明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



早朝の5時ごろ、火災報知機が鳴り出した。ずいぶん近いな、と思いながらが一向に鳴り止まない。しばらくたち消防車がやってきた。表に出てみるとずらりと十数台。原因は同じマンションの別棟で、以前ボヤを出した飲食店らしいが煙もなけれも臭いもない。報知器の誤作動のようである。その後2時間近く警報は鳴ったり止まったりを繰り返していた。 

余裕があればオイルプリントトランスファーをやってみたい。インキングの後、乾燥することにより作品となるが、インキング直後に、それ自体を原版とし、プレス機にかけ転写する。ゼラチンのコンディションによるが、複数枚の作品が作れる。以前、4色分解したネガによるカラーを試みるため“内田洋行製”の版画のプレス機を入手して実験したことがあるが、手塗りのゼラチン紙により色を重ねるのは難しい。そもそも1回のインキングに苦労しているのに1作品につき4回のインキングにはへこたれた。昔のテキストによると1色につき3回のプレスを、と書いているものがあったが、ゼラチン層を厚くしているので、その含水量の多さからか、1回で十分転写された。 トランスファーをするなら個展内容とは別枠で小型のプリントを試みるのはどうか。いっそのこと、こんな作品はどうだろう。真っ赤な物には赤いインクを。だがしかし。このチョイスは単に今朝の騒動が影響しているだけのような気がしないでもない。

 

オイルプリント制作法

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以前、昔の日本の芸術写真家のブロムオイルを見た。同じネガで、モノクロプリントとブロムオイルが残されていた。作品によっては、ブロムオイルは現在のモノクロプリント、いわゆるゼラチンシルバープリントと見分けがつかなかった。今でこそ淘汰され、特殊印画法扱いの絵の具を使うピグメント法も、この作家にとって、このネガをどちらで仕上げようか、と考える程度には、特殊でもなんでもなかったのであろう。様々な印画法が乱立した時代が感じられて面白い。 しかし廃れた技法を発掘し、今披露しよう、ということになれば、できるだけモノクロ写真と遠い物にすべきであろう。そこで黒インクだけ、というのは1枚も作らず、セピア他違いが判りやすい色にした。さらに粗粒子の写真はあるのだから、写真に付き物の粒子がない作品も作った。

本日の1カット。刺青師の仕事場の待合室である。撮影した日、撮影中の写真をブログにアップしたが、何かをどかしたり整頓したりはせず、現場そのままである。今時の机もなんだか趣があるように見える。上にある雑物も同様である。左側床には携帯電話も写っているが、このあたりの粒子がなく溶け込んだようになるのが私の好物である。無性に静物を撮りたくなった。

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以前プリントした房総の海女達が、薄っぺらいので再プリント。フランスのドマシー、ピュヨーなどかつてオレンジ色を使う人がいたが、日本の作家にもいただろうが思い浮かばない。ノスタルジックな雰囲気が出ればとやってみた。昔のテキストには初心者は空や海は避けよ、と書かれたものがある。確かに難しく、前回はブラシを押し付けでっち上げたが、今回はネガの調子が出た。この作品も表面こそ画用紙なので凸凹しているが、粒子といえるものはない。同じネガでも粗粒子から粒子のないヌルリとした調子の使い分け、また混在した画が可能なのも特徴の一つであろう。 来月の個展はピクトリアリズム展ⅡとしたⅠは2000年で、今はないらしいが、町にどこでもあったイメージセッタで製版用フィルムによる拡大ネガを作った。その後もオイルプリントで個展や展示をしたが、なんとなくⅡという気分である。かつては写真といっても様々な技法が乱立していたが、淘汰され、2000年にリトグラフインクで描かれる作品を写真と称することは混乱のもとであった。しかし今は湿版写真ほか、様々な技法が試みられている。面白い時代になった。

 

