30数年住んだマンションは、家主は福祉法人で、リニューアルして新たに貸したいらしく、引っ越しの後始末はこちらでやりますという。おそらく後で後悔したろうが、ちょうど引っ越しに備えながら、片付けが遅々として進まない私としては渡りに船の申し出である。期限の日、不動産屋に鍵を返すと、後ろを振り返ることなくタクシーに乗った。 その後、色々忘れてきたことに気が付いたが、それでも一挙に断捨離の清々しさには変えられない。 忘れ物の一番は、祖父の字で”公昭写眞集“と書かれた写真アルバムであろう。父が二眼レフで撮った生まれた日は時間ごと、しばらくは毎日のように撮られている。まあ私自身はともかく、私が東京の最後の姿と考える64年の東京オリンピック以前の風景が惜しくはあったが。 ところで実在した作家の制作から一変、仙人やら、実際に存在したか怪しい連中を作る日々だが、ここには物心ついて以来、私の中に無意識に蓄積されて来た人間のイメージが集積されている気がする。これは実在者を作っていた時には感じなかったことである。公昭写真集は失ってしまったものの、寺山修司が“私の墓は、私の言葉であれば充分”といった気持が解る気がするのであった。
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