明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



隔月で4年つづいた都営地下鉄のフリーペーパー『中央公論adagio』も終刊から7年経つ。元編集長、デザイナー、ライター各氏が集まってくれた。実に色々なことがあったが、今回の個展にも数点展示したが、依頼されなければ手掛けなかったであろう人物を作ることができた。もちろん中には嫌いな人物も混じる。数え上げればエピソードは限りがなく、それこそ一時間では喋りきれず、ここでは触れないが、元編集長も定年を迎えるそうだが、皆さん老け込むにはまだ早いようで、当然昔話や定番の健康のこと、そんな話は出たものの、インターネットでこのメンバーで何ができるか、という話が大半を占めた。交通局発行だったadagioは、タバコや飲酒表現はNGであったが、現在は世間もさらに厳しくなり、車だったか何だったか、スピリッツという商品名が酒を連想する、と却下されたそうである。アイコンとして、私は誰を作ってと、当時も特集人物として、酒の上では浮かんでは消えた人物が上がる。確かに大変興味深いが、私が自主的に作るのではなく、依頼された体でなければちょっと。なんて話をした。結局かつての編集会議と称した飲み会と何も変わらなかった。当時フリーペーパーは随分出ていたが、読んでそのまま捨てられず、家に持って帰ってもらえる物を、という編集長の言葉が印象に残っている。街歩きマガジンということで、毎号誰それと何処そこを歩くという特集になるのだが、これが気が気ではない。私の知らない間に妙な物に決まっては、と編集会議と称した飲み会には必ず出席した。最終的には営業からの意向で決まることも多かったが、苦手である女性が向田邦子と樋口一葉のみだったのは助かった。この四年間の経験はあらゆるお題にもめげない腕力としか言い様のないような力を私に付けてくれたように思う。

石塚公昭幻想写真展-生き続ける作家たち- 2018年7月25日(水)~9月2日(日)

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2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtube


本日25日発行
『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載10回『劇場の永井荷風』


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本日もペットボトルのブラックコーヒーを飲む。今までは考えられないことである。こうなると、後は梅干しを克服するのみだが、あればかりは、単純に食べ物を越えた酸っぱさであって克服する必要はない。コーヒーは飲めないというと格好が悪いと思いつづけてきたが、梅干しはどうでも良い。
会期も1ヶ月もあると、また随分古い作品を見ていると、なんでこんなことを始め、こんな手法になったのか、実際は急に思い浮かんで、それをパン食い競争のパンの如くにかじってきただけだが、多分理由はあるわけで、そんなことを考えるのには良い機会である。それはしいては次にやることにつながる。思いつきというのは、どうしようかな、なんて時には私は浮かばない。上からぼた餅が落ちてきた感じなんていうと判りにくいが、例えば腹が減って、カレーが食べたい、トンカツが食べたいという時は、考えているうち、じわじわと浮かぶ物ではないだろう。パッと浮かぶはずである。あれと全く同じである。ただ作品を見ていただいている方々は、こんなことをしでかすには理由があるだろう、と思うだろうし、理由は確かにあるはずで、実はしでかした本人が一番知りたいところでもある。腹の辺りに、私がコントロールできない別の私がいて、そいつにいつもさせられている感じである。それはもともと写真など興味もなかったのに一人でオイルプリントに没入し、絵が出た時点で満足して止めたが、それが後に個展をするようになって、このためにやっていたのか、と驚いたのは私であった。腹の辺りの私は客観性も備えているようである。 こう書いていて、ある種の寄生生物は宿主の感情、趣向、行動をコントロールするというのを思い出した。しかし人生にはキリがある。時間的にやっていいこととそうでないことがある。今こそ性能の悪い表層の脳を使って、腹の辺りに潜む何者かと戦わなければならないだろう。そう思いながら私のしでかしてきた作品を眺めている。残り三日間、午後には会場へ。

石塚公昭幻想写真展-生き続ける作家たち- 2018年7月25日(水)~9月2日(日)

