明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


昨日でてきた海外の女優のポートレイトを見ると中学時代、三本だて150円で毎週のように近所の映画館に通ったのを思い出す。館内はほぼ満席であった。イタリア、フランス映画、風前の灯ではあったもののまだ頑張っていた。アメリカ映画もニューシネマとかいってる頃は良かった。私はスターウォーズを一度も観る事なく死ぬだろう。 ここのところ頼まれた物を制作していた。私の辞書に載っていない物である。それも完成の頃には要領が解って来た。いわゆるあれである〝人生は夏休みのアルバイトの如し慣れた頃に夏休みは終わる”いったのは私だが。これから作ろうとしていた鉄拐仙人の開始は、結局12月に入ることになってしまった。目標は今年中に鉄拐仙人、琴高仙人、豊干禅師を仕上げの手前まで持って行くこと。



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久しぶりに鎖国の日、部屋の片付けしていたら本箱の引き出しから海外の女優のサイン入り写真が出てきた。一部ヴィンテージ写真もあるが、殆どがもう盛りを過ぎた女優がサイン会で、全盛期に撮られた写真にサインした物であろう。こちらとしてはサインしている本人さえ見なければけっこうである。中には本人がサインした物である、という証明のつもりであろう。サインしている写真が添付されていたりする。余計なことをしてくれる。 引越しの時に、私が生まれた日から父が二眼レフで撮った密着写真が貼り付けられ、祖父の筆で公昭寫寫集と書かれたアルバムを置いて来たのに。と思った。  以前集めた映画のポスターを処分しようと業者に来てもらった時に、一緒に処分するつもりが、こんなタバコ臭いジジイに判るもんか。と止めたことを思い出した。ポスターも一度処分すると、もう二度と集める気にならない。処分したことが悔しくなるからである。そう思うと、アムバムを捨てたことは、私の写真はともかく、ご近所の人たちや、埃っぽい景色、私にとっての東京、64年の東京オリンピック以前の風景が惜しくはある。しかし同時にアルバムを失ったということは、私にはこの期に及んでもう前を向いて行くしかない、という気分にどこかで貢献している気がするのである。



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一日  


一昨日のブログは、まだ慣れていないアイフォンで書き、アップ出来ないと思っていて昨日の午前中見たらアップされていた。よくわからないな、と思っていたら、余計なことをしたらしく、消えてしまった。わざわざ書き直すほどのことが起きた訳でもなく、まあいいや、と思いながら、たまたま昨日もバタバタしていて書くこともない。しかし隣人が知らないうちに亡くなっていて、勤め人はすぐに発見され、腐ることがないな、と書いたばかりで、私の場合はブログが存在確認になっていて、三日開けたなら、もう何かあったと思う早合点がいる。2日ならまあいいか、とは思うのだが、アレ?という顔が何人か浮かぶので、こうしてダラダラとつまらないことを書いている。 近々上手くいけば、2000年から始めた身辺雑記といっていた頃からの物も復活出来ないことはないようである。それから考えると20年以上続いたことになる。そこには三島由紀夫を作ろうと思った日の話など出てくるはずである。先日知人からなんで寒山拾得をやろうと思ったのか聞かれたが、すでにわからなくなっている。



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昨日貼り紙で、お隣が9月に亡くなっていたことを知った。そういえば、隣にわさわさと人が集まり、これは飲み会かと思った日があり、買い物に出ようとしたら、何やら黒いカバンなどが幾つも置かれ、白いカバーがついた制帽が一つ。自衛隊か警察かな?そういえば、その後物音がしなくなり、片付ける気配。これは引越しかな、と思っていた。記憶とブログを照らし合わせると、亡くなったのは、あの制帽の前日だと分かった。つまり検死をしていたのだろう。買い物から帰るとカバンなどが全てなくなっていたから買い物の間に遺体は運ばれたと思われる。2年前に引越しの挨拶以来、4回ほど挨拶を交わしたろうか。頑丈そうな人であったが死ぬ時は突然だな、と。私はブログが2、3日間が開くと友人から連絡が来るが、電話に気付かないこともある。勤め人は腐らずに済むのだな、と改めて。 鉄拐仙人は、相方が頭に三本脚のガマを乗せている割に瓢箪持たせたくらいではインパクトが弱い。バランスを取るため、ポーズを変更する。



