明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



作家シリーズを制作する前は、黒人のジャズ・ブルースのシリーズを制作していた。初個展から14年目、96年の個展が最後である。当初随分デフォルメした作風であったのに、知らずのうちにリアルになっていき、それにともない持たせる楽器などもリアルになり、なかなか個展会場を作品で満たす気力がわかない。新作だけの個展は7年ほど遠ざかっていた。 ある時、知人がいいかげん個展をやれよと、ギャラリーを紹介してくれた。気が進まなかったが、駄目だったらキャンセルすれば良い。ところがその直後に父が入院することになり、制作を続けることが難しい状況になってしまった。弱った父を見ていると好きなことを続ける、といえる雰囲気ではなく、個展が決まっているのでそれだけやらせてくれ、ということになった。 これが最後の可能性がある。ならばやれることはすべてやろうと決め、始めて作品を写真に撮り写真も展示した。それまで自分の作品を写真で残して来なかったので、当HPに載せているのは最後の2ヶ月間で撮影した作品に過ぎない。 結局父は、その時は無事生還した。こうなるとぐずぐずしてはいられない、可能性を求めて翌年作家シリーズに転向した。おかげで以来、やれることはなんでも試し、最新作を最高作にすべく制作している。 なんで急に昔の話になったかというと、当時のネガを再プリントする話もあり、フェイスブックのブルース関連のコミュニテイになにげなく投稿してみたら、思いもよらぬ大勢の方から好反応をいただいたからである。昔はフィギュアという言葉も一般的でなく、あまりに無反応なのでジャズ系雑誌の編集部に出向くと、もうもうたる煙草の煙の中のオヤジ連中を見て、そりゃ“人形”展には来ないよな。と思ったものである。 ところで初個展から32年経ったこと、たった今気がついた。

※世田谷文学館にて展示中。

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森鴎外も『病院横町の殺人犯』としてドイツ語から翻訳している『モルグ街の殺人』は、エドガー・ポーの入るスペースを空けて1カット完成した。この作品のビジュアル化としては、結局絵画になるわけで、本物のオランウータンを使った作品は今のところ見当たらない。映画ならクリント・イーストウッド主演作で、達者な演技を見せたオランウータンがいたから、ありそうなものだが今のところは人間が中に入った着ぐるみしか見ていない。1932年のベラ・ルゴシ主演作では、演技部分は着ぐるみで、アップの部分でちらっと映る場面で類人猿を使っているが、チンパンジーであろう。 ボルネオのジャングルで生け捕りにされたオランウータンは、パリに連れてこられるが、船員の宿泊先から逃げて事件を起こす。船員が髭を剃るのを見ていたことで凶器に剃刀を使うことになる。つまり“猿真似”がポイントである。よってどうしても剃刀を持たせない訳にいかない。この段階で見ていただいた方は、最近の女子高生が起こした事件からちょっと際どいですね。というご意見も。私は襲われるのは娘を想定したが、作中の母親の殺され方を知っている人はなおさらであろう。確かに写真はどうしても生々しくなってしまう。だがしかし、生々しいといっても所詮犯人はエテ公である。 明日からようやくエドガー・アラン・ポーの全身を作ることに。

※世田谷文学館にて展示中。

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昨日のブログに対し、野生のオランウータンは極めて危険で人を襲うこともあり、雑食で獰猛、怪力で肉を引き裂いて食うというメールをいただいた。私は檻の中のオランウータンの、終身刑を喰らった諦めの表情を、哲学者のそれと見誤ったらしい。 私がいままで最も驚いた動物の映像は、ド草食と思い込んでいた河馬が、大型の鹿系動物をすばやい動きで襲い、真っ二つにする勢いで、胴体にガブリと噛み付いた映像である。確かに伸びすぎた牙を口をあんぐりと開けて切ってもらっている動物園の河馬とは違っていた。以降、アナコンダが鰐を呑み込もうと、あれ以上のインパクトは感じられない。 エドガー・ポーともあろう人が、たんなる噂話で書かないであろう。当時、何か悲劇的な実例があったに違いない。オランウータンは、地上を歩くのは苦手だが、樹上であれば達者である。ほとんどグウタラしているのに、金網を伝って器用に登っていくのを見た。そう思うとチンパンジーじゃ小さすぎ、ゴリラでは大げさ。やはりモルグ街で事を起こすのであれば、ポーにとって、オランウータンしか適任者はいなかったのであろう。

