明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



『貝の穴に河童の居る事』の河童は身長は90センチくらいで、マテ貝の穴に隠れるくらいであるから、小いさい方には、いくらでもサイズが変えられるようである。そして空を飛ぶ。翼があるなら有ると鏡花は書くだろうから、書いていないところを見ると妖術の類で飛ぶのであろう。あとは特に変わった特徴はない。そこでカエルと亀とニホンザルと人間が混ざったような物であろうと作ってみた。少々早いが、三郎が暑さで参っているように見え、ツイッターでまず三態を公開。 サイズが小さくなる、というのを利用し、久しぶりに現場に置いて合成なしの撮影を試みた。これは楽しくはあるが、人に寄って来られると具合が悪い。側に編集者でもいれば、何か事情があると見えるであろうし、私もこんな事はしたくないのに、しかたなくやらされている、という顔ができるのであるが。 今回は幸い夏休み前で、海岸に子供の姿がなかった。子供というのは、ウナギをさばいたり、包丁研いだりパンク直したりを見るのが大好きである。それをうるさがって邪魔にした自転車屋の顔は未だに忘れないから、あまり邪険にできず、こちらが退散することになる。しかしもっともタチが悪いのは写真オヤジである。こういうアマチュアはかならず土地々にいて、ああだこうだいってくる。こういう連中の常で、こちらが迷惑光線をを身体中で発しても意にかえさず、レンズがどうした三脚がこうした、といってくる。そういえば一番ひどかったのは金沢で鏡花を撮影した時である。帰りの時刻が迫っていると何度もいっているのに、東京の某という写真家の先生の話を聞かされた。さすがの私も「うるせーあっち行け!そんな爺、見たことも聞いた事もないわ!」いや聞いた事はある。

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バスに乗っていると、街の風景にもう一景色レイヤーとなって重なっている。房総の海岸を行く三人。『貝の穴に河童が居る事』の近日撮影予定の一場面である。うっかりボンヤリしていると常にこの状態である。ボンヤリしている間だけだから特に問題はないが、撮影予定の人達は、楽しそうに語らいながら私の眼前で蠢いている。 写真を撮られたことはあっても、演技などしたことない人達である。こんな心持で、といっても無駄であろう。撮影はマンションの中庭か公園ということになりそうだが、背景は房総の海岸である。そのシチュエーションを説明し、予定している背景写真くらいは見てもらおうと思っているが、私としては人形を配置するように撮影するつもりでいる。肝腎なのは顔の向きと視線の方向であろう。この三人は笛吹きの芸人と妻である踊りの師匠、その師匠仲間の娘であるが、後にタクシーの運転手と旅館の番頭を加える。事前に制作した画面に動きを与えるため別撮りとしたが、こちらは若干の演技をしてもらうつもりでいる。といっても、世間話でもしてもらいながら歩いてもらう程度である。意識してしまって、左手と左脚が同時に出てしまうようなら、こちらも人形方式で行く。
柔道競技の判定が混乱気味である。原因はジュリーという判定委員だが、そもそもジュリーなどという用語自体が噴飯物である。青い柔道着のように、日本に相談もなく、勝手に決められたのであろう。放っておくとサリーだトッポだピーだ、とさらに奇妙な用語が採用される可能性がある。

