明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



91年に『野島康三』という人物を知り、当時廃れていたオイルプリントという写真技法を当時のテキストを元に試みた。この技法は大正時代に全盛を迎える“芸術写真”の名の下に制作された技法の中の一つである。当時芸術写真の手本となったのは印象派の絵画であったが、芸術々とことさら強調する当時の写真作家には、画家および絵画に対するコンプレックスを感じることも事実である。良い作品=志の高い作品と必ずしもいえないだろうが、志が高いと思える作家は少ない。後に土門拳などのリアリズムを追求する若い新興勢力に、絵画を真似る老人のサロン的写真とみなされ衰退していくのも、私には理由があったと思える。その中でも、あらゆる意味で傑出していたのが野島康三であろう。  先日、田村写真の田村さんに興味深い話を聞いた。レンズというものは時代により設計、ガラスの成分など発達していったわけだが、ある時代の技法には、その時代のレンズが、技法の感光性とベストマッチである、という話である。つまり古くてロクな性能でないと思われたレンズが、同時代の技法に使用すると、ベストのマッチングを見せるというのである。実に謎めいた話である。 しかしそうであるならば、写真家と被写体も同時にベストマッチだった、ということも有り得るのではないか。野島と同じことをして現代人に勝ち目があるとは思えないのである。 博物館に行けば一目瞭然であるが、先達の教えを次代に伝えることを繰り返している割には、昔の作品より現代の作品が優れているということはない。むしろ逆の場合が多い。これは全くの独学者である私には頼もしい現象であるが、ひょっとして次代には超えられない、ベストマッチの壁のようなものがあったとしたらどうであろう。 私にとって幸いなのは、野島が人形を作って撮影した話を聞かないことである。

『貝の穴に河童の居る事』産経新聞書評

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現在プリント6点展示中の金沢『泉鏡花記念館』で鏡花が愛蔵したキノコ図鑑『菌譜』が展示されるそうである。学芸員のブログには、潔癖症の鏡花は、麹町土手三番町の家では湿気でキノコが生えて辟易したと書いているのにキノコ図鑑を愛でるという矛盾~と書かれていた。やはりそうなのである。『貝の穴に河童の居る事』には潔癖症のわりに河童や血みどろの大魚イシナギの生々しさが印象的である。なのでこの2点にはこだわった。河童の撮影用には、用途は不明であるが某ローションを入手し、大魚は大きさはともかく、東北の鮮魚店から捕りたて本物のイシナギを入手し、血糊にもこだわった。明らかに鏡花は、気持ち悪いからこそ書く分には楽しそうだ、と私には思えたのである。このブログを見て納得した次第である。時間が揺れ動くような、鏡花の表現のやっかいなことに少々むかついて、河童に鼻水垂らさせ、鏡花の大嫌いなハエをとまらせたのは、私からのサービスとしておこう。

昨日のブログを見て友人から電話。「誰だお前にまだ女房をもらえとかいってる奴は?」「俺は孤独だなんてまったく気付いてないのに、女房もらって本格的に孤独になっちゃってどうすんだよ。」「ホントだよお前。」

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コーナンで買い物をしていると『貝の穴に河童の居る事』を見てくれた知人から電話をもらった。細かい表現は忘れたが、要はこの作品が、孤独の中で成した成果であることが物凄く伝わってきた。というのである。私はドリルの歯やペンチなどが入った買い物かごをぶら下げており、意外な評に虚をつかれてしまった。好色で自分勝手な河童がジタバタする作品に対して、そんな意見を訊くとは思ってもみなかった。 確かに男は人が見ていないところで何をしているかが肝心である。と常日頃考えているが、しかしそれは、人に見せているところなどロクなものではなく、閉じこもって一人成した結果に肝心なものがなかったら、私など話にならないのであるから当然のことである。氏は長年私がしてきたことを、ずっと見てきてくれている上で、そう感じてくれたのであろう。知り合いの若いアーティストに伝えたくて一冊送ったと聞いた。少々照れくさかったが、そんな見方をしてくれる人がいる、というのは嬉しいことである。 「後は選り好みしてないで嫁さん見つけることですね。」 ガムテープと紙ヤスリ買ってとっとと帰ろう。

