明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



乾燥も85パーセントというところだろうか。スイカではないが叩けばだいたい判る。右手と帽子以外は仕上げを残しておおよそできる。右手に台本を持たせるかどうかを決めないとならない。帽子はトレードマークといえる、あの白いフニャフニャした帽子が有力だが、私はあの帽子が好きでないのだろう。小津は深くかぶるものだから、せっかく作った頭部が隠れる。と未だせっかくなどと未練がましくいっている。いっそのこと無帽で、と考えるが演出中は常にかぶっている。いやたまたま被っていない瞬間だってあっただろう。佳境に入ってくると、悩み事もばかばかしくなってくる。 明日には乾燥も終わり、仕上げを始めることができるだろう。 松竹のOさんにお会いしたのでDMを渡す。青木画廊は近いし松竹の人にも来てもらいたいものである。タイトルは『Low position』としたい。

青木画廊サイト。小津安二郎像に写真2点出品だが、小津は出来ていないのでアラン・ポ一を。
開廊55周年記念「眼展2016Part1〜妄想キャバレー〜」銀座青木画廊
2016.11/05(土)~2016.11/18(金)

アートスケープ 展評『深川の人形作家 石塚公昭の世界』


HP 

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一日  


有楽町から京橋に移転したラボにプリント2点受け取りに行く。白髪のベテランみたいな顔をした人物が手袋をしてプリントを袋に納めようとするが、要領悪くペナペナさせるから大丈夫か?と思う間もなく厚紙をプリント面に入れようとするから「てめえ素人か!裏面に入れろ」と思った。注意すると「あ、すいません」。ここのラボとどういう関係の人物かは知らないし、白髪になるまで何をしていたか知らないが、移転したフィルムメ一カ一のラボに、ネクタイこそしていなかったがス一ツ着て対応するのだから通りすがりの人物ではないだろう。もうそろそろなのかこの業界? その足で新宿の世界堂へ。例によって苦手な額選び、マットの選択。方向音痴の私が道を聞かれた時と同様、知人から頼まれたよく判らない人、という演技プランで売り場のお姉さんに相談しながら決め、私がやればホコリが入るに決まっているから、画廊への発送までを依頼して帰る。 酒場にク一デタ一が起きて行き場を失った連中が洲崎に集まりブチブチいいながら飲む。平家の落ち武者もこんな感じで飲んだに違いない。

青木画廊サイト。小津安二郎像に写真2点出品だが、小津は出来ていないのでアラン・ポ一を。
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2016.11/05(土)~2016.11/18(金)

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昨日母無事退院。母の場合聞いていたより回復が早いようである。。良いといえば良いが、見えるようになって活動範囲が広くなっても困る。 小津安二郎は手足を残し乾燥する所まで来た。一度乾燥させ、乾燥していないと出来ない部分を作り、仕上げに入る。ソフト帽か例のフニャフニャした帽子にするかは最後に決めたい。帽子はひさしのおかげで顔が影になる。ライテイングによって表情を出したい私としてはあまり具合が良くないのである。というところにきて乾燥機壊れる。“おいこら、わざとやってるだろ?”窓から天を見上げる私。どういうわけだか作る事に限ってせっかちになる。作る気を阻害されると血圧が上がる。しかし若い頃と違っていつまでも壊れた乾燥機をぶん投げたりしているわけにはいかない。腹いせにドラマ『運命に、似た恋』を一気に観てやった。

青木画廊サイト。小津に写真2点出品だが、小津は出来ていないのでアラン・ポ一を。
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2016.11/05(土)~2016.11/18(金)

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母が白内障の右目の手術のために入院。一人で行くといって聞かない。息子に付き添われて行くのがみっともない、と思っているのである。おかげで助かる場合も多いが、結局ややこしいことになって私の出番を増やすことになったりもする。まあタクシ一でワンメ一タ一ちょっとの場所であるし、検査含めて何度も行っており、病室も決まっているので勝手に行かせることにした。 昨日は小津安二郎、最後にもう一つピリッとしたいために、小津コ一ナ一のある古石場文化センタ一に行き、俳優、スタッフのインタビュ一をかたっぱしから読みまくった。私の制作方法は、頭部を作るため写真資料は当然必要だが、あとはむしろ様々な文章を読むことに費やす。だからといって出来上がりにどれだけ影響するかは良く判らないが、そうしないと安心できない。一人の人物を知る、などということはそう簡単なことではないが、やれる範囲でやっておきたい。 母もいないし、そろそろピッチを早めなければならない。明日中に乾燥まで持って行きたい。 エドガ一・ポ一を作っている頃だっろう。水漏れだか雨だれの音がずっとしているな、と思ったら、私の鼓動の音だったことがある。まるでポ一の『告げ口心臓』である。本日夜中に屋上を歩き回っている奴がいるな、と思ったら久しぶりに私の鼓動であった。幸い2時間程で“行進”は終わった。

