明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



私の作品に旅館の番頭役で出演していただいているTさん。それはもう、すこぶる付きの穏やかな人物である。私はこれで家に帰ってサデイストの暴君だったら笑えると日頃いっている。先日激怒した話を訊いて、それは相手が悪いに決まっている。と理由も知らずに皆が思ったくらいである。この件は、怒った方も怒られた方も酔っぱらって理由を覚えていないという。せめて酒の肴くらいにして欲しい。面白くも可笑しくもない結末であった。 ところで。私がT千穂に年金暮らしの小学生(いや、そういっては小学生に叱られる)。河童のような妙な生き物が出没する。となにかとブログに書いていたせいもあったろう。K本の常連の二次会にT千穂が使われることが多くなった。T千穂ではTさんが泥酔状態にもかかわらず、空いたグラスに焼酎をそそぎ、足りなくなれば注文してくれていた。気使いの人だと皆思っていた。しかし私はK本からの流れだとしても、皆さん毒を盛られたかのように、急激にヨレヨレになっていく。と感じていた。 ある時Tさんがボトルから焼酎を注ぐのを見た。ドボドボドボドボと注いでいる。これが原因であった。 先日、元プロボクサーのモアイさんが加わり飲んでいた。彼は日本酒を飲むが、この時はっきり判った。Tさんは相手の状態にまったく興味を示さず、グラスの水位だけが唯一の関心ごとのようである。元ボクサーがダウン寸前にもかまわず注ぎ続ける。これはまずい。しかしTさんの注ぎ方のせいか、場は盛り上がっている。リングにタオルを投げ入れにくい。そこで私もその日本酒を横からいただき、モアイさんの負担を減らそうとしたのだが、Tさん手を緩めず。かえってお銚子を追加してしまい逆効果であった。結果モアイさんは前のめりにテーブルに突っ伏し、タクシーで帰っていった。 一見人の良さそうなTさん。いや実際良い人である。だがしかし、私は皆に警告した。“注ぎ(ツギ)殺しのT”には気をつけろ。するとTさん空いたグラスを見つけては我慢しているのであろう。両手が空中でアワアワしている。 私はTさんに一応いっておいた。「私だけは今後もいつもどおりに御願いね」。

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河童が棲み家に帰って行くラストシーンは、当初曇天のドンヨリとした太平洋を飛び去るところを考えていた。たまたま暗雲たれ込める太平洋のカットが手元にあったからだが、こいつは名場面になるぞ、と思ったのもつかの間。房総の海辺から内陸の沼に帰るのだから、太平洋に向かって飛び去ってはいけない。どうも昔の怪獣映画によくあるラストシーンが頭にあったのではないか?随分前に気がついたから良いようなものの。 カラスをお供に飛ぶカットは2カットを考えている。空中を翼を広げて飛んでいるカラスをまず作った。曇天にカラスは黒と銀で描かれたようで、それまでのカラーから最後を飾るにふさわしいように思える。見開きに後続のカラスを大きく描き、前をいくカラスを追って、機嫌を回復した河童がはしゃぎながら飛ぶ予定である。ちょうど暴走族が蛇行して走っている感じが浮かぶ。河童のこういう状態を子供の頃“泣いたカラスがもう笑った”といった。あれだけドタバタ泣いて、人間どもに仇討ちを願い出たはずなのにケロッとしている。河童は単純である。 近所に住むほうの河童のK公は、検査に行くといいながら怖がってなかなかいかない。これから行く、と何度だまされたか。心配するだけ損である。行っても頭のレントゲンは撮らない方が良いよ。梅干の種みたいなのがコロコロいってるだけだから。といってある。

