明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



朝寝床でボンヤリと“ストーンズのチケット誰に頼んだっけ?”受け取った記憶がない。懸命に考える。コンサートはいつだ?ここの町会では段ボール回収は第四水曜日の一回だけと決まっている。間違えて今月捨て損ねてしまった。壁に掲げるカレンダーがやっぱり必用だ。時間にして五分くらい悩んだ感じの末、そうか、ストーンズのチケットなど誰にも頼んでいなかった。 これは夏に朗読ライブが迫って来た頃から始まり、引っ越しの準備をしている最中がひどかったが、するべき事をあれもこれも忘れているのではないか、とそれは半分目が覚めながら連日苦しんだ。これを寝床でなくやらかすのも近いかもしれない。 私が今から恐れているのは、あれを作り損ねた、作っておくべきだった、と死の床で苦しむ事である。これは私の性格からしてポックリいかない限り回避する事はできないであろうが、少なくとも、いつまでも生きているつもりで、同じような事を続けていては行けない。なので実在した作家を新たに作ることは止めないと、後で苦しむ事になるだろう。この頻繁に起こる起き抜けのスケジュールミスの苦しみは、死の床でのスケジュールミスの苦しみを予兆ささているように思われてならないのである。

【タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第17回『引っ越し』

 

 

 

『石塚公昭 幻想写真展き続ける作家た18年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutubeこ2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界
 


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三島が様々な状態で死んでいるところを制作する、幻の薔薇十字社版『男の死』に敬意を表しての私の『椿説男の死』だが、三島が例えば映画『憂国』の撮影中「もっと血を!」と要求したり、歌舞伎『椿説弓張月』で、最前列の観客に血かかかってしまいそうなくらいの血糊を使い(寺山修司との対談で、あそこまでやるつもりはなかったといっているが、あんたがそうしろっていったんじやないか、と関係者は言いたかつたに違いない。)私も三島の御要望に答え、一人分とは思えない出血大サービスをした事もある。また死んでいるということで、つい目を閉じてみるが、考えて見ると、死んでもかっと目を見開いていてこそ三島だ、という気がしてきた。それに死んだからと言って必ずしも出血するとは限らない。三島に対するサービスを大概にしておけば、三島がただ佇んでいるように見えても良いだろう。作者の私が死んでいるのだ、といえば死んでいるのである。三島が町の若者たちと実際神輿を担いでいる写真が残されているが、ボディビル以前の華奢な身体で、あまりにも嬉しそうなのが私には泣ける。 この作品で、三島の回りで担いでいる方々は、実際には存在していないので、肖像権は大丈夫であろう。君のようで僕のようだし、僕のようで君のようだな?目鼻口をシャッフルしてある。案外抜かりのない私である。

【タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第17回『引っ越し』

 

 

 

『石塚公昭 幻想写真展き続ける作家た18年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutubeこ2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界
 


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三島が様々な状態で死んでいるところを制作する、幻の薔薇十字社版『男の死』に敬意を表しての私の『椿説男の死』だが、三島が例えば映画『憂国』の撮影中「もっと血を!」と要求したり、歌舞伎『椿説弓張月』で、最前列の観客に血かかかってしまいそうなくらいの血糊を使い(寺山修司との対談で、あそこまでやるつもりはなかったといっているが、あんたがそうしろっていったんじやないか、と関係者は言いたかつたに違いない。)私も三島の御要望に答え、一人分とは思えない出血大サービスをした事もある。また死んでいるということで、つい目を閉じてみるが、考えて見ると、死んでもかっと目を見開いていてこそ三島だ、という気がしてきた。それに死んだからと言って必ずしも出血するとは限らない。三島に対するサービスを大概にしておけば、三島がただ佇んでいるように見えても良いだろう。作者の私が死んでいるのだ、といえば死んでいるのである。三島が町の若者たちと実際神輿を担いでいる写真が残されているが、ボディビル以前の華奢な身体で、それでいてあまりにも嬉しそうなのが泣ける。 以前書いたがこの作品で三島の回りでかついでいる方々は、実際には存在していないので、肖像権は大丈夫であろう。君のようで僕のようだし、僕のようで君のようだな?目鼻口をシャッフルしてある。案外抜かりのない私である。

【タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第17回『引っ越し』

 

 

 

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午前中買い物に行こうか考えながら、何年か保留にして展示に至っていなかった三島作品をなんとなく見ていて、打開策が見つかり、急遽完成に向かう。買い物など行かないで良かった。これだからうかつに旅行など行けないのである。まあタラレバではある。出不精の言い訳というものであろう。 打ち合わせに高田馬場へ。スマホの地図を見ると一、ニ分の所らしい。さて向かおうとしたら何故かネットにつながらず。地図には、一生悩まされるのであろう。 昔、ハナ肇が亡くなった時、植木等が弔辞を読むのを観ていて、仕事上の戦友的な存在を羨ましく思ったのを覚えているが、私にもそれに近い想いを抱く存在が二人いる。その一人と本日会ったのだが、打ち合わせの後飲んでいて「私は人を信じないのだが、石塚さんの事は信じている」。酒の上での事とはいえ、いい加減なことを口走る人ではないので非常に嬉しかった。しいて贅沢を言うならば、何故女性の口からこんなセリフを聞く機会がないのか?おかげで終電間に合わず。

