明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



自転車に乗っていて見事にコケた。2度目である。20インチの小径車はタイヤが小さい分、段差が苦手である。フロントをヒョイと持ち上げ、乗り切ろうとしたのだが、私にそんなテクニックなどないのを忘れていた。試したこともない。スピードもでていたので頭から突っ込む。迫る地面。膝に激痛。幸いなことに、今回も大事には至らなかったが、横を通ったママチャリのお姉さんの「大丈夫ですかー」の調子がアワアワしていて、はたから見たら、そうとうな大転倒だったのが判った。恥ずかしさのあまり、誰も見ていないのに、ヤレヤレという演技をしながら平然を装い、あさっての方向をむいた前輪を直したのであった。

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江東シネマプラザ 会費2000円で全6本の映画が観られる。今期のテーマは『小津安二郎と深川』。古石場文化センターには小津コーナーが常設されている。『淑女は何を忘れたか』(1937松竹)は エルンスト・ルビッチ監督の影響を受けた、いわゆるルビッチ・タッチのコメディの小編。小津は本作を作った後、日中戦争に応招される。 たわいのない作品だが、外が台風で大荒れの中観るには楽しい。主演は斎藤達雄で、奥さんに気を使う大学教授を演じている。私がもっとも好きな小津作品『生まれてはみたけれど』1932では、上司にぺこぺこして、子供達にがっかりされる父親を演じていた。この長身痩躯が生かされる。 気の強い奥さんが栗島すみ子。気弱な旦那の反撃にビンタされ嬉しそうに話す。それを聞き「いいわねェ」とうらやむ友人に飯田蝶子。当節では考えられない展開である。はねっかえりの姪は桑野みゆきの母、桑野通子。それにしても全員タバコ吸いすぎ。 高校生の頃、狭いところで気を使い合い逡巡する、その独特の間に耐えられず、イラついて途中で席を立った小津映画であったが、あれから私も少々落ち着いたようである。 戦前のモノクロ映画に見る都会の日向。私は確実に知っている気がするが、現実には何処にも無い、といつも思う。

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煙草  


最近、早く目が覚める。当然考えられるのは年齢からくるものであろう。ただそれだけでなく、何十年も明け方近くまで起きていたのに、12時前に眠くなったりして自分でも信じられない。これはどうやらタバコを止めたことと関係があるようである。タバコには覚醒作用があるわけで、ネットで調べてもそんなことをいっている。 それにしても、夜中に一人集中して仕事をし、意志の弱さ、誘惑にたいする弱さには自信のある私がよく止められたと思うが、今思うと、紙巻タバコの紙臭さがいやで、キセルに転向していたことが大きいように思う。刻みタバコはキツイ分、ふかすだけで満足が得られるので、煙を肺にまでいれない癖がついていたからである。パイプ煙草も同様で永年愛用しだが、大豆製品、醤油や味噌との相性が悪く、外で吸えば欧米か、と突っ込まれるべきものであり、キセルによる刻み煙草が丁度良かったのである。 最近は自転車で散歩が日課になっている。隅田川をながめてボンヤリするのもオツなもので、以前だったらキセルかパイプで一服といったところだが、今は手持ち無沙汰で長居ができない。その点に関しては多少残念な気がする。 先日、宅配の配達員が玄関を開けたとたんタバコ臭かった。ハンフリー・ボガートや淡路恵子もこんな臭いをさせてたのか、と思うと興ざめだが、煙草をやめて1年以上も経つと、煙草の臭いというより、灰皿の吸殻の臭いに感じるから勝手なものである。

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背景は本郷の東大構内にある三四郎池である。もとは心字池といったが、漱石の『三四郎』(1924)にちなんで、そう呼ばれるようになった。この場所で最初に三四郎と美禰子が出会う場面は印象的だが(美禰子は平塚らいてふがモデルといわれる)夏の夕暮れという設定で、美禰子が二人連れだったことを除けば、作中の雰囲気があるていど再現できたのではないだろうか。 漱石のポートレイトといえば千円札になったものと、肘をつき、こめかみに手を当てているカットが圧倒的に知られており、真正面を向いた写真は少ない。若い頃の不鮮明なものと、晩年の老人じみたものくらいしか見つからなかった。ということは、一般の日本国民が普通に暮らしているぶんには、真正面を向いた漱石を目にする機会はないはずである。そこであえて真正面を向かせ、これは私達の良く知っている夏目漱石だ、と思っていただければ、私としては成功ということになるだろう。もっとも、16日の雑記に書いたように、私はいささか漱石の鼻筋に“疑惑”をもっていたので、横を向かせることを躊躇したということもあったのである。 これがうまく行ったとすれば、残る難関は正岡子規と、ラフカディオ・ハーンこと、小泉八雲の真正面顔であろう。