※世田谷文学館にて展示中。

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最近は背景を先に作っておいて、人物像を後で作る、ということが多いせいもあり、また犯人がオランウータンだった、という無茶な場面を作りたくて我慢できず、エドガー・ポーの全身像を作る前に『モルグ街の殺人』の背景を作ることにした。 先日ネットで、スピルバーグが『ジェラシックパーク』のセットの恐竜の死体の前で撮った写真を、誰かがジョークで捕らえた獲物とともに記念写真の男、みたいにネットに流したところ、それを真に受けた馬鹿が世界中で激怒したらしい。つまり恐竜が絶滅したことを知らず、まだ生きていると思い込んでいる人間が大勢おり、動物愛護の観点から怒っているのである。あんたの映画は二度と観ない、という人間までいるというから、つくづく世界にはおっちょこちょいが多い。 有名なネッシーの写真は、何年か前、捏造した老人が名乗り出たが、小学生の私でさえ、波紋が大きすぎて小さな物にしか見えなかった。しかしネッシー探検隊を組織した後の都知事までいた始末である。いやいいたいことはそういう事ではなかった。 オランウータンが女性の首を押さえつけ、カミソリを振り上げている場面を作ったが、実際観たオランウータンは、とてもそんなことをするような動物に見えず、フィリピンパブのフィリピーナに“苦労ガ足リナインジャナイ?”と評されてしまった私の顔より、よっぽど様々な物が滲み出た貫禄をそなえていた。ゆえに作っていて少々心苦しいのである。よってクレームはエドガー・ポーの墓に向かっていって欲しいという話である。

※世田谷文学館にて展示中。

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母から電話。部屋に大きな黄金虫が入ってきたといって騒いでいる。部屋の灯りを消して窓を開けて、玄関の外の通路から電話しているという。あんな大きいの見たことない、というのだが3センチといえば、そんなものであろう。背中が丸くて緑に光っていて、といちいち説明する。黄金虫なんて縁起がいいんじゃないの? エドガー・ポーの作品に『黄金虫』がある。おうごんちゅう・こがねむし。どちらでも良いようだが、探し当てるのがキャプテン・キッドの財宝である。おうごんちゅうと読みたい。江戸川乱歩も絶賛した暗号が効果的に使われる冒険小説である。 私は自身の頭の傾向から、どちらかというと暗号小説は得意ではない。ポーの『黄金虫』乱歩の『二銭銅貨』がギリである。時刻表が使われる鉄道物なども論外である。あらゆる書物の中で、もっとも肌が合わないのが時刻表である。ジュピターという黒人の従者が活躍するし、何十年ぶりに黒人を作るのも悪くないと思うのであるが、今のところあまり場面が浮かんで来ていない。 それにしても母の電話が長い。黄金虫が外に出て行くまで相手させる気?そうだという。 冗談じゃないよ。今オランウータンが女の首根っこつかまえて、カミソリで切り刻もうとしているところを作ってんだから。とはさすがにいわなかった。

※世田谷文学館にて展示中。

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9月に写真の古典技法の4人展がある。グループ展は一人の出品点数は少なく、責任も分散され、私には本来好都合な出品方法であるが、どこへ行っても浮いてしまうせいか、数えるほどしか経験がない。というより入れてもらえない、というのが正しい。 私が最初に古典技法であるオイルプリントを発表したのは99年。一人一日づつの個展で、変則的なグループ展といって良いかもしれない。よって他の人が何を出品していたかは知らない。その時の内容は、風景やヌード、スナップ写真など雑多であった。それはただでさえ廃れて何十年も経っている技法なので、この人形は実物大か?と問われるれるような、判りにくい被写体は控えめにした。三回目の個展でようやく人形のみを被写体としたが、バレエを一回しか観たことがないのに、『ニジンスキー・ディアギレフ・コクトー』をテーマするという怖いもの知らずぶりであった。その後もことあるごと発表したが、新作の展示としては2004年の中井英夫の3点が最後である。 ここ最近、エドガー・アラン・ポーを作っている、というと何人の人に「乱歩は以前作ってたじゃないですか?」といわれただろう。こうなったらいっそのこと江戸川乱歩とエドガー・アラン・ポーを並べてしまったらどうだろうか?もっともポーは被写体がまだ出来ていないので、もし糠みそや熱帯魚のようにブログに書かなくなったら、腐ったり死んじゃったりして止めたんだな、と思っていただきたい。

