明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



大晦日恒例である。今年は去年できなかった事、あるいは思い付かなかった事が出来たか?について考える。去年と今年が何も変わらなければ、ただ一年冥土に近付いただけ、というこんな恐ろしい事はない。昨年にさえ戻りたくない、と続けて行けば死の恐怖にも耐えられるであろう。 今年も去年同様真夏となったが1度個展ができた。やれてしまえばOKであるが、300年続いた金魚問屋だから映画に先を越されてとん挫していた、本物の金魚を使って室生犀星の『蜜のあはれ』を制作するというアイデアを実行した。このすぐに血が頭に上ってしまうのは、いい加減にしないといけない。こうやって行き当たりばったり、方向に角度が付いてきた。今後はまず十を数えて深呼吸するべきであろう。 今年はむしろ30数年住んだ所からの引っ越しが大きかった。何ヶ月片付けをしていたのだ、という話である。よって作品数は極端に少なかったのが反省点であるが、リセットするなら今年しかなかった。おそらく不動産屋は、大家である法人の言葉をそのまま私に「必要な物だけ持って行っていただければ後はこちらで。」と伝えた。30数年のよしみで言ってくれたのだろうが、後で多少後悔したかもしれない。お陰で物が何分の一に減り、トランクルームに預けていた作品も無事手元に。 マラソンランナー円谷幸吉は64年、父親の言葉「男は後ろを振り返るな。」を馬鹿正直に守りゴール寸前ヒートリーに抜かれ銅メダルとなったが、私もそれに習い、不動産屋に鍵を返し、その瞬間から以来一度も後ろを振り返らず。どういう用事なのか一度電話があったが、私には何も用事が無いので出なかった。という訳で清々しい大晦日である。心機一転、来年もよろしくお願いします。
偶数月25日発行【タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第18回『葵の御門』
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『石塚公昭 幻想写真展き続ける作家た18年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutubeこ2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界



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修理から帰ったスマホと代替機をショップに持って行き、移行したデータの回復をしてもらった。修理の間、メールは一切見られず、フェイスブックも新しいアカウントを作ってしまい、改めて友達申請をお願いする始末で、漏れている方々を散見するが、手数をかけること考えると、再申請をお願い出来ずにいる。大変申し訳ない。それにしてもデータの移行はともかく、アカウントがどうのパスワードがどうの、と一度設定してしまうと安心してしまい、忘れてしまう。色々再設定してもらったが、プロがかなり時間かかっていたから、これは私ではとても無理であった。ラインのデータはまだ見当たらず。 江東区芭蕉記念館で来年4月26日まで『芭蕉の書簡 俳人の書簡』。芭蕉直筆の書簡は2点。芭蕉は俳句のイメージのため利用され神格化され続けた人物であると思うが、それが講じて、同性愛的な部分、その教養学識他、芭蕉ファン、研究者等々の思惑も絡み、触れ難い部分が多いと聞く。存命中の人物ならまだしも大昔の人物にご苦労な事である。そんなこともあり、こちらに収蔵された私の芭蕉像は、何度も繰り返すが、嫌味なくらい3人の門弟が描いた芭蕉像のみを参考に制作した。これに関してはいかに与謝蕪村であろうと同じ捏造者のムジナ扱いで無視。しかし結局チラシの芭蕉像は、50代で亡くなっているのに、相変わらず8、90歳調の老人が杖にすがっている。こんな爺が、全国ウロチョロ出来るか、という話である。最も、私も会った事もない人物に律儀にこだわるのも、そろそろ疲れた。 通りを拍子木の音と共に“火の用心”が通る。明らかに町内の喉自慢が朗々とした調子で。こんな堂々としたのは初めて聴いた。

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昨日、来年始めに町田の文学館で三島由紀夫展がある、と教えてもらった。ここには日影丈吉像を収蔵頂いている。出不精の私もこれは行かないと、と思っていたら、来年没後五十年だという。昭和45年、1970年であるから、数字音痴の私もさすがに判りそうなものだが。そういえば夏に行った室生犀星展だが、チラシの送付先を調べていたら、犀星展があるという。偶然とはあるもんだな、と思っていたら、犀星生誕130年で、個展の会期中に130年目を迎える事を知った。知っていたらチラシに入れる所である。確か『貝の穴に河童の居る事』の出版日は原作者の泉鏡花の誕生日だったと思う。何しろ母の誕生日をようやく覚えたのが、母の代わりに書類に書くことが多くなったここ数年で、本日の年月日はえーと、といつて居る間に向かいの担当者に教えてもらうのが常である。父の誕生日はおろか、亡くなった日さえ覚えていない。連なった数字のたまたまその日だというだけで、それがどうした、としか思えないのである。数字なんか覚えていたら、容量に難ある我がハードディスクに入る物も入らなくなってしまう。当然私には記念日などというものは何一つ存在しない。車の免許を持たないおかげで、車で人を轢き殺す可能性がないのは何よりであるが、独身のおかげで今日が私達のなんとか記念日なのに、などとかみさんに叱られる可能性がないのも何よりである。 本日は工芸学校時代の連中との恒例の忘年会であった。そういえば私と誕生日が近い奴に、数年毎に「俺達今年いくつだ?」と聞いている。今年脳梗塞で入院した一人の退院祝いも兼ねる。これでメンバー5人中、2人が脳梗塞経験者である。2次会のカラオケで、三島が市ヶ谷に向かうコロナ車中、最後に歌った『唐獅子牡丹』を歌う。