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最初に着彩するのは『タウン誌深川』新年号エッセイ用にしゃれこうべを枕の一休禅師の予定。新年号だけに”門松は冥土の旅の一里塚“の竹竿にしゃれこうべを掲げる一休を、と考えていたが、眺めているうちにこの髑髏枕の一休が気に入って来て、むしろこれで行こうと。もちろん“門松は冥土の旅の一里塚”のその後のことなので、竹竿にしゃれこうべの一休もいずれ作ることになるが、そんな絵は描いた人が結構いるだろうが、骸骨を枕にした一休禅師はいくらなんでもないだろう。当時は飢饉などで、そこらをちょっと掘ればいくらでも出て来たろう。そういえば、父が学生時代、友人のアパートに行ったら、日大医学部の学生が遊びに来て、カバンに人間の腕を入れていたそうで、家で解剖の練習をしたんだろうといっていた。父は子供を楽しませるために面白い話をしてやろう、なんて了見など爪の先程もない人間だったので多分実話だろう。寝床で桃太郎の話をしてもらったのを覚えているが、全く面白くなかった



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ここのところ依頼もあり、あまり得意とはいえない分野を手掛けて来た。私の普段使っている粘土も合わないので、馴染みのない粘土も使っている。しかしそれもこれも夏休みのバイトの如く、夏休みが終わる頃にようやく慣れてくる。そうなると夏休みの始め頃の物が頼りなく思えてくる。まあ、そうならないと困るわけだが。 まだ黒人のミュージシャンを作っていた頃、日々発見がある訳だが、ほんの少しづつ常識が変わって来る。ある日、振り返って棚に並んだ作品に目をやったら、昨日までと違って見えてギョッとしたことがある。そうしてチビチビと変化を続けて来た訳である。その人物像の変化に、ただカタログ、資料を見て作る、創作の余地があまりない楽器が追いつかなくなり、元々何かを参考に作るというのが、子供の頃から苦手だったこともあり、嫌気が差して行った。他人が作った物をただ写すなんて苦痛なだけである。 昨日知った隣人(59歳)の死もあり、改めて“人生も夏休みのバイトの如し、慣れた頃に夏休みは終わる〝 高校生の頃、鉄骨運びのバイト時に得た教訓が、当時の当てずっぽうとは違ってリアルに感じる今日この頃である。



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虎渓三笑の教訓を忘れず、つまり“一つのことに夢中になり過ぎ、大事なことを忘れてはならない”  仕上げを残し、おおよそ出来ている物。臨済義玄、慧可断臂図(達磨大師、慧可)虎渓三笑図(慧遠法師、陶淵明、陸修静)蝦蟇仙人、鉄拐仙人、一休和尚酔臥図(一休宗純) 頭部のみ 琴高仙人、豊干禅師、保留中(寒山、拾得)虎に乗った豊干禅師、鯉に乗った琴高仙人は、それぞれ虎と鯉を撮影のこと。達磨大師は正面像を作る。ここまでを年内に済ませたいところ。寒山拾得の頭部は出来れば年内、正月中に完成を目指す。 一年近く経ち、被写体自体がこの状態であり、まだ何も始まっていない。私の手法は自動的に忍耐力をはぐくむことが出来る。 来年心掛けることは、メドが立つまで新たなモチーフには決して手を出さないことであろう。この点に関しては私は自分をまったく信用していないけれど。龍虎図を制作しないことにしたのは不幸中?の幸いであろう。