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『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載10回『劇場の永井荷風』


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一人  


オイルプリントは転写することにより、カラー化が可能である。大正十五年に陸軍技術本部の鈴木陽は天然色写真展覧会について『日進月歩の世の中ですから異なった理論も發見されるでせうし又種々の改良考案が發明されると思ひます、例えば天然色オイル法も理論上出來る筈ですが日本でやつておられる人を聞かないことを考えると未だ々天然色寫眞の開拓すべき餘地があると思はれます。』と云っている。大正15年といえば、すでに市販の印画紙を使用するブロムオイルの時代なので、オイルの天然色化をこころみる人はいなかったと思われる。 ある飲み会で鯨を食した時に、ドジョウ汁を持って来た人がいて、今地球上で、腹に鯨とドジョウが収まっているのは我々だけであろう、と思った私だが、念のためにくさやも食べておいた。 何がいいたいかというと、こんなことをしているのは地球上で私だけである、と思った時に快感物質が涌き出る私は、それならば、とオイルプリントカラー化を試みたが、被写体まで作らなければならない私は、こんなことまでしていられないと試作一点で挫折したが、後にネットでオイルかブロムオイルで素晴らしいカラー作品をものにしている海外の作家を見つけて危ないところだった、と思ったものである。この玉座はあんたに譲ろう。 一ヶ月越える個展も、残り5日である。猛暑が続き台風も来たが、地下鉄銀座駅を上がってすぐに三愛ビル。銀座4丁目と思えないしずかさで、ついイビキをかいて寝てしまいそうで、というか寝てしまうのは困ったことであるが、 全44点、これだけの点数はなかなか展示の機会はない。 乱歩のいう“群衆の中の孤独”あれを私は最も恐れている。地球上で一人の時のみ私は幸せである。そのために私はやってきた。良い作品は私のイメージ通りの場合であり、悪い作品はそうではない場合である。自分のことさえ未だに良く判らないので、他人にとって良いか悪いかまでは判らず、お勧めするのはどうかと思うのだが、ここに来なければ観られない作品があることだけは間違いないと思う。

石塚公昭幻想写真展-生き続ける作家たち- 2018年7月25日(水)~9月2日(日)

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『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載10回『劇場の永井荷風』


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私が今後やろうとすることに関しては、技術的に不明なことはほぼない。一昨年から考え5月に発表した立体から陰影を消して撮影し、かつての日本画調になるという私なりのピクトリアリズムも、いきなりできた当初は頭がついて来ず、例によって、何だか判らないうちにできた、では馬鹿みたいなので、後に解明できたら、初めからそのつもりでやっていたことにしよう。といっていた通り、今ではすでにそんな顔をしている私である。しかしこの状態というのは、技術が思いにとどかないでジタバタしつづけた私にすると、実にあり得ない状態であり、これでさらに大リーグボール4号に取り掛かろうとさえしなければ、やれば思ったようなイメージを作りつづけられるはずである。そんな状態が果たして良い状態なのかどうか、あまり経験したことがないので良く判らない。そう思うと作りたい作家もいなくなってきた、このタイミングがどうも怪しい。つまり技術的なことは、その程度で充分であるから、あとは新たなテーマ、造形に挑め、ということなのかもしれない。とにかく性能の悪い頭を使わず内から湧いて来るものに従っていれば、人間だって自然物だもの、間違いはない。 ブルース・リーは“考えるな感じろ”といった。あんたはさすがに判っていたな。一方私はというと、頭を使って考えた、という顔をしたがる所が実に惜しい。

石塚公昭幻想写真展-生き続ける作家たち- 2018年7月25日(水)~9月2日(日)(火休)