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昨日のご飯茶碗の件だが、実は書きながら終わりの方で実はうっすら打開策が浮かんでいた。ただそれがなんという商品かが判らなかった。  私の頭に浮かんだのは、何処かダム工事の飯場のテーブルである。そこに大きなヤカンが置いてあり、その横にあるのは紺色に白い水玉のありふれた湯飲みである。そして同じデザインの飯茶碗に土瓶。次に浮かんだのは街道沿いのドライブイン。トラック野郎がアルミのトレイに並んだ水玉に自分でお茶を注いでいる。おそらくは戦前から在るであろう、あれである。つまりここまで超の付くロングセラーであると、生産者の企み等はとっくにすり減って私の感じる量産品の嫌味は絶無であろう。無駄の無いシンプルなデザインである。もう飽きようもない。作り方は知らないが、手描きの染め付けに見せ掛ける、和紙に印刷された物を水で張り付ける〝ドーバン〟というのを散々やったので、あれも嫌である。どうやら〝ルリ水玉〟と呼ばれている製品のようである。すでに権利もなにも忘却の彼方か、各所で生産されたようである。私の東京オリンピック以前というイメージからも外れず、年内に無事解決した。落として割ったら、ホウキで片付ける事にしよう。

偶数月25日発行【タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第18回『葵の御門』

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私は良く作り惜しみをし、わざわざ口中を唾液だらけにしておいてかぶりつくように制作することがある。そもそも座って長時間根を詰めて仕事をするなんてマゾ的資質がなければやれないだろうと私は思う。当然自分を焦らして快感を高めようという企みであり、集中力も高まり焦らした分、それでも完成はしばしば早まる。  片付けができず、集中力は一人前以上、なんて人間が最近話題になるが、私も子供の頃、妙な施設で調べられた口であるが、当時は解明されていないことも多かったろう。しかし苦手な事は興味がないのだから、よって困った事はあまりない。なんて他人事のようにほざいていると、ふざけるな、と怒り出す周囲の人間がいそうだから、この辺にしておく。粘土を入手すると制作に逃げて片付けない、とおかげで二十代から、これだけ粘土を触らなかった事はないだろう。正月はヨダレを垂らさんばかりに制作に打ち込めるのではないか。度々経験した事だが、休んでいる間に、何故か上手くなっている気がする事がある。ワインやブランデーで言うところの〝天使の分け前〟は目減りすることを言うが、それまで頑張って来たからからの〝天使からの分け前〟だと解釈している。

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私の家では、父が鶏肉を嫌いだったので、クリスマスの時くらいしか食べられなかった。なのでずっと高価なご馳走だと思い込んでいた。父は子供の時に、首をチョン切られながら庭を駆け回る鶏でも見たのではないか?おそらくそんなところであろう。青魚もだめであった。最晩年は、母が健康のため、と新鮮なイワシを食べさせていた。何だ、食べられるんじゃないか?私は父と違って、一度蕁麻疹が出たくらいで食べられなくなることはなく、たまたまだろうと思う方である。  父といえば、幼い頃、早朝枕元にプレゼントを置いているのを薄目を開けて見ていた。一月後、何かしでかして父に叱られた時、突然「クリスマスの時、プレゼント置いてたじゃないか!」つまりサンタなんかじゃなく、嘘をついていたじゃないか、という訳であろう。母は、知っててずっと黙っていたのだな、と思うと可笑しくてしかたなかった、と言っていた。子供と言うものは、大人に気を使っているものである。