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村山槐多を知ったのは岐阜の製陶工場に勤務していたころである。休みの日に、同僚の運転する軽トラックで町に出て書店に立ち寄った時であった。周囲には二十代の人もいなかったが、工場長の話を帰宅後ノートに書き留めたり、将来陶芸作家になるべく、けっこうまじめに暮らしていたが、同時に酔っ払って田んぼに落ちたりもしていた。意外なことに、田舎には酔っ払ってフラフラしている人は皆無であった。 青春というと私は槐多が思い浮かぶ。七転八倒の姿は同世代であった私にはダイレクトに染みたものである。鮮烈な色彩で知られるが、当初、むしろ印象に残ったのは木炭デッサンであった。同じ大正時代の野島康三のブロムオイルオイルやガムプリントを知った時、私は同時代の洋画家、特に槐多のデッサンを思い浮かべたはずである。作風はともかく、濃厚という意味では共通している。私は及ばざるくらいなら過ぎたる方がマシというタイプなのでどうしても眼がいってしまう。そこでアトリエの槐多をオイルプリントにしてみた。 槐多は惚れっぽく、モデルの女性など、何人もの女性を追い掛け回した。中には少年もいた。想いがかなった、という話は少なくとも私は知らない。

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昨日アップした『蛸と女』は、単に被写体の女性を笑わそうとして作った物であったが、オイルプリントにしてみた。私には感心されるくらいなら呆れられたい、というとても危険なヘキがある。 インクを使う技法といっても一応写真で撮ったものだから、北斎先生の如くまでやってしまっては少々問題があろう。オイルプリントは現実をありのままに写すには向いていないが、そのかわり別な世界に一変させることができる。たとえば現代的な家具になんだか判らない雑物が乗っていても、大正時代の洋画家のアトリエの一部のようになる。技法は、それが行われた時代に引きずり込まれる傾向がある。ある時代に作られたレンズが、その時代の技法には最適。などという面白い話も聞く。私はこの件に関しては別のことを考えているが、せっかくなので利用するのも一興であろう。となれば大正時代の早世の詩人で画家の『村山槐多』である。野島康三のブロムオイルやガムプリントには、同時代の洋画家の木炭デッサンと共通した匂いがする。先日アップした『モデルT』と某アトリエで撮影したカットをオイルプリントにしてみたいと考えている。

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昨日完成したプリントにより、長年の宿題をようやく終えた気分になれた。10年のオイルプリント制作休止の穴埋めも、ここにきて度重なる失敗による膿出しがなされたようである。解明されてみれば、こういう理由だったのか、となるのは何でも一緒であろう。  最近、母の作った食事を食べたり、布団を並べて寝ることが多いのだが、夜中に妙な気配に横を見ると、母が大口開け、入れ歯を剥き出しで大笑いしている。それが朝までに2回。朝、マッサン観ながら、なんだよ気持ち悪い。というと私が寝ぼけたり大きないびきをかくのが可笑しくて笑っていたのだという。そういえば“顔なじみの老婆”に追い詰められ窮地に立たされ苦しんだ覚えがあった。

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野島康三作品の代表的モデルに『モデルF』という女性がいる。私は野島の絵画主義的作品にうたれたと同時に、女中だったというF嬢の眼差しにうたれた。現在ならアジアの山岳民族でも探さないといないような面構えである。 90年代の初め、オイルプリントの実験を始めた。ブロムオイルをやるつもりであったが、使用可能な印画紙が判からず、仕方なく一世代前のオイルプリントにした。感度が低く、作品大のネガが必要であるため、引き伸ばした印画紙を使うブロムオイルに淘汰されたのであろうが、今となればデジタルによる拡大ネガの時代であるし、印画紙の製造中止を心配する必要がなく、かえって良かった。 ところでこの『モデルT』である。写真好きでなかったはずの私が突然8×10インチのカメラを入手し、納得した画が1カット出来たら止める。と自分にいい聞かせながら仕事そっちのけで奮闘していた頃の撮影である。Tさんに「やり方は間違っていないはずなんだけど、野島みたいにならないんですよー」。などといいながら撮影したのを覚えている。ようやく20年を経て、オイルプリント化ということになる。Tさんはとっくに故郷に帰ったと聞いた。