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先日ある女性写真家が展示してある永井荷風を見て、初期の手法が良い、最近の手法だ以前に、「やっぱり人形が良い」。などと今さら身も蓋もないことをいったが、大リーガーの大谷翔平を見て、そういえば私も二刀流だったな、と最近思うのだが、制作にじっとり時間がかかる人形制作と、息を止め次々シャッターを切る撮影のリズムは、丁度良いバランスだ、とかつていっていたものである。であるから両方やってこそ自分のリズムが取れるという大谷のことは私なりに良く判る。 本日は台風で延期になった山前譲さん×平井憲太郎さんトークショーである。時間前に控え室で挨拶をしていると、今日は客席から拝聴するつもりが、私も取り敢えず前にいろ、と数分前にいわれた。お二人のお話を聴きに来た方々に邪魔にならないようしていたが、憲太郎さんの横にいて、以前河出書房新社、文藝別冊江戸川乱歩特集に短文を寄せたことを思い出した。短いので転載してみる。『土蔵の悪夢』 乱歩邸土蔵内で乱歩の人形を撮影した事がある。乱歩はあまりの寒さに書斎としての使用を断念したそうだが、実際、足元から寒さが沁みてきて翌日風邪をひいてしまった。乱歩の長男、平井隆太郎先生とは何度かお会いしていたので、人形の乱歩と並んで親子共演も撮影させていただいた。実はその際ピストルをかまえていただき、二探偵図としたかったのだが最後まで言い出せず、前日入手していたリボルバーはポケットの中であった。私の乱歩体験は御多分にもれず小学生時代の少年探偵団シリーズから始ったわけだが、土蔵の内部は探偵団ゴッコをするには最適であろうし、イタズラをして罰に閉じ込められるには効果絶大であろう。蔵書に圧倒されながらも土蔵内ではそんな事を空想していた。そのせいか後日、立教大学の学長室で関係者に詰め寄られ小突かれている夢を見た。土蔵内の貴重な文献すべてが、私が子供の頃にした悪戯描きだらけだったという悪夢であった。』 私は小学校入学したその日から高校最後の授業まで、遠足、運動会、文化祭、修学旅行を別にすれば、一日も欠かさず悪戯描きを続けたのは間違いがない。

石塚公昭幻想写真展-生き続ける作家たち- 2018年7月25日(水)~9月2日(日)(火休)

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『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載10回『劇場の永井荷風』



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昨日慣れないことをしたせいであろう。どうも脱力感に覆われ、何をする気も起きず。 人形を現場で手持ちで撮影する“名月赤城山撮法”だが、トークショーでは国定忠治といって、通じる世代の方々で良かった。私は芝居の場面を観ると、何でも由利徹のコントで見たような気になってしまう世代である。いや世代といってはいけない、私だけであろう。昔の作品を眺めるうち、名月赤城山再び、という気が起きて来た。取り敢えず新作の葛飾北斎あたりで、例えば晩年往復し、作品も残る小布施あたりに出かけるのも良いだろう。ただそんなことを考えることになるとは思っていなかったので、北斎一体目は着物を上に羽織らせたせいで、やたらと重たい。これではマッサージに行くと「何をやってたんですか?」と訊かれ、可愛らしいお人形を作っているとはいえず、高校時代にしたアルバイトなのに、鉄骨運び、などといってしまう私も、腕を伸ばして、片手で捧げ持つことはできない。 昨日も多少の手振れは気にせずといったものの、わざとぶらすことはしない。ぶれないようがんばったが、ついぶれてしまった、というのが良いわけである。上手い嘘をつくには本当のことを混ぜるべきで、ぶれないよう頑張ることが重要であり、それがひいては、リアル感はともかく、下品になることを避ける手立てであろう。 比べると、何日もかけて合成する作品には写真という手段の持ち味でもある“今”という気分は望むべくもない。ただ、頭に浮かんだイメージを可視化して『やっぱり在ったな』。と確認するのが私の創作行為であるなら、また乱歩同様“現世は夢 夜の夢こそまこと”というなら、時間がかかろうと続けなければならない。 まずは名月撮法用に、軽量な北斎を作るべきかもしれない。 土曜日曜は午後にはなるが在廊予定である。

