明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

加齢  


一昨日より左目隅に、黒い異物が。飛蚊症らしい。ハエが飛んでいるかのようで、つい手で払いたくなる。同年輩に聞くと、結構既に経験している連中が多い。当分放っておいても良さそうであるが、無呼吸症候群といい、ヒタヒタと何か迫り来る感じはする。一昨日は久しぶりの人達と飲んだのだが、普段どんな酒だろうと生のまま飲み、氷さえ入れない、一時間も飲んでいるだろうか。しかし外で飲む時は、その場のペースに合わせる。おかけで夜明けまで何度トイレに起きたか、コロナ禍ですっかり忘れていたが、これも加齢のせいだろう。久しぶりに悩まされた。  虎渓三笑図の背景浮かぶ。前景に笑う男三人。その後ろに中国調石橋。その後ろにそそり立つ岩壁。当初滝も考えたが、他でも使いそうなので止める。どのジャンルでも私より上手く撮れる人はいくらでもいようが、私の頭に浮かぶ景色は人に任せようがない。

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気が付いたらほとんど毎日ブログを書いている。考えずに行き当たりばったり、成り行きで制作しているのでなんで寒山拾得以外に手を拡げたのか、すでに判らなくなっている。後でブログを読めば多少は判るのではないか。とほとんど備忘録化している。基本的には”迷わず行けよ 行けばわかるさ“ではあるものの、なんで達磨大師作っているんだっけ?座禅もしたことないのに、なんで禅宗の宗祖、開祖を作っているんだっけ?と思い出せないまま作り続けている。作りたいから作った、は間違いないのだからかまわないが、後で良いから、その心境の変化など知りたい。そこには“考えるな感じろ”ではあっても、何だか判らないけど作ってしまいました、ではバカみたいではないか、という矛盾した気分があり、意味や理屈があってこうしてます。という顔をしたがるところがある。個展開催時までにはすべて予定通り、みたいな顔をしておきたい。


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『慧可断臂図』の見返り達磨大師に続き、慧可を作った。一カットしか考えていないので、写るところしか作らない。他の連中が濃すぎるし、今回対するのが達磨大師である。伏せ目の、ごく特徴のない人にしてみた。頭髪も髭もない。 寒山拾得は、やはり再考のこと。これが最初に今ある頭部が出来ていたなら、イメージ通り、と思ったかもれないが、他のモチーフを手掛けるうち、認識が変わって来た。頭部が完成しているのに、なかなか手を着けないので、早く始めれば良いのに、と頭では考えていたのだが。やはりヘソ下三寸辺りの、もう一人の私が、ゴーサインを出さず。頭で考えても駄目である。結局、寒山と拾得を後回しにした理由も意味もあったということであろう。今回ほど”考えるな感じろ“なモチーフはない。 

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30数年住んだマンションは、家主は福祉法人で、リニューアルして新たに貸したいらしく、引っ越しの後始末はこちらでやりますという。おそらく後で後悔したろうが、ちょうど引っ越しに備えながら、片付けが遅々として進まない私としては渡りに船の申し出である。期限の日、不動産屋に鍵を返すと、後ろを振り返ることなくタクシーに乗った。 その後、色々忘れてきたことに気が付いたが、それでも一挙に断捨離の清々しさには変えられない。 忘れ物の一番は、祖父の字で”公昭写眞集“と書かれた写真アルバムであろう。父が二眼レフで撮った生まれた日は時間ごと、しばらくは毎日のように撮られている。まあ私自身はともかく、私が東京の最後の姿と考える64年の東京オリンピック以前の風景が惜しくはあったが。 ところで実在した作家の制作から一変、仙人やら、実際に存在したか怪しい連中を作る日々だが、ここには物心ついて以来、私の中に無意識に蓄積されて来た人間のイメージが集積されている気がする。これは実在者を作っていた時には感じなかったことである。公昭写真集は失ってしまったものの、寺山修司が“私の墓は、私の言葉であれば充分”といった気持が解る気がするのであった。


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日曜美術館『横尾忠則ART IS LIFE 』寒山拾得を描かれているのは知っていたが、何点もあるのは知らなかった。 蝦蟇仙人と鉄拐仙人は、立ち姿と傍らの岩に腰掛けたそれぞれ対になるように作る予定である。蝦蟇仙人は三本脚のガマガエルを従えているが、鉄拐仙人は、鉄の杖だけでは弱いので、ひょうたんを幾つもぶら下げバランスを取ることにした。『虎渓三笑』の慧遠法師『慧可断臂』の慧可『寒山拾得』の豊干『琴高仙人』を来月中に、仕上げ前の乾燥まで持って行きたい。豊干だけば数パターンの制作を予定している。寒山と拾得は急がず、頭部の制作に、もう一山越えてみたい。一休禅師の頭部は年内に完成すれば、来年正月にはしやれこうべを竹竿に”門松や冥土の旅の一里塚、目出度くもあり目出度くもなし”が撮影出来るだろう。 こんなことを今の段階で書き出していると、『虎渓三笑』の教訓、つまり一つのことに夢中になり過ぎ、客観性を失ってはならない。という私の幼い頃からの、注意すべき点を乗り越えた感に満たされる。しかし集中力なければ作品は形を成さない。

