明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



深川江戸資料館でやる予定だったことを忘れていた。ビートルズの『サージャントペパーズ』のジャケットのように、私の作った人物を、一同に会したかのように並べよう、と思っていたことである。そして今後私が何体の人物像を造るか知らないが、完成するたび、そこに合成して付け加えて行こう、と。これほどの体数を並べる機会はそうないので、始めるには良い機会だったのだが、すっかり忘れていた。先日、私の作品を所有している方が、その写真をアップしたのを見たが、忘れていた。そろそろそんなことも起きている。 知人に録画を頼んでおいた『朗読、音楽、スライドで味わう乱歩と鏡花』。記録なので三脚に固定し、よけいなことをせず、ただ撮って欲しいと頼んでおいたのにもかかわらず、見てみるとあっちいったりこっちいったりアップにしてみたり。子供の運動会を撮っているようである。スライドの切り替えのタイミングが正否を決する、と舞台の袖で冷や汗をかいていたのだが、これでは良く判らない。 特に『貝の穴に河童の居る事』は朗読だけですべて解するのは難しい。今は使われない言葉も出て来る。スライドを流すことにより、その点はカバーできたと思う。そこで音声に改めて画像をあわせた動画を作ってみようと思う。どうやって?本日そう思ったのだ。ということは確かである。

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『タウン誌深川』“常連席にて日が暮れる”第5回



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九代目市川團十郎と十二代守田勘の辺りを知調べようと古石場文化センターへ。講座が開かれるらしく、ロビーで『入江長八』のビデオがモニターから流れていた。平に塗るだけだった漆喰をレリーフ状にするこて絵を考案した。深川に住んでいたとは知らなかった。 明治時代にからんだ日本人は面白い。写真や情報が、そこそこ残っていることもあるし、歴史の境目に握った指の間からはみ出たような個性的な人物が多い。顔だって今の日本人からすると個性的である。絶滅したといいたいくらいなのが、びっくりする程の長い顔である。九代目もかなり長い。鏡花がいれば充分な気がして三遊亭圓朝を作るかはまだ決めていないが、興味深いと思うと明治が絡んでいる。図書館員に「大丈夫ですか?」と起こされる。おそらくイビキをかいて寝てしまい、脳溢血や脳卒中を疑われてしまったのではないか。 ぼんやりしながら青山のビリケン商会へ。『流れ雲旅』北井一夫出版記念展。昔はニコリともしない接客スタイルだった社長の三原さんが、すっかり演技プランを変え、ニコニコしながら立ち働いている。つげ義春さんにサインをいただく。私は小学校の高学年にガロにはまり、一連の60年代の名作をガロ誌上で読んでいる。お気に入りはつげ義春と佐々木マキであった。もっともきっかけは『カムイ伝』のくの一の、ハレンチ学園と次元の違うエロであったが。その後、さらに次元の違う『ゲンセンカン主人』と出合うことになる。午前中に入江長八のビデオを見て、『長八の宿』の作者に会うとは。

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『タウン誌深川』“常連席にて日が暮れる”第5回



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一日  


『タウン誌深川』の『常連席にて日が暮れる』第6回を入稿。木場の居酒屋河本が休業に入り来月で一年になる。女将さんが熱中症で倒れたのが昨年の6月である。深川江戸資料館の個展に来てくれたくらいで、すこぶる元気である。しかし厨房担当の女将さんの弟のあんちゃんがあちこち不具合があり、再開のメドはたっていない。私としてはこの連載は、あくまで河本再開前提であり、読者の中にもそれを待っている方がいるだろう。以前のような河本に戻らないのだとすれば、それを承知で連載を続けるわけにはいかないと考えている。と真面目に考えつつ、今回は酔っぱらいの話を書いてしまった。 図書館に行き大判の美人画全集を見る。鏑木清方は『樋口一葉』と特に『築地明石町』は傑作だが、あとは意外な程ピンと来ず。 ヤフオクにて行灯を入手。浮世絵の春本は、高級な物にはエンボス加工のような、立体感を出すためだけの版が使われている。これは寝床で行灯からの低い光によって初めて陰影が現れるように工夫されているのであろう。私の行灯の使用目的はもちろん撮影用であるが。