平井憲太郎×山前譲トークショーは8月25日(土)となりました。お申し込みは下記まで。
石塚公昭幻想写真展-生き続ける作家たち- 2018年7月25日(水)~9月2日(日)(火休)

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『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載10回『劇場の永井荷風』




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本日はトークショーである。私は何がダメといって人見知りである。例えば近所で30年通った店が2軒あるが最初の10年はほとんど何も喋らなかったくらいである。もっともそれは、近所の人と飲み仲間になるなんてまっぴらだと思っていたからでもあり、それが作品に登場してもらい、人形と共演してもらことになるとは思わなかった。であるからトークショーなど思いもよらなかったが、私の個展でもあり、他人事みたいな顔しているわけにも行かず。以前過酷なトークショーに参加したことはあるが、私の個展とゲストで登壇するのとは大分おもむきが違うと思いだしたのは本日の控え室であったが、今さらじたばたしてもしょうがないし、東雅夫さんのトークショーは何度も拝見し、東さんにお願いすれば、なんとかしていただけるだろう、と考えていた。 時間になり、いざ控え室から出るとあまりの最前列の近さに「近い」と口をついて出てしまった。椅子が斜めに配されているのを良いことに、東さんの方ばかり向いてさすがに客席の視線に耐えること出来ず。 それでも東さんとリコーの方のおかげでなんとか無事にかどうかは判らないが終わった。慣れないことをして、喉を潤したい。気がつくと件のご近所連は消えていた。地元で待つとのメールに急いだ。 オイルプリントの技法公開目的に2000年にHPを立ち上げたが、オイルプリントに対する質問は一件も来ず、当時あった掲示板も、他所の掲示板のように、訪問者同士が盛り上がることもなく。カウンターを見ると一定の方々には訪問いただいてはいるようではあるが、直接の反応がないので半信半疑であった。できるだけお答えするのでメールでも、Facebookのメッセージにでもご意見なり伺いたいものである。それはともかく。お相手頂いた東雅夫さんと、参加して頂いた皆様には感謝いたします。有り難う御座いました。 江戸川乱歩の孫の平井憲太郎さんとミステリー研究家、山前譲さんのトークショーは、25日です。

石塚公昭幻想写真展-生き続ける作家たち- 2018年7月25日(水)~9月2日(日)(火休)

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『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載9回『牡丹灯籠 木場のお露』




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今回も飯沢耕太郎さんに来ていただいた。写真の素人なのに神田の古書街や薬品問屋に通ってはオイルプリントの解明に励んだのは1991年からである。写真など興味がないはずの私が本業そっちのけで何をやってる、と周囲を心配させたものだが、一番ハラハラしていたのは私であった。しかし止められない。幼稚園児の時、佃の渡し船を描くため母が止めるのも訊かず嵐の中マンホールの東京都のマークを見に行った。あの状態であった。当時参考文献として、現行で入手できたのが飯沢さんの『「芸術写真」とその時代』筑摩書房。しかし、ようやくオイルプリントを観ていただいたのは2015年の『ピクトリアリズム展Ⅱ』である。以来毎回観ていただいているが、今回、それ以前に制作していた時代の作品を披露する機会を得た。特にお会いしたかったのは、前回の『ピクトリアリズムⅢ』で制作した、陰影を出ないように撮影する最新の手法に何か名前を付けていただけないか、ということがあった。私はこんな時、『名月赤城山撮法』はともかく、何をスカしたこといっていやがる、と思われるのではないかと気にしてしまう。それならばいっそ誰かに、と思った場合、飯沢さんしか浮かばなかった。どうやら暇な時にでも考えていただけそうである。 その後、ギター、ウクレレ制作者、ソングバードの遠藤さんと白石“雑巾がけ”ちえこさんと久しぶりに旧交を暖める。前半は遠藤さんの健康に対する心がけを拝聴することとなり、ダメ出しをいただくことに。
明日はトークショーを東雅夫さんと行うことになっている。以前一度過酷なトークショーに登壇したことがあるし、文学のことは東さんにお任せして、人形制作や撮影のことについて何かお話できれば良いのだが。

