明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

龍頭  


天井画その他描き継がれて来た龍だが、大迫力なのにどこか可愛らしかったり、ユーモラスな表情の龍が多いが、立体でそんな龍は記憶にない。立体の場合は、都合の良い所だけ作れば良い、というわけに行かない。鉄腕アトムのツノや花形満や矢吹丈の前髪のような物である。撮影用の立体であれば、こちらの都合で視点を定められるので気にする必要はない。夜の夢こそまことだ、と江戸川乱歩から学んだ? 袖からただ顔を出す龍は半身だけで良いのだが、雲竜図など雲で隠せばこれで充分だ、と良からぬことをつい考えてしまう。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




龍の頭、髭と牙以外はほぼ完成。写真写りを優先し、あえて左右非対称歪めて作った。絵画では普通のことである。私のもっとも好きなヌード絵画クラナッハも解剖学的にはメチャクチャである。人形を撮影するようになり、初個展の翌年作家シリーズに転校し早々に、江戸川乱歩がピストル構えてアドバルーンに乗っている『帝都上空』を制作した。これは造形の段階で、極端な遠近感を付けて制作し、それをさらに広角レンズで撮った。田村写真で最初にプリントを見た時のことは忘れられない。異形の被写体ゆえの効果は作った私ししか知らない。 江戸川乱歩の作品は整合性云々をいう人もいるが、そんなことより何よりあの文体が肝心である。乱歩チルドレンの私も1カットで私と判る文体を持ちたくて挙句に陰影を排除することに。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




工芸学校の時に『龍頭角徳利』なる物を作った。同級生に上げたが、龍の口の注ぎ口から涎のようにダラダラと。使い物にならなかったらしい。そこまで考えていない。 小学校の学芸会の八岐大蛇から始まって、龍であれば参考資料など必要はない。頭だけならすぐ出来てしまうだろう。私のことだから無学祖元師をグルリと取り巻いたり、やってしまいそうだが、禅師の袖口から岩場のウツボのように顔を出していれば良く、あくまで禅師を立てなければならない。鱗が面倒なので、いい加減にしておきたい。 龍の指の数は中国で5本指は皇帝クラス以外は使えない。日本では3、4本が多いようだが、円覚寺の前田青邨監修の天井画の白龍図は3本なので、それに準じたい。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




工芸学校の時に『龍頭角徳利』なる物を作った。同級生に上げたが、龍の口の注ぎ口から涎のようにダラダラと。使い物にならなかったらしい。そこまで考えていない。 小学校の学芸会の八岐大蛇から始まって、龍であれば参考資料など必要はない。頭だけならすぐ出来てしまうだろう。私のことだから無学祖元師をグルリと取り巻いたり、やってしまいそうだが、禅師の袖口から岩場のウツボのように顔を出していれば良く、あくまで禅師を立てなければならない。鱗が面倒なので、いい加減にしておきたい。 龍の指の数は中国で5本指は皇帝クラス以外は使えない。日本では3、4本が多いようだが、円覚寺の前田青邨監修の天井画の雲龍図は3本なので、それに準じたい。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




無学祖元は今のところ、寺を襲った蒙古兵に喉元に剣を向けられ微動だにせず退散させた場面と、我が姿刻むことあれば、と遺言に遺したという袖から金の龍、膝上に鳩の図の2点である。蘭渓道隆が3点予定なので、もう一点考えても良い。と書きながら気が付いた。ブログを書くというのは、しばしばこういう効果がある。袖口から金の龍は人形に合わせてすでに作ってあるが、まずは写真作品用に、もっと大きく詳細な龍を作って写真の拡大にそなえるべきだろう。本来まずはそうすべきことを忘れていた。となれば鳩は本物を撮影すべきだろう。人物制作に関しては、私の本分であり、拡大して初めて見えるものがあるが、龍や鳩は別である。私が作った4センチほどの鳩など、実物大にでも拡大したら目も当てられない。ということで撮影用の龍を作ろう。しかし怪獣作って喜ぶつもりでは、と自分をを疑い、止めた昇龍図や龍虎図を、作ることになってしまいやしないかと少々不安である。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