書籍表紙用の某社長。現役の方なので、追加撮影してもらった大きめのプリントが送られてきた。これなら部屋にずらっと並べ、あっちを見たりこっちを見たりして作れる。資料として常に本に掲載されている1センチ角や幼い頃の写真まで利用してきたことを考えると、こんな贅沢はない。真正面と真横の写真があれば大丈夫なのだが、送られてきた写真は頭のテッペンや、のけぞって顎を下から撮ったもまであった。その辺りは資料がなくても自動的に出来上がる部分である。おそらく立体なので、テッペンや顎もあったほうがいいんじゃないか、と撮影者と話し合われたかもしれない。レンズの前に頭頂部や、顎の下を差し出している社長。この方の人間性が伺われる気がして、少々照れた表情とともに、むしろそちらが参考になったのであった。

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河童の三郎は、房総に遊びにきた芸人三人組の中の娘の尻を触ろうとして怪我をする。自分が悪いくせに、怪我をさせられた人間どもに復讐しようとする。最終的には機嫌をなおし、空を飛んで住まいの沼に帰って行く。 柳田國男演ずる姫神様に仕える翁がカラスに河童を送って行くように命ずる。街は行水時である。好色な三郎が白い脛にまた迷い、横道にそれないとも限らない。河童とカラスは「ひょうひょう」と梅雨空を飛んで帰って行く。クライマックスシーンを作ってみた。飛んでいる三郎はまだ作っていないので、カラスを二羽飛ばせてみた。モノトーンの良い感じになった。改めて見ると、カラスの目は案外可愛らしい。すくなくともパンダの目よりは善良そうである。 河童は大騒ぎしたあげくに帰って行ったが、自分勝手な性格で、学習能力に欠けている。今回は腕を折っただけで済んだが、鎖骨を折った時は、数週間後に額をへの字に23針縫っている。房総で酔っぱらって自転車でカーブを曲がりきれずにガードレールにぶつかった時は、携帯の声は情けなさで涙声であった。定年後の3年だけでも、すでに救急車に3回は乗っている。私は同じ事を何度も繰り返す、こんな馬鹿な河童は見たことがない。独特の笑顔をみせるが、頭をぶつけすぎた河童の顔はこうなる。と柳田國男は書いていなかったろうか。 いつの間にやら近所に生息する、妙な生き物の話になってしまった。

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昨日書いた醤油で煮しめたような煮込みの店は、何かとTV雑誌で取り上げられる。おかげで妙な客も増える。本日は駄目な夫婦が来店。昔のこのあたりを知っているらしいが、女房が懐かしがってキンキン声でうるさい。うるさい婆あだ、と思っていると私よりちゃんと年下だから腹が立つ。白髪の亭主の爺いは、調子に乗って空瓶を並べているが、ホッピーはまだ入っているからと、亀甲宮焼酎だけを注文するという生意気なことをする。この店は正調のホッピーを飲ませる店である。瓶が足りなくて、インク瓶を代用し、洗浄が足りなくて青いホッピーが出てきた、という信じられない頃からのホッピーの店である。氷も入れず焼酎の量も正調である。この爺い、新参者がお邪魔して、などと殊勝なことをいっていたが、しまいにはパイプを取り出してスパスパやり出した。私はここで何度も書いたが、パイプ葉巻の類は大豆製品、つまり味噌醤油とは絶対に合わない。長年パイプを愛好した私も、喫茶店以外では一切吸わなかった。今回は閉店を告げる目覚まし時計の音のあとだったから我慢したが、この店に小学生の子供を連れてくる馬鹿以来腹がたった。この爺い、案の定、腰を抜かして尻餅をついてしまった。ざまあない。修行して出直して来い!