偶数月25日発行【タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第18回『葵の御門』

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近所のアリオ北砂へ買い物へ。私が死んだ後も、ずっとこの調子で続くだろう、と思うのが、年の瀬の薄ら切ないような感じである。銀座なんか賑やかだろうが特にそうである。私は、年度末がなんだか知らなかったくらいだから、暮れも正月も関係ないから、世間のただ尻馬に乗って、そんな気分になっているだけである。学生の頃は、実家にも帰らず、住人の全くいないアパートで粘土をチマチマやっていた。正月に帰るようになったのは、父が亡くなってからである。決して親子仲が悪い訳ではなく、むしろ逆であったが、18から家を出たので、なんだか照れ臭いようなばつが悪いような。   何度か書いているが、好きな事をやっているが、子供の頃から、諸手を上げてどうぞどうぞと言われていた訳ではないので、好きな事をやりながら、そこはかとない罪悪感が瓶の底の澱のように残っており、そのために、正月やお盆休みの頃は、世間が休んでいるものだから、気兼ね無く、清々しく作る事ができるのである。今さらおかしなものだが、そうなのだから仕方がない。引っ越し前は、粘土を買えば、片付けずに、制作に逃げてしまうのは判っていたので、入手せず、引っ越しが落ち着いたら、と思っていた。そろそろ粘土を発注し、正月の制作に備えたい。  なんだか買い物も済み、お菓子めいた物が食べたくなり、目の前の店で買い、ポケットに忍ばせスマホを見るふりをして取り出しては食べた。子供に「あのおじさんビスコなんか食べてる!」なんて指差されたくない。

 

【タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第17回『引っ越し』

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私も他人のブログを読んで〝何いってんだか訳判らないよ〟としょっちゅう思うから、三島の話しは大概にしておきたいが。 三島はとにかく血が大好物である。クーデターの挙げ句のような血の海で死んでいる将校や、神風連の侍が、もはやこれまで、と割腹している所を制作した。ひとえに三島にウケるためであった。一方江戸川乱歩の時は、残酷シーンを書いておきながら、あとで後悔して削除するような人物であったから、過激なシーンを避け、例えバラバラ死体でさえ切り口は羊羹を切ったかのような有り様で、犯人役の乱歩は、常に他人事のような顔をしていた。よって手掛けたいのはやまやまであったが、私の手法だと『芋虫』では、乱歩を芋虫にするしかなく断念した。他の作家が、やりたい放題描いているのを見ると羨ましくもあるが、著者の創作のおかげで様々なイメージを抱かせて頂いた、と思うと本人を登場させる手前、それが出来ない。好き勝手な事をやっている割に奇妙なくらい律儀な私である。逆にいえば好きでないことはしたくない、というのも強いのであろう。最初の話に戻ろう。  作家本人にウケたい、とは言うものの、あくまで私の創作である。三島の趣味だからといって、なんでもかでも血に染めたくはない。目を開いたまま静かに座る三島がいたとしよう。作者の私が死んでいる、といえば死んでいるのである。それなら部屋に飾ることも可能ではないだろうか?と前回男の死で一カットも売れないというワースト記録を作った私であった。

【タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第17回『引っ越し』

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友人から、また三島をやるのか?三島のどこがそんなに良いのだ、と半ば呆れた様子のメールが着た。面倒なので〝いま犬死がいちばん必要だということを見せつけてやりたい〟そんなセリフ他に誰が言うか?作りたくなるだろ。と返事しておいた。  四年続いた『中央公論Adagio』の廃刊が決まった時、最終号の田中角栄を作りながら、三島が事件に使った〝関の孫六〟の模造刀を入手した。そしてどうやって調べたか記憶にないが、すでに引退をされていた、元薔薇十字社の社主、内藤三律子さんにお会いした。今思うと、この人見知りがよくぞと、と思う。この方が三島が最後にやりたかった事を考えた伝説の編集者か、と感激であった。あんな嬉しそうな三島は見たことがなかったそうだが、細江英江の『薔薇刑』では、主体性のない被写体なりきる快感があったはずだが、〝私は彼になりたい〟三島は、魚をぶちまけ、腹に出刃包丁刺して死んでいる魚屋に紛しながら、三島がどれだけ嬉しかったか、薔薇十字社版男の死の存在を知らず、三島にウケるにはこれしかない、と男の死を着想した私には良く解る。さすがに内藤さんの場合は、三島を喜ばせるつもりで企画した訳ではないだろう。  あの死に様を見せ付け、それでも三島には足りず、二の矢となって放たれるはずだったのが、『男の死』だった、とずっと私は三島の無念を思い続けている。   11年のオキユルスのオマージュ展で、内藤さんに頂いた一文を久しぶりに拝読し、http://g-oculus.com/exhibition/1105 妙な奴が突然現れて、と言う感じが出ていて、懐かしい。こちらは相変わらずです。出来ればれば来年、ふげん社でお会いしたいところである。 内藤さんに心配されてしまったくらいであるから、友人がメールしてくるのは仕方がない事でこあろう。