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帽子はまだ決まらないが、小津安二郎の着衣は三つ揃いに決まる。ワイシャツ姿より、こちらをやりそうだな、と薄々感じてはいたのだが。 作家シリーズに転向する前、長らく架空の黒人ジャズマンを作っていた。一番影響を受けたのはブルーノートレーベルのレコードジャケットである。フランシス・ウルフの写真にリード・マイルスのデザイン。おでこでカットしてしまうようなトリミングに、二人はよくケンカしたそうである。リード・マイルスはジャズ好きでもなんでもなかった、というのも後にびっくりしたが。 細いネクタイにスーツ姿。5、60年代の禁欲的にも見えるジャズマンの姿には痺れた。リラックスしてネクタイを緩めている人物を作ろう、と何度かトライしたが、そのダラしなさに耐えられず、きちっとさせてしまって私の記憶では一度も作れなかったと思う。 演出中の小津も、ネクタイ緩めてシャツのボタンをはずして、が我慢出来ず、ということが起きやしないか。若干思わなくもなかったがジャズマンではないし問題はないだろう。 それにしてもこれは作者は作者、作る作品は作る作品、あまり関係がない、という話しである。

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白い帽子にワイシャツ姿、三つ揃いにソフト帽かハンチング、どちらかにしようと思いながら作り進めている。もう分岐点に来ており、ここで決めないと進められない。 パソコンの上の棚に置いてある、先日骨董店で買った博打用の壺に目が行く。ちなみに私はパチンコすらやったことがないが、内側に張られた草双紙かなにかがリアルでつい買ってしまった。しかし幸いにもサイコロをまだ買っていなかった。買っておけば良かった、と思わないでもないが、いや買おうとしたが、近所のどこでサイコロを売っているのか判らなかった。そんなことで決めるわけにはいかない。

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小津はべったり座らせるつもりでいたが、長時間演出するのにそれでは具合が悪いだろう、と急遽座布団に座らせることにした。写りもしないタンスや机の抽き出しに、ちゃんと小物を入れておくようなこだわりの人物だから、先日書いたように、◯◯は絶対しなかった。なんてことがありそうだが、検索したらちゃんと座布団を敷いている写真があった。 先日、三遊亭圓朝に座布団に座らせたばかりである。これは高座ということもあり、お行儀よく座らせたわけだが、どうもそれでは面白くない、“現場”という空気も出したい。そこで高さの微調整のために座布団を二つ折りにしている、というのはどうだろうか。だったらスタッフが座布団をもう一枚用意しただろう。ならば二枚重ねはどうか。しかし絶対、座布団は二つに折ったり二枚重ねなかった。なんてことも・・・。いい加減にしておこう。あくまで私の創作物である。

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私の作品は写真撮影が主の場合は、例えば手塚治虫がジェットエンジンの翼をつけて飛んでいる、などという物を作ったりするが、ほとんどがただ突っ立って無表情である。それは黒人のジャズシリーズを制作していた当時、“何かをしている”より何もさせない方が、観ている側のその時の気分によって様々に見えて来ると思ったからである。それは後にそれを被写体とするようになり、撮影現場の状況照明の状態によって違って写る、というメリットが生まれた。 制作中の小津安二郎はローアングルで演出中、という設定で、めずらしく座り込んでいる。小津に関してはこれだけはやってみたかった。いつもと勝手が違うので、ワイシャツ姿にするかスーツ姿にするのか、前回と同様カーデイガンにするのか、まだ決まらない。私の場合、頭部以外は、よほど独特の格好の人物でない限り写真資料を参考にすることはまずない。よって有名なローアングルの小津、といっても、写真に残されている小津とかぶることはない。それらは撮影した写真家のものである。 例外といえば、例のフリーペーパーで『坂本龍馬と大手町を歩く』という、恐れていた侍を現在の風景に、というお題に、例の腕組みスタイルで江戸城は大手門に立たせ、外国人カップルやはとバスツアーなど江戸城に出入りさせ、龍馬に『よけいなことをしてしまった?』みたいに反省させてやれ、と。トンチでも効かせないと私の腕力ではとてもとてもなお題であった。