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一日  


午前中に某企業社長の資料写真が届く。常に乏しい資料写真で苦労している。せっかく生きている人物なので、もっと大きく詳細な写真をお願いする。 佳境に向かっているといいながら足踏み状態の出版予定の作品だが、その分、動脈硬化で滞った血液のように内容が濃くなってきている。しかしそうこうしていながら次回作について頭のすみに入れておかなければならない。まだ何も決めていないが、今回のことで世間では全く知られていない一般人に参加してもらい実に面白かった。周囲の人以外、誰も知らないという痛快さがある。 私の通う醤油で煮染めたような酒場には、多少デジタル的修繕を要するとしても、それ相当な人材が集まっている。しかし反面、醤油で煮染められていない女性の人材が絶無である。絶無とはこういう時に使うのか、と感心するくらいの不毛さである。そこで某所で昔TVでやっていた『プレイガール』でいえば沢たまきに相当するR子さんに打診していた。そしてまず一人の娘の承諾を得る。もっとも彼女は私がどのような傾向にある人間かは知らないので、仮ということになろう。以前、従兄弟の二人の息子を、少年探偵団の小林少年とポケット小僧にしたてようと考えていたら、いつのまにか180センチを超えてしまったことがあるから、あまりノンビリとはしていられない。  このところ怪我をしていないといっていたKさん。救急車にも乗ってない、といいながら、数時間後に今年初の救急車に乗る。どこかに倒れていて通報されたらしい。泥酔状態でパトカーに乗って帰ってきたそうである。酔っ払って家に帰ってから23針の怪我をする人である。周囲が何をいっても無駄である。こうなると、Kさんが死んだとき、最後に一緒に飲んでいた人物になることだけを避けておきたい。そのためには、誰かと飲んでいる最中に捨てて帰るべきであろう。昨晩は店外から酔っ払ったK2さんの姿が見えたので入るのを止めておけ、と止めたのだが入っていった。 怪我はたいしたことなかった。まあ死んでいても私が最後ではなかったし、一応止めておいたので、気分はずいぶん楽であったろう。

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小説を読むと私の場合、頭の中に常に映像が浮かび続ける。それはかってに浮かぶのであるが、見てきたようなつもりになっているので確信をもって、それを作ってしまう。その間も読み続けていても確信を持っているので間違いに気がつかない。よってほとぼりがさめたカットから修正している。 もう随分昔のことになるが、BBキングのジャパンツアーのポスター用に本人を作ったことがある。私が子供の頃読んでいたロック雑誌では、カントリー歌手といえばジョニー・キャッシュ。ブルース歌手といえばBBキングくらいしか覚えがない。資料として最新のライブビデオを借りたが、大分太って髪も伸び、白髪頭だったが、完成したのは少年時代に見た頃のBBであった。ところが人にいわれるまで私はそれに気がつかなかった。この信じがたいような体験で、私は目の前の物より、頭の中のイメージが優先してしまうことを知った。子供の頃から何かを参考にしながら描いたり作ったりが嫌いであった。頭の中のものを取り出すのが面白いので、既存の物を写してもつまらないと考えていたので、ジャズやブルースのシリーズにしても架空の人ばかりを制作し、実在の人物を中心に制作したのは、シリーズ最後の個展の時である。今でこそ実在した人物ばかり作り、客観性を維持する方法を身につけたが、BBキングを制作した頃は、まだ自分の正体が良く分かっていなかった。 この体験のせいであろう、荒俣宏さんが書かれた、白人が大きな帆船で島にたどり着くが、原住民は白人や大きな船など見たことがないので、島の中を歩いていても、白人の存在を知覚できない、という話が無性に好きなのである。そして私はこのことから、この逆のことも起こり得る、ということに気がついた。つまり人がこう見える、こうなっていることを知っている、ということを利用すると、自動的にそう見えてしまう、という仕組みである。原住民と反対に、様々なことを見聞きしている人ほど、肝心なことを押さえておくと、そう見えてしまうのである。このことは私の創作上の秘密なのだが、感覚的なことなので、言葉にしても只今記したこと以上のことはなにもない。