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Hのところから来たメスのフラワーホーンを、とりあえずペアにしてみた。あぶれた一匹が、空中を1m以上へだてた水槽を恨めしげに眺めている。それはもう、顔をガラスに押し付けんばかりである。魚の視力がどれだけのものか知らないが、あぶれた方は、だいたいこのような状態になる。ペアになったからといって産卵までいたるとは限らない。メスはすでに輸卵管がでているので、だめだったらお前の出番かも。  預かっていた資料が貴重だということで、あまり持っていたくないので、中央公論新社に届け、ついでにスキャンもお願いした。そのさい乗っていったのが、製造中止になって久しいブリジストン、ワンタッチピクニカである。懐かしくなって入手したのだが、アルミを使って軽量化すれば、折りたたみの簡単さもあり、小径車がはやっている今こそ売れそうな自転車である。始めはカスタマイズし、ママチャリ臭さを払拭しようと考えていたのだが、何丁目単位で乗るにはベルトドライブも心地よく、エレベーターに折りたたまずに入るので、先に買ったスポーツ車を尻目に、こればかり乗っている。カッコ悪いと、まっ先にはずしたカゴまでつけている始末である。この自転車なら、たとえママチャリに追い抜かれたところで穏やかな気分のままでいられるのである。

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一日  


昨日、オスだと思っていた魚に産卵されてガッカリのHが、ウチのオスとHのメスをトレードに来た。すると、しばらくメスッ気がなかったせいか、たちまちウチのオスと意気投合。Hが持ってくるメスは、どういうわけか、ウチにきたとたん発情するのである。以前は翌日産卵したのではなかったか。今回も、どうやらうまくペアになったようで、実に判りやすく悩ましげで、観察しているこちらが、バカバカしくなるくらいである。 夕方大崎ThinkParkPlazaに、展示用の写真やプロフィールを持っていく。改めてみると、あまりに窮屈で、さらに展示する作品が黒装束なので、立ったまま眠るベラ・ルゴシかクリストファー・リーの如しである。つまり、棺桶に収まっているかのよう。ライトが近すぎ、下手に当てるとおかしな事になるので、むしろ暗くても、まったく当てない方が良いくらいである。担当者に聞くと、発注したサイズと違うのは工事業者のミスなので、ころあいをみてやり直してくれるという人いれば、どうなるかまだ未定という人もいる。後で作業をしていた業者に、担当者が、何かのロゴデザインが違うといっている。また伝達のミスらしい。人の話は、何故こうも正確に伝わらないのであろうか。だから伝言ゲームは面白い。などと笑っている場合ではない。壁に開いた穴なので、おいそれとはいかないだろうが、近いうち改善されてほしいものである。 すぐそばに書店の文星堂があり、ウインドウに拙著2冊が飾られていたのが有り難いことであった。

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一日  


最近、朝青龍事件以来、やたら精神科医がTVでコメントしているが、ずいぶんと見立てがおおげさであり、朝青龍について、ただのふてくされといったのは、小田晋くらいであった。何も反応せず黙秘していれば解離性障害だのと、とんだ藪ばかりに思える。亀田大毅についても、モニターを見ながら、精神的なダメージがどうのといっているが、私が学生時代、数学や物理の時間に指されると、だいたいあんな感じであった。 夕方、高田馬場で、待ち合わせがあり、時間があったので、会社に出ているというHのところへ熱帯魚を観にいく。仕事もあったのだろうが、わざわざ来たのは、フラワーホーンの産卵が近いとふんで、オスメスを分けていたセパレーターを外しに来たらしい。ところが彼がオスだと思いこんでいた魚は実はメスで、底面に無精卵を産みつけていた。ガッカリするH。私は慰めつつ笑うしかない。ビッグボックスの前で待ち合わせたライターのFさんと会い、『中央公論Adagio』用の資料写真を受け取る。子供の頃から馴染んだ人物であるが、二重まぶただったこと、始めて知る。眼鏡のレンズが分厚くて気がつかなかった。