※世田谷文学館にて展示中。

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女性器の3Dデータを配布したと、わいせつ電磁的記録頒布の疑いでアーティストが捕まった。無事釈放されたが、こういう活動は捕まってこそであろう。警察も動き、ちゃんと世間の目を向けることもできた。それにしても、今時あれで猥褻というのもズレている。私にしてみると猥褻と聞くとむしろ家庭、もしくは家庭生活。という言葉が浮かんでしまうから人それぞれなのかもしれない。 以前書いたことがあるが、私が件の“猥褻物”を初めて見たのはTVのたぶん『性教育を考える』という番組である。おそらく中学1年。70年ではなかったか。 母方の祖父が亡くなったと学校に連絡が入り、急遽駆けつけたが、数日前、自宅で癌を患い伏せっている祖父を見舞って覚悟はすでに出来ていた。いってみると近所の人も手伝いに来ており、私がいても邪魔なだけなので、隣の伯母の家にいろといわれた。昼間その番組をやることを知っていた私はこれ幸い。スゥエーデンあたりが制作した番組の、性器も露な男女のヌード、出産シーンを観ることになった。幸いとは不謹慎であるが、中学一年生の男子にとっては一大事である。ただこの時点で祖父の死がピンときていなかったのは確かであった。 その後火葬場へ行き骨を拾い、夜寝床に入ってからである。祖父は焼かれて物になってしまった。もう会えない。私もいずれああなるのは決まっている。私は生きていることになっているが生きているとはどういうこと?急に被っている布団から見上げる天井から空々しく思え、物凄い恐怖が襲ってきた。この恐怖にコントラストを与えていたのは昼間見た場面であったことは間違いがない。生から死へと触れ幅の大きすぎる一日であった。 私は、小学生の時、母が隠し持っていた石原慎太郎著『スパルタ教育』を“敵”の作戦を知るため先に読んでしまって以来の石原嫌いである。しかし、古い記憶ゆえ定かではないが、子供に遺体といったか死体といったかを見せろ。という項があったと記憶する。それは間違いなく意義のあることであると、経験上からも思っている。

※世田谷文学館にて展示中。

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『貝の穴に河童の居る事』用に作った河童の三郎は各場面に対応するよう、泣いたり怒ったり、と数種の頭部を用意したが、エドガー・ポーの場合も、危険な状態に追い詰められている表情、素面の表情、飲酒の果てに人事不省。の三種を作ることにした。そのため、途中から方向を変え、最初は眉間にそれほど皺も寄っておらず、比較的穏やかな基準となる頭部にした。 もう限界である。頼むから作らせてくれ。という状態になってきた。私も自分との付き合いは長い。扱い方は心得ている。これだけ焦らせば弓の引き絞り効果は絶大である。だがここでダメ押し。雑事のついでに開始日を一日遅らせ、母と夕食をとることにした。もちろんエドガー・ポーの首は持ってきている。 隣のテーブルに両親と小さな娘という感じの家族。ところが、どうも様子が違う。男は世界情勢や宗教など、堅い話を喋り続けている。ところが奥さんらしき女性は明らかに興味がない。その様子に男がイラついてきた。外務省のHPを見ろといったのに見ていないだろ、と切れ気味である。どうやら母親は中国人で、男は母親と付き合っている男という風で、自分のレベルについて来れないということにイラついているのである。馬鹿はお前の方だ。母も呆れているし、ちょっとお静かに願います。と頼んだ。こういうとき口調に下町のナマリが出てしまうのは、私の場合しかたがない。

※世田谷文学館にて展示中。

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寝苦しい中久しぶりに夢を見た。ここ数ヶ月、出かけるときはエドガー・ポーの文庫本を常に携帯している。すでにボロボロになり、1冊買い足したくらいである。おそらく房総の海岸であろう。晴天の下、よせばいいのに『アッシャー家の崩壊』を読んでいる。するとラジカセを大きな音で鳴らし、ツイストを踊っている連中がいる。夢なので、その一団が何かの台に乗って引っ張られるように近づいてくる。その中にカトリーヌ・スパークの姿を見つけ唖然とする私。すると彼女がこちらに歩いてきて、ポケットの中に入っている首を見せて。とまっすぐ腕を伸ばし、手のひらをこちらに差出すではないか。そりゃスパーク嬢の要望にお答えしたいのは山々であったが、ツイストが鳴り響く健康的な晴天の海辺で、ポケットから出てくるのがエドガー・ポーで良いのであろうか?彼女と見つめあったまま、ポケットの中のポーを握り締め脂汗の私。 ただ今私の悪い癖が出ている。随分時間がかかったが、ようやく完成したポーの首がある。後は一気に全身を作るだけで、こんな楽しいことはない。この快感のために作っているといっていいくらいである。なのにそれを前に、わざわざどうでもよいTVを見たりネットを眺めたり、飲酒してしまったりして自分を焦らしている。ご馳走に食らい付く前に、快感を増す為もう一腹減らしするかのように。しかし、カトリーヌ・スパークに詰め寄られるようでは、もう限界であろう。  まさにこんな場面であった。