確か養老孟司の言葉である。この仕組みのおかげで、とんだことになった訳だが。 蘭渓道隆坐禅図をイメージしていると、モチーフとしては巌窟や岩山、滝など、まさに水墨画のモチーフだが、あくまでカラー作品である。水墨画調にモノクロームも良いのではないか、という向きもあるが、私にいわせればモノクロームは被写体に自ら着彩する必要のない人専用のものである。自分で塗っておいてわざわざモノクロに、なんて気は起きない。やってみれば判る。 水墨画と浮世絵の、折衷案のようなものが頭に浮かんでいるのだが。三遊亭圓朝で、江戸、明治期の寄席を再現しようと思い、ついでに川瀬巴水などの新版画のニュアンスを出せないか試みたことはある。石塚式ピクトリアリズムのささやかな成果である。『蘭渓道隆坐禅図』。ノートにスケッチしていると、日本の風景とは言い難くなって来たので、いっそ来日前の宗の風景にしよう。これで蘭渓道隆師の予定の3カットのイメージが固まった。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




大の里、入門一年にして初優勝。思わずアッと声が出てしまった。野球の大谷、ボクシングの井上に続いて相撲界にも怪物が現れた。大谷同様、大きく速く、肝心の相撲内容が良い。ダントツの大横綱になった所を見てみたい。 蘭渓道隆の風景のなかでの坐禅像を描きたい。その場合、参考にした頂相のように45度といわないまでも似たような向きにしたい。それは横に置いているのを見ていて作りたくなった。夕方、何がきっかけでもなく、禅師が坐禅する巌窟の上に伸びる切り立った岩壁が浮かんだ。次にそれを前景として向かい側に斜めに伸びる山の稜線。前景に戻って稜線に対応するように、禅師の座る巌窟の床部分が浮かんだ。夜観る夢は、実は短時間だというが、あのシナリオは誰が書いているのか、と思うが。いつも数秒で浮かぶイメージは自分で描いてる気は全くしない。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




思えば様々な渡世の人物を作って来た。特に隔月で4年続いた都営地下鉄のフリーペーパーの表紙など守備範囲を超えた人物を作った。特集場所とそこにちなんだ人物が決まると、2か月の間に著作や伝記を読みながら人形を作り、特集場所を調べ撮影し。そもそも都営地下鉄駅周辺に絵になる場所が少ない。どうやってこの人物をここに立たせれば良いのだ。武士が特集人物になるのも恐れたが『坂本龍馬と大手町を歩く』。トンチでも効かせないと立たせられない。『植村直己と板橋を歩く』街中にただ立たせて絵になる人物ではない。週刊誌の私のなりたいもの特集で、乞食に扮した人である。何匹ものエスキモー犬を戯れつかせた。古今亭志ん生は、お銚子にコップと決まっているのに、交通局から飲酒表現はNGと、湯呑みに変えることになった。志ん生ファンには〝こいつわかってねぇな“と思われたろう。何がいいたいかというと、鎌倉五山第一位建長寺の開山、蘭渓道隆師の場合〝こいつわかってねぇな“では済まされない。 だがしかし、こう振り返ってみると、何やっても良い、というのは案外退屈だったろう。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




蘭渓道隆師の写真作品としては、1 無背景の正面を向いた坐禅像。それは斜め45度を向いた肖像画を参考にしたので、ただ正面を向いているだけで、背景などなくても充分と思える。2 国宝の肖像画が元であることを表したくもあり、同じ方向を向いた作品にしたい。背景をお手植えのビャクシンの樹にするつもりだった。手前にバストアップで撮れば坐禅姿が立ち姿のようにそのまま使える。しかし自然の中で坐禅している姿が作りたくなった。3 そこで立ち姿を作り、そちらを七百数十年を経て巨樹となったビャクシンの樹を感慨深げに眺める禅師にすることにした。事実の再現ではなく、七百数十経ったからこその1カットである。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




引っ越しした時に制作に関係しない本は処分し、以降も制作に関係ない本は買わないよう心がけている。幼い頃から本を読んできて、もう取り入れる方は良い。在る物を吐き出す方に専念すべきだ、と思ったのだが、しかし新たな、未知の人物を制作するのに、ビジュアル情報だけで造形はともかく、写真作品を制作するためには、デッサンするかのような読書が必要になって来る。考えてみると作家シリーズの多くは、二十歳くらいまでの読書がネタ元だったので、改めて文字情報はそれほどは必要なかったが、新たなモチーフを手がける現在は、未知の人物ばかりなのでそうは行かない。しかし子供の頃からながら族の私だったが、さすがに読書しながら制作は出来ない。なかなか思った通りには行かないものである。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




