々薄くなっている。旅行などめったにでかけない。かといって生まれ育った東京にしても、私にとっての東京は1964年の東京オリンピック以前の東京であり、以後、何が壊されようと出来ようと、まったく何も感じない。人間の味覚というものは、およそ7、8歳頃までの経験により決まるという。今度のオリンピック以後も私のような人間が続出することにならないだろうか。そもそも、ほとんど近所から出ないし、撮影に出掛けるのも、すべて背景撮影だが、できれば近場で済ませられればそれにこしたことはない。一度ツアーでニューヨークに行った時、中国人街やイタリア人街から一歩も出ないで死ぬ人がいる、と聞いた。バカなんじゃないか、とかつての私は思ったが、今や私がそんな状態である。絵を描いたり本を読んだりしていないと落ち着きがなく、多動症じみていた子供時代の私が知ったらさぞがっかりするだろう。しまいには刑務所に入れられても、粘土とちょっとした資料さえ差し入れてくれたら、たいしてクオリティーの違わない作品を持って出所してやるぜ、なんていっている始末である。 それはともかく、いい加減突然降ってくるイメージに、訳も判らないがままやらされて、などと常々ぼやいているが、その出所の解明に、そろそろ立ち向かう時期に来ているようである。私は何故私なのか。そんなことも、結局は創作行為により解明するより方法がない。
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子供が口を開けたまま東の空でも眺めていたら、ろくなことを考えていないに違いないのだが、当ブログに間が開いている場合も、私がろくなことを考えていない可能性が高い。 HPの更新に使っていたPCが壊れ、4年以上プロフィールの更新をしていないせいで、自分の歳も判らなくなってしまう昨今、ブログを読み返さないと何をどうしたのか思い出せない。被写体から陰影をなくしてみよう、と思い付いてから、約一年で青木画廊の個展をやや強引に敢行し、すぐにリコーイメージングの個展と、今年は私としてはめまぐるしかった。そんなこともあり、ちょっとのんびりしてみたが、つぎからつぎと、ろくなことを考えない。私に何をやらそうというのか。こんな妄想をいちいちブログに書いていてはいけない。新HP
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理由は定かではないが、体調が上向きである。知人から風邪でなくアレルギーではないかとアドバイス。部屋を片付けよう、というのが間違いではないのか。今までのように、赤ん坊を寝かし付けるよう、そっとしておくべきではないのか? 一昨年作りかけた、頭蓋骨のプラモデルが出てきた。昔一度作ったことがあるが、リアルに塗装しようとして、いつものようにもっと、もっと、とやり過ぎ、朝になったら古代の発掘品のように、醤油で煮しめたような有り様になってしまった。江戸川乱歩の撮影に使おうと思ったが、明智小五郎の手を煩わせるまでもなく、とっくに時効は過ぎているのは明らかである。 そういえば一家殺人事件の被害者宅に人形特集雑誌があり、それに載っていた、というだけで、作家の所をまわっているという刑事が来たことがある。よほど難航しているのが別ったが、その時頭蓋骨の塗装のことで、余計なことをいったばかりに、後日もう一度来た。本物の刑事に乱歩用の頭蓋骨について、といささか私も浮かれてしまったのであろう。どう考えても無関係だが、藁をも掴むということだったのだろう。 我が家には創作上の秘密があるから、とはいわなかったが家には上げず、エレベーターの前で、塗装した頭骸骨を見せた。骸骨を手にヒソヒソしている所を住人に見られる訳にいかない。私はエレベーターを誰か上がって来ないか見てるから、あんたは私の後ろから人が来ないか見てくれと刑事にいった。この事件は未だ未解決である。 ところで骸骨が出てきたといえば、昨日のブログで子供の頃読んだ伝記について書いた。左卜全そっくりの老人が竹に骸骨を掲げて歩いている挿し絵があった。昨日の今日である。また偶然なんて物はない、などといいださないだろうな私?新HP
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