※世田谷文学館にて展示中。

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内覧会に出かける。普通の文学展と違い、ビジュアル的にも興味深い。歴代のSFマガジンの表紙はつい眺めてしまうし、当時の表紙の生原稿は迫力がある。特にインパクトがあるのは真鍋博の美しさ。手塚治虫の絵の上手さに改めて感心してしまった。子供の頃あれだけ見ていたのに、生原稿から伝わってくるものは別物であった。鉄腕アトムが飛ぶとき、足はどこへ行ってまた戻るのか、手塚治虫はどこかで言及していないであろうか。 数は少なかったが初代ゴジラの資料。やはりイカレ具合では初代ゴジラの表情である。個人的には最初に観たキングコングと戦ったゴジラが未だに造形的に最高と感じる。大伴昌司の手書き原稿。子供の頃、おかげでどれだけ勝手に考えたロボットや乗り物の片方に中身を描いただろう。思い出して応用したこともある。 開会の挨拶に筒井康隆と豊田有恒。あの間にはさまりたい。 私はSF作家を扱ったことがない。考えてみると星新一や小松左京は画になるであろうし、よっぽど荒唐無稽な画を創作できるだろう。 久しぶりに私の展示コーナーをざっと眺めて帰る。知人で展示場所が判らず見ないで帰った人がいるが、サザエでいえば最後の、上手く取り出さないと後悔する1階の最深部である。

私の写真も数点展示される昭和をモチーフとしたライブ。町田謙介さん登場は7月26(土)デュアルボイスLIVE(町田謙介、シータθ)
CHARGE:2000yen (飲物・食物持ち込み自由)
画廊のブログ見たらなんだか大変な画に。
http://ameblo.jp/socosocochan/entry-11890207339.html

※世田谷文学館にて展示中。

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ジョニー・ウインターが亡くなった。10代の頃から随分長い間聴いている。一度目の来日が中止になり、数十年後の初来日でようやく実物を見た。体力の衰えは想像以上であったが、見られただけで満足。かつてはコンサートによくでかけたが、出不精に拍車がかかり、その頃観たいのはあとはジョニー・ウインターと春風亭昇太くらいなどといっていた。結局両方観たが。合掌。 江東区深川江戸資料館に『大相撲と江東展』を観にいく。江東区内にある相撲部屋が紹介されていたが、勧進相撲発祥の地、江東区出身の幕内力士はたった3、4人しかいないと知り驚く。そもそも若貴兄弟以外で東京出身の横綱は東富士と栃錦しかいない。若乃花が現役時代「東京の人応援してくださいよー」といっていたが、そういえば東京人は、東京出身だから応援するという感じは希薄であろう。私も最近亡くなった“休場は負けと同じ”の放駒の元大関魁傑が一番の贔屓だったし。 展示品が展示しきれず、1月に展示換えするそうだが、少々強引だが、ジャン・コクトーが来日時、相撲を観て一文を書いているので、私のコクトー像も展示することになるかもしれない。 新しく横綱大鵬顕彰コーナーが出来ていた。子供の頃一度だけ観た。千秋楽の優勝パレードも沿道で観たが。実に美しかった。手の大きさが私と変わらないのが意外であった。

※世田谷文学館にて展示中。

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一日  


私のエドガー・ポーは、少なくとも楽しそうではないが、縛られて上から刃の付いた振り子が降りてくる程ではなくなった。考えてみると、有名な肖像写真、昨日書いたように、死の前年、最悪な時期の撮影ではあるが、写真館で写真を撮ろうというくらいで、振り子に襲われている絶対絶命、というほどの表情ではない。よって基本形を元に、恐怖が露になった表情を改めて作ることにした。基本形の頭部は明日にでも仕上げることになるだろう。 
夕方ミュージシャンの町田謙介さんと、ビジネスホテル内の店で待ち合わせるが休憩時間で閉まっていた。店外に出ているテーブルで写真を披露する。横浜に出来たばかりの画廊があり、昭和というテーマで展示をし、そこで町田さんがライブをするということで、写真作品でお手伝いをすることに。 せっかく来ていただいたので、以前お仲間の長見順さんのCDジャケットの撮影をしたK本にお連れした。町田さんを知ったのは昔、別名で活動されていた頃であるが、すっかり出不精になってしまい、ライブなど出かけなくなり失礼している。同い年ということもあり、まだ明るい店内で常連も交え楽しく過ごした。