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撮影  


小津安二郎の1作目は交通局が出していたフリーペーパーの表紙用に作ったのだが、特集場所が決まると、ロケ地など自分で探すのが大変であったが、自分で決められる良さはあった。一応アイデイアが浮んだ段階で編集長に進言してみるのだが、最初に浮んだのが小津映画の常連の佐田啓二の変わりに、そっくりになってきた息子の中井貴一を演出している小津安二郎であった。中井貴一がどのくらいシャレが通じる人物なのか判らなかったのと、小津の頭部が出来ていれば自信をもってお願いができたかもしれないが、小津を作りながらロケ地を探しながら、と考えると時間その他確信が持てず、編集長に進言することなく終わった。 許可を取るのは編集長ということにかこつけ、谷崎潤一郎特集のときは、特集場所近くの明治座で『細雪』が上演されることから、出演者の高橋恵子、賀来千賀子、紺野美紗子、藤谷美紀の元に陣中見舞いに訪れ真ん中に挟まれる原作者の谷崎先生、というのを考えたが、その時期に着物の“完全武装”で4人が集まることがないので実現しなかった。三島由紀夫と格闘家山本キッドの共演は実現したが、配布直後にキッドの再起戦があることを踏まえたのだが、たしかケガでなくなった。三島と“例の4人”を密かに設定していたが、セコンドがこの人数ではおかしい、とキッド選手からもっともな忠告。4人を保ちたい私は道場破りが来た、という設定に。キッド選手には、三島の後頭部がくるあたりを見つめてもらったが、編集長はキッド選手にファイテイグポーズをとらされ、みんなに睨まれるはめに。私は申し訳ないわ可笑しいわで、振り返ってファイテイグポーズをとってる編集長は見れなかった。



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だいたい母とは一日一度は揉める。時に激烈であるが、怒りが長続きしない、という所は親子共通である。本日は左目の術後の検査と、右目の手術の事前検査であったが、母が予定表その他書類一式を離そうとせず、危なくすっぽかすところであった。実は別の病院で一度すっぽかしている。今日は検査ではなくデイサ一ビスの日だと母ゆずらず、行きのタクシ一の中でもケンカ。ドライバ一が女性だったこともあり、母が「どう思います?運転手さん。」「仲がよろしくて。」「そういう風にみえるのかしら?違うのに。」「そういうしかないだろ。」 結局なんとか検査に間に合う。先日の手術は上手く行ったようで、母も「よく見えます。有難う御座いました。」手を合わさんばかり。外ヅラだけは良ろしい。検査室を出たとたん「ほら見ろ、右目の方手術できないところだったろ!」と私。それでもなんだかんだ往生際の悪い母である。 今日は朝のどさくさもあり、デイサ一ビスで食事をするつもりだった母は何も食べていない。私もだが。母は87とはいえ、女性の一種とするなら、こういう場合、何はともあれまず血糖値を上げることが先決である。タクシ一で地元の中華屋へ。みるみる機嫌の治る母。先ほどのケンカはすっかり忘れ、乃木大将とステッセル。「今日はもう一言も喋らないでくれない?小津作るから」。無理な話しであるのは判っている。

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今日たまたま小津安二郎の生誕地のプレ一トの前を通った。しょっちゅう通るのでいまさら読むことはないが、通り過ぎて何だか嫌な予感というか、カサカサッとしたものが残った。 脚は大分楽になり、未だいくらか赤くはあるが、パンパンに腫れていたのが、収まってきた。ただ無意識にかばっているせいであろう、歩いていてたまにベンチやフェンスに座ったりもたれたりしないと腰にくる。 帰宅後制作を再開。再開の前にたまたまウイキペデイアで小津の没年齢を知り、先ほどの嫌な予感の原因を知る。小津安二郎!老け過ぎじゃないのか?貫禄有り過ぎである! 小津の生誕地プレ一トから数十メ一トル先に、松尾芭蕉が杖付いて腰を下ろしている銅像がある。松尾芭蕉を作る時、またその先の深川図書館に通いながら、松尾芭蕉の前を通る度、私より年下のくせしてなんだその爺いぶりは!怒りの矛先はさらに全国のすべてのいい加減なヨボヨボ爺いの芭蕉像に向かい、芭蕉の生前、間違いなく面識があった3人の弟子が描いた芭蕉以外は、たとえ与謝蕪村だろうと完全に無視してやった。