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いよいよ人間達の撮影に向け準備をしている。性根の曲がった哀れで好色、ベトベトと不健康な河童と、河童が尻を触ろうとする娘の健康さを、一つの柱にしたいと考えている。 堀辰雄はこの作品に関して『気味が悪くてならなかった』といっているが、友人の中に『「なんと色つぽいのだらう」と云つてゐる者があつた』そうである。単純に考えれば、色気といえばこの娘の担当であるはずだが、このお転婆娘のどこが色っぽいというのであろうか。 私は鏡花という作家は、様々な仕掛けを作中にほどこす作家だ、という印象を持っている。研究者ではないので詳しい仕組みは判らないが、おそらく意図的に罠を仕掛けていると思われる。でないと、私には鏡花作品の麻薬的な効き目の理由が判らないのである。 堀辰雄は友人の意見に『虚を衝かれたやうな気がした』といっているが、私にしたら堀の『どうも氣味惡くなつて來てしかたがなかつた。』という評にしても、それほどか?と思うのである。これが鏡花に化かされた読者二人ということなのであろう。しかしこの二つの意見は本作にとって重要であると考えており、堀の友人が化かされた鏡花の仕掛けはこれではないか、と私なりに特定している。是非撮影に生かしてみたいものである。 しかし作中、河童に化かされた人間共が奇妙な姿で踊らされてしまうが、房総まで出かけ、河童を泳がせたりしている私こそが、鏡花に化かされている状態なのであろう。

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房総の神社の撮影に付き合ってくれた友人Kと、T千穂で飲む。今夜は怪談会がある。百物語という昔からある催しだが、よほど物好きが集まらないと百の話など続かないであろう。様子がわからないので食事を済ませ向う。東雅夫さんの話が終った頃に到着。会場は私とKが最年長のようで、女性が多く、スイーツまででて、オジサン二人には居心地が悪い。 百物語といえば、私の世代には大映映画における後の彦六、林家正蔵だが、趣が大分違い、この会は明るく笑いが絶えない。怪談の解釈も広く、町の変わったオジサンの話まで登場し、こうでないとなかなか百物語とはいかないであろう。 お化け、幽霊の類に関して、私はそんな物がいたなら、大空襲を経た東京は、そこらのトンネルや病院などとは怨念のレベルが違い住めるわけがないと思うし、金縛りも良く聞くが、世の中にはオッチョコチョイが多いものだ、と寝床で起きた怪異など、まともに聞く気にはなれない。だがしかし、否定派かというと、そうではなく、物心付いてからずっと興味深々、期待満々であり、靖国神社と道を隔てた画廊で撮影した、白い物が尾を引いて飛び回るネガフィルムは宝物である。シリーズ化されるはるか前の『新耳袋』のアンケートハガキに体験談を送ったおかげで、すっかり忘れていた頃に、『新耳袋』のお二人に、その話をするはめになった。こういうことをしているとレコーダーが良く壊れるらしく、三台を前に話したが、封をあけたテープには奇妙な音が入っていた。 結局、途中コンビニで買ったカンチューハイ一本のアルコール分だけで朝まで。

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携帯電話また壊れる。私のもっとも嫌いな機械はパソコンのプリンターで、腹が立つばかりなので使っていないが、続くのは携帯電話である。Gショックくらいタフなものでもないと私には無理のようである。特に今回は内部のマイクロSDにマメにアドレスのバックアップを取っていたのに、ショップに行くと入っていないという。何故だかアドレスはなくなっていた。 只今実家に帰っているが、帰る前、Kさんへ携帯故障を伝えてもらった。前回壊した時に、私が在宅中であるのにかかわらず、周りに私と連絡がつかないと触れ回り、階下で管理人に連絡が取れないと伝えた後に、ドアの鍵も閉めず制作中の私の部屋のチャイムを鳴らす、という迷惑なことをしてくれたからである。心配で涙が出た、とぬかしたが、単に二人以上でないと入店できない店に行きたいと、焦ってドタバタしただけの話である。最近は制作中だといっても電話してくる。自分のことしか頭にないヒマな62歳には、我慢を覚えてもらわないとならない。  鎮守の森など異界の風景は今回の房総で撮影してきた。来月に入り、いよいよ異界に対する人間界の撮影に入る。ご近所在住のタレントの皆さんも準備万端であろう。なにしろ私が『七人の侍』の志村喬や『荒野の七人』のユル・ブリンナーのように、一人ずつ厳選した方々である。それも顔だけで選んでいるのでリアルさだけは充分である。撮影では日ごろ顔を合わす酒場での振舞いと一転し、左手と左足が同時に出てしまうような人物も出てくるであろう。なにしろ腹の太さも関係なく、顔だけで選んでいる。  今まで必要もなかったのでフォトショップの旧いバージョンを使い続けてきたが、ひょっとして新たに必要になるかもしれない機能があり、友人の写真スタジオで特訓を受けてきた。