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来月4月4日(土)~5月24日(日)の神奈川近代文学館の『没後50年 谷崎潤一郎展』に出品する谷崎像はすでに搬入されている。あれだけ放っておいたのに、居なくなったとたん、ああしたいこうしたいとアイデイアが浮かんでくるのだから勝手なものである。中学生のときにハマッタ谷崎は授業中も読んでいたが、本日、久しぶりに目にした中学時代のアルバムを見て、当時転校してきた“ナオミ”ちゃんと数十年ぶりに。 谷崎展には身体が不自由になった谷崎が愛用した、指が露出した手袋が出品されるそうである。谷崎に『瘋癲老人』を演じてもらう場合は必要であろう。目に焼き付けてこなければならない。 永井荷風を制作したとき、荷風が全財産を入れて持ち歩いたバッグを持たせたが、実物は私の小学生時代の上履きを入れた草履袋のような質感で、青緑という意外な色をしていた。この辺りにこだわっておくことは必要で、何かしら必ず違ってくる。

本日の1カット。

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行き当たりばったり、数打って当たれば良し、という段階から脱出したいと、イメージした質感にこだわることにしたら、それが迷走の始まり。オイルプリントは難しいと改めて。確かにゼラチン層を厚くした石塚式なら小学生でも画像は出るだろう。田村写真でのワークショップを覗いたら、初めの1カットでものにしている人がいた。私のかつての孤独な戦いはなんだったのか、と嘆息した。だがしかし、連戦連勝と行く人はそういないであろう。手技ならではの意味不明な出来事が起きる。手の感覚がすべてといってよく、データ通りにやれば上手くいくという技法ではない。そこが写真が苦手な私に合っていたわけだが。 本日の1カット。失敗を繰り返し、ようやく完成した。背景の調子はオイルやブロムオイルなどピグメント(絵の具)プロセス独特のものであろう。粒子がまるで無い、水に沈んでいるかのようなローキーな感じが私は大好きである。主役の女性は画用紙の凸凹感も拾って背景とは一味違っている。 もう20年くらい前のことだが、ある写真誌の編集者が写真展のことを取り上げてくれたので、別の機会にオイルプリントを見てもらったことがある。彼曰く「こういうのはコンピューターでできますから」。面白いことをいう編集者である。もっともこうやってブログに載せながら、実物とのあまりの質感の違いにガッカリな私であった。

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松涛美術館でのピクトリアリズム関連の講演で、細江栄公氏が、それはブロムオイルについてであったが、印刷物として再現性がなく、伝播力に乏しいというようなことを話されていたが、それはまったくその通りで、油性インクによる質感は、複写、スキャニングによっても再現は困難である。本日のお尻のアップは実際は粒子といえるような粒子はなくヌルリとした質感で、プリントしたてでよけいにヌラリとしているのだが、デジカメで撮ると、その潤い感は出ずパサパサして見える。こればかりは実物を、その場の光で見ていただくしかない。 最も、私が野島康三のピクトリアリズム写真にノックアウトされたのは、会期直後に古書店で見た松涛美術館の図録であったから、力の有る作品は印刷だろうとなんだろうとお構いなしということであろう。 オイルプリントの場合、より諧調を出そうとすると黒インクを使う方が有利な訳だが、せっかく色の選択が自由なプリントなのだから来月の個展では、黒インクだけ、というのは極力避けようと考えている。絵の具の状態、ブラシの使い方により粗い粒子から、粒子のまったくない、トロリとした調子までが可能である。その辺りも見ていただけたら、と考えている。

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HPもリニューアルを考えながらもずっと放ったらかしである。作った当時はネットの環境が段違いで、とにかく画像を軽く、といわれたものである。よって今の環境だと物足らないにもほどがある状態である。特にオイルプリントは、ただガサガサしたようにしか見えないかもしれない。私の場合、画用紙にプリントするするので、表面が凸凹しているし、絵の具の艶も含め、私には上手に複写ができない。 オイルプリントは用紙に塗布されたゼラチンの含水量、油性インキの油分、ブラシの叩き方により、さまざまな調子が可能だが、いつもノープランで、いきあたりばったり、たまたまそうなったのを、初めから予定していたかのような顔をしていた。 ところで私が昔からオイルならでは、と考えていた調子があるのだが、そう思っていながら成功率が低く、途中で回避して、べつな調子を目指していたことにするのが常であった。 今回は画面を大きくして、面積が広い分、面倒も増え、てこづっているが、昨日ようやく1カット、私がイメージしていた調子が出たと思う。連続してもう一カットできれば、ようやくコツをつかんだといえるはずなのだが。画像を載せようと思ったが、個展会場でその1カットしかなかったら、偶然の産物であることがバレてしまうので止めておく。

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