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それにしても風邪でクラクラして真っ暗だったとはいえ、部屋で転んで怪我とは相当情けない。先生は「お酒はあまり飲まれないんですよね?」「たまに少々。」「たまに飲まれるんですか?」怪我で来院するとは思わなかったので、つい演技プランを忘れていた。怪我で病院は高校生以来なので、大台を目の前に反省しろ、ということであろう。強い抗生剤が効いてきたようで明らかに昨日とは違う。 小津安二郎は仕事中、白いフニャフニャした帽子を愛用した。夏用に見えるが、冬でも被っている。小津の生誕地に近い、江東区の古石場文化センタ一に小津コ一ナ一があり、小津像が収蔵されている。その時、帽子有りか無しかを担当者に訊いたところ被っているところが良い、ということになった。私が作った帽子は粘土制なので、ギリギリ薄く作ってある。着脱可能といえば可能だが、他人が上手く被らせることはできないだろうと、被らせるなら取れないように固定させた。 今回もせっかく作った頭の形が隠れてしまうが、プライベ一トでなく演出中なので、帽子は被らせることになりそうである。またあのフニャフニャ帽にするべきか。それにしてもせっかく作ったのに、などといっているようでは私もまだまだである。

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右脚の、膝から下の腫れが引かない。歩く事はできるのだが、整形外科でもらった抗生剤があまり効いていないようである。無意識に脚をかばい腰に来る。 今日が最終日。銀座青木画廊の四谷シモンさんの個展へ。青木画廊では何度か拝見しているが、何十年前だったか、観終わって画廊の外へ出たら、黒のロングコ一ト姿のシモンさんがみえた。引き返し、著書にサインをいただき、機械仕掛けの少年のクランクを自ら廻し、動く所まで拝見した。 球体関節というものは、人形の客体生を象徴しており、ゆえにエロチックであるが、作りたい表現したい、という作家自身の欲のせいで、やかましく、ただそこに在る。とはなかなかいかないものであろう。本日は無音の世界を堪能する。シモンさんとお話しすることもできた。深川に住まわれていたことは知っていたが、小学校が祖母と河本の女将さんと同じだと知った。近くのAkio Nagasawa Galleryで『四谷シモン+細江英公、沢渡朔、加納典明』展を観て、予約していた医者に行くと蜂窩織炎との診断。小錦が罹ったやつではないか。整形外科で貰った抗生剤より強い物を処方してくれた。

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母左目の白内障の手術を終え帰る。良く見えるようになったという。鏡は見ない方が良いと思うよ、といっておいたが。シワの数を数えていたら、よく寝られるだろう。 昨日の小津の表紙の背景は、小津映画にも登場する聖路加病院である。母はここで生まれており、撮影している私のすぐ後ろの小学校を卒業している。アメリカが建てた病院なので、この辺りは爆撃しないとビラがまかれ助かっている。この表紙を見ながら話しをしていて、ここは死んだ人が運び出される側で、小学生時代よく見た、と必ずいう。そういう余計なことをいうんじゃない。現在の聖路加で画になるのはここしかないのである。 小津を作るために小津映画を片っ端から観てハマってしまったが、高校生の時、銀座の並木座で『東京物語』を観て、イライラして耐えられずに途中で出て来た。窓から手を伸ばせば隣の家を触ってしまうような葛飾からわざわざ銀座まで出て来て、全員が気を使い合っているような映画なんか観てられるか、ということだったろう。  

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制作中。地べたに座って演出中のところを一度作りたかった。小津といえばロ一アングルである。谷崎潤一郎がその人物描写から“小説界の圓朝”と呼んだ里見弴。そのご令息が小津組のプロデユ一サ一だった山内静夫さんで、小津の服装の趣味、特に色を伺ったらグレ一の色違い、と教わったのは何度か書いている。お会いする機会がなかったら茶系にするつもりだったので、とんだ大恥をかくところであった。この“◯◯は絶対しなかった”的なことがありそうな人物は、実に危ない。伝記などでそんな事実を知るたび胸をなでおろすのである。そんなことをいいだしたら切りがないが、小津がグレ一ばかりだった、と知る人からすれば、茶色づくめの小津はヘンであろう。やれる範囲で、ということだが、二回目の個展で、女の子が私が作ったピアノの鍵盤を数えているのを見たことが大きい。まあ、数えないと判らないんだったらいいじゃないか、と思わないでもないが。小津映画に登場するホ一ロ一の赤いヤカンは有名だが、山内さんは「ヤカンは赤」とおっしゃった。小津にヤカンを持たせそうなヤツだ、とバレたのかとドキッとした。



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