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舞台となる神社がある街は、比較的大きな漁港である。行く前にネットで知っていたが、駅に幟が立っていたので、町起し的な名物を食べようとしたが、どこも開いていない時間であった。日が翳るまで時間をつぶし、なんとか探して食べることができた。商売気がなく、本気で名物にしている感じではない。こんな場合、不味いなら不味いで土産話にもなるが、ただ普通に美味しく、結果、この名物の話は誰にも話さずじまいである。  鏡花が神社の描写を忠実にしていて驚いたことはすでに書いたが、おかげで連日の撮影でヘトヘトであったが、石段の上り下りは汗だくになりながらも楽しくてしょうがなかった。 しかし神社の上から見下ろす風景は、かつての漁師町というわけにはいかない。そこで別な場所で撮影した風景を合成した。まず神社の石段下に漁師が大魚イシナギを担いできた道を作り、河童に驚いた漁師が置き去りにしたイシナギを起き、道の先に鳥居を立て、さらにその道に交わる道を作った。鏡花は石段の長さこそ書いていないが、いやに細々と風景を説明していて、その分、俄かには様子が頭に浮かばない。それでも何十回も読んだおかげで、かなり正確な風景になったと思う。 さっそく一緒に神社に行った友人に画像を送った。二人で名物求めて歩き回った町は跡形もない。これを見て驚くのは現場を知っている彼だけで、他の人は特になんでもない、ということでないとならないわけである。

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三島由紀夫像一体と、今まで制作してきた写真作品。ジャズ・ブルース時代から作家シリーズに至る、フィルム撮影によるモノクロ作品。これは震災で部屋にぶちまけられ、程度の良いものから選んだ。古典技法オイルプリント。デジタル合成を使ったカラー作品。特に近作、三島由紀夫へのオマージュ『男の死』を持って十時半に赤坂見附へ。来日中の『MOPA』サンディエゴ写真美術館館長 デボラ・クロチコさんに作品を見てもらうためである。今回総勢二十人が見てもらうということだが、一室で推薦者の田村写真の田村さんを交えおよそ30分。まず人形を見てすぐ三島と判ってもらえたのは嬉しいが、数え切れない写真を見続けてきたであろう館長に、「ユニーク」。を連発してもらえたのが何よりである。私の作品は写真というよりアートとして考えるべきで、人間大くらいの大伸ばしが良い、といわれた。合成しない初期作品、合成ありきの近作。オイルプリント。それぞれ評価していただいたのも嬉しかった。 人形は手放さないよういわれたが、それは保管場所の関係もあり・・・。問題といえば、プレゼンテーション。つまり見せ方を考えるべきだ、ということである。これは18の時、陶芸の専門学校の合評会で友人に「お前少し見せ方考えろよ」。といわれて以来一向に改善されていないことに気付かされた。作り終えると人事のようになってしまい、個展会場でも、何をどう飾ればいいのか頭が働かず、たいてい人任せである。考えよう。  何か質問は、といわれ、海外で私のような表現をしている作家がいるか聞いてみると。「ウーム」と。女の子の人形を撮っている作家はいるらしいが、参考になるかも、と紙に書いてくれた名前は『シンディ・シャーマン』。私はもともと大好きである。