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26日近所の方々と母と東京国際フォーラムの岩崎宏美さんのコンサートへ。台風もそれ、風邪気味であったが咳がでないのが幸いである。一部はヒット曲中心に、第二部は『命の理由』から。手話を使うこの名曲は毎回特に楽しみなのだが、隣の80過ぎの老母には特に沁みるようで、このあたりからずっと鼻をすすりっぱなしであった。ここへきて、母にもこんな楽しみができて良かった。今度は御主人の今拓哉さんの芝居であろう。 

27日。T千穂の常連、2人のトラックドライバーとのスタジオ練習。森下文化センターに到着後、まず昼食へ。途中コンビニで産経新聞を買う。“写真が醸す滑稽さと幻想性”『貝の穴に河童の居る事』が書評欄に。私が過去に手がけた作家まで列挙され、有難いことである。 YさんがワンタンメンをまるでTVCMのような見事なすすり様である。メンバーの二人は、年齢は違うが、中学、高校時代にギターを持って友人と集まっていた頃を想い出させてくれる。練習の合間の中華屋で、猫舌の私はいつも「ゆっくり食ってくれよ」といっていた。 三人のうち私とYさんが風邪で調子が今一であったが、下手糞は相変わらずではあるが、足並みは多少そろってきた感じである。その後地元へ帰り、数時間後あらためて居酒屋へ集合。Yさんの奥さんや、明日から定年退職した会社でアルバイトを始める人物と乾杯。その人物には、会社の制服着たまま道路の植え込みで朝まで寝てたら迷惑かけるから、飲むなら制服を脱いでから、といい含める。 医者に食事は一日三回しろ、といわれて続けていたら、かえって体重が増えてしまった。かといって目的がないと出かけらず散歩が苦手である。高い塔の上から下々の暮らしを望遠鏡で眺めるならまだしも、そもそも景色を愛でるという趣味がない。だったら天井のシミでも眺めていたい口である。明日からなるべく遠くの図書館へ通うことにする。

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悪寒が走って急に熱っぽくなるような風邪は、気づいた時点で陳健一の麻婆豆腐を食べて寝てしまえばなんとかなるのだが、喉から来る風邪は数日かけてしっかりひいてしまって治りにくい。横でタバコをやたらと吸われ、そのせいで喉がへんだ、と思っていたら風邪であった。横でタバコを吸っていた人物はその日バチが当たり、目が覚めたのは朝七時過ぎ。永代通り沿いのツツジの植え込みの中、靴も脱げた状態だったという。誰も起こしてくれないと文句をいっているから呆れたものである。通勤者からすれば枯れ木じみた死体に見えたことであろう。かかわりは避けたが、あれは生きていたのか死んでいたのか、その日のニュースを気にした人は一人や二人ではなかったろう。

『貝の穴に河童の居る事』の出演者のお一人が、春まで同じ職場だった女性に拙著発刊をお知らせいただいたそうだが、「それにしても河童が怖すぎる」と返信がきたという。表紙だけ見れば「見たな?」といういかにも恨めしげな河童であるが、そいつの腕を自分がステッキで折ってやったのだ。ということまで知らせないと“片手おち”であろう。本日発売の『SFマガジン』ブックレヴューには『人外のものたちが何と生き生きとして愛らしいことか』と書いていただいている。当初不気味な存在として描くつもりの河童が撮影してみたらとても“娘の尻を触ろうとして怪我して神様に仕返しを頼んでいる”ようには見えない純真な表情に、急遽キャラクターの変更を迫られる、という、制作者として、今後に影響しかねない経験をしたのであった。