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『タウン誌深川』“常連席にて日が暮れる”第5回



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本日も妙な時間に目が覚め、切れ々ながら合計すると良く寝た。洗濯したり久しぶりにギターを弾いたり。何かしようとすると眠くなる。ようやく身体が一仕事終えたことを理解したようである。多少のことであれば飲酒によりごまかしてリズムを取り戻せたのであるが、今回はそれは効かなかった。 まだ先になるが、今年は某画廊のグループ展に出品予定である。問題はテーマが決められていることであるが、洗濯中にアイデアが浮かんだ。これには女性の共演者が必要なのだが、例によって手近なところで調達するつもりである。顔出し必至であるが、問題ある場合は加工をする。ヌードもしくはヌードに近い場合など、モデルの都合で加工が必要な場合があるが、本人とやり取りしながら別人に作り替えた経験が何度かある。フォトショップで形を変えただけでは成分が残る。むしろ粘土造形の要領に近い方法を取った。時間はかかったが、写真関係者さえ誰も気がつかなかったから自信をもった。ただ私の場合、一般人の、誰も裸になるとは思わないであろう人ばかりを起用するので、気がつかれない、というころもあるだろう。今回は裸である必要はないと思うが。

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『タウン誌深川』“常連席にて日が暮れる”第5回

 



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朝、母はよくニュースを観ている。“最近ギターを見に人の家に入り込んだ娘がストーカーに刺されたね。”それ2つの事件を混ぜたろ? 午後新船橋まで出かけ、士業の先生と呼ばれる方々に囲まれ様々な手続きをする。私は社会人のフリをしているだけ、ということがすっかり露呈しており、一室で待ち時間に様々な話が交わされるが、私とは視線がほとんど合わず、私はいないかのように事は進んで行く。 何回か書いたことがあるが、子供の頃、どこかの王様に石の塔に閉じ込められ、「算数や宿題はやらないで良いから、ここで好きな事だけやっておれ」。そこには立派な図書館があり、画用紙、クレヨンその他使い放題。などという境遇を夢見たものである。実に可愛らしい慎ましい夢だと思うのであるが、先日の深川江戸資料館の個展を顧みるに、そのあげくが炸裂した結果といえなくもない。友人知人には、幼い我が子が、例えばポカンと口を開けたまま東の空でも眺めていたら、良からぬことを考えているに違いないから、頭でもはたいて是非我に帰らせたまえ、とアドバイスすることにしている。

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『タウン誌深川』“常連席にて日が暮れる”第5回



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午後野暮用の後、門前仲町で先日撮影した画像データを渡し、早い時間から飲む。その後永代通りの朝日屋書店の前を通ると、未だに『石塚公昭の世界』のポスターを貼ってくれている。お願いに行って以来なので、お礼をいおうと入ると、『季刊雑誌歌舞伎 別冊宗家市川團十郎』『三遊亭圓朝』永井啓夫著(青蛙房刊)が目に入り購入。 圓朝といえば、鏑木清方が湯のみを手にして座る姿を描いている。樋口一葉も描いているが、両方ともただそのままリアルではなく、清方の表現、解釈が加わっている。おそらく清方は一葉に会ったことはないだろう。となると残された写真を元に描いているはずだが、写真とは顔の角度を変えている。リアルに描こうとすれば、特に向きは写真と同じになるのが普通であろう。私の場合は、一度立体にしてしまえばどこからでも撮れるので、あえて残された写真と向きを変えることが多いが、清方はおそらく、様々な角度の一葉を想像で描きまくった上で本番に臨んだのではないか。圓朝とは面識があるはずだが、これとて写真と見比べてみると、ただそのままではなく、清方の解釈が加わっている。私も単に模型になることだけは避けたいと心がけている。