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前回初めて個展の事でふげん社に伺い、三島他を和紙で、ということになり嬉しくも、意外な展開に呆然として帰ったのを覚えている。その後、完成に至っていなかった三島作品を二点ほど仕上げていたが、誉められ慣れていない人間は自分に対して疑い深い。次第に私の聞き間違い、勘違いではないか、と言う気が本当にしてきて、今のうちに確認しておこう、と移転前のふげん社に伺った。    西洋画にはない浮世絵、日本画の自由さを写真に取り入れられないか、と考え、その自由を阻害しているのは陰影ではないか?こちらを見つめる三遊亭円朝像のバストアップで試したら一晩でできてしまった。なぜ長い間踏み出せなかったか。造形するということは、陰影を作り出す事に他ならず、それを自ら消す、というのは、自分の外側の事象にレンズを向けるカメラマン、写真家には理解できないであろう。長年その陰影を作り出すために制作してきたのである。  結果として、写真の特質である陰影、空気感を失う事となり、何が因果か、オイルプリント以来再び、絵なのか写真なのか、という事になり、なかなか理解されないが、来年5月、ゴールデンウィーク明けの個展はそれで行くことが決まった。私なりのピクトリアリズムであるが、修験者の術のような技は用いず、人形作って陰影出さずに撮影して切り抜いて貼り付けるだけ。説明のためにホームページを作る必要もない。  ところで、もうひとつ肝心な事であるが、私の勘違いでもなく、三島由紀へのオマージュ『椿説男の死』をメインに、ということに決まった。前田日明対アンドレ戦ではないが「やっていいんですか?」「良いともー!」。     帰りの道中、5月までは医者にはサボらず通い、交通事故に気をつけ、駅のホームでは最前には立たない事にしよう、と思ったのであった。

【タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第17回『引っ越し』

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三百年続いた金魚問屋で面白い店があるから紹介する、といわれれば、これは映画に先を越されて断念していた室生犀星の『蜜のあはれ』を、金魚を使ってやれって事だ。と行く前に、その気になって鼻息が荒くなっている。私は思い付くと、思い付いた、という顔をするそうである。 以前も書いた事があるが、台風で幼稚園が休みのある日、クレヨンで佃の渡し船を描いていた。母の実家は渡船場から百メートルの所にあった。渡し船の煙突だかに、東京都のマークが付いていたのだが、それと同じ物がマンホールの蓋に付いていた、と母が止めるのも聞かず、大荒れの台風の中飛び出して行ったそうである。傘が役に立たなかったことはなんとなく覚えている。幼稚園児ならまだ可愛気があるが、残された時間が潤沢にある訳ではないのだから暴走はいい加減にしておけという話しである。  渡し船は家で自分の中のイメージだけで描くから面白いのであって、現場で写生などはまっぴらであった。しかしながら東京都のマークを台風の中確かめに行く所など、上手いウソをつくには、ちょっぴりホントを混ぜるのがコツだということをこの幼稚園児は知っていた。

来年五月のふげん社の個展は、三島の男の死で本当に良いのか?私の早とちりではないのか?始めてしまったら台風くらいで止めることはできない。たまりかねてふげん社に相談しに行ってきた。それについては明日。

【タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第17回『引っ越し』

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ようやく住まいにも慣れたせいで夜中まで起きていることが増えて10、11時に起きる事も。それでも一日三食という、私としては考えられない毎日である。良くやってしまっていたのは、朝起きてすぐにモニターの前、気がついたら夕方、夜になっており、そこで空腹を満たす。つまり腹減らしてから食べる、という相撲取りと同じスタイルになりがちであった。しかし最近は、起きて台所に立ち、鍋に水を入れ、だしの素を放り込み、一膳分のご飯にゴマ油と七味。煮立って来たら、弱火にして雑用をし、適当なところで塩麹に海苔を散らして食べる。これがなかなかの美味しさで、全く飽きない。気まぐれに何かを垂らして見ることはあるが、むしろこれだけの方が良い。このお陰で三食ちゃんと食べろ、という医者の言いつけを達成できている。  月に一度の検査にクリニックへ。さぼりの常習者だが、今回は大丈夫である。採血に新しい長身の看護師。まただよ。ここは美人を選んでいるのは間違いがない。美人の温かい指先の湿り気を感じながら、美人の注射は何故だか美人度に応じて痛い、もしくはそう感じる。やっぱり。ここは帰りには結果が出るところが良いのだが、久方ぶりに改善度を誉められた。そりゃ同じ誉められるにしても、年下の、しかもおっさんに誉められるより良いのは当たり前の事である。