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房総より帰り、房総であれほど待った、ドンヨリとした曇天がまだ続いている。すでに神社の石段の下には、河童に驚いた漁師が放り出した、血だらけの巨大魚イシナギを配置した。杉の木には女の顔をしたミミズクをとまらせてある。
ブログに登場するKさんは、女子だったら可愛いのではないか?という知人の女子がいる。彼女の頭の中では『華奢な細身のエキセントリックで寂しがりやのお酒と男で失敗しがちな女の子に変換になって』いるそうである。深夜酒を飲み、別れたと思ったら戻ってきて「寂しいから帰りたくない」。あたりの場面でそう思ったのかもしれない。私は左向きの顔写真を見ながら右側を作れる、という程度の脳内変換芸は持っているが、そこまでは無理である。そんな変換が、実物を見て、それでも可能だとしたら、彼女は自分の脳を自由に操れるということになろう。 私は先日、一人憑かれたように延々と喋り続けるKさんの横で、房総の酒『寿萬亀』を飲みながら、『羊たちの沈黙』で拘束衣を着せられ猿轡をされ、固定されているレクター博士状態のKさんを想像していた。
母が近くまで来るというので、渡す物があり、タクシーに乗って待つ母に渡して返った。後で気付いたのだが、携帯に母の留守電が入っていた。聞くと、知らないうちに留守電になったらしく、先ほどのタクシー内での母と運転手の会話が入っていた。「ボケーッとした人形作っている息子」。というセリフが聴こえたような気がしたが、おそらく私の空耳であろう。

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それにしても雨雲を待ちながら6日間も房総にいて、帰ってきたら雨降りである。これは私がどれだけ自分のイメージに引き寄せられるかの勝負ということであろう。こういう場合、たんに作品が梅雨時にしか見えない、などということでは、私の赤く日に焼けた肌にかけて許されない。それでは手間をかけて、自分の運の悪さを噛み締めることになってしまうであろう。 制作上、何か失敗した場合、作り直して、失敗してかえって良かった、と思う物にしなければ我慢ができないタチである。よって失敗を持ち越したことは一度もない。※(余計なメールを送ってくる友人知人がいるだろうから先にいっておくが、これは単に制作に関する話であって、日常生活における私の話ではない。)  昔映画のタイトルにもなった『アメリカの夜』という映画で用いられる技法がある。フィルターその他を使い、夜のシーンを昼間撮影するというもので、それとは違うが私もかつて、江戸川乱歩の『目羅博士の不思議な犯罪』において、月光輝く夜のシーンをすべて昼の撮影で行った。結果、長時間露光による夜間撮影とはニュアンスの異なる作品になった。もともと人形を使って世界を描こうというのである。おまけに泉鏡花である。まことを写すという意味の写真という言葉を嫌い、まことなど一切手掛けたくない私としては、むしろリアルな世界とは違ったニュアンスが出なければならない。ようするに6日間晴天に恵まれてしまった、運の悪い男になるわけにはいかないということである。

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《1日目》

すっかり機嫌の回復したKさんと木場からバスで東京駅へ。Kさんとこれに乗るのは浜松に三島由紀夫が乗るF104戦闘機を撮りに行って以来である。思えばその前日、Rさんにハグされたのが、そもそもであった。このバスから一日中Rさんの話。というよりRさんが男だと思い込んだ先日の一週間以外、本日に至るまでずっと私は聞かされ続けている。  私の手には撮影に使うステッキ。作中、河童がこれで腕を折られて事が始まる重要な小道具なのだが、Tさんの祖父、父と使い継がれた遺品で宅急便では送れない、とわざわざ持ってきてくれたので、私が宅急便で房総に送るわけにいかない。しかしバスの車中、人の隙間からオバサンがこちらを窺っているのに気付く。席を譲られてはかなわない。ステッキの先を床に着くのを止める。 寸前まで作業していたおかげで出発が遅れ、房総は和田浦に着くのが遅くなり、あたりは真っ暗。コンビニで酒と食事を買い親戚の別荘へ。Kさんと来るのは4回目である。