平井憲太郎×山前譲トークショーは8月25日(土)となりました。お申し込みは下記まで。
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『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載9回『牡丹灯籠 木場のお露』



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三遊亭円朝より始めた、被写体から陰影を排除する手法は、たまたま陰影を描かない浮世絵、日本画から思い付いた物ではあったが、被写体から陰影を消して撮るなんてことは、写真家はしばしばやってきたことであり、たいした話ではないのだが、何故日本画調になったかというと、被写体が作り物であったからで、さらに偶然日本画調になるような、私の造形具合でもあった。元々小さな人形に実物の燭台やら配す訳だからそれぞれ大きさの調整が必要だし、陰影を出さないため一つ一つバラバラに撮影しないとならない。それぞれピントを全面に合わせるし、一発撮りは不可能である。昔常用していたようなレンズの味はかえって邪魔になり、道具であるカメラも何でも良く、私の作品を撮らないとああはならない、という。自分の中から生まれる物は自分に都合の良いような物になるようにできているらしい。 この私の大リーグボール3号に対し、只今展示しているのは1号と2号である。人形を手持ちで撮った1号、これは今は誰でもやっている。2号というのは、過去の人物を、面白くも可笑しくもない指定された地区に配さなければならない、という、追い詰められた状態で編み出した苦肉の策で、背景を決めてから、それに合わせて人物を造形するというもので、時に頓知力も必要とした。毎号25万部のプレッシャー付きであった。 私としては晩年は今までの作品をオイルプリント可することに費やし終わる、と考えていたので3号が生まれるとは思わなかったが、思い付いて約一年で発表に至ったのは何よりであった。オイルプリントは、再現するのにやたらと時間がかかったが、あれは改良こそしたものの、私が発明したわけではないので、そう都合よくはいかない。ワークショップに参加した人が、その日初めてプリントした作品を個展に出品し、売れているのを見て、私の役割も半分済んだと思った。

平井憲太郎×山前譲トークショーは8月25日(土)となりました。お申し込みは下記まで。
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『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載9回『牡丹灯籠 木場のお露』


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山賊  


今日は友人が来るというので会場へ。朝外出しようとしたらマンションの下に飛び降り死体。奥さんに知らせると、宝くじを買うようにいわれたS。その奥さんと電話で話しているのを見ると、電話の向こうにいるのはパットン将軍か?と思うのであるが。腕の中で猫に死なれ、落ち込んだあげくにそれがきっかけに介護の世界にと勉強を始めた。それと某市役所に勤めながらアダルト系小説を書くI君と、一時間ほど抜け出し立飲みへ。会場に戻ると、近所の酔っ払いが女性と来ていたらしい。後で聞くと23日のトークショーをキャンセルして帰ったそうである。この68になるオヤジは拙著『貝の穴に河童の居る事』(風涛社)で恐れ多くも柳田國男の手足をやってもらったが、私の個展のたび、女性を誘う口実に利用し、酔っ払って来たり、相手を変えては何度も来たりする。今日もそうであったし、トークショーもその後知人の参加者と飲みに行くつもりで楽しみにしていた。いい加減腹が立って来た。何しろ小説など二十歳の時に『十五少年漂流記』を一冊読んだだけというオヤジである。私の個展など興味がない。そこで一計を案じた。「来場者からお一人指名し、ご意見を伺うコーナーをやることに決まったので頼むね。」このオヤジ、過去に結婚式で挨拶を頼まれ、暗記したはずが頭が真っ白になり、一言も発せず終わるという失態を演じている。それだけは止めてと身をよじっていたが、ついに今日キャンセルして帰った。ざまあみろである。もちろんそんなコーナーなどない。 一度休館日に来た工芸学校時代の友人が改めて。女子美で陶芸を教えており、教え子の展示を見てきたそうで、閉館間際、その美人の教え子も来てライオンへ。聞くと学生の気質も随分変わったらしい。女子美と入学試験も適当な山賊をかき集めたような学校では比較にはならないが。もっとも未だに山賊のままなのは私だけで、他の連中は案外ちゃんとしていって、彼も何人か教え子を育てられたから良かった、なんていってるのを聞くと話が違うではないか、と納得がいかないのである。