 

【タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第17回『引っ越し』

 

 

 

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工芸学校で卒業制作に私が作った徳利が届いた。見るのは実に四十数年ぶりである。私が陶芸家を目指していた形跡は、岐阜の陶器工場で働いていた時に、製品の皿に勉強のため筆描きした梅に鶯と、洋食器風の模様を描いた物だけである。それが卒業制作三本のうちの一本を持っていてくれた同級生が送ってくれた。ちなみに年上の女性である。と書いておくと、多少趣が加わるかもしれない。 青春の思い出が、幽界から立ち上るかのようである。試作に終わったが、これで勢い良く注いでもハネないぐい飲みを作ろうと学校の便器をじっと眺めた。頭の程度が知れるが、ただ落ち着いて注げば良いだけの話である。私の山賊的体質は今に始まった事ではないのであった。 本日たまたまお酒の頂き物が届いたので、私と違ってまっすぐに陶芸家の道を進んだ同級生達が作ったぐい飲みを出してきて並べて順番に注いで飲んだ。件の徳利はというと、間違った道に進まなくてつくづく良かった、とただ眺めるだけである。誰がこんな空っぽなのに、酒が入っているかのような重い徳利を使うか!という話であった。



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工芸学校で卒業制作に私が作った徳利が届いた。見るのは実に四十数年ぶりである。私が陶芸家を目指していた形跡は、岐阜の陶器工場で働いていた時に、製品の皿に勉強のため筆描きした梅に鶯と、洋食器風の模様を描いた物だけである。それが卒業制作三本のうちの一本を持っていてくれた同級生が送ってくれた。ちなみに年上の女性である。と書いておくと、多少趣が加わるかもしれない。 青春の思い出が、幽界から立ち上るかのようである。試作に終わったが、これで勢い良く注いでもハネないぐい飲みを作ろうと学校の便器をじっと眺めた。頭の程度が知れるが、ただ落ち着いて注げば良いだけの話である。私の山賊的体質は今に始まった事ではないのであった。 本日たまたまお酒の頂き物が届いたので、私と違ってまっすぐに陶芸家の道を進んだ同級生達が作ったぐい飲みを出してきて並べて順番に注いで飲んだ。件の徳利はというと、間違った道に進まなくてつくづく良かった、とただ眺めるだけである。誰がこんな空っぽなのに、酒が入っているかのような重い徳利を使うか!という話であった。

【タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第17回『引っ越し』

 

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人形を手持ちで歩き回りながら撮影していた頃は、じとーっと時間がかかる人形制作に対し、街中でスナップしていく撮影は、リズムが丁度良いバランスで取れる、とかつてほざいていたものだが、合成をするようになり、こちらもすっかりじとーっとしてしまった。頭に浮かんだ世界を可視化して披露するには合成するしか方法はない。念写が出来なければ仕方がない。昔お世話になったデザイナーには、諦めの悪い私に「石塚君、プロはさっさと済ませて遊びに行くもんだよ。」とよく言われたものである。しかし私はそうは思わない。最初に作ってから何年も経つている黒蜥蜴と剥製の三島は、明らかに昨晩より良くなっており、ようやく納得するものになった。ただし聖セバスチャンの殉教調に三島に刺さった矢は、三本から八本に増えてしまった。これは例によって私の“もっともっと”というタチというかヘキというかが、どうしてもそうさせてしまう。もうちょっとで当ブログのタイトルになるところであったのが“及ばざるくらいなら過ぎたる方がマシ”。どうもこの辺りが私の作品は女性のカンに触るらしい。

 

 

【タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第17回『引っ越し』

 

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黒蜥蜴と、黒蜥蜴に剥製にされた三島由紀夫をやり直す。三島の表情が気に入らなくなった。乱歩の原作を三島が脚本化したものを深作欣二監督で、黒蜥蜴を美輪明宏で映画化されたが、黒蜥蜴が集めたコレクションの剥製に自らが扮した訳だが、黒蜥蜴が集めるのに値する美しさがあるとは思えず。いつまでも瞬きをしないでいられる、三島の特技は大いに発揮されていた。私はテレビで観たが、有名な作家だが、随分変わっているな、と呆れた。どちらが先だったかは定かではないが、さらに『からっ風野郎』を観てしまい。これでこの作家の作品を読んでみよう、と思わせるにはかなり無理があった。おかげで三島を読むのは事件後となる。ヘンな人だな、と思った最初は、小学生の時に家に来た百科事典のボディビルの項に三島が、ポーズを取っていた事である。作家と思えば逞しいが、ボディビルダーと思うとあまりに貧弱。後で知ったが、それを編纂したのは中井英夫で、三島はモデルを依頼されて、こんな嬉しい事は無かったらしい。私はこの百科事典にはまり、小学生から中学にかけてはじから一往復は読んだが、そういえば、シャンソンの項がやたらと詳しく書かれていた。

【タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第17回『引っ越し』

 

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市ヶ谷で撮影を予定しているのは室内なので、11月の光にこだわる必用はそれほどはない。当時の二つの首が並んだ新聞を持っているから、証言から、三島が最後に見た風景を推し量る事は出来るだろう。もちろん床に敷かれた絨毯だった、というのは無しで。 “日輪は瞼(まぶた)の裏に赫奕(かくやく)と昇った”のだが、私がやる限り、窓外に広がるのは豊饒の海であるべきであろう。高校のバレーだか、バスケット部の顧問が、某高校が試合前に皇居に向かって礼するんで参ったよ、といったのを思い出すが。三島が仮に窓の外ではなく壁に向かっていたとしてもかまう事はない。かつて大友昌司の手法で、乱歩の『人間椅子』で椅子の中に潜む男を作ったから、壁の向こうに豊饒の海でも可能である。三島が最後に見た光景だ、とただ撮影するだけなら、他の人に任せれば良く、私がわざわざ市ヶ谷まででかける必用はないだろう。あれから45年だとたった今知った。

 

【タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第17回『引っ越し』

 

 

 

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繰り返しになるが三島由紀夫に関しては、作り始める前から死んでいるところを作る事以外、今に至ってもアイデアはない。依頼された物はそうはいかないが、何を作ろうかな、などと頭を悩ませるような物は作った事がない。棚からぼた餅が落ちて来るように浮かび、出来の悪い頭で、作りながら追々判るだろうと。そして理解した暁には、なぜ判らないが作ろうと思った、では馬鹿みたいなので、初めから計画通り作りました。という顔をしてしまう。当ブログでは正直に書いてしまうが、読者数を考えると、バレてもたいした事はない。それにブログを書いているうちに、雲間から日差しの如くに判って来ることが多いから、ブログを書くことは私に取って有益である。でないと何も考えずに暮らす事になってしまう。 今は権利を篠山紀信氏が所有しているという薔薇十字社版『男の死』が出る事を八年ほど恐れ続けた。趣旨は違えど、先に出てしまえば、滑稽なバッタもんになってしまう。 始めてジャズシリーズを自分で撮影し、発表した時、被写体を目の前に展示しているのにかかわらず、写真をジャズマン実写と間違った雑誌編集者が一人いたことで、翌年いきなり作家シリーズに転向した理由と同である。それでは世の中にある、ジャズの写真を人形作って再現している人になってしまう。まっぴらである。

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市ヶ谷の駐屯地は、事件当時のままではなく、外見はいくらかコンパクトになっている。よって加工しないと昔の通りにはならなかった。上に付いていた桜のマークも取り外され玄関に置いてあった。撮影は、命日の一週間前後。何十年経とうが、11月の光の質は変わらないであろう。ただ移築された、と聞いたのを忘れていた。つまり向きが変わっていれば光も変わる。特に問題はないと思えたが。 当日ヤジを飛ばした自衛隊員もこうして見上げたんだな、と思った。何度も繰り返しているが、あのヤジも三島の計算の内だったと私は思っている。非難轟々の中「もはやこれまで。」踵を返して割腹。という悲劇的な場面はすべて三島の演出の通りであった、と私は思う。そのぐらいの事は計算する人である。演説と言えば当時ハンドマイクがつきものであったが、不粋でもあるが、ちゃんと聴こえる必用はなかったろう。計算違いと言えば、森田必勝の介錯が下手で、グサグサやられながら、たまりかねてか、自ら舌を噛み切ろうとした形跡があった。乃木希典は明治天皇崩御の翌日、介錯なしで割腹したが、動脈を切断しない限り簡単には死ねない。一晩中、近所に乃木のうめき声が聞こえたという。三島は事前に森田に「あまり苦しませるな。」と冗談混じりで言ったようだが、次に、自らも割腹する事になっている森田に介錯されることを望んだ事に問題があったろう。かつて三島が肉体に目覚めるきっかけとなった海外渡航で、バチカンで一目惚れして2回も見たというアンテイノウス像は森田にそっくりである。

 

【タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第17回『引っ越し』

 

 

 

