蘭渓道隆の数体の木像は、年代こそ違うが、亡くなった以降に作られた物なので、大雑把にいえば、七百数十年後に作る私と条件は一緒といえるだろう。生前唯一描かれた肖像画が、実像にもっとも近いとするなら、立体化して正面向かせ、人間大に拡大するだけで、充分作る意味がある。と私は思うが、唯一判ってもらえそうなレントゲンまで駆使して調査をした研究者の方にはどう映るだろうか。 もっとも、数センチの頭部が人間大からフットボール大まで拡大プリントされた時、生き別れた息子が突然楽屋に訪ねて来た歌舞伎役者のような状態になったので、どんな人物として私の前に立ち現れるのか、作った私自身、予想が出来ない。初めて長辺2メートルに拡大した16年の『深川の人形作家 石塚公昭の世界』の会場で、私はここまで作ったつもりはないが?と独りごちながら、不思議な気分でその表情を眺めた。そこで今回、密かに一つの仮説を立てている。あれがへそ下三寸のもう一人の私の意思が反映された仕業だとしたらどうだろう。 仮説通りの結論がもたらされたら、それが禅宗の高僧の制作によって導かれたとしたら、あまりに出来過ぎた話ではないか?
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