平井憲太郎×山前譲トークショーは8月25日(土)となりました。お申し込みは下記まで。

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それにしても銀座4丁目、銀座のど真ん中で1ヶ月超の個展は異例である。黒沢映画で家康をやった方は、私が三愛ビルで個展をやるわけがない、と三愛の裏通りを探したそうである。そもそも女性専用のファッションビルのイメージで、初めて入った、という男性の声を良く聞く。それにしても私が会場でコーヒーを飲んでいることが信じられない。昔は喫茶店でソーダ水を飲むのがカッコ悪く、トマトジュースに転向した。ミルクを入れれば胃がもたれないことは判っていたので、アイスに限れば飲むことはあったが、あまりに暑い日に、自動販売機でブラックのコーヒーを買ったのは、ついこの間で、以来、たまに買うようになった。エスプレッソが濃いコーヒーであることも初めて知ったのだが、空腹時さえ避ければ飲めることも判った。ただまだチャレンジ的行為の範疇は抜けてはおらず、この個展以降も飲むか、というと疑問ではある。しかし好き嫌いの多い男はカッコ悪いとは思っているので良いことではあろう。思えば私カラオケにいくようになるとは思いもよらず、いやそれよりも、私がカメラを始めた時、またパソコンを始めた時の友人等の驚きようはなかった。それがまさかの必要不可欠な物になるとは。もっとも、デジタル処理といっても、色調整と切り張りをしているだけといってよく、ハサミと糊は使わないけれど、という程度で良い。被写体を自ら作る“二刀流”は、その特徴を打ち消してしまう。作品の造形が粘土感丸出しなのはそういう意味もあったのか、と他人事のように感心した本日の私であった。以降、例によって知っててそうしていたことにしよう。平井憲太郎×山前譲トークショーは8月25日(土)となりました。お申し込みは下記まで。

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16年の深川江戸資料館の個展『石塚公昭の世界』では、現在展示できる作品をとにかくできるだけ、かき集めようとした試みで、始まってからも一点でも多く、と手を加える有り様であった。その時、今までになく広い会場で、限りある命でもあるし、今までのように、行き当たりばったり、浮かんだと行っては、目の前にぶら下がったパンにただ手を伸ばすようにしていてはいけないのではないか、と。考えたのであったが、被写体から陰影を取り去って、というアイデアが浮かんでしまい、せっかく殊勝な考えに至ったのにも関わらず。私の大リーグボール3号だ、などとはしゃいだあげくに一年で個展を開いてしまったのは、ついこの間である。、バレエを一度見ただけて2002年に、天才バレエダンサー、ニジンスキーによる個展を開いてしまった。あんな暴挙は今ではとてもではないが、なんていっていたのに、まったく相変わらずで何も変わっていない。幼稚園児の頃、母の実家から50メートルの所に佃の渡しの渡船場があり、良く祖父と往復した。台風で幼稚園が休みの日、渡し船を描いていた。煙突にあそこと同じマークが着いていた、と母が止めるも聞かず嵐の中、マンホールの東京都のマークを見にいった。こんな私に、手を打つなら今のうちだ、と不安な母は、妙な施設に連れていったり色々手を尽くしたのであろう。今となっては努力を無駄にしてしまって申し訳ない気もするが、生まれつきのことは私にはなんの責任もない。 リコーの個展は、私の大リーグボール1号と2号による作品が並んでいる。今度こそ客観的になろうと、粘土を注文するのを我慢している。だがそろそろ限界が来ていて、作りたくてイライラし始めている。今まで飲めなかったコーヒーの、会場のエスプレッソの沈静効果を期待している。明日金曜日も在廊を予定。平井憲太郎×山前譲トークショーは8月25日(土)となりました。お申し込みは下記まで。