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読書  


久しぶりの深川図書館である。ここは松尾芭蕉を作っている時、そばに設置してある芭蕉の銅像の前を通りながら、弟子の描いた肖像画をまったく無視した老いぼれで、私より年下なのに何だこの老人は!と憤慨していたのを思い出す。三島由紀夫のオマージュ“男の死”制作の時にもよく通った。 某作家の全集に収められた中から未読の作品を読む。読書中、映像が浮かび続けるのは子供の頃から相変わらずであるが、どうもそこに、それを作品化しようと企むもう一人の私がへばりついているような気がする。なんでそう思うか、というと、目は次の行にいっているというのに、頭の中のイメージは前の行に留まり、主人公の男の、畳に座る尻の形などを目で追って観察しているのを感じるからである。といってもそれはわずかな時間で、文章を音読するとき、発音している時には、すでに目は、少し先の文字を追っているが、あんな感じといえば良いだろうか。もう純粋に読書を楽しむことはできなくなってしまったのか、と考えると少々薄ら寒い気がするが、私にとっての読書が風景画家のスケッチ旅行のようなものだ、と考えれば、気にすることもないであろう。私としたことが、少々スカしたいい方をしてしまった。どうも風邪をひいたらしい。

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ギターのトーンコントロールが効かず耳障りなので、コンデンサーを換えるためハンダごてを買う。ハンダ付けは中学の技術家庭の授業以来である。私はのこぎり一つまっすぐ挽けないぶきっちょである。エレキギターを月賦で初めて買った中学の時は、アンプまで買えないのでレコードを聴く、いわゆる電蓄を代用したのだが、機械音痴の私が加工したゆえ、まったく信用できない。大丈夫だと思いながらもエレキギターの仕組みも理解しておらず、感電死したミュージシャンが結構いたので感電が恐い。学校から帰ってきた妹に「ちょっと弾いてみな?」。ひどい兄である。怪しんだ妹は触ろうとしなかったが。コンデンサー交換など私にやれるのであろうか。  体調が悪いのと、私の「あんたアル中だよ」。のメールが効いて安静にしていた某人物が、T千穂にてとなりで「今日は絶好調」といっていた。なんということはない。アルコールという麻酔が効いているだけの話である。そして今日も出ました。「みんな言わないだけで男はみんな女が好きなの!」女将さんにいっている。『貝の穴に河童の居る事』の中で、河童の三郎が海岸で娘が脱いだ足袋の中に隠れ、娘の白いふくらはぎに見惚れる話に、鎮守の杜の翁が「ちと聞き苦しゅう覚えるぞ。」そこで三郎はいう。「口へ出して言わぬばかり、人間も、赤沼の三郎もかわりはないでしゅ。」私が鏡花だったら取材の謝礼を払うところである。かくいう私も三郎の額の二本の皺はこの男の影響であろう。近所に男のイニシャルがあったら当ブログを読むという人がいるので、イニシャルはできるだけ書かないようにしている。  書評のメルマガを見たら蕃茄山人氏に「書評で巡る、男の生き様劇場」で『貝の穴に河童の居る事』を取り上げていただいていた。http://back.shohyoumaga.net/?eid=978978

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何度か書いたことであるが、私は子供の頃、頭の中に浮かんだイメージはどこへ行ってしまうのだろう、と不思議でしょうがなかった。間違いなく在るのに。それを取り出し可視化し“やっぱり在った”と確認するのが私の創作行為といえる。そういう意味では『貝の穴に河童の居る事』はおおよそ私の頭の中に在ったそのままである。しかし頭の中に在る物に満足していれば、じっと目を瞑っていれば良いことになりかねない。 動かない人形を撮影の対象とする場合、画面に動きを与えるため、私のコントロールの及ばない偶然の出来事を積極的に取り入れてきた。今回素人の皆さんに演じてもらったくだりは、人形に徹してもらい一挙手一投足、それこそ小津安二郎のようにすべて支持するつもりでいた。そもそも単なる素人に演技を要求するなど酷であるし申し訳ない。しかし始めて早々、この人たちにも私のコントロールの及ばない領域を担ってもらうことに決め、こうしてくれなければどうしても困る、という箇所以外は最小限のイメージを伝えるだけに留めた。そうして何かを“しでかして”くれることを待つことにした。 作戦変更を決めたのは旅館の部屋に※大魚が放り込まれるシーンの撮影時である。動きの中心となる芸人夫婦は各々4、5カットしか撮っていない。これ以降も撮影時間は短く、シャッターを切った回数も少ない。私にとってのカメラの使用方法を再認識し、頭の中に貼りついたように存在したイメージに動きを与えることができたように思う。 ところで編集者とは、当初カット一つ一つに使う使わないでバトルを繰り広げていたが、ある時点で編集者も私のコントロールの及ばない偶然を担う部分と考えるようになった。以後一切任せっきりにしたが、結果、良い意味で私がイメージしていた書籍と一味違うものになった。