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相撲にしてもボクシングにしても、なんだか同じような場面を見せられてウンザリである。亀田の父親も、よほどいままで悪いことをしたことがなかったようで、謝罪の仕方もよく分からないようである。長男の興毅がタイトル取ったときは、大泣きしながら、世間のバッシングから父親が守ってくれたと感謝していたが、なんで口の利き方を教えてくれなかったと泣くべきであった。あれでは教えられるはずもないが。 大毅は、あの程度のボクシングで、世界10位というのが、そもそも奇妙である。亀田よりの中継が批判されているTBSだが、さっそくCM中で、放映されることの無かったラウンド間の親子の会話を拾い、こんなひどいことを言ってましたとやっていたのには、その恥知らずぶりに呆れた。

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自転車に乗って江戸東京博物館で開催中の『文豪・夏目漱石ーその心とまざし』を観に行く。昨日も出かけたが休館日であった。私は図書館その他、思いついて出かけると5割近くが休館である。入り口には、日活が映画『ユメ十夜』の宣伝のため、数百万かけて作ったという、漱石には似ても似つかないマネキンが座っていた。岡本一平の戯画も展示されていたが、岡本はもう少し評価されてもいいのではないかと改めて。 今回一番の目的は漱石のデスマスクを見ることであった。漱石の肖像というと、日本人がイメージするのは、千円札のものと、今回ポスターに使われている、喪章をつけ、こめかみに手を当てている2カットであろう。これを見る限り、漱石の鼻筋は、眉間から先まで、まっすぐ伸びているように見える。マネキンの鼻もそうなっていた。しかし私は、特に喪章の方の鼻筋の輪郭線が、なんとなく太く感じられ、修正が施されているのではないかと疑っていた。当時、腕の良い写真職人は、修正用の鉛筆一本で、全国どこに行っても食べていけたといわれている。 はたして漱石のデスマスクは、見事なワシバナであった。これは凄い!真横から眺め、一人驚嘆の私であった。写真では確認できないので、おそらくデスマスクを目にすることのできる人だけが知っていた事実であろう。実際修正されているかは、原版を見ないと判らないが。 気になっていた私以外には、だからどうした、という話ではある。

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一日  


グループ展会場というのは、出品者にとって居心地は良くない。しかし『K本』の女将さんが来てくれるというので、何を置いても行かないわけにはいかない。木場から門前仲町など、目と鼻の先なのに10年もいってないという女将さんが、病院の帰りとはいえ、会場に来てくれるのだから大変なことなのである。お祝いまでいただいてしまう。 今日は他に誰が来るという事もないので、本を買い、昼食をとり帰宅する。先日中古の自転車を入手したのだが、あまりにママチャリじみているので部品を換えに行く。それにしても、私は運が悪いのだろうか、昔、自転車屋の一族という者どもがいて、その一族は、歴史的に何かヒドイ目にあったのではないか。というくらい、子供の頃から永井荷風のような親父に当たる。

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搬入  


今回は人形2体に、ジャズシリーズの写真が2枚なので、飾り付けは時間がかからないと、1時間遅刻して会場に行く。昨年は会場の準備が整わず、1時間以上待たされたので、大丈夫だろうとたかをくくっていたわけだが、実際は、搬入時間がきても三島に色を塗っていたのであった。会場が近いのがありがたい。 帰宅後、昨日ほとんど寝てなかったので、プレデターを見ながら寝てしまうが、寝入りばなに、近所の焼き鳥屋『K越屋』の親父からの電話で起された。「寝てねェで来い」というわけでしかたなく。明日は病院の帰りに来てくれるそうである。

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人形を乾燥機にかけて、しばらく顔を出さなかった階下に住むYさんが、今日は来るというので『K本』に行ってみる。ハゼ釣りの途中でバッタリ会ったとき、ドイツ在住の日本人が撮る映画の手伝いで忙しく、1週間は一滴も飲んでいないといっていた。Yさんはまだ来ていなかったが、女将さんが今日飲んだら効いちゃうよと笑っている。ほどなくしてYさん登場。一口飲むと、いつもこんなモノ飲んでたんだと、あきれたようにいう。そうとう効くらしい。逆にいえば、1、2週間飲まないだけで、それだけ感じるということは、止めればすぐ健康になっちゃいますよと笑った。私は仕事が残っている時は3杯で止めるのだが、先に帰ろうとする私のグラスに、引き止めるようにYさん、自分のグラスから半分そそぐ。 帰宅すると、仕上げが可能な程度に三島は乾燥していた。SからK本が夕刊に出てるとメール。文中のモノクロ写真はこれ。女将さんの髪も、今ではフレッド・ブラッシーのプラチナブロンドのように真っ白になってしまった。この記事のおかげで、常連が鳩バスツアーと呼ぶ客が、また増えてしまうことであろう。