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都営地下鉄駅に置かれたフリーペーパー『中央公論Adagio』 で九代目團十郎を作った。これは私の出した企画が通ったものである。背景の歌舞伎座が改修工事目前であったことと、当時インフルエンザが全国的に猛威をふるっており、江戸の昔から團十郎に睨まれると一年間風邪をひかないといわれていたからである。世相的にも暗いことが多く、歌舞伎座の屋根の上で、『暫』の扮装で東京を睨み倒し、様々な悪を切り捨てて欲しかった。 写真資料として決定的なコロタイプによる写真帖『舞臺之團十郎』(舞臺之團十郎』刊行會)大正12年 を江東区から借りて複写することができた。この写真集を眺めていて不思議だったのは、芸談、目撃談で知っていた不動明王と同じ陰陽を表現した團十郎の目(ただの寄り目ではない)が描写されていないことであった。坪内逍遥が解説で、実際の團十郎の目はこんなものではない、といっていた。そこで仕事で十二代目を撮影されている方ならご存知か、とメールで質問してみたら、なんと十二代目に直接電話で訊いていただいてしまった。するとあの睨みは短時間しか保てず、当時の長時間の露光をようする写真感材では無理だったのだろう、というお答えであった。 結局特集決定が遅れ、配布後4、5日で歌舞伎座の解体工事が始まる、という結果になった。扮装を『暫』から『助六』に変えたのは、制作した面相が隈取に埋もれてしまうこともあったが、最終公演で十二代目が助六をやるからであった。名残惜しんで歌舞伎座を取り囲む群衆は、東銀座駅で入手した特集号をみんな手にしているだろうと思ったら一人も持っていない。駅員に訊くと場所がないので駅員室に置きっぱなしだという。一番置くべき駅に置いていないのだから話にならない。 ところでHP開設十周年だったか、“私が作っているのは誰でしょうクイズで”当てた方に何枚か小さなプリントを差し上げたが、後は知人の舞台俳優に贈り。あとの2枚は大きめにプリントして、資料探しに古書店を回っていて、九代目の資料を探しまわっていると勉強熱心さを耳にしていた海老蔵丈(私は歌舞伎座で、目から光線を放つのを見た)間接的とはいえ、私の質問に答えていただいた十二代目に差し上げるつもりであった。だがしかし、アダージョ完成後も九代目熱が冷めなかった私は、私の想像で表情を創作したことが、だんだん大それたことをしてしまったという気になってきて、きっかけを失い、実はまだ手元にあるのである。二人目の孫ができるらしい。その時にでもお送りしたい。

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今月ようやく編集者と三回目の打ち合わせの予定である。ただ出版の話をした1回を含めてもたったの4回目である。 ここへ来て未だに見落としを見つけて修正している。本日の修正点。フンドシ姿の漁師二人。河童と遭遇して担いでいた獲物を放りだして逃げる。巽の方角に海があり、そちらからやってきて、そちらに逃げることになっているのだが、となると向きが違う。左右を反転した。幸いひきの画なので反転しても漁師二人に違和感はない。このカットは面白い画になったが、一人は大学でラグビー選手だったのに、申し訳ないくらい一目で判る鈍足に変えた。この時点で制作したカットは70カットを超えている。これにはただシャッターを切って色調整しただけのようなカットは含まれていない。 昨日も話になったが、完成した暁には、参加者で集おうということになっている。マンションの駐車場でフンドシ姿で演技したり、おかしな踊りするはめになった出演者だけが、いかに事実と違うかを知っている。作者としては、たまたまロケをしたらこんな都合の良い場所がありました。という顔をしなければならず、本当のことは公開できない。協力したはいいが、いったいいつになったら完成するのだ、と内心思っているであろう出演者限定で披露するつもりでいる。 嵐山光三郎さんが、鏡花は現場を克明に取材しているとおっしゃっていたが、モデルにした房総の神社に行き、あまりにも書かれたとおりで感動した。ここを撮影しなければ、さらに風景作りに苦労したであろうと思うとゾッとする。それもこれも事前にネットで検索して、神社が作中の神社と酷似していることに気付いたおかげである。私はてっきり鏡花が書斎でイメージだけで書いた作家だと思い込んでいたのであった。

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