《2日目》

駅でレンタサイクルを借りる。今回Kさんは何回コケルのであろうか。 海水浴場は昨年は原発の影響で閑散としていたが、かなりの人出である。。昨年『潮騒あるいは真夏の死』の撮影で、横たわる三島の、海水に浸かるほんの僅かの部分のためにKさんに横たわってもらい、三島像と合成した。今回はまず、河童がとっさにマテ貝の穴に隠れ、そうとは知らずに人間がステッキの先で“かっぽじる”シーンの撮影。晴天でないとならないシーンも多く、色々考えていたのだが、人が多いのと、潮が上がってきており思うようなポジションが得られないので、イメージカット的な物を撮っているとRさんが到着したという連絡。いそいそと迎えに行くKさん。和田港にある蕎麦屋でおちあいてんぷら蕎麦で乾杯。絶好調のKさんには遊びではない、と口を酸っぱくして言聞かせてある。早々に泳ぐ河童のシーン。Rさんに膝下まで海に入ってもらい、テグスに結ばれた河童をKさんにリールで引っ張ってもらう。波が荒く、結局可愛い水中モーター2連ではとても無理であった。しかしなんと馬鹿々しい撮影現場であろう。とはいえイメージ通り。女性のふくらはぎめがけ、一直線に突き進む好色な河童の図である。 引っ張るKさんはこの河童の姿に何かを感じるでもなく、これ以上ない、という笑顔でニコニコ。  生の鯨肉のブロック買い飲み会。Rさんが支度をしてくれていると、Rさんの妹分的なKさん合流。今回、パソコンと外付けハードディスクを持ち込んでいるが、肝腎のそれを繋げるコードを忘れて来てしまい、接続部分を写メで撮り、Kさんに買ってきてもらい事なきを得る。 オジサンの方のKさんは酔うほどに相手の喋る隙間を与えず喋り続けている。これは後で3日間寝込むパターンである。 私が寝た後の明け方、コンビニに行くRさんに付いていくつもりが庭で2回コケ出発に至らず。オデコにさっそく擦り傷。重心が子供と同じなのか、だいたい怪我はオデコである。その過酷な運命は講道館の青畳の如し。

《3日目》

そもそも自分が喋り通しで寝かさなかったのに、この人の常で、酔ったまますぐ目が覚めてしまい、女性の部屋を何度も開けて覗いては、グズグズいっていたらしい。Kさんのリクエストで卵焼きと納豆で朝食。ご飯を朝から食べるところはめったに見られないが、泥酔状態でボロボロご飯をこぼしながらまだ喋っている。 撮影に出発。ところが同時に出発したはずのKさんが来ない。携帯で連絡するとカーブを曲がり切れずコケタらしい。しばらくすると連絡が着て、もう一度コケて地元の人に救急車を呼ぼうか、といわれている最中らしい。東京でも同じ状況の電話をもらったことがある。Kさん笑っていて要領が得ないが、おそらくさすがに情けなかったのであろう。しまいに笑いながら涙声である。62歳にするアドバイスはもう尽きているし、たいしたことがなさそうなのでRさんKさんと撮影に向う。しかし結局風と波で撮影断念。ようやくたどり着いたKさんと東京に帰るRさんと、友人と釣りに行く妹分のKさんと駅で別れる。泥酔のKさんは、足手まといなだけなので、鍵を渡して再び海岸に行き撮影を続ける。 帰るとKさん、駅で寝てしまったそうだが、腹が減ったとコンビニで買った大きなスパゲッテイを食べている。「朝飯作るとかいって作りやがらねェで」。こうなるとほとんどボケ老人である。