大相撲、面白くはあるが、休場が多過ぎる。どういう人事なのか相撲教習所の所長になっている芝田山、ガチンコ横綱の大乃国が憂いているが、何しろ師匠が「休場は負けと一緒」といい大関から陥落し、見事返り咲いた真面目な堅物、賭博問題の時に理事長職で苦労した、元大関魁傑である。魁傑の大ファンだった。次が旭富士、今はテレビを着けたら、花道を引き上げる途中で客のパンフだが、落とし物を拾って渡している場面をみて誰だ?と思って以来宇良。以前、北の富士が膝を怪我しなければ相撲が変わるかも、といっていたが、地位と共に相撲が変わった栃錦が頭にあったのではないか?栃錦はともかく、押す力は強くなった。 蘭渓道隆の語録、蘭渓録を読む。やはり小学生の頃から伝記を読み続けた経験上、ビジュアル的資料だけでは、人物の本当の立体感は得られない。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




蘭渓道隆禅師の『蘭渓録』届く。現代語訳なので生々しい。 小学校に入学して図書室に出会ったのだが、本が好きで床屋でも散髪は終わってるのに、置いてある本を読み出したら帰らず、何度母が迎えに来たか。しまいには持って行っていいよといわれて帰ったり。そして特に夢中になったのは伝記、偉人伝の類いであった。何しろ、そこらに転がっているような大人は登場しない。夏休みともなれば何冊も借りて来て、お隣の家の縁台に、カブトムシの入った虫籠と本を並べて昼間からずっと読んでいた。始業のチャイムが鳴っているのに図書室から出て来ず騒ぎにもなった。伝記の類は、その場を見た人が書いていると思い込んでいたので、私がワシントンのように桜の木を切っても、書いてくれる人がいなければダメじゃんと思っていた。※後に夏休みに本を積んで読んだ、お隣の家の縁台にて。台風一過、昭和30年代、葛飾区某所。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




ここ何年か人形は参考程度のつもりで展示して来たが、次回の展示には達磨大師、臨済義玄、蘭渓道隆、無学祖元、一休宗純、半僧坊の展示を予定している。チマチマと仕上げをしながら、写真作品について考えるが、なかなか取り掛からない時は、2つのパターンがある。1つは自分を焦らしてより創作の快感を高めよう、という私の悪癖の場合と、何か気になることがある場合であるが、今回は明らかに後者である。造形的には納得しているが、私にはこの人物がこう見える、ということを表すために写真撮影を始めたのだが、一つこれ、というシチュエーションが決まらない。そこで南宋時代の『蘭渓和尚語録』を現代語訳したという『蘭渓録』(禅文化研究所)を注文した。これですべて解決となる予定である。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




本当のことなどどうでも良い、という夜の夢こそまことな私だが、いっている割には、本当にこだわってしまうところがある。創作なんだから、といわれるし、その通りなのだが。とっくに亡くなった作家だったり、何百年前の人物だろうが2人だけの世界になってしまって、三島を作っている時など、ベランダの洗濯物を眺めても、その間に三島が挟まって見える始末で、そうなると心情的に気になってしまうのである。 もっとも斜め45度の肖像画しか残っていないのを、誰も見たことがないから、と正面向かせて喜んでいるなど、勝手なことをして、といわれればそうなのだが。自分でも何を一人でぶつぶつと日々身を捩りながら、と思うのだが、この有様こそが私らしいと思ってはいる。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




22年の寒山拾得展以降、禅宗モチーフを制作するうち、師の迫真の肖像画を、卒業証のように弟子に与える頂相、あるいは頂相彫刻が、人形や彫刻などの人像表現の究極と思うに至った。 小学生の頃、百科事典ブームがあり、我が家にやって来た辞典は『虚無への供物』の中井英夫が編纂しており、ボディビルの項に、貧弱な三島由紀夫の上半身が使われており、シャンソンの項がやたら詳しいのが小学生の私には奇妙であった。中井に写真のモデルを依頼された三島は〝あんな嬉しいことはなかった”そうだが、鍵っ子の私は小〜中学にかけて一往復は読んだ。別巻の世界の美術のシュルレアリズム絵画を見て、子供なのに間違いなくノスタルジーを感じ、東洋美術では、頂相彫刻の圧倒的リアリズムに飽きることなく眺めた半ズボンの私だったが、ここに至ってみると私の設計図は小3から4にはすでに描かれていたことは間違いがない。様々な伝記を読みまくり、力道山以来、プロレス中継で様々な人種の様々な体型を吸収した。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