今月は臨済義玄、蘭渓道隆、無学祖元、元寇の兵士、一休宗純を一斉に着彩に入る予定である。 写真がなかった時代の肖像画を元に制作している訳だが。それには、長らく続けて来た二次元の、時に不鮮明な写真を立体化して来たことなしには出来なかっただろう。その挙げ句が、陰影のない東洋日本の絵画を立体化、つまり何ヶ月かかけて陰影を与え、なのにわざわざ陰影を排除し写真化する。こう書いてみると、面倒くさがりが服を着ているような私に、何か仏罰でも当たっているかのようだが、独学我流である私の感性と、この工程を経て初めて起こる化学変化とでもいうべき物があると思える。 陰影を排除することによって得られるだろう、と期待した自由は、袖から金色の龍が顔を出してこそ発揮される。この手法あってこそ、このモチーフである。〝鳥が選んだ枝、枝が待っていた鳥” 河井寛次郎