《4日目》

夜中にデータのチェックなどして3時間ほどで目が覚める。10時間以上寝たKさんは、朝起き、真っ先に昨日まで女性二人が寝ていた部屋を開ける「いるわけないだろ!」。可愛そうに女性二人寝不足であろう。 するとKさん、どうも今日帰る気でいる。観光客がいなくなる、明日こそ現場への荷物運びに手伝ってもらうことになっている。あれだけ遊びに行くわけではないと言い含めてめておいたのに。その撮影は夕方なので、それまで寝ているというKさんを残し撮影にでかける。今回は海岸のシーン以外は梅雨空の話で、小雨くらいでは撮影しようと思っていたが、毎日晴天である。イメージがすでに頭の中に生き々とあるのに、状況がそれを撮らせない。これが私をイライラさせ、写真が長らく嫌いだった原因である。そっちがそういう了見なら(そっちがどっちかは知らぬが)本当のことなど無視してイメージ通りに作り変えるだけである。すでに夜の室内のはずが、わざわざ夏至の日に撮影に行き、結局外光を押え、電球灯る室内に変え、閉じた窓をこじ開け、苦労した分ピッタリの条件で撮影した作品より愛着が湧いている。 夕方酒がかなり抜けたKさんと、予定の場所で撮影する。さすがに曇天の景色を作るなら、コントラストの低い、暗めの状況が良いのは当然である。木漏れ陽をなるべく避け撮影する。  夜、ベランダにカワウソだかイタチだかハクビシンだか、とにかくあの類が突然表れ消える。Kさん曰く「白っぽくないから、あれはハクビシンじゃない」。Kさんの口から発せられた、今回唯一の説得力ある言葉。

《5日目》

本日は埼玉の川口で看板など制作する工場を経営の10代からの友人Kが、抜け殻状態で役立たずなKさんと入れ違いに来ることになった。しかし酔っ払いの方のKさん。これほど気持ちを顔に出して、よく人間界で生きてこられたと思うのである。昨日から声は聞き取れないほど小さくニコリともしない。2日前に体力も笑顔もすべて出し切り、あとは屍状態である。そんなKさんと某駅で別れ、Kの到着を待つ。  本日は神社で撮影である。この場所こそドンヨリ曇っていなければならないが快晴。せめて日没前後まで待とうと、食事する所を探すが、どこも閉まっている。とりあえず神社を下見。 これがまさに作中の神社のモデルであることは間違いがない。泉鏡花が実際ここに来て、そのイメージで書かれた作品であると確信。しかし町の人はもちろん、神社もそのことは知らないのではないだろうか。  Kは昔、私が板橋にいた頃、東京大仏に一緒に行っては蕎麦で飲んだものだが、ある時地面の数ミリの小石を拾っては大仏に投げている。何かと思ったら大仏の蓮華座はポコッという音がする。はたしてその部分はFRP製であった。Kは職業柄素材にはうるさい。そこで石段や鳥居など、素材をチェックしながら歩いた。奉納された年代が書かれているものは判りすいが、コンクリート製では興醒めである。 連日の撮影で疲れている。喫茶店で一休みし、日没まで間があるので食事を済ませ、再び神社へ。ここぞとばりに撮影する。日没が近付くにつれムードは満点になってきたが、ここで伏兵。ところどころに蛍光灯が点りだした。気にせず撮影。結局この日も干物一つ買えず、コンビニで買い物。

《6日目》

この調子だとしばらく晴天であろうし、カットとしては随分撮った。レンタサイクルの返却は5時までである。最後に先日Kさんと行ったところにもう一度行き、食事がてら一杯やって帰ろうということになった。昼くらいなので、先日よりさらに明るい。しかしもともと、ここを撮影すれば、作中のイメージがかなり撮れると思っていた場所である。曇天でなくともイメージカットは撮れるであろう。しばらく撮っていて水面を見ると、木漏れ陽が映り、水底になにやら光り輝く物が沈んでいるように見える。これは撮った物を人に見せても、何だか解からない光景であろう。ロシア及び東ドイツのレンズで撮り終了。  さっき解体を終えたばかりの鯨の刺身で食事。毎度思うが子供たちに給食で、硬い鯨の足の裏みたいな肉を食べさせておいて、美味い部分はいったい誰が食べていたのであろうか。  