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一日  


中学生の時にはまったのは谷崎と乱歩であった。乱歩と並んで作家シリーズの初期に手がけた谷崎だったが、特定の作品について描いたことはない。やらない訳にはいかないだろう。ここまでやってきて川端康成を作らないというのも不自然に思える。一度始めたが、何かの理由で止めている。随分前になるが、富岡八幡の骨董市でノーベル賞を受賞した時の、毎日新聞社の袋に入った写真の束を入手したのを思い出した。残念ながら三島は束のなかにはなかったが。 エドガー・アラン・ポーの謎の死に関しては映画化されたくらいで様々な説があるが、泥酔状態で死んだのは間違いないようで、私が手がけるのは挿絵のように作品に関してばかりではないので、創作のしがいはあるかもしれない。 考えてみると、依頼されて製作した作家以外は、ほぼ高校生までに読んでいた作家が大半であり、せいぜい二十歳までである。改めて読み直すまでもなく、勢いでやれるような作家はそろそろネタ切れといえるかもしれない。 黒人のジャズ、ブルースシリーズから一年で転向し、以来黒人は1体しか作っていない。黒人といえば昔、思い出したように作りたくなったのがボクサーである。6体くらい作ったろうか。共通して顔がボコボコに腫れ、敗者のようだが表情は勝者の物である。テーマは“自分が負けたと思わなければ敗者ではない”。諦めの悪い男といえなくもないが。おそらく自分自身の確認のため、たまに作りたくなったのであろう。

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腹圧  


何度か書いたが子供の頃、頭に浮かんだ物は何処へ行ってしまうんだろう、と不思議に思っていた。子供に幽霊が見える話があるが、子供には異界との区別などない。私も頭に在る物だけが何処へ行っていまうのだ、と思っていた。それを取り出してやっぱり在ったな。と確認したい、というのがそもそも私の作る動機である。つまり頭の中にあったのはこういう物だ、というのは前もっておおよそ知っているはずだが、拡大したプリントを前に、間違いなく私が作ったはずなのに、何故か眼を見て話せないような、初めまして的なあの気分は何だったのだろうか。 非常に不味いたとえであるが、私が口にした物に由来しているのは間違いない、しかも私の◯◯の穴はそれほどではないはずなのに、今朝のこれはいったいどういうわけだ?という感じに近いかもしれない。つまりそこにあったのは普段意識したことのない“腹圧”から解放された私のイメージだったのではないか。 漱石像を展示中の神奈川近代文学館。22日までだが、こんな愚にもつかないことをボンヤリ考えているようでは行きそびれてしまうだろう。

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黒髪  


ようやく深川江戸資料館や河童の夢を見なくなった。 グループ展に参加することになっているが、まだ先だったろう。テーマが決められていたが、まだ何も考えていない。フリーペーパーの表紙で『坂本龍馬と大手町を歩く』とか『松尾芭蕉と清澄白河を歩く』などという難題をこなして腕力?を鍛えたので、多少のことでは動じなくなった。 昨日入稿した原稿にも関連しているのだが、そろそろ幽霊を扱ってみたい気もする。人に非ずな物を、と河童を作ってみたが面白かった。何しろ怪獣、妖怪に小学生の時に思いっきり洗礼を受けた世代である。ただし怪獣も妖怪も、子供の味方なんて物は、私が子供だった時から大嫌いである。 鏡花や三遊亭円朝あたりで女の幽霊、というのは何年も前から考えてきた。その場合『貝の穴に河童の居る事』で撮影用に入手した人毛の丸髷の鬘。あれが再登場となりそうだが、気持ち悪くて見たくない。女の黒髪という物は頭から生えていた物が、切られたとたん別物になる。