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13日からの丸善『人・形展』に出品用に三島を制作中。おそらく本人が、決めたポーズだと思っていたであろう格好をさせている。片手をポケット、片手にタバコつまんで足を広げ、正面を凝視している。 乾燥させている間、友人三人とハゼ釣りに行ってきた。Kとは一年に一度、忘年会で顔を合わすだけになっていたが、自転車で20キロ以上かけ、約束の時間より1時間半も早く来た。Hも20分前。まるで小学生の遠足である。出かけたのはウチからすぐ近くの塩浜近辺。Kは20年近く前のランドナーで、他の三人はKHSの折りたたみ自転車ということで、お互い乗り比べたりしながらの釣りは楽しかった。そこから近い『ホルモン道場』にて打ち上げ。Kは1級船舶の免許を取り、中古の和船を買ったそうである。いずれ釣りに行くこともあるだろう。船には子供の頃飼っていた金魚の名前を付けたそうだが、その金魚に死なれて以来、ペットは飼わない主義のようだが、名前など付けるからそういうことになる。暗い荒川サイクリングロードを、ヘッドランプまで点けて帰っていった。Hはハゼが思ったより旨く、娘が弁当に持って行きたいといったそうである。本人は釣った場所を思い出さないよう食べたそうだが、思ったより旨かったということである。

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白鵬の土俵入りを観に富岡八幡宮に出かける。すでに始まっており、人で溢れている。並んで何かを待つというのは、子供の頃から大の苦手であるが、一目だけでもと待っていると、横綱力士碑のあたりから現れる。刻名式 をやっていたのであろう。歴代横綱の名が刻んであるが、予定より横綱が増えてしまって刻む石も増やしてある。いったん社務所に入って綱を締める。相撲甚句の後、いよいよ現れる。丁度私の真正面である。テレビで観ても、横綱になって風格がでてきたが、実際観ると、それはもう立派な姿である。胴体の迫力はたいしたもの。土俵入りは斜め後から。不知火型を継承した横綱は短命だといわれる。伸ばした腕で攻めを、曲げた腕で受け表す雲竜型にくらべ、不知火型は攻めだけを表現するともいわれるが、白鵬には不知火型が似合っている。良いものを観た。お年寄りが感極まったように「嗚呼シアワセ」とつぶやくのが聞こえる。横綱はこうでなくてはいけない。老人の寿命を延ばしたに違いない。 渦中の北の湖理事長、朝潮の高砂、三重ノ海の武蔵川もいたが、今日の私の目的の半分は、私がもっともファンだった、魁傑の放駒親方である。休場は負けと考える魁傑は、体調悪くても休場を一切せず、大関陥落後、平幕から大関に帰り咲いた。志が違うんだよなアと、つくずく、その相変わらず黒い顔を眺めた。

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昨日、自転車のタイヤをブロックタイヤからスムースな街乗り用にかえた。太さも1、75から1、5に変更しているので、だいぶ楽である。さっそく自転車に乗って、京橋の中央公論新社までアダージョ4号の色見本を見に行く。 悪天候のおかげで遅れたが、天気だけならまだしも、背景に着物の女性を、と思いついたのも原因の一つである。現場の使用許可と着物を借りるタイミングを、天気予報をにらみながら決めなければならなかった。しかし結果は、文豪が描くイメージが出たのではないだろうか。もちろん着物の女が効いている。 アダージョ配布は今月25日。使用した人形は、同日オープンの大崎ThinkParkに展示する。 ひとごこち付いて夕方K本に飲みにいく。目の前に猫のOシマ。こちらに尻を向けている。おかげでコップと豆腐の皿は尻をよけて横に。私と30センチで眠そうな半眼で見詰め合う。猫年齢でいえば、丁度私と同い年くらいらしい。しかし貫禄という意味においては、私はもとより、すべての客より格上のようである。

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