※背景は合成であるが、『江戸東京たてもの園』に移築されている旧高橋是清邸である。 この奥の部屋で226事件により是清は暗殺されている。 

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小学、中学、工芸の専門学校の先輩であるSさんと会う。地元で陶芸をやっていたが最近引退した。夫婦そろって趣味三昧で、Sさんはもっぱら賭けない吸わない飲まない健康マージャンだそうである。Sさんは酒を飲まないので喫茶店かと思ったら、ここは喫茶店に行くより安いのだ、とカラオケ店へ。 『貝の穴に河童の居る事』の制作時の話をする。Sさんには学生時代には粘土の菊練を教わり、この間、世界のこんなところにも日本人が、みたいな番組に登場したもう一人の先輩と廃村で一年暮らしたくらいで、私の陶器で手捻りした最初期の時代から見ており、ブルースシリーズを一体所有してくれているし、すべて把握してくれているはずなのだが、柳田國男扮する、灯ともしの翁を人間だと思っていたので驚いた。Sさんがそう思い込んでいるくらいであるから、亡くなって50年経っており、仮に生きていたとしても、こんなことをするわけがないことを知らない人は、人間だと思っているのであろう。後書きに書いておいたし、神官の装束はどうみたって粘土なのだが。もっとも手足は近所のヒマな酔っ払いの手足を合成している。これも誤解させる原因であろう。制作中のブログでは、たびたび書いていたのだが、よりによってこの人物を柳田の手足に使った、というのが、いかにも失礼な気がして最近は封印していたのである。 そんな話をしていたらSさん、マージャン仲間に誘われカラオケにはまっているというので驚いた。私も自分がカラオケで歌うことになるとは思わなかったがSさんはそれ以上である。ノートにレパートリーがずらりと並び、おまけにカラオケの音程を変える度合いが数字で書かれていて呆れた。この二人がカラオケで歌う日が来るとは思わなかった。もっとも、以前のSさんを知らなければ、どれだけ意外であるか判らないのでこの辺にしておく。柳田の手足の件も、どんな人間を使ったか私が黙ってさえいれば良いことである。

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台風が近づいているとも知らず、洗濯物を干しっぱなしで実家に二泊。実家に帰るのは正月以来である。1時間もかからないが、実家ほど戦闘的意欲をそがれる場所はない。母とは会うが家には寄り付かなかった。 一泊目は小岩のFさんと喫茶店で会う。地元でジャン・コクトーの音楽関連イベントをシリーズで主催したが入りは悪かったそうである。コクトーはあまりに多面的であり、全貌を把握している日本人がどれだけいるのであろうか。学術的なアプローチだけでは、というFさんの試みであったが、なかなか難しいようである。私にしたところで第一に映画、他にバレエに美術。詩音痴の私は詩人の部分はまったく興味がない。TVアニメの『巨人の星』に堀口大学訳の『私の耳は貝の殻 海の響きを懐かしむ』が出てくるので、私の小学生の頃には、誰もが耳にしていたことになるが。ネットもメールもやらないFさんには『貝の穴に河童の居る事』が出版されていたことも知らせていなかった。そんな友人知人はまだいる。 二日続けてマッサージに行く。ここにいて東北の地震に遭った。業務は中止になり、家に帰ったら母がヘルメットを被っていたのを思い出す。今回は若い女性であったが、背中が硬すぎて指ではまったく効かないが、肘も入っていかない、といわれた。肘に体重をかけてやっているのに私がいびきをかいてうとうとするので呆れていたであろう。以前来たときは若い女性で、カーテンの隙間越しに同僚と業務について二、三話した後、『えらいのに当たっちゃったわね』。と無言で目配せしたのが判った。こういうことは確実に気配で判る。夕方風涛社から某雑誌に書評掲載の知らせ。