※世田谷文学館にて展示中。

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肖像写真には、被写体の、こう写されたい、写って欲しいという願望がでているものである。同時に写す側の思惑も当然加わっている。さらに立体物という物は、ライティングにより、表情が違って見えるのは、私の写真作品が、頭部はただ一つなのに、何種かあるのだろう、としばしば指摘されることでも判る。 ポーのイメージに良くも悪くも貢献しているこの写真が撮影されたのは、死の前年。前の年に貧乏のどん底で妻を亡くし、本も売れない。そしてある夫人に強引に結婚を迫る。おそらく同情もあったろう。酒を断つことを条件に、なんとか承諾を得るが、飲酒がバレ、破談になった頃の撮影である。まさにそんな顔であろう。 これがポーの常態であり、すべてであれば、美しく幼い妻を得ることなど、まず周囲が許さないであろう。ポーに対する同時代人の証言の中には飲酒癖にたいする物も当然あるが、品があり立派な態度の紳士であったり、ハンサムであった、との男性の証言、頭の形が美しいという複数の証言もある。 つまり写真が仮に字義どおり、“まことを写す”物であったとしても、単にある日のスタジオにおける、エドガー・ポーが写っているに過ぎない、と何度も書いたとおりである。私のポーは当然それを踏まえた上で作ってある。 だがしかし、後世、デフォルメされた首振り人形やイラストTシャツなど、キャラクター商品が作られ続けるのは、皮肉にも不幸のどん底で胃液が上がってくるのをなんとか我慢しているような、このカットがあるからこそである。

※世田谷文学館にて展示中。

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先日ネットで検索したら、ある制作用の材料が安かった。在庫あり。ということで注文したが、入金確認のメールはすぐに着たものの、結局仕入れ待ちということで数日かかった。それもようやく届いたまま、箱を開けて確認しなかった私も悪いが、本日、さあ取り掛かるぞ、と開けたら別の物が出てきた。先方に電話し、すぐに送ってもらうよう交渉したが、やはり入荷を待たないとならないという。だって未だに在庫あり、と表示されているじゃないか。まあ受付の女の子をいじめてもしょうがない。 私は普段ぐずぐずしているわりに、作ることになると一変する。これは昔のことであるが、夜中に制作していて、ちょっとした所に金属のパイプを使いたかった。朝まで待って買いに行けばよい物を、結局TVの室内アンテナをちょん切ってしまった。 本日も、やる気が盛り上がっている所、振り上げた拳の持って行きようがない状態である。こんな時、エドガー・ポー。あんたならどうする?そうだな。私もこんな時の対処方はあんたと同じさ。閉店30分前のK本へすべり込んだのであった。

※世田谷文学館にて展示中。

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エドガー・ポーは、映画のタイトルにもなったように、亡くなる直前、数日間の足取りが不明である。発見された時は、泥酔し、ボロボロであった。サイズの合っていない破れて汚れた服を着て、酒場の肘掛椅子に座っていたらしい。その時の証言をできるだけ集めたいものであるが、過去に撮影したネガの中から、相応しい肘掛椅子を見つけた。これにポーを矢吹丈のように座らせてみたい。 自分の雑誌の創刊を死ぬまで願いつづけたポーであるが、思ったように金は集まらず、失意を抱えたまま最後の旅にでる。その時点で心臓はそうとう弱っており、本人もある程度は覚悟していたようである。 私は幼い頃から今に至っても人物伝の類が大好物であるが、ポーの生涯は思うように事が運ばない男の人生であり、面白くてページをめくる指が止まらない、というわけにはいかず、その間何度も、ポーに対して献杯せずにはいられなかった。 ポーはいささか発育不良のような美しい幼妻をめとるが、布団の代わりにポーの外套をかけるような生活の中、結核で失う。これがまた陰鬱なポーの表情をさらに曇らせ酒量を増やさせたわけである。200年後、自身がキャラクター化され、首振り人形からTシャツ、可愛い縫ぐるみにまでなっているのを知ったらどう思うであろうか。しまいには極東の地に毎日ポーポーポーポーと、粘土で何かしてる人間まで現れる始末である。

※世田谷文学館にて展示中。

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