房総という場所は、海と背後に迫る自然とで、海と山深い景色が近い距離で撮影できる利点がある。たまたま『貝の穴に河童が居る事』の舞台が房総であったが、人間界と異界、その中間の光景が自転車で移動できる距離で撮影できると踏んでいたので、今作を出版社に提案した。  東京のKさんからは朝からメールが着ていた。帰宅後、メールをチェックしている間もメールや電話が鳴り続けている。判りました。房総でのKさんの振る舞いをそんなにT千穂で披露してもらいたいなら、と出かける。行くとオデコの傷は出かける前からあった、と言い張っているらしい。K本の常連二人が来ていた。一人は旅館の番頭役で出演してもらう。出演者の皆さん、どうもそれなりに楽しみにしてくれているそうで、面白がってくれてこそだ、とこちらも嬉しいことであった。

本日ここ数日の出来事を想い出しながら書いてみた。外は曇天なり。そっちがそういう了見なら(そっちがどっちかは知らぬが)こちらにも考えがある。と決意を新たにする私であった。

 

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河童3体完成。明日房総に出発することになる。本日届いたマブチ製水中モーターを2連にしても河童が重すぎ、思ったような航跡を描いてくれそうにない。結局Kさんにテグスで引っ張ってもらうことにした。そのKさんだが、もうすっかり機嫌が良くなってしまった。誤算だったのは、ショックだった分、歓びが大きく、かえってはしゃいでしまっている。 今回は晴天のシーンと暗い梅雨空のシーンが必用である。そう上手くいくかは分からないが、両方撮るまで帰らないつもりでいる。たまたま撮影ポイントから百メートルの所にネットカフェがある。そこに立ち寄ることがあればブログをアップすることがあるかもしれないが、しばらくブログは休ませて頂くことになる。  ここ何年か、レンズの癖が合成の邪魔になると思い、癖玉は一切使っていなかったが、異界の者共を描くにあたり多用することにした。これは撮る嬉しさが違う。帰ったら何かしらアップすることができればと思っている。

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河童3体にようやく着彩。明後日には撮影に向いたい。今回もKさんが同行するのだが、今月5日から元気がない。まるで惚れた女が実は男だと知ってショックを受けたかのようである。今日もめったに飲まない日本酒を、たくさん飲んで酔う!というメールが着た。  玄光社のイラストレーションウエブ。河童制作にかまけて手を付けていなかったが、ようやくトップページにリンクをはった。HP内の画像を使用しているが、イラストとして使用された作品を24点載せるというものである。そのトップページは、K本を背景に火焔太鼓を背負う、今古亭志ん生である。『中央公論Adagio』の表紙であるが、実際の表紙では交通局のお達しで、飲酒表現はNGということで、志ん生定番のお銚子にコップを、湯飲み茶碗に代えることになった。そのオリジナルで、どこまでリアルに作れるか試してみた作品である。  私が出版に向け制作中の鏡花作品は、河童が登場するというので、大方の方はお分かりであろうが、そのウエブのインフォメーションに載せたので。『貝の穴に河童の居る事』(昭6)である。鏡花は震災後、壊滅状態の東京から旅行にでかけては作品を発表しているが、これもそのうちの一つといえるだろう。房総を舞台にしたと思われるユーモラスな短編で、好色で身勝手な河童が主人公である。当然著作権は切れており、青空文庫でも読める。   ところで同じく好色で身勝手な振る舞いで、店や周囲に顰蹙を買っていたKさんだが、信じられないことに、Rさんが男だと思い込んで落ち込んでいる。こんな面白いものはない。なにしろこの人物、話すことははそれしかないから大人しい。しかし千葉で二人きりの間、ずっと暗い顔をされていてはたまらない。真相を話すと、すっかり元のゲスに戻ってしまった。あまりやかましかったら柱にでもつないでおくことにする。