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先日ポストに連絡先を入れてくれたIさんと木場ギャザリアのスターバックスで会う。27、8年ぶりではないか。彼女は私に借りていたレコードが気になっていた、ということで、浴衣と下駄のプレゼント。さらにお手製の唐墨までいただく。 知り合ったのはお互いが23、4歳の頃で、当時私は西葛西の工場のプレハブに畳を敷いて、1個140円で物干を溶接しながら暮らしていた。160円になるという話もあったが、刑務所で同じ物を作っていたので叶わなかった。あれは2回目の個展の頃で、金がなく、一日豆腐1丁と白菜を、真夏の冷房もない昼間、私の猫舌を利用して?わざわざ鍋にして食べていた。Iさんは豆腐の空いたパックが縦にうずたかく積まれていたのを覚えているそうである。80年代の始め頃。あの頃の無責任な時代は、今にしてみれば実に貴重な時代であった。思い出話はつきない。 そういえばIさんがバイトしていた麻布十番のおでん屋、今はないけど、向かいで友人がプリンターをやっていて、という話から。バレリーナの森◯洋子が小ちゃい身体でスピリッツをガブガブ飲んでたよね。あのビレッジシンガースの林ゆたかそっくりの店長は?と聞くとIさんの友人と結婚したけど亡くなったという。その友人は元SKDで、今はシャンソン歌手だという。驚いたことに、なんと私と同じマンションの4階に住んでいるという。美人親子で娘はライオンキングにも出ていたらしい。そういえばエレベーターに、長澤まさみみたいな娘が乗って来た、と河本で話した記憶がある。あの娘?

返って来たレコード。『JIMMY WITHERSPOON AT THE MONTEREY 』『 T-BONE WALKER 』『BBKING LIVE AT THE REGAL』『 GERRY MULLIGAN QUARTET PARIS CONCERT VOL2 』『吾妻光良 アンドスウインギン・バッパーズ』

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眠い中横浜へ。依頼されていたドライフラワーの撮影。主に自然光で撮る事になっているが、変わった作りの部屋で、外からの光に表情がある。時間により撮影場所を移動しながら撮る。これは私が常にやっていることで、合成の場合、背景と成る写真とできるだけ同じ質、同じ方向の光を主役の人形に当てなければならない。そのため、部屋のどの場所に持って行けば、どういう光が人形に当たるか把握している。後はデジタル処理といっても、切りとって背景に貼付けるだけである。 三脚を使ったのは何年ぶりであろうか?デジカメに転向してからほとんど使っていない。レフ版もウソをついているような気がしてめったなことでは使わない。そもそも主役の被写体が実物でなく、私の頭を通過したウソ八百なので、その撮り方は正直にそのまま撮りたいと思っている。ウソをつくには本当を混ぜるのがコツであるが、ウソが上手くつけた時ほど撮り方は単純素朴に行った方が良い。ウソにさらに嫌味が出てしまうのは避けなければならない。 初めて聞く駅の近くで打ち上げ。料理は美味かったが、こちらで話しているのに主人が向こうから割り込んで来る。こういう時、早く隅田川の向こう、江戸城の近くに帰りたくなるが、人身事故で最終電車にかろうじて。

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本日は『ジャイアント馬場展』に何を出品するか悩みながら目が覚めた。(もちろんそんな展覧会などない)悩まされた夢であるが、ようやく資料館の個展から離れ始めた感じがする。 午後二時に母を連れ、霞ヶ関の弁護士会館へ。TV関係のカメラ、車が集まっている。キヨハラのことらしい。本日は何人もの方々に集まっていただいたが、短時間で無事終わる。 帰りにサイゼリヤで食事。母はここのエスカルゴがお気に入りである。食事に関しては親族みな保守的だが、母だけなんでも食べる。好き嫌いの多かった父の手前、私に食べさせる、という名目で(実は本人が食べたい)初めて導入された食材は、私はすべて覚えており、そのまま私の好物となっているから、食の傾向は母と似ている。面倒な事がおおよそ終わり、ホッとして少々飲み過ぎて帰宅。期限が迫った原稿を書き、そのままK本に。そして『貝の穴に河童の居る事』に出演いただいた“長面の夏帽子”と“桂井館の番頭”お二人とT千穂に。母も合流しまた飲酒。こうして元の日々に戻って行くのであろう。