 

【タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第17回『引っ越し』

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オイルプリントの技法公開のために立ち上げたホームページであったが、その頃は、すでにジャズ・ブルースシリーズから作家シリーズに転向しており、過去の事よりこれからの事を、と考えていた。そんな事もあり、96年のスペースユイでの最初で最後となったジャズ・ブルースシリーズの人形と写真展での作品しかアップしておらず、それ以前の架空のミュージシャンのシリーズはほとんどない。私はまだ写真を始めていなかったから、写真データがないということでもある。  引っ越しに伴い、昔仕事で使われたポスター、チラシが出てきた。何十年ぶりに一枚だけめくると、全く覚えがない。ここでしまってしまったら、二度と見ないかも知れない。しまう前に簡単に撮影しおくことにした。そんな気になったのは、ビリケン商会の三原さんが、私の83年、2回目の個展を観て、すぐに粘土を買って、自分で作ったという労作、オーティス・レディングをフェイスブックで見たからである。しかも私のその個展がギャラリー初体験だったという。後に個展をやらなくなっていた私を三原さんが引っ張って行き、スペースYUIを紹介してくれ、96年始めて私が自作品を写真に撮るきっかけになったという、まさに奇縁としか言いようがない。早くかたずけたいし、何十年も丸まったままである。撮影はスマホで簡単に済ませたい。

【タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第17回『引っ越し』

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前の住まいでは、様々な何物かに追いつめられ占拠され、制作に用いるスペースは最後の何年かは実に僅かであった。引っ越しの片付け中に思わず「翼よあれが床だ!」と呟いてしまったくらいである。作業机の端に制作用のロクロ、そこで人形を制作しては、窓二方向からの光で撮影し、椅子の向きをクルリと変えモニターに向かい、データ作業。まるで〝地獄の寝床〟と呼ばれた、まず最初に狙われる爆撃機の下にある機銃砲手の銃座が如き有り様であった。ところがである。その狭苦しさ作業効率の悪さはともかく、落ち着くのである。私のような渡世では、作業効率などという概念は有って無きが物でありしばしば無視される。(私だけか?)そこで次の住まいでは、最初から地獄の寝床を想定し、そこに挟まるようにして制作に励もうと考えた。  まずは窓辺に両側に引き出しのある文机、スペースをわざわざ狭めるように左に本棚。右側には肘を乗せる脇息。まだ出すには早いが、私と本棚の間のスペースを埋めるように火鉢に鉄瓶が置かれる事であろう。乱歩の『人間椅子』の男は椅子の中に水筒や乾パン、ある目的のため、としか書かれていないが、排尿装置まで備えていた。さぞや楽しかろう。私と言えば、後は膝の上に美しい閨秀作家を、いや制作に向かう準備は整いつつある、というところである。

【タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせずは7回『引っ越し』

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引っ越し先は、勤め人ではないので、駅から離れていてもかまわなかったが、そのせいで東京だというのに、忘れ去られたように、これほど静かだとは思わなかった。街にチェーン店は見当たらないし、タクシーの運転手が主な客である、暖簾の破けた定食屋は、食べログにはただ安いだけ、なんて書かれているが、五十過ぎの連中を連れて行くと喜ばれる。骨董ではないが、この味を保つには、手を入れてはならない。暖簾は何回くぐれば破けるのかは知らないが、私には  暖簾を補修もせず、その分すら値段に反映させない努力に感じられてしまう。  家の前が小学生の集団登校の集合場所になっているので、朝方の子供達のざわめきを聞くのも心地がが良い。フォークリフトやトラックの音も、子供の頃から聞き馴染んだ音であるし、何が可笑しいんだか、冗談を言い合いながらの働く人等の声も好ましい。かといって、それが落ち着くと昼間だというのに物音一つしない。  夜になると街灯はあるものの、ここが東京である事を考えると薄暗い。これでコウモリでも飛んでいたら昔の東京である。今テレビは家にないのだが、観たら力道山が出てきたり、お笑い三人組でもやっていそうである。先日は、しまいには犬の遠吠えが聞こえ呆れてしまった。辻斬り強盗でも出てきそうである。  私は前回の東京オリンピックはテレビ観戦だったが、その感動忘れがたくあるが、以降の行き先を見失ったかのような東京には関心が無く、何が何してどう変わろうと全くの不感症になってしまった。今度のオリンピックのおかげで、そんな東京人が増えない事を祈ろう。それはともかく、犬の遠吠えをもう一度聞きたい。

【タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第17回『引っ越し』

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