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虎渓三笑の慧遠法師と陶淵明と陸修静が乾燥が終わり、仕上げを待つのみとなった。ちょっと残念だったのは、慧遠法師と陸修静は想像で作れたが、陶淵明は小学三年の臨時教師としてお世話になった田中先生に、私があまりに人物伝を読みまくっていたので、転校される際にいただいた世界偉人伝の挿絵で覚えがあり、といっても李白と区別が付かず中国の詩人は皆ヤギ髭にどじょう髭、釣り上がった目と眉毛である、と曖昧な記憶であったが、あるからには、陶淵明だけはヤギ、どじょう髭に釣り上がった目と眉毛にすることになった。 三人を組み合わせなど初めてのことだが、表情を生かす角度で、などと三人を組み合わせていると、いくらでも面白くキリがない。中景の石橋を早く撮影し、二カット程度に納めたい。最後にはこの期に及んでまだまだ初めてのことなどいくらでもある。三人も作ったのだから、せいぜい創作の快楽を味あわせてもらわないと許す訳には行かない。石塚君は相変わらずだね、と田中先生はいうだろう。先生は子供の日記が原作の「にあんちゃん」の話をたびたびされていた。何年か前に思い出して映画を見て、子供達に伝えたいことをお持ちの先生てあったとしみじみと感動した。


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レンズには特徴がある。旧いイギリス製レンズで母を撮ったら、本人には見せられない写りとなったことがある。しかしそれもこれも使いようであり、数年前河童や鎮守の杜の姫神様など撮るために、いささか妖しげな描写をするレンズを集めた。よくいえば幽玄的といえなくもない。梅雨時に表れたジメジメと生臭い河童を撮るには最適と思ったが、河童は一メートルから、マテ貝の穴に隠れるくらい、己のサイズを変えられる。それに人形を実景に合成するので、縮尺率の違いや、レンズのボケによるはみ出し、などがかえって邪魔になり、結局今時のズームレンズで大半を撮り、梅雨時の鬱陶しい風景にのみ使用した。それが石塚式ピクトリアリズムとなるとさらにレンズの味は不要となった。 しかし元々が嫌いではない。レンズ名こそ違うが、どうもあの時入手したレンズのOEM,製品とおぼしき、違う画角のマクロレンズを入手したら、まったく同じ描写の”幽玄レンズ”であった。そこで例えば石膏により作る、背景の中国風奇岩風景部分、あるいは仙人、寒山拾得など合成を要しないカットには使ってみたい。

 



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難問  


鯉に乗った琴高仙人は水面からジャンプしている所、または鯉の半分もしくは全面が水面下にあり、仙人の上半身だけが水上にあり、等々頭に浮かぶのは良いが、それを可視化する生身の私は大変である。人は頭に浮かんだ物を作るように出来ている、という養老孟司のいう仕組みに苦労させられることになる。『貝の穴に河童の居る事』(風濤社)ではマンションの駐車場で撮った人達を房総の波打ち際に立たせたりもしてきたが、石塚式ビクトリアリズムの場合は陰影がない、それは同時に反射や艶もない、ということである。蝋燭や人魂の火は、筆で描いた物を使うという奇手でしのいだが、水に関しては策がない同じように水や火で苦労したであろう特撮監督円谷英二に相談したいぐらいである。連合艦隊の空撮の海面はこんにゃくを流し航跡は筆で擦ったらしい。石塚式の最後に立ちはだかる難問が水という訳である。北斎のように日がな一日海辺の波でも観察すべきなのか?いやなこったである。線と、水の屈折でなんとかならないだろうか。
 


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誰しもそうだろうが、朝は天候で気分が左右する。晴天だと気分が良い。李鉄拐こと鉄拐仙人は、魂を口から飛ばす術の持ち主だが、口から分身を吹き出すのだが、師に会いに行くため魂を飛ばす。弟子に七日間帰って来なければ抜け殻である身体を焼くように命じ飛んで行く。ところがこの弟子、母親が危篤となり、六日目に仙人の身体を焼いて母の元に帰ってしまう。帰って来た仙人、仕方なくかたわらの脚の悪い乞食の死体を使って蘇った。なんて仙人をこともあろうに作ることが出来るのである。こんな嬉しいことはない。なので手遅れにならないよう、子供が東の空を口を開けたままボンヤリ眺めていたなら、ろくなことは考えていないのだから、頭をはたくなりコーナーのボクサーにするようにアンモニアを嗅がせたりするべきだ、とこうして事あるごとに警鐘を鳴らしているのだが。