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一日  


最近目が覚めると深く寝ていたのが判る。寝るというのはこういことだったな。と一年ぶりに思い出している。 用がなくなった画像データを整理。ほかに使い道がない作品である。鏡花がそう書いているとおりに作った風景だが、そうでなければ狙いがわからない作品である。時間ばかりかけて使われずに終わった。ボクシングでは空振りしたパンチというものはスタミナをより奪うものらしい。 久しぶりのスタジオ練習。私が参加できないことが多く、ただでさえ下手糞同士がただ停滞している。きょうは森下文化センター内のスタジオである。Sさんが一度食べてチャーハンが美味い店がある、といって音楽の話よりチャーハン々とうるさいので、不味かったらリーダーを辞めるといっておいた。結果、まあ辞める程ではなかったが、続けることもない。二人のメンバーは私より6~8才若い。彼らにとってのロックは80年代のようだが、私は丁度80年頃、ポリスのデビュー以降興味が失せ、80年代のロックに聴くべき物は見当たらない。私は彼らに日和っているように見せかけ、実のところブルースやブルースロックを知らない彼らを啓蒙しようと企んでおり、初めに彼らの好きなビートルズやヘビメタ風をちょっと触って恩を売っておいて、という作戦を進行中なのだが、しらけ世代といわれた私から見ても、二人がどのくらい楽しんでやっているのか、よく判らないのがどうも張り合いがない。打ち上げはちゃんと盛り上がるのだが。

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VOX製のギターアンプが届く。毎回スタジオに引きずっていくのが億劫になり、場所もとらない小型の真空管アンプが欲しかった。なかなか可愛い。そして安い。さすがに高級感に欠けるが、使う人間に高級感がないのだから文句などある訳がない。 私はついにこの歳になり、もっとも好ましいギターがテレキャスターだ、とようやく判った。ボディが空洞でない、いわゆるソリッド型のエレキギターでは、もっとも初期に考えられた物のひとつで、当時の人間には板切れにネックがついただけのように見えたらしく、不人気だったという。その無骨な部分がまた良い。実は最初に手にしたのはテレキャスタータイプのギターであったが、通信販売のいい加減な物であったせいで、偏見を植え付けられ、気づくのに時間がかかってしまったのかもしれない。初体験は肝心ということであろう。

ようやくHPの更新が可能になった。出版から1ヶ月経ったところで、拙著の紹介ページを作った。以前からやっていたように、制作ノート的なものをブログから抜粋して、と考えていたのであるが、一年以上のことゆえあまりに膨大で、コンパクトな形にしたものを改めて考えたい。 登場いただいた方々は近所の一般人である。いくら拙著内で顔をさらしてしまった、といってもネットはまた別のことであろう。後々クローズアップさせていただく場合があるかもしれないが、とりあえずは遠慮気味にアップしてみた。どんな物好きな美男美女が出演しているのだ、という方は本書を手に取っていただくしかない。 告知ページということで、これを見て買う必要がなくなってはいけない。昔の浪曲や講談、紙芝居調に終わってみた。

泉 鏡花作 『貝の穴に河童の居る事』(風涛社刊)
http://www.kimiaki.net/kainoana.html

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クリニック二回目。結果は良い方向に向いているといわれた。「随分がんばりましたね」。といわれた気がしたが、たぶん空耳である。それにしても小銭などポケットに入れておくべきではない。体重が若干増えていた。 だいたい腹がへってもいないのに朝食を食べるのはどうかと思うのだが、起きてすぐ食べないと一日三食は無理である。私としては二食が適当だという気がするのだが。そもそも一日三食というのはエジソンが自分が作ったトースターを売るためにいいだしたと聞いたことがある。何か朝、簡単に食べられるものを考えることにする。 サラリーマンじゃあるまいし健康なんかに気を使っているんじゃない、とまたいわれそうなのでこの辺で止めておく。 昨年、パソコンが次々と壊れた。ソフトが原因だったり水をこぼしたり。そうこうしていてHPを一年、まったく更新していなかった。プロフィールに今年制作した吉本興行社長やドストエフスキーとともに、出たばかりの正義の味方をアップ。国会議事堂の前で怒っている。 『貝の穴に河童の居る事』のページをようやく作り始めている。表紙が中身を見られるのを拒んでいるような河童である。画像を少々載せる予定である。私にサラリーマンじゃあるまいし、といったサラリーマンも出てくる。