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18年も身辺雑記やらブログを続けていると、何度か書いたはずだが、中一の時母方の祖父が亡くなった。担任に呼ばれて、すぐに行くように言われた。悲しいけれど数日前に見舞って、永くはないと判っていた。生まれて初めて死体というものを見た。死ぬことは物になることのようだ。私がいても邪魔なので準備ができるまで隣の伯母の家に行っていろといわれた。千載一遇のチヤンス。というのも、この日日本テレビで『性教育を考える』という放送があり、スゥエーデン製作の出産シーンやアトリエでの男女のボカシ無しのヌードが昼間に放送されたのである。 ところが死と生とあまりにも振れ幅が大きい一日であった。夜寝床で天井を眺めながら祖父の遺体を思いだし、私も必ず死ぬ。生きているとはなんだ?掛け布団も天井もそらぞらしく感じ、長続きはしなかったがしばらくアンニュイな中学生になってしまい、以後何かしら変わった。 その母の実家は聖路加病院のすぐそばで、米国資本のその病院は爆撃はしないというビラをアメリカは撒いた。それは事実であり、むしろ木場から飛んでくる火の粉やを防ぐのに屋根の上で祖父は大変だったという。勿論、隅田川はもとより周囲は火の海であった。空襲を逃れた母は、後日、永代橋を渡り江東区側を見に行ったそうだが、あまりの光景に、私が越してきた三十年前、来たくないといっていた。 私は祖父一人亡くなってあれだけの思いをしたのだが、母は、数えきれない死体の山や焼ける臭いを嗅いでここに至っている、この違いはあまりに大きい。それを忘れて何度クソババアと呼んだことであろうか。本日くらいは反省したい。もっともそれとこれとは別かもしれず、永井荷風は戦争体験のショックでクソジジイになってしまった、という説もある。


平井憲太郎×山前譲トークショーは8月25日(土)となりました。お申し込みは下記まで。

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母の入院先に行くと、昨日ガラガラ声で酷かったが、たまに咳き込む程度で、どうということもなかった。鼻には酸素のチューブこそしていたが、あれが食べたい病院食ではお腹がすく、と相変わらずである。本日は特にどうということもなく書くことがない。しかし間が空くと母がどうかしたかと思う人もいるだろう。愛想のないことだが、ブログ初めて以来、おそらく最短で終わることに。

出品作より太宰治

平井憲太郎×山前譲トークショーは8月25日(土)となりました。お申し込みは下記まで。

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会場に向かっていると母のいるホームの担当者から、多少熱があり、ついこの間退院したばかりの病院に逆戻りと聞いた。そういえば、ガラガラ声をしていた。本人は喋り過ぎたといっていたのだが。母は風邪で寝込むことはなく、子供の頃二人して布団を並べて寝込んだ記憶があることはあったのだが。今月10日で89歳になった、肺炎が心配である。明日は会場が休みだし、手続きもあり行くことにする。 会場で取材を受ける。たまたま乱歩好きな方であった。 インタビューを受けながら、ついこの間までやっていた陰影を消す手法について思い出した。日本人は何故陰影を描いてこなかったか、私には良く判らないが、浮世絵、初期の日本画の大胆な自由さは、陰影がないからこそであろう。私は随分ジタバタしたが、立体を作るということは陰影を作り出すことに他ならず、つまり被写体の制作者と撮影者が同一というところがドタバタの原因であった。しかし矛盾の狭間で葛藤できるのも、両方やっているからこそである。お陰で眉間にレンズを向ける、理想としている念写に近づくことができている。本来写真とは、自分の外側にレンズを向けるものだが、それだと私には、やれてせいぜい比喩的表現であろう。

平井憲太郎×山前譲トークショーは8月25日(土)となりました。お申し込みは下記まで。
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