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昔、市ヶ谷の駐屯地に、あのバルコニーに三島を立たせようと撮影に行った。あの制服だけは気に入らない。三島がチンピラヤクザなら、と出演した『からっ風野郎』の革ジャン姿にした。こちらの方がよっぽど良い。あの制服は、中井英夫も気に入らないと言っていた。三島が本当に好きだったのは、白に金ボタンの並んだエレベーターボーイの制服で、あの可愛らしさがない、という。了解しました。エレベーター内で射殺されたエレベーターボーイになってもらった。某デパートのエレベーターを撮影したが、いかにも元警官みたいな警備員に文句を言われた。そんな事は知るか。階を変えて撮っていると、連絡が行ったようで、また現れた。用は済んだ、長居は無用。念のために、エレベーターはデザインを変えておいた。 幼い三島が、坂を降りてきた糞尿を運ぶ青年を見て“彼になりたい”と言えば、お安い御用、と念願を叶えて差し上げた。刺青入れたかったと知れば入れた。さすがの三島も、やれなかった事をしないと創作の意味がない。ある週間誌で、私のなりたいもの、と言う特集で、三島は白バイ警官に扮した。そこで、路肩で死んでいる白バイ警官を、と制服からバイクから調べて見たが、三島に「君、俺は白バイ警官はやったぜ。」と言われそうで止めた。

 【タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第17回『引っ越し』

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写真  


写真とは何かと言いうことについてあまり考えることはないが、小さな人形が主役で、実景や人物、物との合成を始めた時点でその拡大率の違いから、粒子、ボケ味などと言う、写真の大事な要素は捨てた。いや頭に浮かんだイメージを可視化するためにはどんな卑怯な手でも使うぜ、なんて言ってる私であるから、もっと気が付かない所で捨ててしまっているかもしれない。最近では、ついに肝腎要の陰影も捨てているし。 これは私が元々写真に興味がなく、写真少年ではなかったせいで未練もなく捨てられるのかもしれない。露出の意味がしばらく理解出来ず、知り合いのカメラマンに、写真屋の写真みたいではない写真にしたいのだけれど、と相談した。私の言うその意味はフラッシュを使っていない写真の事を言っていた。そんな私であるから、突如廃れた写真技法のオイルプリントを人形も作らず実験を始めた時には、いい加減にしろよ、と友人には友情を持って止められたものである。そう思うと、もはや誰も止めてくれなくなって久しい。

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気が付いたら11月も半ばである。三島由紀夫の命日も近い。三島に関しては、始めた当初から、三島が様々な状態で死んでいる『男の死』しかやりたい事はない。2011年の個展は周囲に止める人いたが、その言葉さえ妙なる音楽に聞こえてしまう始末で、三島は絶対喜ぶぞ、とそればかりであった。結果小さなプリントはともかく、一点も売れず。考えてみたら、いや考えなくとも、いくら作り物とはいえ、人が死んでいるところを欲しがる人はいないであろう。「もっと血を!」の三島が喜ぶだろうと、まさに出血大サービス。 私はそもそも三島作品に興味を持つたのは遅かった。映画『黒蜥蜴』の剥製役や『からっ風野郎』のチンピラヤクザを見て呆れていたからだが、金閣寺を読んで風向きが変わり始め、最終的にはその特異な人物像、その類を見ない本気さに感銘を受けた。なので通常の、作品の中に入って貰うだけでなく死んで貰う事を考えた。事件の一週間前まで自分の発案した死に方で死んでいる所を撮らせ、事件直後に出版を目論んでいた事を知った時には、本人にやられていた、という衝撃はあったが「そうでしようとも。思った通り!」が大きかった。事あるごとに制作してきたが、ラストカットは再度市ヶ谷に出向き、三島が最後に見た風景を撮影して“正に刀を腹へ突き立てた瞬間、日輪は瞼(まぶた)の裏に赫奕(かくやく)と昇った”これで決まりである。

 
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先日の知人のお孫さんを撮影したのは七五三ではなく、お宮参りであった。生まれたばりで七五三の訳がない。 これまた知人から頼まれた物を作るにあたり、ほぼ同じ形に針金を成形したものがいくつもいるので、団地やマンションにぶら下がっている物干しを電気溶接で作っていたときの要領で、部品を溶接し易いようにセットするような物を作ることにした。今回はたいした物ではなく、板に釘を打っただけの物で、その釘に針金引っ掛け成形すれば良い訳である。 物干しは一つ140円で、いずれ160円になると言われながらついに上がる事はなかった。刑務所で同じ物を作っていたから、上がる訳がない。無免許で一人でやっている私が何故やれたかというと、ごくたまに何百と言う少ない規格違いの製品が必要となるためだったろう。その度に設置する台座を寸法に合わせて作り換える。話が違うではないか、と担当者に言ってみたが無駄であった。担当者のヘルメットの下の顔を四十年経っても未だに覚えているから、人形作っているなんて人間の前で、あまり悪い事はしない方が良いと思う。

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