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先日博品館劇場のトイレでふと鏡を見たら白髪がだいぶ増えていた。普段と光線具合が違うので目に付く。一年間、河童で苦労したせいであろう。父は私より白髪が少なかった。本人は自慢のようであったが、私にいわせれば老人として可愛げ気に欠けるように思えた。歳相応が一番良い。 あまりに唖然としたので何度も書いているが、フィリピンパブのフィリピーナに「苦労ガ足リナインジャナイ?」と我が面相をカタコトで評された私であるが、それは実は表面だけのことであって、久しぶりの検査の結果、内情は充分苦労していたことが判明した。いやむしろ苦労し過ぎな部分がある、といわれてしまった訳である。 若く見えて得することなど一つもない。歳を聞かれるたび『そんな歳取ってたの?』という顔に耐えなければならず、うんざりである。さらに迷惑するのが酒場である。下町は『男はつらいよ』にでてくるような、気安いおっちょこちょいばかりだと信じ込んでいる隣の男に話しかけられる。例えばボクシングファンの男に大場正夫について熱く語られた。私も小学生時代TVに噛り付いた伝説の男である。知っているエピソードばかりで面白くないが、相槌くらいは打つ。するとこの男「一度くらい見たかったなぁ」。なに?聞くと私よりはるかに若い。『小僧!観たことないのに、俺に偉そうに語ってたのか?』生意気に遠くを見る目なんてしゃがって!こういう輩はもともと年下だと思ってなめているので歳をいえばスゴスゴ退散ということになる。 いくつになっても学年でいうと、などというのが男性である。社会人というのはどうしても自分と他人を比較せずには生きられないようだが、私のように社会人のフリをしているだけで、周りを薄ボンヤリとしか見ずに生きていると、苦労が足りないといわれる結果になるが、中身にさえこだわらなければ、コラーゲンより効き目がありそうである。

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本日より金沢の泉鏡花記念館に写真作品が展示される。『貝の穴に河童の居る事』からはカラー作品4カット。昔、吉徳の“人形は顔がいのち”というCMがあったが、人形制作する私からすると、河童がジタバタと人間どもに仇討ちしようとする物語は、極端にいえば主役の河童の三郎の表情のためにある、といっても良いであろう。特に三郎の目に物いわせた、表紙と表紙になり損なった沼に半身浸かっているカットを選んだ。実際は20数センチの三郎が、プリントとして拡大されての、“こっち見てる”感を御堪能いただきたい。観る方には三郎は何を想うように見えるであろう。ちなみに表紙の三郎を見上げる亀は合成ではなく、たまたま現れた亀で、外来種のミドリ亀であったら当然使えなかった。直後にすべってドボンと落ちたから日本の亀は鈍臭い。それと東雅夫さんに“呵々大笑い”していただいた、柳田國男演ずる灯ともしの翁と三郎の見つめ合うシーンである。仮に『やっと会えたね』とでも名付けておこう。それに先日書いた、このぐらいやらないと収まりが着かなかったクライマックスの大団円シーンである。他2点は96、7年に、金沢に鏡花像を持って行き現場で撮影したモノクローム作品と、古典技法のプラチナプリントである。 鏡花作品のビジュアル化の難しさに少々苛立ち、腹いせに、ばい菌恐怖症の鏡花が嫌いな蠅を3匹三郎にたからせ、洟まで垂らしてしまったカットは遠慮しておいた。鏡花記念館は鏡花の生家跡に建つ。鏡花が観に来ないとも限らない。

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