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まさに快挙である。ホームラン王などと違い、比較する対象さえいないというのだから当然であろう。シーズン中ネット上の書き込みで、一家の主なのかアメリカ人男性が、興奮のあまりに大谷に“ウチの家族全員妊娠させてくれ!”に笑わせられた。ウチ、の中にはどうやら自分も含まれているようである。ある年齢になると高校球児が突然子供に見える時が来るが、大谷登場以来、大リーガーが短足のちんちくりんに見える。昭和天皇とマッカーサーの二人並んだ会見の写真以来幾年月、実に感慨深い。 ここに来て仕上げを残し、おおよそ身体まで作ったのが八体。残るは鉄拐仙人、鯉に乗る琴高仙人、虎に乗る豊干禅師の三人となった。寒山と拾得の頭部は保留中。ここに至ると何故仙人を作ったのか良く判らないが、長く続けた実在者制作のプレッシャーから解き放たれた感を味わうには適しているモチーフといえよう。明日からは蝦蟇仙人の相棒の鉄拐仙人の身体部分に取り掛かるつもりでいる。



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まさに快挙である。ホームラン王などと違い、比較する対象さえいないというのだから当然であろう。シーズン中ネット上の書き込みで、一家の主なのかアメリカ人男性が、興奮のあまりに大谷に“ウチの家族全員妊娠させてくれ!”に笑わせられた。ウチ、の中にはどうやら自分も含まれているようである。ある年齢になると高校球児が突然子供に見える時が来るが、大谷登場以来、大リーガーが短足のちんちくりんに見える。昭和天皇とマッカーサーの二人並んだ会見の写真以来幾年月、実に感慨深い。 ここに来て仕上げを残し、おおよそ身体まで作ったのが八体。残るは鉄拐仙人、鯉に乗る琴高仙人、虎に乗る豊干禅師の三人となった。寒山と拾得の頭部は保留中。ここに至ると何故仙人を作ったのか良く判らないが、長く続けた実在者制作のプレッシャーから解き放たれた感を味わうには適しているモチーフといえよう。明日からは蝦蟇仙人の相棒の鉄拐仙人の身体部分に取り掛かるつもりでいる。



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シーズン中ネット上の書き込みで、一家の主なのかアメリカ人男性が、興奮のあまりか大谷に“ウチの家族全員妊娠させてくれ”に笑わせられた。ウチ、の中にはどうやら自分も含まれているようである。ある年齢になると高校野球の選手が突然子供に見える時が来るが、大谷登場以来、大リーガーが短足のちんちくりんに見える。昭和天皇とマッカーサーの二人並んだ会見の写真以来幾年月、実に感慨深い。 ここに来て仕上げを残し、おおよそ身体まで作ったのが八体。寝ている一休宗純はムシロで身体か隠れるし上半身しか必要ないのも含むが、残るは仙人、鯉に乗る琴高仙人、虎に乗る豊干禅師の三人となった。予定していた寒山と拾得の頭部は保留中。



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虎渓三笑の三人の最後の一人が乾燥に入った。仕上げを残し3人が出来たことになる。これで袈裟着た坊様をすでに3人作ったことになる。昨年の三島由紀夫制作に集中していた私にそのことを伝えてもふざけたことをいうな、と決して信じないだろう。さらにガマガエルを頭に乗せた蝦蟇仙人も作った、といったらどんな顔をするだろう。ディアギレフはコクトーに「私を驚かせてみろ」といったが、私は自分で作って自分で驚いている。実に安上がりである。まあ確かに私には自分で冗談をいって自分で笑っているような所があるかもしれない。 この修行のため山を降りないと決めていたのに、来客を送っていきながら、話に夢中になり、うっかり境界を越えてしまって笑うを慧遠法師を眺めていて、つい寝てしまい、私は免許が要るようなことは一切やらないと決めているのに慧遠法師作ってしまった、という夢を見た。なんでこんな物に免許が要るのだ。


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