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K本に1時間ほどいてT千穂に顔を出すが、今日は閑散としていた。カウンターでスポーツ新聞を読んでいるうちに眠くなる。相変わらず一日寝たり起きたりである。10時に店を出て、コンビニで買い物を済ませ帰る。ポストを開けるとメモ用紙。懐かしいIさんではないか。個展に来てくれたそうである。 知り合ったのは20代、彼女は六本木の交差点近くに住んでおり、皆で集まり朝まで飲んだものである。ある晩トランプをしていて美味いドライマテイー二を作ってくれた。あまりに美味かったので、後にそれをいうと「面倒臭くなって、途中から石塚君飲んでたのただのジンだったの」。そうなの? 彼女は背が高く、シド・チャリシー並の脚線美を誇っていた。 あるとき右手の平にほくろができた。たまたまTVで恐ろしいほくろの癌の特集を観ていたので、彼女の飲み友達の某女子医大の医師に訊いてもらった。彼女の返事はアッケラカンと「もし癌だったら右手切断だって」。後から思うと飲み友達というのがいけなかったのだが。その医師に見てもらったらその場で試験切除。周囲の友人には、左手だったらオプションでフックやナタをネジで取り付けられるようにするけど右手じゃなあ。作れなくなるなら生きてたってしょうがない。さらに試験切除で癌細胞が活発に、というのを医学書で読み落ち込む私。 1週間後に結果を聞きに行くと医師の表情が重苦しい。「Iに脅かしといてっていわれちゃって笑」。『ヘタクソな縫い方しやがってこのヤブ医者!』いくら脚線美を誇るからって、やっていいことと悪いことがある。“都合の良い時また来ます”メモを見ながら昔のことを懐かしく思い出した。

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個展の間借用していた小津安二郎像が収蔵されている、古石場文化センターの図書館へ。しかし寝てしまう。どうも個展以来、体内時計がおかしい。普通はアルコールで調子が戻るはずだが、なかなか元に戻らない。 会場には入場者をカウントしている方がいて、「千人超えました」といわれた時、「何日目でしたっけ?」と聞いたらその日だけだといわれ、あのあたりからおかしくなった。会場と控え室を行ったり来たり。控え室で息を吸って会場に、息が続かなくなったらまた控え室へ。まるで樽の中の泥鰌である。普段たいして人と顔を合わせないものだから調子が狂うのは当たり前であろう。当初会場の隅で座って本でも読んでいよう、と思っていたが、邪魔にならないよう移動しているだけで人見知りの私は疲れてしまった。しまいに総入場数6810人がさらに効いた。 どうもギックリ腰の時のように、安静にしているしか策はないようである。

 

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相変わらず明日の作業は、ウームと考えながら目が覚めている。未だ成仏していない気分である。 午後になり、近所でポスターを貼ってくれたりチラシを置いてくれた店にお礼参り。今回は、どう考えても私の作ったような作品に興味がないであろう地元の方々に、遠くまで足を運んでもらうという心苦しさがないのが良かった。 私の場合、人形のサイズから離れて拡大し、別の印象を受けるプリントになった。ここを展示の効果を含めて考える必要がある。大きい画面には余裕があれば込められる物もさらに多くなるだろう。絵金のように、一画面に起承転結などストリーを込める事も可能であろう。円谷英二のプリントは、勝鬨橋に絡み付く大蛸の脚の下を、自転車に乗った人がくぐろうとしている。怪獣映画の冒頭に登場する最初の被害者のようである。消さずに放っておこう、と思った記憶があるので知ってはいたが、男なのか女なのか。とか買い物でもしにいくのだろうか?などあのぐらい拡大されて初めて思った。プリント紙はロールなので一方には長くできるな、とか、それこそ屏風絵のような展開も可能だろうな、と焼き鳥を横ぐわえする。

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