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3体目の河童も乾燥から仕上げの段階にようやく入った。明日には3体同時に着彩に入りたいところである。  ユーチューブでノラ・ジョーンズを観る。昔、ビートルズ絡みでその名をよく耳にしたシタール奏者、ラヴィ・シャンカールの娘というのが驚くが、インド人の血のおかげか小柄でいかにも日本人向きである。さらにキュートだわ歌は上手いわ。こんな娘が家にいて、毎日歌ってくれたらどんな感じがするものであろうか。知人にカミさんが国民的歌手という人物がいるので、一度聞いてみたいと思うのだが、こんな質問の場合、おそらく面白いことを言おうとしそうな人物なので、聞いたことはない。 ノラ・ジョーンズの歌声に癒されるというが、私のようなだらしのない人間は、あまり癒されたいとは考えないものである。むしろこれ以上緩んでどうする、と考える。日々の中で緊張感を維持する方が難しく、ある程度のプレッシャーも必要である。 だいたい河童を自主的に作っているような人間が、癒されたいなどというのは、そもそも話しとしておかしいと思うのである。そう思うとストレスという言葉も、実はなんだか良く分からないのに、知ったかぶりして使っているような気がしてくる。

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先日、カラオケで『河童の三平』を歌おうと思ったら、入っていなかった。現在制作中の河童は三郎である。三郎は河童に良くある名前のようであるが、この三は三男坊の三とは思えないが、どういう意味なのか私は知らない。 ヤクザ映画を見ていると、実際確かめたわけではないが、正二郎だ清二だ、と次男坊あたりが多い印象がある。特に仁侠映画の場合、ヤクザ稼業の背景には、いくら鶴田浩二が立派な顔をしていても、田舎で年老いた母親を面倒見ながら田畑を耕す長男坊の姿が浮かぶ。 と続けるつもりでいたが、長男で河童を作っている私としては、なにやら、やぶ蛇感が漂ってきて、書いていて面白くなくなってきた。急遽話を変える。  河童を泳がせるための水中モーターは、昔の方がパワーがあったような気がして、マブチ時代の未使用品を2つ、ヤフオクで落札。それと作中、男が被る夏帽子。時代からしてカンカン帽であろうと判断。検索してみると近頃流行っているらしく、際限なく出てくる。しかしどれも今の物はイメージが違う。かつて欧州の紳士が被っていた、硬くてエッジが角ばっている物でないとならない。植木等がステテコ姿で「お呼びでない?」と被っていた物といっても良い。ヤフオクで1点見つけ、当時の90円のシールが貼ったままの物を無事落札した。

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最近TVを見ないので中学生のいじめについての話は知らなかった。 私の子供の頃にも当然のようにいじめはあったが、大分趣が違う。 東京の下町。中学3年の時である。二人の生徒を子分のように引き連れているNという生徒がいた。こいつの万引きが大胆で、ズボンの中に釣竿を入れてくるし、一人を背負い、その間に何十枚ものLPレコード、時にはプレイヤーやラジカセまで挟んで持ってきてしまうのである。初め笑って聞いていたが、子分の一人が、実は無理矢理やらされ苦しんでいることが伝わってきた。分け前を母親に見つかり、以来、そのたびに捨てているという。そこから密かに実態が囁かれ、1ヵ月後の放課後、先生、女子がいない教室で、男子全員が見守る中、二人を話し合わせた。普段大人しく無口だった子分は、母親とNの板ばさみでよほど辛かったのであろう。感極まり掴みかかっていった。取っ組み合いになったが、あまりの迫力にNは押され、鼻血が出た時点でストップ。今までのことをみんなの前で謝り、泣きながら頭を下げた。先生と女子のいない教室で一件落着。  翌日から何事もなかったように元に戻った。所詮子供である。一週間も経つとNも普通にはしゃいでいたが、あの件に関して誰も口にすることはなかった。 想いだしても感心するのは、当時の子供の正義感ではない。万引きを止める奴など誰もおらず、むしろそんな物はなかった。それより子供が恥じという物を知っており、武士の情けというものも理解していたということである。現在に至ってみると、世間はどちらかというと恥知らずな大人に溢れており、東京の特産品だと思われた“痩せ我慢の美学”というものも、製造中止になって久しいようである。

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