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『タウン誌深川』の次号エッセイは、慧可断臂図より見返り達磨大師にした。原稿を書き、後は写真を撮るために仕上げに入る。私なりの達磨大師像になったろう。普通の人間の顔でなく、創作可能な今回のモチーフは、水を得た魚の気分である。無意識に私の中に蓄積されてきた人間の情報を取り出し使える。何しろ励んで勉強しよう、と考えたことは、ことごとく役に立たない、という私の体質に、早々に気付ことが出来たのは何よりである。それを証明するためには、今回の様々なモチーフは最適である。 ヤフオクで落札した10センチ前後のひょうたん5個届く。鉄拐仙人に、持たせるためである。どうせなら全部ぶら下げよう。私のもっと々的な過剰なところが難なく吸収してくれるモチーフである。蝦蟇仙人の蝦蟇とのバランスを取るためにも良い。



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一日  


『慧可断臂図』の慧可禅師をもって予定しているモチーフに登場する人物の頭部がすべて完成した。ただ『寒山拾得』の二人組に関しては、様々作り進めるうち、気持の変化が生じて来て保留中である。常にケラケラしている妙な二人だが、そこにタスマニアデビルがじゃれあっているようなワイルドなイメージが浮かぶのだが、浮かぶのは勝手なのだが。浮かんだからといって。 それはともかく。これらの人物の全身の制作のメドがつくまで、新たなモチーフには決して手を出さない。と決めている。 次は慧可禅師か、『虎渓三笑図』の最後の一人、慧遠法師か、一晩寝てから考えよう。この三日ほど、無呼吸症候群用の装置をつけることなく寝てしまった。



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雪舟の『慧可断臂図』(えかだんぴず)は、必用最小限の情報のみでシンプルな構成で出来ている。そこが良い訳で、禅宗の開祖達磨大師と、第二祖となる慧可禅師。禅画のモチーフとして名場面であろう。しかし座禅一つしたことがない私のような人間からすると、もう少し要素を加えたい。あまり説明的になるのも野暮だが、慧可は、釣れ過ぎてしまった魚を自宅で血抜きを済ませてきたので、お裾分け、みたいではある。それに覚悟を表している割に、泣きそうな顔は違和感がある。 この場面は積雪の場である。慧可は膝上ぐらい雪に埋め、頭や肩には雪を積もらせたい。そして静かにうつむき加減に瞑目し、手には切り落とした左腕。それに使われた剣が積雪に垂直に突き立てられている。鮮血は雪上に点々と最小限に。覚悟の念を感じ、振り向く達磨大師。私の『慧可断臂図』はこんな感じになる予定である。


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私が一時熱中して飼っていた熱帯魚にフラワーホーンというのがいた。慣れてくると頭を撫でることもでき、こんな頭の良い魚は知らない。繁殖も比較的楽であった。ただシクリッドという魚種の常で、縄張り意識が強く、他の魚との混泳はよほど水槽内のバランスがとれていない限り不可である。何種類かの魚を掛け合わせ固定化し、東南アジアで人工的に作り出された魚で、ホーンといわれる出っ張ったおでこや、赤色や、黒い斑点などが、風水にのっとり評価され、華僑の間で流行した。模様が目出度い数字に見えようものならとんでもない値が付けられたた。 中国モチーフの作品を手掛けてみると、頻繁に吉兆アイテムが登場する。蝦蟇仙人の三本脚のカエルなどは、まさにそうで、幸運、金運の象徴であり、本能寺には織田信長遺愛の品が残されているそうである。それに対し相方の鉄拐仙人は、鉄の杖とは別にひょうたんを持っている。これも代表的な吉兆アイテムである。なのでひようたんを持たせることにした。そんな訳で鉄拐仙人は後回しにし『慧可断臂図』の慧可禅師の頭部を作ることにした。


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浮世絵やかつての日本画の自由さを写真作品に採り入れられないか、と被写体から陰影を削除してみた。おかげで写生をしていた大蛸に襲われ、それでも絵筆を離さない画狂人、葛飾北斉など制作出来た。しかし浮世をテーマにした浮世絵の世界より、超俗的な禅画の世界の方が、一山向こうの世界を描いているようで弾け方が別次元である。 ここまで来ると“現世は夢 夜の夢こそまこと”といった江戸川乱歩チルドレンを標榜し、まことを写すという写真という言葉に抗い続け、まことなど一切写してなるか、とファイトを燃やし続けて来た私も、頭に三本脚の蛙を乗せた男の表情を眺めていると、幼い頃から取り憑かれている甘美な孤独感に包まれるのであった。


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蝦蟇、鉄拐図は13世紀後半に活躍した中国の顔輝(がんき)作が日本に渡り、それが多くの絵師の大元となっている。私の好きな謎の笑みをたたえた寒山拾得図も顔輝作となっいるが、こちらはあくまで伝顔輝となっており、そういえば趣が違う気がしなくもない。真筆として明らかになっているのは、京都知恩院にある蝦蟇、鉄拐図という。そう考えると、今回、モチーフの選択など、私にも顔輝の影響大である。しかしながら私は絵師ではなく、こう描くべきだ、という師匠もいない。作った後に、蝦蟇仙人がカエル顔をしている必用はなかったな、などと思いながら、勝手に作っている。 小津安二郎の有名な言葉に“どうでもよいことは流行に従い、 重大なことは道徳に従い、 芸術のことは自分に従う。”というのがあるが、私の場合、差し詰め”どうでも良いことは歴史に従い、その他は自分に従う“といったところであろう。巨匠の場合はチーム仕事だし、会社に所属し、私とは渡世が違う。 よって鉄拐仙人の持つ鉄の杖は、持ち手がT字型の先達が描いてきたと同じ形にしたい。



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一日  


蝦蟇仙人と鉄拐仙人のコンビは、最低でも二方向からの表情を撮りたい。そこで立姿と、うちにも両方の掛け軸があるが、良く描かれる岩の上に座る姿にすることにした。それにしても実際は存在していない、しかも仙人などという物は、無責任に創作出来るので、こんな愉快なことはない。
テレビで『マスカレードホテル』を観る。実は犯人であった老婆が、本当は若い女の変装であることは誰にでも判っただろうが、特に唇の形と声で、松たか子であることが私には判った。子供の頃からシルエットクイズなど得意であった。いつだつたか、落語を聞きに行き、二列前の男の横顔のシルエットで、東京のテレビではそれほど目にしない、当時謹慎中の北野誠であることが判った。それに友人や親しい人なら、10年ぶり程度なら、電話のもしもし、で誰だか判る。という自慢しようがない特技もある。いずれにしても私には出来るだけ犯罪現場は見られない方が良いと思う。

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無呼吸症候群というのは侮れないもので、装置を着けないで寝ると一日酷い眠さである、大乃国の芝田山も引退するはずである。それでも普通に寝ているつもりでいたから、原因が明らかになり安心ではある。しかしマスクを着けなきゃ、と思いながら。なにしろピストルに撃たれたような寝付きの良さである。昨晩も着けずに寝てしまった。久方ぶりに夢を観た。 何だかいやに趣のある和室でカメラを手に正座している私。庭から爽やかな風。「先生がおいでになりました。」顔を上げると部屋に入ってきたのは谷崎潤一郎ではないか。両手にショートケーキを持ち、クリームだらけの手を、上等な着物になすりつけている。『女中の証言はホントだったんだ。』驚いていると、和服姿の若尾文子が入ってきた。ええっ?と思わず声を発すると、隣にいた編集者らしき男が「あんたが、どうせ撮るなら若尾さんが良い、といったんじゃないか。」よく見ると船越英二であった。

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石塚式ピクトリアリズムは、撮影時には迷うことなく、こういう画にする。ときっちりと決まっていなくてはならない。その代わり後は予定通り配置するだけである。最初の三遊亭圓朝は、一晩で完成してしまった。ただリアルに塗装したつもりの顔が汚れにしか見えず、三脚のカメラをそのままに、一色のベタに塗り直す必要があったが。 そんな訳で、制作時にアングルから何から決まっていなければならないのだが、蝦蟇仙人と鉄拐仙人は、何故かは知らないが、古来よりペアとして描かれてきた。一パターンは決まっていたが、もう一カットが決まらない。蝦蟇仙人が頭に乗せている三本脚の蛙の見せ方も絡んでいるので、なかなか制作に入れず。ペアでなければこんなに悩むことはないが、二つを色々アングルを考えながら、無呼吸症候群のせいだろう。寝たり起きたりで二日経ってしまった。明日には一つを作り始め、もう一つはそれに対応させて作ることにした。

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クリニックにて、無呼吸症候群の装置のレポートを貰う。着けていた時間、マスクからの空気漏れ、改善度その他スマホから送信されたデータにより判る。かなり改善されて良好である。昨日、一昨日と、蝦蟇仙人のことを考えているうちに寝てしまい、着けなかったが。装置を着ける前の、最初の検査結果は、とてもこんな所に書ける数値ではなかった。寝てる間中、素潜りの練習をしているのか?という有様であった。 ここ40年以上、寝たい時に寝て、起きたい時に起きている。つまり寝る時は眠い時である。なので、まるでピストルで撃たれたように、といわれる寝付きの良さである。これが幸いであった。マスクのビニール臭さには閉口したが、それもいつしか消え、レクター博士かビッグバンベイダーみたいなマスクをしていてもすぐ寝られる。問題は、ちょっと目が覚めたときに無意識に外してしまうことぐらいである。三時間でも着けていれば結果は違う。



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